第十二章 モルテナ・リモン・ベールディン
一面の、深い
カルバ要塞の、最初の防衛線だ。
次の防衛線は、要塞正面である。
霧を抜け、ようやく入り口を発見した方々がいても、弓矢の雨が振ってくるのだ。
深すぎる霧の中、なぜ、敵を発見できるのか。それこそが、カルバ要塞が、要塞たりえる不思議の一つである、カルバ要塞からは、外の様子がよく分かるのだ。
もちろん、迷いの森に古くから住まう、モートリスたち森の民の情報提供のおかげでもある。敵が近づくと分かれば警戒し、発見もしやすい。
おかげで、ワーレッジたちのように宝玉術を使うことが出来なくとも、とんでもない攻撃力を持つことになるのだ。
敵からの攻撃は届かず、こちらからは、一方的な弓矢の雨を見舞うことが出来る。とどめは、槍の皆様の登場だ。
ただ、本日はいつもより警戒のメンバーは多かった。
玄関ホールと言われてもおかしくない、カルバ要塞の入り口には、いつもの倍のメンバーが集結。五人ほどが暇そうにしている広い玄関ホールに、槍を肩に担いだまま、いまにも敵が繰るのではと言う緊張感に包まれていた。
主力であるワーレッジが、初めて森を離れ、都市へと向かったためである。
「悪霊か………話には聞いていたけどよ、本当にいたなんてな」
「めったにあるもんじゃない。今までは、何も起こらなかった………」
「いいや、大事になる前に、解決されてきた――って、ところだろう。王国があった頃は、宝玉術の使い手もいて、王宮の隣では、次の世代を育ててたからな」
「帝国が壊したのは、国だけじゃなかった………このままだと、俺たちの暮らしだけじゃない、何かが壊れる………そんな気がするな」
「ヒヒヒヒ………神々がいなくなったころに、とっくに壊れてたのさ」
一人、壊れている人物が混じっているが、ぞっとする物言いでもあった。
悪霊がいて、対処するために宝玉術の使い手がいて、その上には、
神話に伝わる時代には、神々と、古代の人々があがめた存在もいたという。今は神話の彼方に去った、そのときから、今の日々は運命付けられていたのか。
「だが、カルバ要塞がある。死に神ワーレッジだっているんだ、早々、滅ぼされてたまるもんか――ってな」
「ヒヒヒ、滅ぼすなら、帝国さ………宝玉の力を得られない、呪われた民は、呪われた土地に帰れってさぁ………ヒヒヒヒヒヒ」
壊れているのか、
だが、確かにその通りだ。予言とも言える不気味な言葉に、
その彼らが守るカルバ要塞入り口の奥には、階段がある。
昇りきってもまだまだ続く。岩をくりぬいて作られた階段はとても長く、時折角度を変えて続いていく。その方向転換のためと、休憩場所として、
五人ほどなら横になれる広さで、万が一入り口の突破を許した場合の、第二、第三の拠点となるのだ。
その拠点は、外的を見張る見張り場の役割も持っている。
見張りのための長椅子に、オレンジのロングヘアーに、茶色の瞳の、スタイルのよいお姉さんが、退屈そうに横たわっていた。
夜の見張りの紅一点、木の葉のノコギリを操るニーフレンのお姉さんである。
のんびりと眺めているように見えて、しっかりと周囲の気配を探っている。後ろから見知った女性が近づくことも、はっきりと分かった。
「ニーフレン、はい、眠気覚まし」
ニーフレンがふりむくと、湯気が立っていた。
かぐわしい香りだけで、眠気がすっと消えていく、目覚めのコーヒーである。
「おう、すまねぇな、ニルミア」
カップを差し出してきたのは、ニルミアさんだ。
ブラウンのショートヘアーに、オレンジの瞳の、ワーレッジとモルテを育てているお姉さんと言うより、お母さんだ。
ニーフレンは、普段は夜の見張りのため、この時間は眠りについている。本日は、夜を徹しているような状態であるため、眠気覚ましにと、差し入れに来てくれたのだ。
他の見張りにも差し入れをするのだろう、ポットは湯気を立て、カップが詰め込まれたかごが、足元にあった。
なお、これら
「こういうのがたっぷりあるのも、カルバ要塞の謎だよな~」
受け取って、一口飲むニーフレンの姉さん。
「大丈夫?だいぶ冷めてたと思うけど………」
「いや、熱いって言うか………えっとな」
気まずそうなニーフレンの様子を、ニルミアは、くすくすと笑って見守る。理由は承知だと、スカートのポケットから、小包を取り出した。
お砂糖であった。
目を離せば、たちまち消失してしまう、魅惑の品だ。その結果、体重が激増してしまう、正に魔の粉であった。
「なんだよ、持ってるなら、最初から入れとけよ」
えらそうにふんだくる、ニーフレンの姉さん。全部入れる勢いだ。猫舌ではなく、苦いものが苦手らしい。
「どうせ、もっとよこせって言うでしょ。まったく、子供達がまねしたらどうするの」
「ここには来ないから、大丈夫だろうが………」
普段は、夜の見張りのニーフレンが、なぜ太陽が輝く時間帯にここにいるのか。それは、昼の防衛の主力である、ワーレッジがお出かけだからだ。敵襲に備え、最大限の警戒をしているためであった。
十三歳男子ネイベックも、最上階である『三日月門』で待機している。町で連絡係となっているヤマアラシヘアーのハイデリックと合わせて、戦いの力を備えた使い手は、これだけなのだ。次世代はいまだ訓練中で、もちろん、宝玉など手にしていない。
ただし、一人だけ、将来に熱い期待を寄せられている女の子はいる。
最強の幼女、モルテちゃん七歳である。
死に神と呼ばれ、恐れられる最強の宝玉術の使い手、ワーレッジが大切に守り、育てる小さな女の子だ。
僕達のお姫様と呼び、油断すれば、モルテちゃんを赤ん坊扱いするほどの可愛がりは、誰もが知っている。
そして、誰もが耳にしている。成長すれば、ワーレッジを超える力を発揮するだろうと。
ネイベック曰く、お兄さんのワーレッジよりずっと強い力の持ち主。十年後、十七歳のモルテがどうなっているか、楽しみである。
「はぁ、そのときは、私らは三十代か………」
「言わないでよ。私達、まだ二十代になったばかりでしょ」
「けどよ、十六で結婚して、一番乗りを宣言するのを見てたんだぜ、私ら。二十歳を超えたら大慌てで………三十歳なら、独身の誓いをした巫女にでもなった心境ってよ………」
「子育てならしてるでしょ、お互い………」
「未婚の母ってのも悪くないって、気取ってたっけ………」
「お互いにね」
「「はぁ~………」」
お姉さん達は、大変のようだ。二人同時に、ため息をついていた。
その時、遠くで小さく、光の柱が空に昇った。気付くことが出来たのは、ニーフレンであった。
しかし、驚く様子もなく、お砂糖がたっぷり、甘くてすっぱい香ばしさが漂うコーヒーを、ちびちびすすった。
余裕の笑みになったのは、砂糖の入れすぎが原因ではないだろうと、ニルミアもニーフレンが見つめた方向を、見つめる。
すぐに、オレンジの瞳が驚きに、大きく開かれる。
ニーフレンは、正解だと教える。
「ワーレッジは帰ってくるよ。きっと、あと少しでさ」
「なら、モルテちゃんに知らせないと。生意気を言うようになっても、まだまだ甘えん坊さんだから」
あとはよろしくと、ニーフレンに差し入れの残りを託し、階段を上っていくニルミアお姉さん。取り残されたニーフレンは、仕方がないと、コーヒーを見張りの仲間へと運んでいくことにしたのだった。
* * * * * *
窓から、月明かりが入ってくる。
岩をくりぬいただけの簡素な窓であっても、月は美しい。ワーレッジは、窓の外を
カルバ要塞の、夜の景色だ。
「お姫様、今日はどんなことをしてたのかな?」
ワーレッジは、隣に座る、かわいらしいお姫様に
月は銀色の輝きと例えられるが、モルテのロングヘアーもまた、同じく銀色の輝きを放つ。月に照らされて、神々しさはさらに増している。
ワーレッジの言葉を受けて、きょとんと振り向いた。
「あのね、オレンジ色のちょうちょがね――」
モルテは幼い子供の言葉遣いで、お返事をした。
いつもはお姉さんぶるものの、ついつい、戻ってしまうのだ。常に共にいるわけではなく、眠る前には、お互いの一日を語り合う。眠りの前の時間、リラックスして、甘えていれば、幼い物言いになるのは仕方のないことだ。
その可愛らしい口から語られるお話は、その日見た夢の内容を語るかのように、脈絡がなく、取り止めがなく、不確かなものだった。
ワーレッジ以外には、そうだった。
「お姫様は、今日もたくさん、お話が出来たんだね」
頭をなでながら、にこやかに褒め称えるワーレッジ。
少しは妹離れをするようにと、ニルミアお姉さんにたしなめられる姿である。しかし、愛情表現は兄バカでも、褒め
ワーレッジは、亡き友人レーネックの言葉を思い出す。
姫を頼む。
僕たちの、希望になる
そしていつか――
それは、偉大なる導師の子息の、予言であった。
「うん。レーネック、ボクは信じるよ。いつかきっと――」
「お兄ちゃん?」
「ううん、なんでもないよ。チョウチョは、モルテとお話しするために、来てくれたんだろうなって………」
「うん、いっぱい、いっぱい………お話して………」
モルテの
ワーレッジは微笑み、そっと頭をなでた。
「お姫様、今日はもうお休み。いっぱいお話してくれて、ありがとう」
「ん………」
いい終わる前に、モルテはすでに夢の世界へと旅立っていた。
自覚は無い様子だが、モルテはお疲れなのだ。それはワーレッジたちの用いる“
力が強ければ、遠い場所にいる相手に、言葉を届けることが出来る。各地を奔走するハイデリックなどは、そのために苦労していた。情報収集が役割でありながらも、直接会って報告する以外、手段がない。基本、身体能力向上のみの、力なのだ。
宝玉を与えられたことで、ようやく都市からカルバ要塞にいるワーレッジへと、連絡をすることが出来たほどだ。
まして、モルテの話し相手は、さらに遠い。
「巫女のお役目、お疲れ様………」
静かに、ワーレッジは言葉をかけた。
そして、再び窓の外を見つめる。カルバ要塞は、古代の戦いの
ニーフレンたち、夜に活動する方々と、睡眠時間や生活リズムを、分ける役割もある。定期的に交代するため、ニーフレンたちも居住エリアに部屋を持つ。本日はいつもと異なるため、少しつらいだろうか。
だが、おかげでワーレッジは、今日も役割を果たすことが出来た。
東の方角を見て、つぶやく。
「黄金に輝く兆し来たりて、巫女に言葉を届けん――だっけ、チョウチョだったんだ………それとも、モルテに合わせてくれたのかな?」
ワーレッジは、そっとお姫様をベッドに寝かせて、優しく髪の毛をなでる。
モルテの銀色の髪の毛は、月の光に照らされて、神々しく輝く。可愛らしい唇は、まだもごもごと、お話をしたいと遊んでいた。いつまでも見つめていたい誘惑と、心にそっと手を触れた記憶が、出会った。
「レーネックの言った通りだったね。モルテナ姫は、神々とお話してるよ。輝くチョウチョの姿で、モルテに会いに来たんだって」
嬉しそうなつぶやきに、モルテの名前が変わっていた。
モルテナ姫と、呼んでいた。ワーレッジが『ボクたちのお姫様』と呼ぶ女の子の、正式な名前である。
正しくは、モルテナ・リモン・ベールディン。
ベールディン王国の、最後の王位継承者である。
そして、最初の女王であるミルテナ・ヴァラ・ヴェールディンの力と宝玉を受け継ぐ、最後の一人。
それこそが、森の民が、ワーレッジたちをカルバ要塞に導いた理由である。
「モートリスにも、伝えておこうかな………神々は、まだ僕達のことを、見捨てていないって………始祖ミルテナの役目は、受け継がれてるって………ね、モルテ」
ベールディン王国が滅びる最中、友人レーネックが、命を落とした後も、幽霊となりながら、教えてくれた数々の秘密。
モルテの役割。
ベールディン王家をはじめとする、六王国の王家の持つ、本当の役割。
そして、カルバ要塞と言う秘密の場所と、森の民。
「ん~………」
お姫様は眠りながら、腕を伸ばしてきた。
早く抱きしめろと、
無言の主の命に、騎士を気取るワーレッジは、素直に従った。互いの胸に下げられている、
レーネックが、いまもここにいて、モルテに語りかけているようでもある。それは
「うん、そうだね、レーネック………約束だよ。モルテを、僕たちのお姫様を守るって。そして、いつか神々とのつながりを取り戻す………モートリスたち、森の民の願いでもあるしね………」
七年前、レーネックの幽霊が消え行く中での、約束。
宝玉と、約束。
久しぶりの大技に、ワーレッジも少し、疲れていたのだろう。大切なお姫様を抱きしめ、その暖かな力に抱かれ、眠りの世界へと向かっていった。
お兄ちゃんらしく、しっかりと用意されていた毛布をかぶって。
もちろん、用意したのはニルミアさんだ。カルバ要塞の守りの要であっても、暮らしを守ってくれているのは、お姉ちゃんであることに、変わりはない。
そろそろ、冬がやってくる。
無事に、春を
これから忙しくなりそうだ。
それでも、今は静かに休ませて欲しかった。死に神ワーレッジは遠く、東の果てに祈りをささげつつ、眠りに就いた。
ベールディン王国が滅亡してより、七年が経過していた。
宝玉と、約束 柿咲三造 @turezure-kakizaki
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