自作自演のバロンドーラー

Rupnekur

前編

 途中まで書き上げた論文を保存してワープロソフトを閉じる。



 ぎしっと背もたれに体重を預け、固まった筋肉を解すように首を回した。



 どうやら長い時間集中していたようで、始める前に淹れたコーヒーが一度も口にすること無くすっかり冷めていた。



 息抜きがてらインターネットブラウザを立ち上げると、最初に開かれたニュースサイトにとあるサッカー選手の記事があったのでクリックしてページを開く。


 記事は欧州に渡った日本人選手が新天地で悪戦苦闘しているといった内容だった。



 その選手は若くして海外リーグに渡り目覚ましい活躍を見せた選手だった。


 海外を代表するリーグで優勝し、個人タイトルも受賞している。



 そんな日本を代表する選手だったがなぜか日本代表では活躍することができなかった。



 心無い評論家やサポーターからは誹謗中傷を受け、何時しかアンチの多い選手となっていた。



 今回の件でもきっと某掲示板ではアンチによる罵詈雑言が飛び交っていることだろう。




 俺はこのアンチと呼ばれる人間が嫌いだ。


 なぜ努力し苦労している人たちを罵倒することができるのか。


 


 椅子を回転させて背後に置かれた棚を見る。


 そこには様々な大きさのトロフィーや盾、メダルが飾られていた。


 個人で得た物には鐘城清斗(かねしろきよと)と俺の名前が刻まれていた。



 自分もかつてはプロサッカー選手になることを夢見ていた。あれらはその過程で得た物だ。



 だが高校最後の年に、俺は取り返しのつかない怪我を負ってしまった。



 再び椅子を回してもう一度記事を見る。



 自分で言うのもなんだが俺は将来を期待された選手だった。


 様々な雑誌から取材を受けたしテレビで特集を組まれたこともある。


 U-20にも選出され得点王にも輝いた。


 国内外問わずに多くのクラブチームからオファーを受けていた。



 だからこそ悔やまれる。



 あの日あの時。


 もっと念入りにストレッチをしていたら。


 周りの選手にもっと目が向けていたら。


 体の小さな異変に気がつく余裕があったら。


 


 俺もプロとなり、日本代表となり、欧州リーグで活躍するような選手となり。



 個人に与えられる最高の賞であるバロンドールを得ることができただろうか。



 アンチを実力で黙らせるようなそんな選手になれただろうか。



 そんなことをいつも考えてしまう。



 自分の叶えられなかった夢を今のプロサッカー選手達に乗せているからこそ、アンチという存在に強い嫌悪感を感じているのだろう。



 冷たいコーヒーを飲み干し、論文を進める為に再びワープロソフトを立ち上げる。



 今はアンチに腹を立てる事よりも、自分の新たな夢であるスポーツドクターになるためにこの論文を書き上げることが先決だろう。



 スポーツドクターになって自分のように怪我に涙する人を減らす。


 その思いで日々を勉強に費やしてきた。



 サッカーには未練はある。


 それはいつの日か、結婚して産まれた自分の息子に夢を託すのも良いかもしれない。


 


 培ってきたスポーツの知識をもって息子を最高の選手に育て上げる。



 それも面白そうだ。



 まぁ。



 残念ながら今のところ相手はいないんだけどーー。
















 


「ーーん!?」



 いつの間にか閉じていた目を見開き勢いよく上体を起こす。



 いや、ちょっと待て、おかしい。俺はいつ寝たのだろうか。


 先程まで椅子に座り論文を書いていたはずなのにどうしてベッドに横になっていたのだろう。



 それにこの部屋に見覚えがないし、なぜだか視界が低いし手が、手が小さい!?



「はぁ!?」 


 


 慌てて手足を確認し顔や体中を触って確かめる。



 どうなってる!? なぜ子供に戻ってる!?


 生まれ変わり? 転生? そんな馬鹿な! 


 するとすぐ横でもぞもぞと動く気配があったので視線を向ける。そこには栗毛の可愛らしい女の子がタオルケットを抱きしめるようにして眠っていた。



「おにいちゃん……。うるさーい……」



「あ、ごめん……陽華……」



 はるか? 


 その名が自然と自分の口から出てきたことに驚き、この子が1歳年下の妹であることや自分が6歳であることなど知らなかった知識が頭に入っていてバラバラの記憶がどうも纏まらずに困惑する。



 ぐるぐる思考を巡らしているといつのまにか目を覚ました妹がこちらを覗き込んでいた。



「おにぃちゃんおはよー」



「うん……。おはようはるか」



「どうしたの?」



「いや、なんでもないよ」



 そう言って頭をなでてあげると花が咲いたような笑顔になった。


 やばい、物凄く可愛い。前世? では一人っ子だったから余計に可愛く感じる。


 ありがとうまだ見ぬ父さん母さん。



 記憶が混乱しているので親の顔と名前がまだはっきりと思い出せないが、きっと会えば記憶も落ち着くだろう。



 すると部屋の戸がノックされ、開いた隙間から女性が顔を覗かせた。



「シュウくーん、ハルちゃーん起きてるー?」



 この人が俺の母親らしい。顔を見た瞬間に記憶が整理されていくのを感じる。


 それにしても美人だ。父さん羨ましい。いきなり反抗期に入ってしまいそうだ。



「起きてるよー。おはよう母さん」



 そう言うとなぜか母さんは驚愕に目を見開いた。



「ど、どうしたの?」



「なんで、ママって呼んでくれないの……?」



 しまった、そうだった。今世は親のことをパパママと呼んでいるんだった……。


 でも前世では20歳を超えていたのにママと呼ぶのはなかなか抵抗がある。



「ごめん間違えた。おはよう、ま、ママ」



「びっくりしたー! 急にグレちゃったかと思ったわよ。おはようシュウくん」



「ママおはよー!」



「おはようハルちゃん。ご飯出来てるからパジャマ着替えて降りてきてね」



 そう言うとママ……母さんはぱたぱたと階段を降りていった。


 どうやら自分の名前はシュウトというらしい。まだ記憶が整理されてないが漢字では蹴斗と書くようだ。前世での清斗と偶然にも似ているし早めに馴染めそうだ。それにもしかしたら父さんはサッカー好きなのかもしれない。


 そうじゃないと蹴なんて漢字は使わないだろう。



「準備できた?」



「うん!」



「じゃあご飯食べに行こうか」



 はーいと元気よく返事をして手を握ってくる。妹と仲良く一階に降りると扉の向こうから朝食の臭いが漂ってきた。



「お腹すいたー」



「そうだね」



 このドアを開くときっと父さんがいるのだろう。


 俺はドアノブに手をかけながら少し緊張していた。



 散らばった記憶を整理すると同時に俺はある事を考えていた。


 それは前世では諦めていたサッカーをもう一度やり直せるという事だ。


 前世に未練が無いわけじゃない。両親は存命だったし友人もお世話になった人も多く居た。その人達に二度と会えないのはショックだし悲しい。


 


 だがそれ以上に、もう一度サッカーができる喜びがあったのだ。


 人に会えなくなる以上の感情をサッカーに抱いてるだなんて我ながら呆れるばかりであるが、それだけサッカーを愛していたということでもある。



 だからこそ今度こそはプロのサッカー選手になって前世の未練を晴らしたい。


 


 だがプロのスポーツ選手になるにはお金がかかる。


 練習着や用具に金はかかるしサッカースクールに通うのも金がかかる。


 交通費や遠征費だってある。



 とにかく金がかかるのだ。



 それに練習着が汚れたら洗ってもらわないといけないし、体作りのためにバランスの良い食事も心がけたい。つまり母さんにも苦労をかけることになる。



 プロのスポーツ選手を育てる事の大変さを前世では学んでいる。



 だからこそ、願わくばこのドアの向こうの父さんがスポーツに理解のある人であることを祈って。



 ドアノブを引きドアを開く。



 そこにはテーブルに座って新聞を読む父さんの姿があった。



 その顔はどこか見覚えがあってーー。



 前世でよく見ていたような顔でーー。


 


 というか。



 そこに居たのは前世の俺だった。




「おれぇ!?」




 新聞を読むのを止めて俺を見る前世の俺と、ニコニコと笑みを浮かべながら味噌汁を運ぶ母さんと、不思議そうに首を傾げる妹と、再び頭の中がこんがらがり棒立ちする俺。



 これは自分自身の息子に生まれ変わった男が。



 最高のサッカー選手になるまでの自作自演の物語。

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