第十章 ごまかし


 洞窟どうくつに、あたたかな光が差し込んでくる。

 その印象に間違いはない、洞窟を利用して作られた、百人ほどがゆったりと座れる、大部屋であった。

 ただ、太陽のぬくもりだけではまだ寂しいと、木製の椅子に机が、楕円に並んでいた。

 カルバ要塞の、会議室だった。

 椅子も机も、どちらも手作りの味わいがたっぷりと生かされた、荒い彫刻がなされている。削りすぎて、一部が欠けているのはご愛嬌。素人の手であっても、ベールディンの伝統が息づいていた。


「――それが、ボクのせいになってるんだって」


 その椅子の一つに、ワーレッジが座っていた。

 薄い水色のショートヘアーは、光加減で銀色にも見える。今は太陽の光が、ちょうど明るく照らしていた。

 胸元の宝玉も、同じく輝いていた。すでに、何らかの術を発動させている様子だ。

 そして、そのために、ここに会議のメンバーが揃っていた。


「悪霊が、人を………」

「町では、そんなことが………」

「怪談話ですな………帝国本土のことなら、喜ばしいところですが………」


 今回の会議は、ワーレッジによって招集されていた。

 ハイデリックからの、緊急報告だった。

 『東の果ての都市』にて、死に神が出没したというのだ。卑劣にも、悪霊を装って、殺戮を繰り広げていると。

 悪名はむしろ必要であり、ワーレッジが興味を抱くのは、カルバ要塞の防衛のみ。カルバ要塞の指導者達も、死に神による殺戮の噂については、さして重要には思っていない。

 重要な件は、悪霊という存在であった。


「まぁ、いつかは起こるだろうって、思っていたけどねぇ………」

「議長、何をのんきな………ご存知のはずです、悪霊、呪い、人知を超えた災いに対処できるのは、宝玉術だけだと………今のベールディンの都市で、誰が――」

「だから、まずいって話ですよ、将軍………」


 本来なら、関与しない事態であるとして、会議は終わる。

 いいや、関与できないと言うべきだ。町でベールディンの民が虐げられている、そのような看過できない出来事であってもだ。ベールディン王国はすでに滅び、カルバ要塞に逃れた彼らには、その力がないのだから。

 それは、情報を集めるハイデリックにも、十分にいい聞かされた話である。望まれても、戦えないと。それは冷たいのでも、身勝手なのでもなく、ただの事実であった。

 だが、今回だけは、見逃すには危険すぎた。

 そんな真剣な会議の雰囲気に、どこか他人事と言うか、子供の感想が混じる。


「悪霊が、夜な夜な人を殺して回る………怖い話って、本当だったんだ」

「話としては聞いたことあるけどさぁ、そんなこと、本当に出来るもんなの?力だけの存在って、すぐに消えちゃうじゃん」

「そうそう、水の刃だって、維持するのがすっごく大変なんだからね?」


 宝玉術の、使い手たちだ。

 ワーレッジを筆頭に、普段は夜番のニーフレンのお姉さんと、修行中なれど、実戦も経験した十三歳の男の子、ネイベックまでいた。事態が事態であるため、防衛の任意ついた使い手たちが、年齢、経験に関わりなく呼ばれたのだ。

 その常識からして、悪霊の存在は、不可解だった。


「帝国らしいというか………ワーレッジの責任にして………」

「本当だとしたら、帝国軍には、何も出来ないだろうしね………」

「いや、その後の噂のほうが、問題だ。死に神が、町に出たんだからな………」

「そっか、死に神は、森から出ないから放置で良かったんだから………って、ことは、帝国軍が、本腰を入れて、森を襲うってか?」

「けどよ、バカな帝国軍は、来たぜ?」

「だな、この前なんか、要塞の入り口にまでな。悪霊騒ぎが起こるより、前だ」

「いやいや、あれはそういう作戦だって………モートリスたち、森の民が情報を流してくれて、こっちが迎撃が基本だ………夜に無茶するのがヤバイって、知ってんだろ?」


 死の罠へ誘い込むという戦術である。

 待ち構え、逃げられない場所にまでおびき寄せてから、弓矢の雨と、ニーフレンの回転ノコギリである。

 無理にモートリスたち、森の民が攻撃を仕掛け、逃げられるほうがまずい。むしろ、逃げられない場所に追い込むほうが確実だ。主力であるワーレッジのいない時間帯なら、確実性にはこだわりたい。

 とは言うものの、この状態が続けば、監視網を抜けて、警告抜きに侵入者が訪れることもありうる。不安の理由はそれであった。

 しかし、この会議で議論するべきは、さらに緊急の話題である。


「議長、どう思われるか」


 かぶとのおっさんブローニックは、あえてゆっくりと顔を向けて、ばあ様に尋ねた。

 侵入者の増加だけでも警戒すべきだが、悪霊とは、それを上回る危機だ。

 あえて時間を置いてばあ様に尋ねたのも、改めて、議場の注目を集めるためだ。注目を受けて、のんびりと、ばあ様は答えた。


「ごまかし………じゃな」


 人懐っこい笑みをそのままに、あごをなでている議長と言うばあ様。まるで、おひげでもあるかのような仕草である。しかし、頭の中では、長年の経験がけ巡っているに違いない。

 かつては、貴族様の相談役をしていたとか、あるいは、どこかの学園長をしていたとか、様々に噂されるばあ様だ。

 ただ、あまりに抽象的過ぎて、若者たちには分からない。


「ごまかし?」

「ごまかしって、どういう………」


 頭巾ずきんのおっさんブローニックに続いて、副官オリゲルも、疑問をオウム返しする。他の出席者も、同じ気持ちらしい。そのお顔を、議長はのんびりと眺めていた。

 誰の顔にも、疑問符がついたことを確認するかのようだった。うれしそうに、うんうんとうなずいてから、のんびりと答えを口にする。


「悪霊………それが答えじゃ。わざわざ、死に神の仕業にして、我らが注意を引くように仕向けて………の?」


 答えてないだろうと、出席者達は、顔を見合わせる。

 お前、分かるかと、見つめあう。

 やっぱり分からないと、改めて議長の顔を見るも、あいかわらずの、笑顔のばあ様の顔があった。人が悪いというか、茶目っ気がありすぎるばあ様だ。

 更なる疑問を、投げかけてきた。


「聞いたことがあるじゃろう、ディーアミグアの町が一つ、滅びた。反乱を鎮圧ちんあつするため、廃墟はいきょとなったというが………本当は、なにがあったのかのう?」


 笑顔のままであるのに、なぜか、悲しそうに見えた。

 その理由は、どことなく察することが出来る。ディーアミグアの件は知らなくとも、滅びたと言う言葉に、反応しないわけがない。


「何が………反乱でなく、町を捨てるしかない出来事………」

「まさか、そこでも………」


 何人かは、笑顔のばあ様の顔を見る。

 驚きと共に、危機感が跳ね上がった。


「東の果ての都も、滅びる………ってか」

「死に神の仕業にしたのも、ワシらに注意を引かせる………もっと言えば、宝玉術の使い手に助けを求めたということ………」


 ごまかしと言う言葉の、答えだ。

 悪霊による殺戮を、死に神の仕業にした。

 対処不能という事態をごまかすという目的もあるだろう。だが、死に神の注意を引くことを目的としているのだと、ばあ様は考えた。

 死に神という、強力な宝玉術の使い手の助けを、欲していると。

 知ったことかとは、言えないのだ。相手は、そういった事情も、おそらく走っているのだろう。

 死なば、もろともだと。

 ディーアミグアの一件は、カルバ要塞のような、閉ざされた要塞でも耳に届いている。次に滅びるのは『東の果ての都』である。その影響は、どこまで広がるかわかったものではない。

 手を打てるとすれば、死に神ワーレッジ、ただ一人。


「行くしかいないよ………それがボク達の、本来の役割だし」


 ワーレッジが、ため息をついた。やりたくないが仕方ない。お手伝いを命じられた子供の態度であった。

 そのため、気付くのが遅れた。とても危険な役目を担うのだと。将軍ブローニックが、最初に反応した。


「しかし、わざわざ――」


 愛用の頭巾が、足元に転がった。思わず、立ち上がりそうになったためだ。それは、反対だという意思を、強く示している。

 導師でなければ、悪霊に対峙してはならない。この話は、ブローニックも、知識として知っていた。決して、手を触れてはならないと。

 だが、それはワーレッジも分かっている。それでも仕方ないと、やるしかないとため息をついたのだ。

 すでに意思表示は終えていた。

 何のために。

 ブローニックが、言葉を飲み込んだ理由だった。この場も誰もが、ワーレッジが戦う理由を知っているのだから。


「放っておいたら、ボクでも倒せないバケモノになるよ」


 ワーレッジは続ける。

 ある程度の力があれば、幽霊になることはできる。だが、おぼろげな力だけの存在は、すぐに消えてしまうと。まして、人をくびり殺すことなど、出来るはずがないと。

 その方法は、一つ。


「たぶん、仲間の力を奪って、強くなったんじゃないかな。強い目的があったのか、錯乱さくらんなのか………肉体を持つ前に、何とかしないと」


 言い終わると、ワーレッジは胸元の宝玉をそっと握り締めて、静かに目を閉じる。

 普段から、激しい感情を表にあらわさない、どこか、心を置き忘れたようにも見えるワーレッジである。

 だが、カルバ要塞の誰もが知っている、ワーレッジは、モルテを一番に考えているのだと。モルテに危険が及ぶ存在を、ワーレッジは許さないのだと。

 ワーレッジは、静かに瞳を開ける。


「神々は、もういない。古代の戦いでも、ちょっと、力を貸してくれただけ。だけど、もう………」


 もはや、人の手で何とかするしかないのだ。

 そして、それが出来るのは、ワーレッジただ一人。ブローニックをはじめ、もはや誰も、何も言うことは出来なかった。


「そうだよね、レーネック。ボクたちのお姫様を守るためにね」


 みんなの同意を得たワーレッジは、胸元のお守りを、優しく握り締めた。近しい者は幾度となく目にしている、ワーレッジだけの儀式。

 託された宝玉と、約束。

 ワーレッジの生きる意味、ワーレッジが、ワーレッジである理由であった。

 見守ってきた大人の一人、将軍ブローニックは、転がってしまった頭巾を手に取ると、立ち上がった。


「留守は任せてもらおう。モートリスたちもいる」


 いつもの、豪快なおっさんに戻っていた。

 子供の心配をする大人。それは、共に戦う戦士には礼を失することだと、立ち上がったのだ。

 ならば、防衛の責任者としては、なにが出来るのかと。

 隣に座っていた、副官のオリゲルも呼応して立ち上がる。


「カルバ要塞の防衛力、いつでも見せ付けてやる。今度の演劇も、お楽しみに」


 笛を手に、副官オリゲルがお辞儀をする。

 そこは、剣ではないのか。

 そんな無粋な突っ込みは、誰もしない。妙なところに熱血しているが、それがオリゲルである。

 続いて、お子様が立ち上がる。


「俺だって、よろいくらい、撃ちぬけるんだからね。ニーフ姉ちゃんより、強いんだからね」

 

 子供っぽく、強いぞ宣言をするネイベックくん十三歳。宝玉がはめ込まれた腕輪を胸において、任せろと、胸を張る。

 即座に、くじかれる。


「はいはい、ネイベック君は、姉ちゃんと一緒にお留守番ね?」


 ネイベックの黒髪を、ニーフレンの姉さんがワシワシとなでた。荒くれ者の姉さんなりの、気遣いである。もちろん、子ども扱いである。

 ほほえましい、いつもの、カルバ要塞であった。


 *    *    *    *    *    *


 だだっ広い、訓練場。

 町外れの兵舎からも、さらに町から離れた、ほど良い距離にある。木製のフェンスと、ブロック塀に囲まれた、広い空間だ。

 普段は肉体を鍛える、剣に、槍に、弓矢に、そして、射撃の訓練を行う場所である。

 今は、増援部隊である、シュガルバルガの部隊の方々のための、仮設テントの群れに占拠せんきょされていた。

 なぜか、バルガデアン部隊のテントまで、並んでいた。

 酒瓶も、かなりたくさん。


「でよぉ~、なにがあった~って訊いても、おびえたままで、何にも話やしねぇ」


 この飲み会の中心は、この兵士らしい。まだ若者と分類される年齢ながら、古参を自称する、七年前のベールディンの戦いには、十八歳の新兵として参加した、生き残りだ。今は二十五歳の中堅となり、新人を指導する立場である。

 悪霊が発生した兵舎の様子を、改めて語っていた。


「ただ………ヤバイことがあった………ってのは、分かったさ。アイツ、七年前からの腐れ縁でな………殺戮が日常だったって………強がってた、アイツが………」


 太陽が、そろそろ真上という時間帯、広場の皆様は、酒盛りに興じていた。グラスが足りないのか、個人の好みなのか、本来はスープを飲むための木製の器にまで、なみなみと酒があふれていた。

 哀れにも、飲まない、飲めないという兵士は武器を手にして、いつでも切りかかるという準備に余念がない。

 そうしなければ、不安なのだ。

 酒の勢いで集まっているのも、そのためだ。

 悪霊は、夜な夜な帝国兵を殺して回るという噂だが、それが昼で、なにがおかしい。悪霊による殺戮さつりくが起こった現場、彼らの本来の住まいである兵舎の区画になど、近づくことも出来ないのだ。

 死に神退治に呼ばれた増援部隊の皆様も、手持ち無沙汰だ。


「んで、おびえながら、“何か”が殺した。“何か”が殺した………ってか?」

「死に神とは違うって言うんだ………この町の警備してるんだ。すぐに思いつくヤバイ相手なのによ………」

「死に神の噂を知ってるから………だろ?気付けば、首がはじけ飛ぶ。胴体に穴があいているって言うのが死に神。今回は、こうやって………」


 古参兵は、不気味な顔で、自らの首をめる演技をした。

 亡骸なきがらも、目にしていたのだ。恐ろしい力で首を締め上げ、そのままねじり殺したような、亡骸が燃えていたのだ。

 むなしく笑ってから、古参兵は続けた。


「そもそも、ベールディンの戦いを生き延びたんだぜ?宝玉術による攻撃は、アイツも知ってるはずだ………悪霊が出たって言われて、納得だ」


 だからこそ、アイツと言う同期の、悪霊に襲われた兵舎の生き残りのおびえ方は、おかしいと言う。

 気付けば、首がはじけ飛ぶ。胴体に穴があいているという、即死が死に神の攻撃であるにもかかわらず、被害者の姿は、ほど遠かった。

 本当に、悪霊が出たのではないかと。


「宝玉術を使うやつらとは、俺たちも戦った。怪力の持ち主だったり、炎の塊を投げてくるやつだったり、絶対に一人で戦いたくないやつらだ………」

「でも………倒せたんでしょ?」


 若い兵士が、おずおずと尋ねた。お酒様の力を借りることが出来ず、剣を抱きしめたままだ。

 古参兵は、チラッと見る事もなく、グラスに目を落としていた。


「倒せるさ。砲弾の、雨あられ………この都市のいたるところに、まだ砲弾跡が残ってるくらいだからな」


 だが、それは肉体を持つ存在、姿を確認できる存在が相手の場合だ。それも、地方都市の警備には用いることのない、砲撃と言う大規模攻撃を使っての勝利。

 町の警備任務には必要ないし、配備できる数の問題から、バルガデアン部隊には保有していない装備である。

 今は、訓練場にずらりと並んでいた。

 新たに現れた、増援部隊の保有する装備である。その舞台の面々と共に、酒を酌み交わし、親睦を深めている最中である。


「俺らの部隊は、そのために大荷物を抱えてるんだ。王都とか、でかい町でないと運用できない金食い虫………やっと出番が来たと思ったら、何なんだよ、悪霊って………」


 豪快ごうかいに、酒をあおった。

 スープを飲むための木製の器で、ごくごくと消えた。

 まさか、訓練のために消費される弾薬、爆薬よりも、この酒代のほうが、予算を圧迫しているのではないだろうか。バルガデアン部隊の大敗を受け、増援として送られた、宝玉術専門部隊の方々である。

 一見すると、どこかの傭兵軍団のようだ。

 危険な任務が専門と言う日々が、そうさせたのかもしれない。そんな彼らを束ねる酒豪隊長、シュガルバルガの人徳か、酒の力か………

 予定通りであれば、彼らは到着早々、死に神の討伐に向かうはずだった。

 そのために、近隣の都市にも依頼が飛んだ。死に神を殺せと言う無茶ではなく、居場所を見つけるだけでいいのだ。倒すのは自殺行為、直接、死に神を見るのも危険だが、その必要すらないというので、大勢が集まった。


「結局、誰も生きて戻らなかった………って話だ」

「森の奥まで行ったやつらは………だろ?」

「まぁ、霧がどんどん深くなって、ヤバイって思ったら、引き上げるさ」

「いや、それって、いい判断だって………絶対に帰れなくなる。その線引きが出来たってことだろう?」

「そうそう………うちの隊長は、その一線を考えないから、半分も失ったんだ。こっちにも、宝玉術の使い手がいるから、楽勝………ってさ」

「民衆の主ってだけで、隊長になったんだもんな………お宅らの部隊がうらやましい。あの大男さん、きっと素手でも、俺たちの五人や十人は倒せる力はあるんだろ?」


 上官であり、民衆の主と言う、いわば貴族のような地位のバルガデアンへの、不平、不満を口にしていた。

 酒の勢いだけが、理由ではない。実戦経験から隊長になった、粗野な大男、シュガルバルガが現れれば、はっきりと分かってしまうのだ。

 身分によって、現場を知らない新人が指揮官となった自分達と、戦場を生き残った勇者が率いる精鋭部隊との違いを。


「んで、処刑だ」

「敗北の責任が………ってな。てめえだって、何も出来なかったのに」


 少女の処刑が、決定的だった。

 たしかに、ベールディンの占領後は、宝玉の持ち主であれば、子供であっても殺された。

 実際、危険なのだ。

 見た目は子供であっても、油断すれば、こちらが殺される。ならば、こちらが殺される前に、殺すしかなかったのだ。

 だが、今回、殺す意味はあったのか。


「そして、騒ぎが起こった………」

「ちょうど、処刑の夜だもんな………」


 話題は、元に戻る。

 悪霊が、帝国兵を殺して回っているという、噂の発端だ。仲間のはずの子供達も、犠牲になっていた。死に方が兵士達と異なるため、違和感があったものの、納得もある。

 憎しみがなく、ただ殺しただけだと。

 一方、憎しみがある帝国兵は、残酷に殺したと。

 真っ先に殺されるべきは、バルガデアンではないか。かろうじて言葉に出していなかったが、怪談話とは、そういうものだ。

 本来、仲間だけは手にかけないという話ではないのか。だが、怪談話には、理不尽な悲劇もよくある。

 無関係な人物が殺されるという話も、よくある。

 徐々に恐怖は広まり、町が静まり返った、原因だった。


 *    *    *    *    *    *


 洞窟に、光が入る。

 それは大げさではない。カルバ要塞は、岩山をくりぬいて作られているのだ。

 この部屋の作りは、会議室と同じく、とても広い。居住空間には、このような大きな部屋が、不規則に存在する。おそらくは、元々広い空洞があったのだろう。会議室との違いは、散らばっている椅子の大きさだ。

 小さな丸太がワラワラと散らばっているのだ。

 そして、子供たちもワラワラと散らばっていた。追いかけっこをする子供、おしゃべりをする子供と、各々遊びまわっている。

 部屋の中央には横長の机が横たわっているが、もちろん子供達がよじ登っている。王国の建国ごっこのようだ、可愛らしいこぶしを高らかにかかげて、建国を宣言していた。順番に、建国の王を名乗る遊びらしい。自由なる、お子様ランドだ。

 そこへ、白いおひげのご老人が本を小脇に抱えて、現れた。


「さぁ、さぁ、子供たちよ。楽しい、楽しい、お勉強のお時間がやってきましたぞ~」


 うれしそうだ。

 子供達が、いやそうに悲鳴を上げたためである。もう来たのかと、不平、不満を口にして、もっと遊びたいと嘆いていた。

 こうして、自由なるお子様ランドは終焉した。ここはカルバ要塞の子供達のための、勉強部屋であった。

 お子様達は、ワラワラと丸太の椅子に散らばっていく。老人は楽しそうにその様子を見守ると、横長の机の上に、どっさと抱えていた本を置いた。

 ホコリが上がった。

 おまけの悲鳴も、上がった。

 つまらない時間が始まるという、お子様たちの嘆きの声である。


「そんなに喜んでもらえるとは、うれしい限り」


 白いお髭が、にっこりと笑みを浮かべた。

 老人がもたらしたのは、歴史書であった。

 未来を担う子供達に、ぜひとも受け継いで欲しいと。かつても教師の真似事をしていた老人は、ここでも教師をしていたのだ。

 故郷は滅びても、歴史を受け継いでもらえる。これほどうれしいことはない。ついでに、子供達の嫌がる顔を見ることが出来るのだ。正に、夢のようだ。

 まぁ、それは大人の側の願いである。早速やる気を失ったお子様達は、つまらなそうに、足をぷらぷらとさせている。今日は天気もよい、秋晴れである。窓から見える草原で、駆け回りたいのが子供の気持ちだ。窓辺のお子達は、窓から外を眺めていた。

 銀のロングヘアーに、琥珀こはく色の瞳の小さな女の子もいた。ワーレッジの戦う理由、モルテちゃんだ。


「あぁ、チョウチョ………」


 どこかを指差していた。

 秋と言う、この季節にいるはずがない。それでも、子供達は興味を引かれた。どこだ、どこだと、探し出す。授業は始まる前から、崩壊の予感である。


「ほら、金色のチョウチョがね――」

「みえない、みえないよ」

「あっ、あれじゃない?」


 みんな、チョウチョに夢中だ。見えないのが悔しいのか、ムキになって探すお子様たちが頭をつき合わせている。

 その後ろに、白いお髭が近づいた。


「うぉっをほん………ライクスの鬼が、どこで見てるか、わかりませんぞ?」


 わざとらしく、白髭のご老人は咳き込んだ。

 お子様達は、仕方ないという態度を隠さず、イスに向かった。今日はおとなしい、ライクスの鬼の効果は、まだ少し続きそうだ。

 モルテも、残念そうに、前を向く。横目では、まだ金色のチョウチョと言うものを目で追っているようだが、あきらめたようだ。


「それでは、ベールディン王国の始まりについて、古代の戦いを――」


 ご老人は、大仰に本のページをめくる。

 お子様達は、退屈そうにお外を眺めているが、老人は気にしない。退屈な時間の、その価値が分かるのは、まだまだずっと先のことである。


「ミルテナ・ヴィル・ベールディン。神話の時代の巫女の末裔にして、古代の戦いを終息に導いた、偉大なる十人の英雄のお一人であり、戦後、我らがベールディン王国をおつくりになった、それはそれは――」


 お子様達が、退屈紛れにおしゃべりを始めないのは、えらいとほめてあげたい。沈黙という形で、この退屈な時間と戦っていた。

 だが、それでいいのだ。

 同じ話の繰り返しは、いやでも記憶に残していくものだ。そうして歴史は、次世代のベールディンの民に受け継がれていく。お祭りに、歴史に、ベールディンの民を形作るものを蓄える大切な時期なのだ。


「神話の戦いの果てに、神々はこの地を去り、それぞれの住まう土地を守るために、闇の霧が生まれたと言われていますが、古代の戦いでは、ひそかに救いの手を差し伸べたとも伝えられます。そのお力を受けたのが住人の英雄であり、古代の戦いの後の、六王国時代が始ったわけですが――」


 お話を聞いていれば、ふと疑問を抱くこともある。モルテちゃんは、お子様らしく、疑問を口にした。


「――って、残りは?王国は六つだよね?でも、英雄は十人でしょ?」


 理解力が追いつかずに、退屈した。そうであれば、お説教の時間が始まるだろう。話を聞けと、お小言のほうが長くなるだろう。

 だが、今の質問は、最もである。

 王家は、六つである。

 だが、英雄は十人なのだ。

 十人の英雄が、それぞれ一つの国を作ったというのならば、王国の数は十のはずである。では、残りの四人はどうなった。

 それは、当然の疑問である。


「それはですな、英雄達は、それぞれの土地の守護者なった。この言い伝えの通りなのです。今は忘れ去られていますが、闇の霧の向こうには、私達人間のほかに――」


 しまった、長い話になりそうだ。

 モルテは、失態を自覚した。可愛らしい琥珀こはくの瞳を見開いて、額からは、秋と言うのに汗が一滴こぼれてゆく。

 周りのお子様達は、流し目でモルテを見ていた。余計なことを言ってくれたという、非難の意味である。モルテちゃんは、知らないと言いたげに、窓の外を向いた。

 退屈な呪文が、耳から入っては、出て行った。

 ただ、いくつかは残ってしまう。


「人間の六人は、きりの闇のこちら側に残り。人間と異なる種族の残り四人は、霧の闇の向こう側に去っていったと言われています。悲しいことに、古代の戦いの結果、もはや異なる種族が共に生きることは出来ないのだと――」


 まるで、自分達のようではないかと、モルテは、ぼんやりと思った。

 カルバ要塞に住まう自分たちは、戦いから逃げるために、霧の深い、この岩山に隠れ潜んでいる。大昔の、人とは異なる人々は更に東の果てへと逃げていったのと、似ていると。

 ならば、英雄とは誰だろう。

 大昔も、英雄達が人々を守った。

 モルテにとって、まず浮かぶ相手とは、ワーレッジだ。普段は、自分をかまいすぎて、時々重たくなることもある。それでも時々、お姫様を守る騎士のようだと、思うのだ。


「会議って………何話してるんだろ………」


 いつもは一緒に遊ぶ時間帯、授業の前の時間帯に、ワーレッジは会議室へと向かったのだ。そのあとは、ネイベックの訓練か、次の世代の訓練か、あるいは森の警備に向かうことだろう。いつも一緒のようで、ワーレッジとモルテが共にいる時間は、実は、あまり多くないのだ。

 騎士ならばいつもそばにいて欲しいと、つまらなそうに、モルテは窓を見つめていた。意地っ張りでありながら、まだまだ甘えん坊の七歳の女の子なのだ。

 退屈だ、遊び相手になれと言う意味も、含まれる。


 *    *    *    *    *    *


 街道が見える。

 草原に、細いロープがのたくるように見える、それだけ距離が離れているのだ。とは言っても、すたすた歩けば、一時間ほどで到着する距離だ。

 森から見える、人の領域であった。

 その森のふちに、人影があった。一人と、葉っぱのお化けが、たたずんでいた。

 森との境界を前に、語らっていた。


「我らは、この森から出ることを許されていない。ここからは、お前一人だ」


 葉っぱのお化けこと、モートリスの言葉は、相変わらず堅苦しい。声は若々しいのだが、この話し振りによって、年齢がぼやけて見える。

 オリゲルなどは、実はおっさんではないのかと、からかったほどだ。

 誰も、モートリスの素顔を見ていないためだ。


「そうだね、外に出るのは久しぶりだけど、けど………」


 ワーレッジは、しばし宝玉を触る。

 深い霧に守られたここ、迷いの森だからこそ、彼らは隠れて、一方的に攻撃できる。

 敵には姿さえ、見られていない。この森を出るということは、地の利を捨てるということである。


「ねぇ、きりの闇の向こうって、どんな所なの?」


 思い出したように、ワーレッジはたずねた。

 ワーレッジがいくら子供っぽいとはいえ、失礼であろう。しかし、モーリトスは気にしていないようだ。返事の変わりに、フードを外した。いつも目深にフードをかぶり、素顔を見せないと思っていたが、ワーレッジには例外らしい、素顔をさらしていた。

 明るいグリーンへアーに、黄金の瞳の青年だった。

 耳まで、あらわになった。

 ここに、カルバ要塞の面々がいれば、そろってモートリスの耳に注目したはずだ。まぁ、思ったより若かったと、驚くかもしれないが………

 その耳は、とがっていた。


「我らは、追放者だ。故郷が豊かな森に戻っている事を、願うだけだ」


 常にローブをかぶっているのは、偽装以外にも理由があったようだ。フードをしていれば、街中でも気付かれることはないだろう。見た目で人と異なると分かる特徴は、耳の長さくらいである。

 歴史の彼方に忘れられた種族が、ここにいた。


「戦いが広がらないように、番人になれ………王国の民にも知られないように、ずっと、ずっと………」


 ワーレッジは、聞かされた話を思い出すように、きりの彼方を見る。モートリスは、ワーレッジと二人でいるときには、色々と話しているようだ。

 そして、カルバ要塞の面々には、話していないようだ。


「モルテの宝玉も、神々との約束の証って言うか、友情の証だっけ。共に戦うに値するとか、何とか」

「言い伝えの通りだ。七年前、カルバ要塞にお前たちを導いたのは、そのためだ」

「おっちゃんたちは、ベールディンの民だからって、勘違いしてたけどね」


 そろって、笑った。

 七年前の、緊迫感あふれる出会いを思い出したためだ。ワーレッジに導かれた避難民の一団と、取り囲む森の民との、一触即発。ワーレッジだけが、余裕だった。並みの使い手を上回る力を持つ、それだけが余裕の理由ではなかった。

 ワーレッジだけが、森の民の存在を、守る要塞の秘密を知っていたのだ。

 レーネックの幽霊が、教えてくれたのだ。


「多くを語らないほうがいい。我らの正体も、お前の守る姫のことも」

「ボクは、秘密にしてるつもりはなかったんだけどね。ボクたちのお姫様だって、いつも言ってるのに」


 またも、笑い合う。

 兄バカにしか見えないと、ワーレッジは突っ込まれていた。モートリスがこれほど明るい青年だと、誰が知るだろう。

 笑い合った二人は、仲良くカルバ要塞の方角を見つめていた。


「カルバ要塞の役割、約束のこと………みんなも知る日が、いつか来るかな」

「霧の闇の彼方への帰還も………いつか………」


 うなずきあう。

 これ以上、言葉を交わすことはないだろうと、共に思ったようだ。モートリスは、静かに森の中へと消えていった。ワーレッジはしばし見送ると、空を見上げた。


「久しぶり、かな………」


 淡い水色のショートヘアーが、そよぐ。風にではない、自発的に、体も一緒に、ふわりと浮き上がる。

 一気に上昇した。


「………あっちだね」


 足元では、何事が起こったのかと、鳥たちがさえずっていた。人が見れば、大騒ぎだろう。気付くことが出来れば、である。すでに鳥を見下ろし、追い抜いた。

 ワーレッジは、臆病と呼ばれるほど、力を使うことを拒んでいた少年だった。

 修行仲間に臆病ワーレッジとからかわれても、卑屈になることもなく、ただ拒んだのだ。自分が傷つくことも、相手を傷つけることも、嫌ったためだ。レーネックが、ワーレッジの強さだと教えてくれた。


「大丈夫だよ、レーネック。ボクは導師じゃないけど、死に神なんだから」


 ワーレッジは、空を飛ぶ。

 風よりも早く、静かに、強い意思を持って。

 太陽は真上まであと少し、そろそろ、お昼ごはんの時間帯であった。




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