第十一章 ノロシ

 アーチ構造の窓のふちは木製で、彫刻はとてもにぎやかだ。植物はつるを伸ばし、花を咲かせ、チョウチョが止まっている。さらに、それをトカゲが狙うという、物語性まである。生き生きとした命をあがめる、ベールディンの国柄を示す作品だ。

 そろそろお昼の時間帯、あたたかな太陽に照らされた窓辺からは、遠くの黄金の輝きが、よく見える。

 今年も、豊作だ。

 濃い灰色のロングヘアーを、まっすぐで付けた壮年の男性、ウルガゼインは、この光景を守る地位にいる、市長閣下だ。

 まっすぐに見つめていた目線を、ふと、町に戻す。

 秋祭りの準備が忙しい時期のはずであるが、賑わいがないばかりか、人が消えたと錯覚させる寂しさだ。

 窓ガラスに映る大きな影を見て、振り返った。

 酒瓶を持った大男に、副官の細身の男、そして、おなじみの神官ギニレリータが、部屋に現れた。


「シュガルバルガ隊長、増援に、改めて感謝を。本来なら――」


 ウルガゼインの謝意は、酒瓶にさえぎられた。

 瓶ごしに、赤毛の大男、シュガルバルガのニヤつく顔が見える。無礼にも、酒瓶の底をウルガゼインに向けたのだ。

 挨拶はそこまでと、止めたのだ。


「市長殿、堅苦しい挨拶はよしましょうや。それよか、一杯いかがです?」

「失礼ですよ、隊長」


 副官メジムゲルネの苦労がしのばれる。

 市長ウルガゼインは、口の端を笑みにゆがめた。苦労人同士、一度酒でも酌み交わしたい誘惑に駆られた。この酒豪隊長も参加することだろう。そして、本音を言い合って――

 そんなウルガゼインの誘惑は、瞬間で抑えられた。なすべきことを、早急に決断すべき場なのだ。


「それで、どうですかい?死に神は、来てくれそうですかい?」


 シュガルバルガは、酒瓶を下ろす。

 無礼な問いかけだが、他人任せの運任せなのだ。死に神がこちらの意図に気付いてくれることを、祈っているありさまだ。


「そうでなければ、我々は見えない“何か”の餌食だ。ディーアミグアの件のように、この土地を捨てることにも………はぁ、バルガデアンのせいだ。この責任は………」


 言いかけて、市長の立場を思い出し、ため息をつく。

 シュガルバルガは、笑い出す。


「そうそう、なにがあっても、あのバカが責任者ってことで」

「バルガデアンではありません、バカでやがるんです………って、あれ?」


 メジムゲルネも、いい性格のようだ。

 いいや、一人のおバカがいれば、染められるのが世の常である。

 人はそれを、勇者と呼ぶ。


「しっかしまぁ、勝手な話だなぁ。こんなセコイこと考えるのは、どっかの鬼ババァくらい――」


 ゲンコツが、どこからとも無く飛んできた。

 赤毛の大男のシュガルバルガは、頭を抑えてしゃがみこむ。この中で一番背が高い大男が、八歳の悪ガキのようである。


「ふん………誰がババァだよ」


 鬼と言うのは、認めるらしい。神官ギニレリータは、こぶしを振りかぶった姿勢で、言い放った。余波で、ブラウンのロングヘアーが、大きく風に舞う、見事なるスイング鉄拳であった。

 全員、見ぬふりを決め込んだ。


「冗談は置くとして、悪霊を退治したついでに、我々の首を刈り取ろうとしても、私は驚かないよ」


 さすがは市長閣下、最初に空気を元に戻した。

 一人、シュガルバルガがふてくされるが、誰も気にしない。


「………覚悟は、しておきましょう」


 メジムゲルネは、静かに同意する。

 運命は共にある。そんな覚悟は、すでに済ませているようだ。


「確かにな、本物が相手なら、コイツでも目くらまし程度さ」


 シュガルバルガは、大筒を抱えるように置いて、座り込んでいた。

 お姉さんにドツかれたからだろうか、つまらなそうな、子供っぽい仕草で、大筒にあごを置く。


「それとも、爆弾抱えて、仲良く相打ちに期待するか?俺は死に神が生き残るほうに、一年分の酒代をかけるぜ」


 つまらないわけだ。自慢の品が、役に立たないのだから。

 ヤケのように、にやついた。


「死に神が勝つって、確信してるじゃないですか、それって」


 幼馴染の副官メジムゲルネが、あきれる。場所が場所であるため、思い出したように敬語を使っているが、敬意はまったく、伝わってこない。

 シュガルバルガは、気にするわけもない。


「当たり前だ。話から、死に神は間違いなく本物………いや、導師クラスだ」


 酒瓶を持ち上げ、ゆらゆらと、ふざけた。

 情報源は、新たに得た飲み仲間たちのようだ。

 荒くれ者の頭領と言う印象のおかげか、お酒様のお力のおかげか、ぺらぺらと、隠していたはずの色々を、漏らしてくれたらしい。森での惨状も、経験したバルガデアン部隊の皆様が、ぺらぺらと教えてくれたのだ。

 今頃、シュガルバルガの頼れる部下のご一同と、大いに意気投合していることだろう。朝から飲み始めているのだ、すでに何名かは飲み潰れているものがいないか、シュガルバルガは気にしない。

 気にするのは、貴重な情報を得た副官のメジムゲルネ殿である。


「王都での裁判が効いてるんでしょう。こうなれば、死に神の森の霧も、宝玉術だと考えたほうがいいですね。もしもこの町で、突然霧が発生したら………」

「おいおい、怪談話みたいになってるぞ」

「悪霊の話をしてるんです。今更何を………その霧が去ったと同時に、我々の死体が転がっているってオチでしょうけど」

「正に、死に神ってところだな。いっそ帝国本土まで逃げ帰るか?悪霊に悩まされず、突然、きりおそってくる不安もなくなるぜ?」


 豪快ごうかいに笑うシュガルバルガと、片手で頭を抑える副官メジムゲルネ。

 山賊のおかしらと言われても違和感のない赤毛の大男と比べ、本当に貴公子の風のメジムゲルネは、苦労人のようだ。

 笑いをかみ殺しながら、市長はおふざけに参加する。


「選挙を控えた年に、そんなふざけたことをしてみろ。仲良く処刑だ」


 言いながらも、あながち悪くないと、思い始める。自分達の死をきっかけに、誰かが、おかしいと感じてくれることを、期待してもよいのではないかと。

 王国には、帝国の力が及ばない“何か”が存在している。今からでも遅くない、手を引けと。

 この騒ぎが、あるいは帝国全土に広がってしまう可能性があるのだから。

 そう、帝国にかつてあったという西の沿岸線は、霧に覆われている。そして、山脈の東の土地であるここ、六王国の東の彼方も、霧に覆われている。ベールディンだけではない、ディーアミグアも、そして、残る王国の東の彼方は全て、進めば戻れない霧に覆われているのだ。

 ただの自然現象なのだろうか、あるいは………

 ウルガゼインの恐れている事態は、その霧が、ある日突然に、帝国全土を覆いつくすのではないかと言うことだ。

 そう、目の前の霧が、全土に――


「これは、霧………迷いの森に発生するという………」


 我ながら、間の抜けた感想だと、市長ウルガゼインは、足元を見つめる。

 いや、どうして気付くことが出来なかったのか、部屋が、霧に包まれていた。神官ギニレリータも、理的な副官メジムゲルネも、いつの間にか部屋を包む霧に驚いている。

 まだ、驚く仕草は分かるが、次第に霧は深くなり、ついに、自分の足元すらおぼつかなくなってきた。

 胡坐あぐらをかいていたシュガルバルガは、大筒を肩に構えて、軽口を叩いた。


「ご要望に答えましたって、所かな、死に神さん………」


 笑みを浮かべていた。

 姿を見せやがれ、ぶっ飛ばしてやると、室内でぶっ放しては大事になる砲筒を構えていた。

 しかし、死に神に返事はない。霧はますます深くなる、腕ほどの長さの砲筒の、その先端すら、かすみ始めた。

 シュガルバルガは、笑った。


「はっ、はっはっ、こりゃ、本物だ。決して敵に姿を見せずってやつだ」


 山賊のお頭の印象の、赤毛の大男らしく、豪快に笑い、笑って、肩に構えていた砲筒をドスっと、床に下ろす。

 改めて胡坐をかいて座り込み、好きにしろと、覚悟を決めた。相棒でもある副官メジムゲルネは、鋭いまなざしで霧をにらんだ。


「………殺すつもりは、ないということですか」


 メジムゲルネの黒髪がべっとりと、ひたいに張り付く。

 声を抑えた問いかけは、だれに向けられたのか。霧を放った死に神は、もちろん答えない。しかし、その気になれば皆殺しにするなど、簡単なはずだ。誰もが、喉元に刃を突きつけられている気分である。

 そして誰もが、その程度で義務を放棄する人物ではなかった。


「死に神よ………名前を使わせてもらった。苛立ちを晴らすため、殺すなら殺してくれ。今回の騒動は、どのみち私達では対処できないのだ」


 市長ウルガゼインは、卑劣な噂でおびき出したと、死に神への謝罪を口にした。

 それは、懺悔にも聞こえる。市長として、人々を守る立場として、あらゆる手を取るという決意が、卑劣な手段を選ばせたのだ。自らの命すら、差し出すほどの責任感が、原動力だ。

 同じ心の神官ギニレリータが、続けて懇願こんがんする。


「このままでは、あんたの同胞も犠牲になる。私達が言うべきじゃないのはわかってる。だけどね――」


 懇願でありながら、静かに諭すようでもある。

 神官としての、ギニレリータの言葉だった。人々を守るために、力を貸して欲しいと。身勝手な希望だが、宝玉術の使い手が、人々を守り続けた歴史を、過去を知っているためだ。

 霧は、すっと引き上げていった。

 ギニレリータの言葉が終えるまもなく、まるで、最後まで聞く必要がないと、言われたようである。

 あれほど深く、自らの足元すら見えない霧が、今は、互いの緊張した表情までが見えるまでになった。説得が成功したのか、ただの脅しだったのか、顔を見合わせるギニレリータたちには、分からない。


「………助かったのでしょうか?」


 メジムゲルネが、うかがうようにたずねる。

 油断したすきに、命を刈り取られる。その可能性を考え、緊張は解いていなかった。一方のシュガルバルガは、どっしり座ったまま、メジムゲルネを見上げる。


「俺たちがか、それとも、この町が………か?」

「………答える意味、ありますか」


 返事の代わりに、シュガルバルガは砲筒に向き直り、確認する。ジャコン――と、筒の一部を展開、砲弾を取り出し、そして、引き金をなでる。


「………面白い挨拶あいさつだったな、おい。見ろよ、無力化されてねぇぞ」


 笑みを浮かべていた。

 武器をそのままに、命を救われた。まったく脅威ではないという、とことんバカにされたと感じたのだ。次はぶん殴ってやると、はらわたが煮えたぎっている笑みであった。


「私達は今回、命を救ってもらったわけですから――自重しやがれ」


 メジムゲルネは、ジトっと幼馴染の赤毛を見据えた。

 副官としての言葉から、幼馴染のそれに戻っている。そのまま、こぶしで教えたいに違いない。姐御神官は腕を組んで、いつもの弟分たちに苦笑いだ。

 一方、同じく苦労人の市長ウルガゼインは、窓を見つめたままだった。


「そう、今回は………だ」


 今回は、救ってもらえるようだ。

 だが、これからはどうなるだろう。市長ウルガゼインは、死に神に感謝をしつつも、いつか敵対するのだという、覚悟を秘めていた。

 素直に喜べないという、苦労人であった。



 *    *    *    *    *    *


 淡い水色のショートヘアーを風になびかせ、ワーレッジは市庁舎の屋上に寝転がっていた。


「う~ん………ばぁちゃんの言ってた通りにしたけど………あれでよかったのかな?」


 お使いが終わったあとの、子供のようなセリフだった。

 引き続き足元の市長達の会話を拾うことも出来たが、もはや興味がなかった。自分を呼び寄せるために、噂を広めた。その目的はやはり、悪霊退治だとの確認が取れただけで、よかったのだ。それがカルバ要塞の会議での結論と同じであれば、次になすべきことは、一つである。

 とりあえず、噂の現場に向かう事にした。全てに対処できないと、切り替えは早く、すでに上空だ。


「あそこかな………ハイデリックが言ってた、兵舎って………」


 いる保障はない。

 夜な夜な、帝国兵を殺して回っているという噂なのだ。だが、幽霊とは執着する人、物、場所の付近に存在していることが多い。

 目的を定め、人為的に幽霊にでもならない限り、最初に出現した場所が、第一候補と言うこと。

 幽霊が出たという兵舎に、到着した。


「………火事があって………あぁ、あそこか」


 足音もなく、小さく、土ぼこりがたった。

 振り向くと、街中に怪物の顔が置かれているように、一対の尖塔がよく目立つ。先ほどまでワーレッジがいた市庁舎だ。

 兵舎は、町外れもかなり外れた場所にあった。

 今、兵士たちはどこにいるのだろう、上空で見た限りでは兵士どころか、人の気配もなかった。

 そのために、無防備に降り立ったのだが……


「あれ、ここじゃないか………でも、ここが最初の現場だし………」


 妙に、静かだった。

 兵舎が十数棟、適度な距離を置いて建てられていた。頑丈なブロックのお城のような、五人住まいの小さな家の大群だ。寒い時期も、暖炉に火をともせば、快適に過ごせるだろう。そして、敵が来れば要塞の役割も果たしてくれそうだ。

 数百人の兵士が日々を過ごすには、十分すぎる設備だ。

 今は、無人だ。

 ここはすでに放置されたのかもしれない、そして、このままではこの町全てが、そうなる。


「燃えて――ないほうかな」


 一棟ひとむねだけ燃え落ちていたが、その隣の、一番端の兵舎へいしゃを、ワーレッジは見た。

 扉が蹴破けやぶられている、妙に寂しい場所だった。

 ワーレッジが無警戒に扉をくぐると、さびしいと感じた理由を理解した。薄暗いためではない、家具らしいものが見当たらないのだ。ここは兵舎と言うより、牢獄だった。

 燃え堕ちた兵舎のほうが、まだ生活のにおいが感じられた。かつてはベッドや椅子にテーブル、あるいは衣服などが燃えた残骸が合ったためだ。

 ここは、燃えていないにもかかわらず、何もなかった。

 そんな薄暗い室内に、見つけた。


「やっぱり………いた」


 少し、拍子抜けだった。

 御伽噺に聞く、人の姿を失った、憎しみにあふれた姿を想像していたのだ。だが、ワーレッジが見たその幽霊は、女の子だと見て分かる姿だった。

 淡い金髪の、ワーレッジより少し年下の女の子の姿だった。

 すぐに、気を抜いてはならないと思い直す。どれほどの力があるのか、どれほど危険なのか、見た目で判断してはいけない。

 しかしワーレッジは、無防備に過ぎた。

 普段のワーレッジであれば、そこにいると分かれば、兵舎もろとも攻撃をしたはずだ。

 なのに、無防備に姿を現したのは、なぜだろう。


“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………どうして、ねぇ………ねぇ………どうして………”


 答えようか、少し迷った。

 答えて意味があるのか、言葉を交わして、どうするのかと。幽霊と言う存在を誰よりも知るワーレッジは、宝玉をそっと握り締める。


「うん、レーネック………そう、君が教えてくれた。幽霊がいるのは、理由があるんだ。この子は、きっと――」


 ワーレッジの知る幽霊とは、友人であり、恩人でもあるレーネックである。

 修行時代からワーレッジをかばい、守ってくれた。王国の陥落においては囮となってワーレッジたちを逃がし、死した後まで、助言者として守ってくれたのだ。

 あるいは、今も。

 レーネックに託された宝玉をそっと握ったまま、しばし、過去に浸る。ほんの瞬間の時間であり、それでも、レーネックが今も、守ってくれている気がする。

 手にあるのは、宝玉。

 そして、約束。

 ワーレッジは、改めて少女の幽霊を見る。

 少女の幽霊は、何を願って幽霊となったのか。何をしたかったのか、レーネックのように、心を残す力はなかったようだが、何に執着したのか。

 ワーレッジが姿をさらしたのは、そのためだろう。久しぶりに見る幽霊に、亡き友人レーネックを重ねたこと、そして、この幽霊が、幽霊になってまで執着するものが何か、知りたくなったのだ。

 少女の幽霊は、ぼんやりとワーレッジを見つめていた。

 ワーレッジは、少し微笑んだ。


“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………”


 幽霊が、なぜここにいるのか、理由が分かった。ワーレッジは、少女の幽霊がたたずんでいる場所の、足元の亡骸に気付いた。

 子供達の、亡骸なきがらだった。

 意図したわけではないはずだ、しかし、子供達は命を失い、亡骸として横たわっている。ワーレッジが予想したとおり、力を奪い、力を振るっただけなのだろう。

 近しいため、少しは執着もあったはずだ。その後も、夜な夜な、誰かを殺して回ったというのも、知り合いを見つけたが、どうしていいか分からない。あるいは、同じく力を欲しただけだったのかもしれない。

 どちらにせよ、この悪霊には、悪意がないのだ。

 ――どうして、生まれてきたのか。

 幽霊の問いかけに、ワーレッジは答えなかった。

 ワーレッジは代わりに、呼吸をするように力を高める。手にする宝玉も共に響きあって、そして、一つになる。

 死に神が、炎をまとっていた。

 普段は、十粒ほどの水滴が浮遊する姿が、はるかに強い力が、燃え上がっていた。


「ボク、こっちのほうが得意なんだよね」


 ワーレッジは、少し得意げに、笑った。

 友人に、ナイショだと、秘密を教えるような顔だった。水色の髪の毛は、風よりもけたたましく逆立っていた。

 ともに燃えているようだ。琥珀の瞳も、琥珀の宝玉も、強く輝く。

 炎を、燃え上がらせた。

 少女の幽霊の名前を、ワーレッジは知らない。知ることが出来たのは、目にしているものだけ。仲間のそばにいるということだけ。

 おそらく、最初の犠牲者。

 そのまま放置されていたのだ。混乱する帝国に、その余裕がなかったのか、ただ忘れていたのかも、ワーレッジには分からない。


「炎よ集え。集えや、集え。集い着たりて、あぎととならん」


 またも、ワーレッジには珍しく、呪文を唱えた。

 範囲を限定するためだ。

 並外れた力を備えたワーレッジは、実は細かな制御が苦手なのだ。感情のままに力を暴発させて、燃やし尽くす。それがワーレッジの得意とする攻撃なのだから。


「炎よ集え。集えや、集え。集い着たりて、あぎととならん」


 呪文を繰り返すワーレッジ。あふれる力を抑えるためには、幾度も、幾度も繰り返す必要がある。繰り返し、ワーレッジは力を思い描く。

 ワーレッジを包んでいた炎は、蛇のようにとぐろを巻いていた。

 あるいは、炎の竜のようにごうごうと燃え上がり、今にも襲い掛かりそうだ。少女の幽霊はただそこに、たたずんでいた。


“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………どうして、ねぇ………ねぇ………どうして………”


 かつて少女だった“それ”は、壊れたオルゴールのように、同じ問いかけを繰り返していた。その表情にも変化は見られないが、仲間たちの死体を、悲しげに見下ろしているようにも見える。


「………今、終わらせてあげるから」


 ワーレッジは静かに、瞳を向ける。

 炎の竜も、あごを大きく開ける。

 続けて、唱えた。


「炎よ、踊れ。踊れや、踊れ。踊り、踊りて、舞い踊れ」


 ワーレッジは、幽霊を見つめているだけだ。

 だが、炎の竜は幽霊へと突進した。一瞬で噛み付き、とぐろに巻きつけた。決して獲物は逃げられない。蛇が獲物に飛び掛る光景だ。


「炎よ踊れ、おどれや踊れ、踊り、踊りて天へとのぼれ」


 とぐろを巻く炎の竜を見つめ、ワーレッジは、最後の呪文を唱えた。

 あふれた力で敵を消し去り、その余波を、安全に逃がすための呪文だった。とぐろの中で、すでに少女の幽霊は、仲間の亡骸もろとも、燃え尽きていた。

 これほどの大技を使う必要なく、消し去ることも出来たかもしれない。ワーレッジが、幽霊という存在と初めて敵対したためだろうか、あるいは、死に切れない哀れな心を救いたかったからか。

 ワーレッジの言葉を受けた竜は、天へと昇った。

 太陽が、真上に来ていた。

 屋根は消し飛び、燃え残りは何もなく、くすぶる炎も見えない。兵舎のレンガの壁だけが、秋の太陽を浴びて、強い影を残していた。


「………大人って、ずるい」


 市庁舎の方角を見つめて、ワーレッジはつぶやいた。

 すねた、子供のものだった。

 思い通りに操られたという、どこか悔しいという気持ちと、少しのあこがれ。操られたというのに、こちらに不利益がないと言う不思議。

 ワーレッジはすでに、空中に浮かんでいた。

 力を見せ付けるつもりはないが、大勢が、今の炎の竜を目にしたことだろう。さすがに、帝国兵が駆けつけてくるかもしれないし、騒ぎは、出来るだけ避けたかったのだ。


「あれ?この気配………」


 力の気配に、ワーレッジは振り向く。

 違和感があった。

 まともに力を扱えない、帝国の使い手たちとの戦いを思い出す。それよりも、はるかに強い気配に、殺意も感じたのだ。

 ただ、今回気にすべきことではないと、意識を切り替えた。幽霊のように“力”だけが独立している存在ではなく、ただの使い手の気配だったのだ。

 目的は、幽霊なのだから。


「まっ、いいか」


 敵の使い手に殺意を向けられるのは当然であり、攻撃の気配すらなく、ならば、放置でよいとの判断だ。

 全滅したと聞いていたが、生き残っていたのか。あるいは、増援部隊が連れていたのかと言う、ぼんやりとした感想であった。

 だが、帝国兵がここにいても、誰だか分からなかったであろう。

 帝国兵にとっては、宝玉術と言う、彼らには理解できない力を用いる、不気味な子供である。

 あるいは、奴隷。

 ともかく、個々人の顔と名前をまともに覚えようとする気持ちは、芽生えないものだ。出来れば、近づきたくないと思うほどだ。

 子供達の兵舎を確認した者も、子供達が死んでいるとしか、確認しなかった。同胞ではなく、それも、悪霊を生み出す元凶と言う感覚なのだ。長居したいはずもなかった。

 もしも、まともに確認していれば、気付いてはずだった。

 一人、足りないと。

 そして、別人になっていたとも。


「ラーネリア………」


 小さな影は、かすれた声で、名前を呼んだ。


 *    *    *    *    *    *


「あの炎………ワーレッジか………」


 ハイデリックが、小屋の窓から、静かに外を見つめていた。

 常ならば、一つ所にとどまったりはしないのだが、今回だけは、事態が収まるまで、見届ける必要があったのだ。

 今、新たな情報を得ている最中だった。


「すごい………天に届くかのように………」

「あれが、死に神ワーレッジの力………宝玉術師の、本物の力か」

「やはり、言い伝えは本当だった。神々と共に戦った勇者達は、本当にいたんだ」

「そうだ、ベールディンの始祖ミルテナは、多くの勇者を従え、邪悪な帝国を砂漠に追放したと………その伝説の、再来だっ!」


 若者達は驚き、感激し、言葉にする。

 帝国に翻弄される日々、宝玉術の力も、砲弾の雨には太刀打ちできずに、命を落としていった。古代の戦いは、やはり御伽噺に過ぎなかったのか、どうして、これほどの力を持つ帝国に、古代の人々は勝てたのか。

 従順にならざるをえなかった理由、そして、帝国が宝玉術の使い手を、最優先で殺す戦術を考えた理由だ。

 希望の炎が、燃えていた。

 彼らの目には、光の柱が映っていた。それは、いまだ抗う力があると、叫んでいるように見えた。

 これは、ノロシだった。


「ハイデリック、あの力があれば、帝国の支配を打ち破れる。そう思わないのか、お前たちは。あれほどの力があれば………」

「そうだ、ハイデリック。あれは、ノロシだ。反逆のノロシなんだっ」

「俺たちの力は弱い。だが、あのノロシを見て思うはずだ。王国には、まだ帝国に屈していない使い手がいると、まだ俺たちには、希望があるとっ!」


 若者達は、燃え上がっていた。

 ハイデリックは無言で、その圧迫を受けていた。むやみな暴力は、救いたい同胞への迷惑となる。反逆者を名乗っている彼らは、いつか共に戦って欲しいと希望を持ちつつ、知っていた。むやみに戦ってはならないと。彼らの暴走を抑える意味でも、この会合は意味があった。

 かせが、外れた気がした。

 今こそ立ち上がるべきだと、彼ら燃え上がっていた。


「ワーレッジに、そのつもりがないはずだ。今回、もし――」


 ハイデリックは、言葉の続きを発することが出来なかった。

 今回、もしも他の悲劇であったのなら、見捨てたはずだと。あくまで、カルバ要塞に累が及ぶことを、恐れたに過ぎないのだと。

 カルバ要塞のことを語ることができないハイデリックは、言葉を飲み込んだ。

 代わりに、新たにカルバ要塞へ報告すべき事柄を、目撃していた。

 目の前の若者達はみな、希望にあふれた瞳をしていた。今こそ、仲間を集って戦う時だと。

 大変、まずい事態だった。

 感情に任せれば、ろくなことがない。

 それは、今までが教えてくれたというのに。


「この炎は、敵も見てる………か」


 敵がどのように受け止めるのか、それは、ハイデリックには分からない。突如として、火柱が天へと昇った光景を目にして、何を思うのかなど、分かるはずもない。

 だが、目の前の若者達の反応は、予想するのではないか。これが、反逆のノロシだと。

 同士よ集え、立ち上がれと。

 なら、もう始まってしまったのではないか。

 ハイデリックは、無言で炎を見詰めていた。


 *    *    *    *    *    *


 古びた小銭が、地面に散らばった。

 お間抜けさんが、突然立ち上がったのだ。

 その拍子に椅子が倒れ、古びた丸テーブルの上の小銭が、散らばったのだ。なにをしていやがると、ごっつい男と、ひょろ長い男はあわてて立ち上がろうとして、互いに頭突きをして、うずくまった。

 健全な、賞金稼ぎ三人組であった。

 三人仲良く、ずたぶくろから一枚、二枚と、古びた銅貨を重ねていたところだった。増えていないかと、ほのかな希望を抱いて、日に日に減る小銭を拝む日々であった。

 そんなとき、マテバルが立ち上がった。まるで犬のように、人には聞こえない“何か”を耳にしたかのようだ。


「はじけた………違う、燃えた………?」


 どこかを見つめて、つぶやいていた。わけの分からない言葉であったが、その表情は、安堵あんどを示していた。

 そして、出口へと駆け出した。驚いて見つめていた相棒二人は、慌てて後を追う。


「そっか………来てくれたんだ、そっか、そっか………」


 マテバルは、路地のど真ん中に立ち尽くして、光の柱を見た。追いかけてきた二人もだ。

 その感想は、三人で異なる。

 マテバルだけが、納得をしていた。困惑する相棒二人だが、まぁ、よかったのなら、よかったと、肩を叩いた。

 光の柱にぎょっとしつつも、とりあえずは、よかったのだと。


「まぁ、なんだ。よかったな」

「よかったんなら、よかった、よかった」


 肩を叩き合って、笑いあった。

 幽霊騒ぎでおびえていた相棒が、元気になったのだ。勘が働くおかげで、間一髪と言うものがあったものだ。

 今回もおそらく、そういうことだったのだろう。


「まぁ、大丈夫なら、大丈夫なんだろ」

「まぁ、ははは、だよ………ははは、ははは」

「あぁ、消えた、消えた………ははははは」


 微妙な笑みを含めて、三人は笑い合っていた。



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