第十一章 ノロシ
アーチ構造の窓のふちは木製で、彫刻はとてもにぎやかだ。植物はつるを伸ばし、花を咲かせ、チョウチョが止まっている。さらに、それをトカゲが狙うという、物語性まである。生き生きとした命をあがめる、ベールディンの国柄を示す作品だ。
そろそろお昼の時間帯、あたたかな太陽に照らされた窓辺からは、遠くの黄金の輝きが、よく見える。
今年も、豊作だ。
濃い灰色のロングヘアーを、まっすぐ
まっすぐに見つめていた目線を、ふと、町に戻す。
秋祭りの準備が忙しい時期のはずであるが、賑わいがないばかりか、人が消えたと錯覚させる寂しさだ。
窓ガラスに映る大きな影を見て、振り返った。
酒瓶を持った大男に、副官の細身の男、そして、おなじみの神官ギニレリータが、部屋に現れた。
「シュガルバルガ隊長、増援に、改めて感謝を。本来なら――」
ウルガゼインの謝意は、酒瓶にさえぎられた。
瓶ごしに、赤毛の大男、シュガルバルガのニヤつく顔が見える。無礼にも、酒瓶の底をウルガゼインに向けたのだ。
挨拶はそこまでと、止めたのだ。
「市長殿、堅苦しい挨拶はよしましょうや。それよか、一杯いかがです?」
「失礼ですよ、隊長」
副官メジムゲルネの苦労がしのばれる。
市長ウルガゼインは、口の端を笑みにゆがめた。苦労人同士、一度酒でも酌み交わしたい誘惑に駆られた。この酒豪隊長も参加することだろう。そして、本音を言い合って――
そんなウルガゼインの誘惑は、瞬間で抑えられた。なすべきことを、早急に決断すべき場なのだ。
「それで、どうですかい?死に神は、来てくれそうですかい?」
シュガルバルガは、酒瓶を下ろす。
無礼な問いかけだが、他人任せの運任せなのだ。死に神がこちらの意図に気付いてくれることを、祈っているありさまだ。
「そうでなければ、我々は見えない“何か”の餌食だ。ディーアミグアの件のように、この土地を捨てることにも………はぁ、バルガデアンのせいだ。この責任は………」
言いかけて、市長の立場を思い出し、ため息をつく。
シュガルバルガは、笑い出す。
「そうそう、なにがあっても、あのバカが責任者ってことで」
「バルガデアンではありません、バカでやがるんです………って、あれ?」
メジムゲルネも、いい性格のようだ。
いいや、一人のおバカがいれば、染められるのが世の常である。
人はそれを、勇者と呼ぶ。
「しっかしまぁ、勝手な話だなぁ。こんなセコイこと考えるのは、どっかの鬼ババァくらい――」
ゲンコツが、どこからとも無く飛んできた。
赤毛の大男のシュガルバルガは、頭を抑えてしゃがみこむ。この中で一番背が高い大男が、八歳の悪ガキのようである。
「ふん………誰がババァだよ」
鬼と言うのは、認めるらしい。神官ギニレリータは、こぶしを振りかぶった姿勢で、言い放った。余波で、ブラウンのロングヘアーが、大きく風に舞う、見事なるスイング鉄拳であった。
全員、見ぬふりを決め込んだ。
「冗談は置くとして、悪霊を退治したついでに、我々の首を刈り取ろうとしても、私は驚かないよ」
さすがは市長閣下、最初に空気を元に戻した。
一人、シュガルバルガがふてくされるが、誰も気にしない。
「………覚悟は、しておきましょう」
メジムゲルネは、静かに同意する。
運命は共にある。そんな覚悟は、すでに済ませているようだ。
「確かにな、本物が相手なら、コイツでも目くらまし程度さ」
シュガルバルガは、大筒を抱えるように置いて、座り込んでいた。
お姉さんにドツかれたからだろうか、つまらなそうな、子供っぽい仕草で、大筒にあごを置く。
「それとも、爆弾抱えて、仲良く相打ちに期待するか?俺は死に神が生き残るほうに、一年分の酒代をかけるぜ」
つまらないわけだ。自慢の品が、役に立たないのだから。
ヤケのように、にやついた。
「死に神が勝つって、確信してるじゃないですか、それって」
幼馴染の副官メジムゲルネが、あきれる。場所が場所であるため、思い出したように敬語を使っているが、敬意はまったく、伝わってこない。
シュガルバルガは、気にするわけもない。
「当たり前だ。話から、死に神は間違いなく本物………いや、導師クラスだ」
酒瓶を持ち上げ、ゆらゆらと、ふざけた。
情報源は、新たに得た飲み仲間たちのようだ。
荒くれ者の頭領と言う印象のおかげか、お酒様のお力のおかげか、ぺらぺらと、隠していたはずの色々を、漏らしてくれたらしい。森での惨状も、経験したバルガデアン部隊の皆様が、ぺらぺらと教えてくれたのだ。
今頃、シュガルバルガの頼れる部下のご一同と、大いに意気投合していることだろう。朝から飲み始めているのだ、すでに何名かは飲み潰れているものがいないか、シュガルバルガは気にしない。
気にするのは、貴重な情報を得た副官のメジムゲルネ殿である。
「王都での裁判が効いてるんでしょう。こうなれば、死に神の森の霧も、宝玉術だと考えたほうがいいですね。もしもこの町で、突然霧が発生したら………」
「おいおい、怪談話みたいになってるぞ」
「悪霊の話をしてるんです。今更何を………その霧が去ったと同時に、我々の死体が転がっているってオチでしょうけど」
「正に、死に神ってところだな。いっそ帝国本土まで逃げ帰るか?悪霊に悩まされず、突然、
山賊のお
笑いをかみ殺しながら、市長はおふざけに参加する。
「選挙を控えた年に、そんなふざけたことをしてみろ。仲良く処刑だ」
言いながらも、あながち悪くないと、思い始める。自分達の死をきっかけに、誰かが、おかしいと感じてくれることを、期待してもよいのではないかと。
王国には、帝国の力が及ばない“何か”が存在している。今からでも遅くない、手を引けと。
この騒ぎが、あるいは帝国全土に広がってしまう可能性があるのだから。
そう、帝国にかつてあったという西の沿岸線は、霧に覆われている。そして、山脈の東の土地であるここ、六王国の東の彼方も、霧に覆われている。ベールディンだけではない、ディーアミグアも、そして、残る王国の東の彼方は全て、進めば戻れない霧に覆われているのだ。
ただの自然現象なのだろうか、あるいは………
ウルガゼインの恐れている事態は、その霧が、ある日突然に、帝国全土を覆いつくすのではないかと言うことだ。
そう、目の前の霧が、全土に――
「これは、霧………迷いの森に発生するという………」
我ながら、間の抜けた感想だと、市長ウルガゼインは、足元を見つめる。
いや、どうして気付くことが出来なかったのか、部屋が、霧に包まれていた。神官ギニレリータも、理的な副官メジムゲルネも、いつの間にか部屋を包む霧に驚いている。
まだ、驚く仕草は分かるが、次第に霧は深くなり、ついに、自分の足元すらおぼつかなくなってきた。
「ご要望に答えましたって、所かな、死に神さん………」
笑みを浮かべていた。
姿を見せやがれ、ぶっ飛ばしてやると、室内でぶっ放しては大事になる砲筒を構えていた。
しかし、死に神に返事はない。霧はますます深くなる、腕ほどの長さの砲筒の、その先端すら、かすみ始めた。
シュガルバルガは、笑った。
「はっ、はっはっ、こりゃ、本物だ。決して敵に姿を見せずってやつだ」
山賊のお頭の印象の、赤毛の大男らしく、豪快に笑い、笑って、肩に構えていた砲筒をドスっと、床に下ろす。
改めて胡坐をかいて座り込み、好きにしろと、覚悟を決めた。相棒でもある副官メジムゲルネは、鋭いまなざしで霧を
「………殺すつもりは、ないということですか」
メジムゲルネの黒髪がべっとりと、
声を抑えた問いかけは、だれに向けられたのか。霧を放った死に神は、もちろん答えない。しかし、その気になれば皆殺しにするなど、簡単なはずだ。誰もが、喉元に刃を突きつけられている気分である。
そして誰もが、その程度で義務を放棄する人物ではなかった。
「死に神よ………名前を使わせてもらった。苛立ちを晴らすため、殺すなら殺してくれ。今回の騒動は、どのみち私達では対処できないのだ」
市長ウルガゼインは、卑劣な噂でおびき出したと、死に神への謝罪を口にした。
それは、懺悔にも聞こえる。市長として、人々を守る立場として、あらゆる手を取るという決意が、卑劣な手段を選ばせたのだ。自らの命すら、差し出すほどの責任感が、原動力だ。
同じ心の神官ギニレリータが、続けて
「このままでは、あんたの同胞も犠牲になる。私達が言うべきじゃないのはわかってる。だけどね――」
懇願でありながら、静かに諭すようでもある。
神官としての、ギニレリータの言葉だった。人々を守るために、力を貸して欲しいと。身勝手な希望だが、宝玉術の使い手が、人々を守り続けた歴史を、過去を知っているためだ。
霧は、すっと引き上げていった。
ギニレリータの言葉が終えるまもなく、まるで、最後まで聞く必要がないと、言われたようである。
あれほど深く、自らの足元すら見えない霧が、今は、互いの緊張した表情までが見えるまでになった。説得が成功したのか、ただの脅しだったのか、顔を見合わせるギニレリータたちには、分からない。
「………助かったのでしょうか?」
メジムゲルネが、うかがうように
油断した
「俺たちがか、それとも、この町が………か?」
「………答える意味、ありますか」
返事の代わりに、シュガルバルガは砲筒に向き直り、確認する。ジャコン――と、筒の一部を展開、砲弾を取り出し、そして、引き金をなでる。
「………面白い
笑みを浮かべていた。
武器をそのままに、命を救われた。まったく脅威ではないという、とことんバカにされたと感じたのだ。次はぶん殴ってやると、はらわたが煮えたぎっている笑みであった。
「私達は今回、命を救ってもらったわけですから――自重しやがれ」
メジムゲルネは、ジトっと幼馴染の赤毛を見据えた。
副官としての言葉から、幼馴染のそれに戻っている。そのまま、こぶしで教えたいに違いない。姐御神官は腕を組んで、いつもの弟分たちに苦笑いだ。
一方、同じく苦労人の市長ウルガゼインは、窓を見つめたままだった。
「そう、今回は………だ」
今回は、救ってもらえるようだ。
だが、これからはどうなるだろう。市長ウルガゼインは、死に神に感謝をしつつも、いつか敵対するのだという、覚悟を秘めていた。
素直に喜べないという、苦労人であった。
* * * * * *
淡い水色のショートヘアーを風になびかせ、ワーレッジは市庁舎の屋上に寝転がっていた。
「う~ん………ばぁちゃんの言ってた通りにしたけど………あれでよかったのかな?」
お使いが終わったあとの、子供のようなセリフだった。
引き続き足元の市長達の会話を拾うことも出来たが、もはや興味がなかった。自分を呼び寄せるために、噂を広めた。その目的はやはり、悪霊退治だとの確認が取れただけで、よかったのだ。それがカルバ要塞の会議での結論と同じであれば、次になすべきことは、一つである。
とりあえず、噂の現場に向かう事にした。全てに対処できないと、切り替えは早く、すでに上空だ。
「あそこかな………ハイデリックが言ってた、兵舎って………」
いる保障はない。
夜な夜な、帝国兵を殺して回っているという噂なのだ。だが、幽霊とは執着する人、物、場所の付近に存在していることが多い。
目的を定め、人為的に幽霊にでもならない限り、最初に出現した場所が、第一候補と言うこと。
幽霊が出たという兵舎に、到着した。
「………火事があって………あぁ、あそこか」
足音もなく、小さく、土ぼこりがたった。
振り向くと、街中に怪物の顔が置かれているように、一対の尖塔がよく目立つ。先ほどまでワーレッジがいた市庁舎だ。
兵舎は、町外れもかなり外れた場所にあった。
今、兵士たちはどこにいるのだろう、上空で見た限りでは兵士どころか、人の気配もなかった。
そのために、無防備に降り立ったのだが……
「あれ、ここじゃないか………でも、ここが最初の現場だし………」
妙に、静かだった。
兵舎が十数棟、適度な距離を置いて建てられていた。頑丈なブロックのお城のような、五人住まいの小さな家の大群だ。寒い時期も、暖炉に火をともせば、快適に過ごせるだろう。そして、敵が来れば要塞の役割も果たしてくれそうだ。
数百人の兵士が日々を過ごすには、十分すぎる設備だ。
今は、無人だ。
ここはすでに放置されたのかもしれない、そして、このままではこの町全てが、そうなる。
「燃えて――ないほうかな」
扉が
ワーレッジが無警戒に扉をくぐると、さびしいと感じた理由を理解した。薄暗いためではない、家具らしいものが見当たらないのだ。ここは兵舎と言うより、牢獄だった。
燃え堕ちた兵舎のほうが、まだ生活のにおいが感じられた。かつてはベッドや椅子にテーブル、あるいは衣服などが燃えた残骸が合ったためだ。
ここは、燃えていないにもかかわらず、何もなかった。
そんな薄暗い室内に、見つけた。
「やっぱり………いた」
少し、拍子抜けだった。
御伽噺に聞く、人の姿を失った、憎しみにあふれた姿を想像していたのだ。だが、ワーレッジが見たその幽霊は、女の子だと見て分かる姿だった。
淡い金髪の、ワーレッジより少し年下の女の子の姿だった。
すぐに、気を抜いてはならないと思い直す。どれほどの力があるのか、どれほど危険なのか、見た目で判断してはいけない。
しかしワーレッジは、無防備に過ぎた。
普段のワーレッジであれば、そこにいると分かれば、兵舎もろとも攻撃をしたはずだ。
なのに、無防備に姿を現したのは、なぜだろう。
“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………どうして、ねぇ………ねぇ………どうして………”
答えようか、少し迷った。
答えて意味があるのか、言葉を交わして、どうするのかと。幽霊と言う存在を誰よりも知るワーレッジは、宝玉をそっと握り締める。
「うん、レーネック………そう、君が教えてくれた。幽霊がいるのは、理由があるんだ。この子は、きっと――」
ワーレッジの知る幽霊とは、友人であり、恩人でもあるレーネックである。
修行時代からワーレッジをかばい、守ってくれた。王国の陥落においては囮となってワーレッジたちを逃がし、死した後まで、助言者として守ってくれたのだ。
あるいは、今も。
レーネックに託された宝玉をそっと握ったまま、しばし、過去に浸る。ほんの瞬間の時間であり、それでも、レーネックが今も、守ってくれている気がする。
手にあるのは、宝玉。
そして、約束。
ワーレッジは、改めて少女の幽霊を見る。
少女の幽霊は、何を願って幽霊となったのか。何をしたかったのか、レーネックのように、心を残す力はなかったようだが、何に執着したのか。
ワーレッジが姿をさらしたのは、そのためだろう。久しぶりに見る幽霊に、亡き友人レーネックを重ねたこと、そして、この幽霊が、幽霊になってまで執着するものが何か、知りたくなったのだ。
少女の幽霊は、ぼんやりとワーレッジを見つめていた。
ワーレッジは、少し微笑んだ。
“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………”
幽霊が、なぜここにいるのか、理由が分かった。ワーレッジは、少女の幽霊がたたずんでいる場所の、足元の亡骸に気付いた。
子供達の、
意図したわけではないはずだ、しかし、子供達は命を失い、亡骸として横たわっている。ワーレッジが予想したとおり、力を奪い、力を振るっただけなのだろう。
近しいため、少しは執着もあったはずだ。その後も、夜な夜な、誰かを殺して回ったというのも、知り合いを見つけたが、どうしていいか分からない。あるいは、同じく力を欲しただけだったのかもしれない。
どちらにせよ、この悪霊には、悪意がないのだ。
――どうして、生まれてきたのか。
幽霊の問いかけに、ワーレッジは答えなかった。
ワーレッジは代わりに、呼吸をするように力を高める。手にする宝玉も共に響きあって、そして、一つになる。
死に神が、炎をまとっていた。
普段は、十粒ほどの水滴が浮遊する姿が、はるかに強い力が、燃え上がっていた。
「ボク、こっちのほうが得意なんだよね」
ワーレッジは、少し得意げに、笑った。
友人に、ナイショだと、秘密を教えるような顔だった。水色の髪の毛は、風よりもけたたましく逆立っていた。
ともに燃えているようだ。琥珀の瞳も、琥珀の宝玉も、強く輝く。
炎を、燃え上がらせた。
少女の幽霊の名前を、ワーレッジは知らない。知ることが出来たのは、目にしているものだけ。仲間のそばにいるということだけ。
おそらく、最初の犠牲者。
そのまま放置されていたのだ。混乱する帝国に、その余裕がなかったのか、ただ忘れていたのかも、ワーレッジには分からない。
「炎よ集え。集えや、集え。集い着たりて、
またも、ワーレッジには珍しく、呪文を唱えた。
範囲を限定するためだ。
並外れた力を備えたワーレッジは、実は細かな制御が苦手なのだ。感情のままに力を暴発させて、燃やし尽くす。それがワーレッジの得意とする攻撃なのだから。
「炎よ集え。集えや、集え。集い着たりて、
呪文を繰り返すワーレッジ。あふれる力を抑えるためには、幾度も、幾度も繰り返す必要がある。繰り返し、ワーレッジは力を思い描く。
ワーレッジを包んでいた炎は、蛇のようにとぐろを巻いていた。
あるいは、炎の竜のようにごうごうと燃え上がり、今にも襲い掛かりそうだ。少女の幽霊はただそこに、たたずんでいた。
“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………どうして、ねぇ………ねぇ………どうして………”
かつて少女だった“それ”は、壊れたオルゴールのように、同じ問いかけを繰り返していた。その表情にも変化は見られないが、仲間たちの死体を、悲しげに見下ろしているようにも見える。
「………今、終わらせてあげるから」
ワーレッジは静かに、瞳を向ける。
炎の竜も、あごを大きく開ける。
続けて、唱えた。
「炎よ、踊れ。踊れや、踊れ。踊り、踊りて、舞い踊れ」
ワーレッジは、幽霊を見つめているだけだ。
だが、炎の竜は幽霊へと突進した。一瞬で噛み付き、とぐろに巻きつけた。決して獲物は逃げられない。蛇が獲物に飛び掛る光景だ。
「炎よ踊れ、おどれや踊れ、踊り、踊りて天へと
とぐろを巻く炎の竜を見つめ、ワーレッジは、最後の呪文を唱えた。
あふれた力で敵を消し去り、その余波を、安全に逃がすための呪文だった。とぐろの中で、すでに少女の幽霊は、仲間の亡骸もろとも、燃え尽きていた。
これほどの大技を使う必要なく、消し去ることも出来たかもしれない。ワーレッジが、幽霊という存在と初めて敵対したためだろうか、あるいは、死に切れない哀れな心を救いたかったからか。
ワーレッジの言葉を受けた竜は、天へと昇った。
太陽が、真上に来ていた。
屋根は消し飛び、燃え残りは何もなく、くすぶる炎も見えない。兵舎のレンガの壁だけが、秋の太陽を浴びて、強い影を残していた。
「………大人って、ずるい」
市庁舎の方角を見つめて、ワーレッジはつぶやいた。
すねた、子供のものだった。
思い通りに操られたという、どこか悔しいという気持ちと、少しのあこがれ。操られたというのに、こちらに不利益がないと言う不思議。
ワーレッジはすでに、空中に浮かんでいた。
力を見せ付けるつもりはないが、大勢が、今の炎の竜を目にしたことだろう。さすがに、帝国兵が駆けつけてくるかもしれないし、騒ぎは、出来るだけ避けたかったのだ。
「あれ?この気配………」
力の気配に、ワーレッジは振り向く。
違和感があった。
まともに力を扱えない、帝国の使い手たちとの戦いを思い出す。それよりも、はるかに強い気配に、殺意も感じたのだ。
ただ、今回気にすべきことではないと、意識を切り替えた。幽霊のように“力”だけが独立している存在ではなく、ただの使い手の気配だったのだ。
目的は、幽霊なのだから。
「まっ、いいか」
敵の使い手に殺意を向けられるのは当然であり、攻撃の気配すらなく、ならば、放置でよいとの判断だ。
全滅したと聞いていたが、生き残っていたのか。あるいは、増援部隊が連れていたのかと言う、ぼんやりとした感想であった。
だが、帝国兵がここにいても、誰だか分からなかったであろう。
帝国兵にとっては、宝玉術と言う、彼らには理解できない力を用いる、不気味な子供である。
あるいは、奴隷。
ともかく、個々人の顔と名前をまともに覚えようとする気持ちは、芽生えないものだ。出来れば、近づきたくないと思うほどだ。
子供達の兵舎を確認した者も、子供達が死んでいるとしか、確認しなかった。同胞ではなく、それも、悪霊を生み出す元凶と言う感覚なのだ。長居したいはずもなかった。
もしも、まともに確認していれば、気付いてはずだった。
一人、足りないと。
そして、別人になっていたとも。
「ラーネリア………」
小さな影は、かすれた声で、名前を呼んだ。
* * * * * *
「あの炎………ワーレッジか………」
ハイデリックが、小屋の窓から、静かに外を見つめていた。
常ならば、一つ所にとどまったりはしないのだが、今回だけは、事態が収まるまで、見届ける必要があったのだ。
今、新たな情報を得ている最中だった。
「すごい………天に届くかのように………」
「あれが、死に神ワーレッジの力………宝玉術師の、本物の力か」
「やはり、言い伝えは本当だった。神々と共に戦った勇者達は、本当にいたんだ」
「そうだ、ベールディンの始祖ミルテナは、多くの勇者を従え、邪悪な帝国を砂漠に追放したと………その伝説の、再来だっ!」
若者達は驚き、感激し、言葉にする。
帝国に翻弄される日々、宝玉術の力も、砲弾の雨には太刀打ちできずに、命を落としていった。古代の戦いは、やはり御伽噺に過ぎなかったのか、どうして、これほどの力を持つ帝国に、古代の人々は勝てたのか。
従順にならざるをえなかった理由、そして、帝国が宝玉術の使い手を、最優先で殺す戦術を考えた理由だ。
希望の炎が、燃えていた。
彼らの目には、光の柱が映っていた。それは、いまだ抗う力があると、叫んでいるように見えた。
これは、ノロシだった。
「ハイデリック、あの力があれば、帝国の支配を打ち破れる。そう思わないのか、お前たちは。あれほどの力があれば………」
「そうだ、ハイデリック。あれは、ノロシだ。反逆のノロシなんだっ」
「俺たちの力は弱い。だが、あのノロシを見て思うはずだ。王国には、まだ帝国に屈していない使い手がいると、まだ俺たちには、希望があるとっ!」
若者達は、燃え上がっていた。
ハイデリックは無言で、その圧迫を受けていた。むやみな暴力は、救いたい同胞への迷惑となる。反逆者を名乗っている彼らは、いつか共に戦って欲しいと希望を持ちつつ、知っていた。むやみに戦ってはならないと。彼らの暴走を抑える意味でも、この会合は意味があった。
かせが、外れた気がした。
今こそ立ち上がるべきだと、彼ら燃え上がっていた。
「ワーレッジに、そのつもりがないはずだ。今回、もし――」
ハイデリックは、言葉の続きを発することが出来なかった。
今回、もしも他の悲劇であったのなら、見捨てたはずだと。あくまで、カルバ要塞に累が及ぶことを、恐れたに過ぎないのだと。
カルバ要塞のことを語ることができないハイデリックは、言葉を飲み込んだ。
代わりに、新たにカルバ要塞へ報告すべき事柄を、目撃していた。
目の前の若者達はみな、希望にあふれた瞳をしていた。今こそ、仲間を集って戦う時だと。
大変、まずい事態だった。
感情に任せれば、ろくなことがない。
それは、今までが教えてくれたというのに。
「この炎は、敵も見てる………か」
敵がどのように受け止めるのか、それは、ハイデリックには分からない。突如として、火柱が天へと昇った光景を目にして、何を思うのかなど、分かるはずもない。
だが、目の前の若者達の反応は、予想するのではないか。これが、反逆のノロシだと。
同士よ集え、立ち上がれと。
なら、もう始まってしまったのではないか。
ハイデリックは、無言で炎を見詰めていた。
* * * * * *
古びた小銭が、地面に散らばった。
お間抜けさんが、突然立ち上がったのだ。
その拍子に椅子が倒れ、古びた丸テーブルの上の小銭が、散らばったのだ。なにをしていやがると、ごっつい男と、ひょろ長い男はあわてて立ち上がろうとして、互いに頭突きをして、うずくまった。
健全な、賞金稼ぎ三人組であった。
三人仲良く、ずたぶくろから一枚、二枚と、古びた銅貨を重ねていたところだった。増えていないかと、ほのかな希望を抱いて、日に日に減る小銭を拝む日々であった。
そんなとき、マテバルが立ち上がった。まるで犬のように、人には聞こえない“何か”を耳にしたかのようだ。
「はじけた………違う、燃えた………?」
どこかを見つめて、つぶやいていた。わけの分からない言葉であったが、その表情は、
そして、出口へと駆け出した。驚いて見つめていた相棒二人は、慌てて後を追う。
「そっか………来てくれたんだ、そっか、そっか………」
マテバルは、路地のど真ん中に立ち尽くして、光の柱を見た。追いかけてきた二人もだ。
その感想は、三人で異なる。
マテバルだけが、納得をしていた。困惑する相棒二人だが、まぁ、よかったのなら、よかったと、肩を叩いた。
光の柱にぎょっとしつつも、とりあえずは、よかったのだと。
「まぁ、なんだ。よかったな」
「よかったんなら、よかった、よかった」
肩を叩き合って、笑いあった。
幽霊騒ぎでおびえていた相棒が、元気になったのだ。勘が働くおかげで、間一髪と言うものがあったものだ。
今回もおそらく、そういうことだったのだろう。
「まぁ、大丈夫なら、大丈夫なんだろ」
「まぁ、ははは、だよ………ははは、ははは」
「あぁ、消えた、消えた………ははははは」
微妙な笑みを含めて、三人は笑い合っていた。
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