第九章 増援部隊


 朝靄あさもやが、すっかりと消え去った時間帯。

 それでも、秋のこの時間帯はまだまだ凍える寒さの中、石畳が、わずかにたわむ。

 踏みしめられて、踏みしめられて、ガタガタと音がする。

 行軍だった。

 軽そうなかぶとに、急所さえ守れればいい、簡易な鎧を身につけた集団が、歩いていた。その数、おおよそ、三百。

 予告されていた、増援部隊であった。

 だが、バルガデアンの部隊とは、明らかに異なっている。全員が、腕ほどの長さの長銃で武装していた。込められる弾丸の数が五発であるため、五連銃と呼ばれている。

 さらに、ガラガラと、荷物をたっぷりと積んだ馬車が、部隊に守られるようにして石畳を揺らしていた。布で覆われているが、中身の詰まったタルやら、巨大な鉄製の何やらが、見え隠れする。大砲と、弾丸と、弾薬だ。

 ただの増援ではない。その目的は明らかだった。

 先頭を、馬に乗った男が進んでいた。


「ここか、死に神にやられたっていう、バカがいやがいるのは」


 馬が可愛そうだ。

 馬の背にいる赤毛の大男が、大柄と言うだけではない、武器もまた、巨大であった。

 大砲にしては小さいが、銃とは桁違けたちがいいの威力だと、想像できる。オマケに、酒瓶までが、腰から下げられていた。

 只者ただものではないと、一目で分かる姿であった。


「バルガデアンと言うらしいですよ、シュガルバルガ隊長」


 並んで馬を引く男が、付け足す。

 こちらは、細身の男であった。

 薄水色のコートは清潔で、一般の軍服よりも上等なようだ。服装と態度からして、副官らしい。こちらはすっと姿勢を正して、貴公子といった雰囲気をかもし出している。彼一人が馬に乗って道を行けば、あるいは女性たちの熱い視線を浴びるかもしれない。

 一人だけなら。


「つまり、バカでやがるんだな」


 となりに粗野そやな大男がいるため、その縁はないだろう。細身の男は、ジトっとした瞳で、隣を行く上官を見つめる。


「………バルガデアン殿とは、階級は同じでしょう?」

「メジムゲルネよぅ、名目と実態と、精鋭と失態と、どっちが上だ?」


 愉快ゆかいな会話が続いていた。

 表すなら、山賊のお頭によって統率された、荒くれ者の集団である。善良な人々が見れば、恐れ、おののいたに違いない。

 その様子が楽しみな赤毛の大男、シュガルバルガは怪訝そうに、見渡した。


「ところでよ………えらくシケてねぇか?祭りが近いって話じゃ、なかったのか?」


 馬の上からは、人々がこちらを見つめる様子が、よく見える。軍勢を率いていれば、窓から顔を出し、騒ぎを聞きつけた野次馬の群れに囲まれるものだ。

 それが、人っ子一人いなかった。

 侵略直後ならば分かるが、入植が順調に進んで、何年も経つのだ。なら、出迎えの帝国臣民が大勢集まるはずである。

 力の証、自分達の誇りそのものが、歩いてくるのだから。


「秋の収穫祭です………確かに、おかしいですね。活気のある町だと聞いていたんですが………死に神が出るから、街道も安全だと――」


 副官メジムゲルネも怪訝そうに周りを見渡し、知識と照らし合わせる。

 何かがあったのだと、平静を装いつつ、警戒心しつつ、頭の中では様々な可能性が駆け巡っている様子の副官メジムゲルネ。

 一方のシュガルバルガは、気にしても仕方がないと、前を向く。


「とりあえずは、挨拶にでも向かうか」

「市長殿にですか、それとも………」

「先に挨拶せんと、すねるだろ」

「………そんな可愛げのある人ではないでしょう」

「なら、バカの面でも、拝みにいくか」

「確か、『民衆の主』だとか………なるほど、扱いにくいわけです」


 共に、声を抑えて笑いながら、首をゆっくりと戻す。

 静かだった。

 何かを恐れるように、とても、静かだった。


 *    *    *    *    *    *


 大通りから、軍靴の響きが伝る。

 ここは裏路地であるのだが、すぐそばで行軍されているように、妙に響いていた。

 不気味な静けさが、町を覆っているからだ。

 その静けさに紛れ、ヤマアラシの影がサさっと、影から影へと、すばやく移動し続けていた。誰かが影に気付いても、野良犬としか思わないだろう、ヤマアラシヘアーの青年、ハイデリックだった。

 宝玉がなくとも、力を持つハイデリックは、人よりもすばやく、静かに動くことが出来るのだ。

 すぐに、見慣れた、ボロボロの扉を見つける。

 ノックをして意味があるのかと言うボロボロを、ノックした。

 待ちかねていたのか、すぐに、返事が聞こえた。


「深き霧の彼方より――」


 ハイデリックにだけ聞こえる声が、響いた。

 本日のように静か過ぎる裏路地には、それでも響き渡っているのではないかと、錯覚を覚える。

 ハイデリックも、静かに答えた。


「――十人の英雄、来たれり」


 もとより寡黙かもくなハイデリックである。静かな受け答えも、物怖ものおじしない仕草も代わらないように見えるが、内心では、焦っていた。

 何が、あったのだ――と。

 その理由を聞かされた。


「幽霊?」


 ブラウンの、ヤマアラシヘアーの青年ハイデリックは、改めて周囲を見回す。

 収穫祭が目前だと言うのに、人々は家から出ようとせず、息を殺して暮らしている。まるで、何かにおびえているようだ。

 その理由が、幽霊だという。帝国の人間なら、冗談はいいから、本当のことを話せと口にするだろう。

 しかし、王国の民にとって、幽霊と言う現象は、まれな悲劇として、記憶される。

 若者達は口々に、耳にした噂を話し出す。


「兵舎が襲撃されたって噂がながれて………それからだ」

「ちょうど、例の子供が処刑された日の夜だ。敗北の責任をどうのってよ」

「大勢が見たんだとさ。こう………空中に持ち上げられて――」

「その日からだ、夜になると、誰かが死ぬって噂が………――」


 身振りで、その恐怖の様子を演じている。

 首を絞められ、ひねり殺されたというのだ。

 見たわけではないが、複数の生存者がいるのだ。死に神のように、わざと目撃者を残したようにも思える。だが、それにしては唐突であり、無差別であった。


「それを、死に神の仕業だって言い出した」

「卑劣にも、幽霊を装って、兵を襲い、町を混乱させようとしてるってな」


 帝国の人々は、いきなりの殺戮さつりくに疑問を抱きながらも、死に神ならありえるのではと思うことにしたのだ。

 冷静な者も、納得をした。帝国兵の兵舎の一つが炎上し、何名か犠牲者が出たことは、事実として動かないのだ。

 同時に、幽霊と言う言葉も、伝わった。

 なぜ、幽霊なのか。

 犠牲者が、理由だ。

 死に神の手口は、気付けば頭がはじけ飛ぶ、胴体に大きな穴が穿たれるという、即死である。しかし、今回の殺戮さつりくは、見えない何かによって空中に持ち上げられた兵士が、くびり殺されたというもの。

 あまりの怪力で、そのまま頭がもげ落ちたというが、その異常さから、幽霊の仕業として、広まったのだ。

 幽霊と言う言葉だけは、誰もが知っている。怪奇物語は、眠れぬ秋の夜でなくとも、誰もが耳にしたことがあるためだ。

 しかし、王国側の民の異様なおびえようから、もしやと言う緊張感が、帝国側にも生まれ、この状況を生み出していた。


「処刑されたという子供が、悪霊となったとしか考えられない」

「どんなにつらい日々を送ってきたか………それを思うと、悪霊になって、当然だ」

「………言っても仕方がないが、あの時に助けていればって………」


 途中で、言葉は途切れる。

 仮に逃がそうとしても、逃げ出したのか、分からない。むしろ、帝国兵と力をあわせ、敵対したはずだ。

 助けては、いけないのだ。

 助けた相手に、背中から刺されることになるからだ。

 ナイフを突き立てられても、優しく抱きしめられる。それほどに強くなければ、死ぬだけだ。守るべきもの、守りたいものを、道ずれとして。

 王国は、そうして滅びたのだから。

 しばし、無言が続いた。


「ハイデリック、時期を待たなきゃいけないって、分かってる。混乱のあおりを受けるのは、俺たちが守りたい、王国の民なんだって。それは分かってる」

「だが、悪霊なんて、宝玉術師でないと………」

「ハイデリック、頼む。死に神ワーレッジとも、知り合いなんだろ?一軍を退ける力は、もしかして………」


 き火を見つめたまま、ハイデリックは答えない。

 いざとなれば、共に戦う。そのための仲間を集めることが、情報を集めることが、今の戦いなのだ。

 そのために、ハイデリックは各地を巡っていた。

 だが、拠点がカルバ要塞であることは、誰にも知らせていない。死に神ワーレッジの正体が、自分達より年下の、十七歳の少年であることも。

 もちろん、過去に自分が、臆病おくびょう者とみなしていた少年であるということもだ。

 しかし………

 焚き火を見つめたまま、ハイデリックは口を開いた。


「導師は、もういない」


 そして、口を閉ざす。

 若者達は顔を見合わせ、次の言葉を待つ。

 もとより無口なハイデリックである。若者達には、ハイデリックの葛藤かっとうは分からなかったかもしれない。

 若者達には、死に神の正体は、王族を伴い、落ち延びた導師ではないかと期待しているのだ。最強の宝玉術の使い手と言う意味では、間違っていないのだが………

 だが、分かってもらう必要があると、ハイデリックはすでに告げる決意をしていた。

 まずいと。

 ブラウンのヤマアラシヘアーが焚き火に照らされ、本当のヤマアラシのように身を震わせている。

 唐突とうとつに、語る。


「導師でなくては、力を奪われる恐れがある。その肉体も乗っ取られて………」


 ハイデリックは、焚き火から、ゆっくりと顔を上げた。

 覚悟をして聞いてくれと、静かな瞳が物語る。

 普段から感情を押し殺している瞳が、炎に照らされ、不気味に見えた。


「そうなれば、導師でも勝てないバケモノになる。神々は、もう、いないんだ」


 そして、黙った。

 噂には上っていなかったが、帝国の奴隷となった使い手の子供たちは、どうなったのか。すでに、悪霊の餌食になっていると考えたほうが、いいのではないか。

 もしも、そうなら………

 ハイデリックは、若者達を見つめたままだ。自分達に出来ることは、何もないという言葉以上に、静かな瞳が、覚悟を要求していた。

 視線をそらしたのは、若者達のほうだった。

 そして、うなだれる。

 思った以上に、悪い事態なのだと自覚したのだ。

 助けを求めるべき、導師はいない。

 そして、神々は神話の彼方だ。誰も、助けてはくれないとのハイデリックの言葉を、ようやく理解した。

 その結果どうなるのか、一つのうわさが、浮かんでいた。


「そういえば、十年前、突然町が放棄されたって話があったな」

「あぁ、ディーアミグアで、反乱が起こったとか………たくさん死んだらしいな」

「そして、町を捨てた………か」


 ディーアミグアにも宝玉術の使い手がいたはずだが、おそらくは、ここに連れてこられた子供達と同様に、まともな教育を受けていない、従順な奴隷だったはずだ。

 ならば、一方的な、悪霊の餌食なのだ。

 結果、町を捨てざるを得なかった。

 話ながら、ハイデリックは考える。

 自分の力で対処してはいけない、自らが可愛いのではない、してはならないのだ。幾度も繰り返される葛藤を押さえ込み、考える。

 自らの役割を改めて思い出し、ハイデリックは、懐から宝玉を取り出した。


「使わせてもらおう」


 単独行動が多いハイデリックに託された、帝国軍の使い手の、遺品である。遠くへ、カルバ要塞へと念話を届けるためであった。

 急いで、伝えねばならないと。


 *    *    *    *    *    *


「ぉお――なんだ、酒くさっ」

「あなたが言いますか………――失礼、ゴミ溜めでしたか」


 二人は部屋に入るなり、暴言を放った。

 赤毛の大男シュガルバルガと、副官のメジムゲルネだ。市庁舎に到着した二人は、まずはバルガデアンの部屋に向かうことにした。そして扉を叩いたが、返事がなかったために、シュガルバルガが、けり破った。

 そこまでは、山賊のお頭の印象もあるシュガルバルガらしいが、予想外が待っていた。

 予想外が、顔を嘗め回したのだ。

 悪臭が顔を、ぬったりとめ回してきたのだ。


「ひでぇ………」

「うぷ………」


 見るだけでも、気分が悪くなる部屋だった。

 その上、悪臭に顔をめ回された二人は、あからさまにいやな顔をした。メジムゲルネなどは、今にも大変な事態になりそうだ。

 丹精たんせい込めた彫刻に、質素ながら、味わいのあるカーペットに、壁紙に、ベッドカバーが無残である。水に二度、三度と浸し、太陽の力を借りたとしても、元には戻らないだろう。

 薄暗い部屋の奥からは、何かがうごめく気配がする。

 目を凝らすと、毛布をかぶってうずくまっているドブネズミがいた。いや、ドブネズミではなく、この部屋の主、バルガデアンである。お酒の川におぼれて、おぼれている間に、何もかもが終わればよいと言う心境に違いない。心身ともに、自らの手によって、ズタボロだった。


「バカでやがる。これが栄光ある帝国軍指揮官の姿か」

「あなただけは、それを言う資格は――………うっぷ、トイレ、トイレはどこだ」


 口を押さえながら、副官メジムゲルネは廊下ろうかに去る。

 さすがに、ここまでひどくはないぞ。シュガルバルガは、そう言いたい気持ちを押さえ、青い顔をした相棒を見送った。

 しかし、いつまでもゴミ溜めで突っ立っていたくもないシュガルバルガは、ずかずかと進んだ。

 窓辺まで到着すると、締め切ったカーテンを、ちぎれんばかいりの勢いで開き、窓を開けた。

 元気になれ。

 そんな気遣いをするような、親しい関係ではない。さすがのシュガルバルガも、このゴミ溜めでの会合はゴメンであっただけだ。


「ぅう………何だ………閉めてくれ」


 ゴミ溜めの主が、うめいた。

 秋の太陽が、強烈な臭気を浄化する。鼻をえぐるような臭気しゅうきに代わって、つんと、冷たい空気が流れ込んできた。

 いつものシュガルバルガならば、わざとらしく、寒い、酒をくれ――と、ふざけるところである。

 しかし今だけは、この清廉せいれんな朝の空気を胸いっぱい、吸い込みたかった。

 後ろのゴミ溜めの主は、違うらしい。いきなりの光と空気に苦しみ、ベッドから転がり落ちた。

 シュガルバルガは気にせず、窓辺から外を見つめていた。

 強引にでも、情報を引き出すつもりだったが、無理のようだ。意識はすでに、バルガデアンから離れていた。


「それにしても、この静けさは、どういうことだ?」


 窓からは、町が一望できる。

 戦後七年と言う時間は、一部を除いて、復興と言う未来を歩み始めていた。悠々と歩くのは帝国からの移民であるのだが、奴隷となった王国の民も、一応は従順だ。

 今は未来への希望に満ちた、帝国移民の活気に満ちた町のはずであった。

 やはり、異様に静かだった。

 シュガルバルガの独り言に、答えるうめき声があった。


「………死に神が………アイツが、アイツが悪いんだ。そうだ、俺は悪くないんだ。アイツもそう言った………そうだ、死に神が………」


 ぶつぶつと、何かをつぶやいていた。


「あぁ?なんだって?」


 シュガルバルガは、耳に手を置いてかがんだ。

 バカにしているのではなく、単に気になっただけだ。豪快にして大胆なシュガルバルガの辞書には、気遣いと言う単語そのほか、多くが抜け落ちていた。


「ったく、仕方ねぇ………医務室って、どっちだ?」


 シュガルバルガは返事を待たず、酒瓶を支えに座り込んでいたバルガデアンを引っ張り起こす。

 もはや、死人も同然であった。

 酒に殺されるか、仲間の銃弾に殺されるかの違いであった。

 最も可能性が高かったのが、嘔吐した中身での窒息死である。ズリズリと廊下を引きずった結果、給仕たちが後ろで嘆いていたが、シュガルバルガは気にしない。ぼたぼたと、悪臭が廊下に滴り落ちても、気にしない。あとは、ドブネズミを放り込まれた医務室の皆様が何とかするはずだ。

 豪快な、シュガルバルガらしい思考であった。


「さて、次は懐かしい顔でも見に行くか………いや、その前に――」


 一仕事終わったとばかりに、シュガルバルガは医務室から、堂々と立ち去った。

 その手には、もちろん酒瓶を抱えている。情報収集、情報収集――と、豪快な笑みを浮かべて、兵士達の溜まり場へと直行だ。

 なお、共にいるべき副官はと言うと、再び嘔吐感に襲われることになる。先に医務室にいた所へ、突如持ち込まれた、アルコール中毒者が原因である。


 *    *    *    *    *    *


 朝靄あさもやが消えても、どこか湿り気を帯びた石畳の道を、三人組が歩いていた。

 一人はごっつい男で、一人はひょろ長く、そして一人は………どこか、あさっての方向を向いている。お間抜けといった印象を受ける男であった。

 善良なる、賞金稼ぎ三人組であった。

 ざざっ――と、一人が立ち止まった。

 何か、見てはいけないものを見てしまった。瞬間的に危機感が跳ね上がったという、唐突な動きであった。

 そして、すっころんだ。

 ただのマヌケに見える光景であった。

 巻き添えを食らって、前の二人も転んでいた。ついでに、懐にでも入れていたのだろう、封書が一通、吹っ飛んだ。


「マテバル、お前っ――」


 何のマネだ――

 怒りを口にしようとして、口を防がれた。転ばせた本人、マテバルによってである。

 本来は、怒りを覚えていい出来事であるのだが、警戒が先だった。マテバルはドジをしないわけではないが、無意味にずっこけさせたりはしない。

 何より、顔が物語っていた。

 ヤバイと。

 相棒二人は、マテバルの、その目線の先を追う。自分達が気付かなかっただけで、凶器を振り回している人物でもいるのか。あるいは、凶暴な野犬か。

 だが、見えない。

 目の前にポスッと、落っことしてしまった封書が、見えるだけだ。今すぐ拾いたい誘惑に駆られる。大事な、仕事完了の証明書である。組合長に見せて、ようやくメシにありつける封書である。

 それなのに、動けない。

 石畳の感触が、身にしみる。すっかりと太陽が降り注ぐ時間帯であっても、秋なのだ。今朝などは、霜が降りていたに違いない。とっても、冷たかった。

 どれほどの時間、ふせていたのか、分からない。

 ここが大通りでなかったことが、幸いだ。そうでなければ、馬車に引かれているか、通行人に踏みつけられていただろう。

 いつもならば――

 マヌケなのは、自分達も同じだと、通りの人通りのなさに、不気味さに改めて思い至る。


「………行った………かな」


 ようやくと、マテバルが、口を開いた。

 借金取りでも、いたのか。

 そんな軽口が口から出ないことが、恐ろしかった。三人はそのまま石畳に座りなおして、問いただす。

 ちゃっかり、封書を回収して。


「………何を、見た?」


 念のため、周囲への経過は怠らない。お間抜けでも、彼らは賞金稼ぎなのだ。危機には敏感で、引き際もしっかりとわきまえている。

 おかげで、生き延びてきた。


「………見えちまった」

「見えたって、なにが?」

「見えちまったんだ………見えちまったんだよ………」

 

 どこかを見つめたまま、ぶつぶつと、つぶやき続けていた。

 ベールディン王国の生まれであれば、ちょっと勘がいい程度の人物は、それなりにいるものだ。力として発揮するほどではなくとも、人にはない感覚が備わっているのだ。

 時折、何かを感じ取るということがあるのだ。

 マテバルが、それであった。


 *    *    *    *    *    *


 ずかずかと歩く

 俺が通りたい場所を、歩くのだ。そんな悪ガキよろしくのシュガルバルガは、市庁舎の廊下を、歩んでいた。

 小さな大砲らしい武器を片手に、腰からは酒瓶をぶら下げた、赤毛の大男。山賊の頭領だと言われても、誰も疑わない男であった。

 なお、到着から数時間、さっそくどこかで飲んでいたのか、うっすらと赤ら顔だ。酒瓶は、さすがに空になって………いや、新たな酒瓶を、手にしていた。

 その後ろからは、青い顔をしたメジムゲルネがついてくる。悪い酒の余韻はひどいらしく、気の毒なことだ。

 立ち止まった。

 扉のプレートには、神官ギニレリータと、記してあった。


「おぉい、鬼ババァ、生きてたか」


 シュガルバルガは女性の部屋に、ノック無しで押し入った。それだけではなく、扉をあけたと同時に、なんとも無礼きわまるご挨拶を、放ったのだ。

 正に、山賊の所業………と言うより、悪ガキに戻ったかのようだ。


「なんて挨拶あいさつだい――ってか、あんたより十歳も離れてないよっ」


 ギニレリータは、お怒りだ。

 さすがに驚いた様子であったが、そのやり取りはとても近しい者同士のそれであった。

 腕白小僧とお姉さんの対決が、延々と続いているようである。


「すみません、ギニレ姉さん………」


 後ろから、申し訳なさそうに、副官メジムゲルネも現れた。彼もまた、昔馴染みのようだ。それも、この淑女をお姉さんと呼ぶほどに、古い関係だ。立場は礼儀正しく、それでも昔話に花を咲かせるのだろうか、懐かしさに笑みが浮かぶ。

 悪ガキが、ぶっ壊した。


「いやいや、いい年こいて。姉さんはねぇだろ」


 花瓶が、飛んできた。

 お姉さんは、いくつになってもお姉さんであるのだ。姐御神官ギニレリータは、返事の代わりに、花瓶をお投げになった。

 慣れているようだ、シュガルバルガは難なく受け取り、割れないように丁寧におきながら、苦言を呈した。


「ったく、そんなだから、婿むこの貰い手がなかったんだぜ?」


 過去形である。

 もはや、結婚は無理だとの宣言である。淑女に向けて、一切の遠慮も、気遣いもないところは、さすが悪ガキが大きくなった大男である。いつものやり取りらしい、姐御あねご神官は、ふん――と、机にふんぞり返って、腕を組んだ。


「お前こそ、いい年してまだ独身とはね。この、甲斐性かいしょうなしが」


 お返しの、応酬だ。

 古い付き合いとは、こういうものだ。

 とはいっても、約一名が、ダメージを受けていた。シュガルバルガはどこ吹く風なのだが、もう一人の甲斐性かいしょうなしが、うずくまっていた。

 すらっとした長身に、黒のロングヘアーの理的な優男やさおとこがひざを抱えて、さめざめと泣いていた。

 どうやら、三人とも独身のようだ。


「だとよ、お前も、そんなに辛気臭い顔してばっかだから、嫁の貰い手がないんだ。何なら、侵略者の権利を振りかざして、二~三十人、あてがってやろうか」


 独身の原因が、バンバンと、背中を叩いていた。

 元気になれと、バンバンと、背中を叩いていた。この勢いで、ことごとく、出会いを踏んづけているのだ。

 酒瓶を持って。

 今のように、うっすらと赤ら顔で。

 祝い酒のつもりで出会いを踏んづけて、その後の失恋のヤケ酒と化すのがお決まりだ。もはや幼馴染と言う、呪いであった。

 そのシュガルバルガは、思い出したように訊ねた。


「ところでよ、姉貴。いろんなトコから聞こえたんだが………呪いって、何だ?」

「呪いじゃなくて、悪霊ですよ」


 呪いはお前だ。

 優男の副官メジムゲルネは、きっと睨んだ。

 おそらく、かつて台無しにされた出会いの数々が、頭をめぐっていることだろう。男女の駆け引きとして、花束を抱えての二度目の謁見において、酒瓶が目の前をさえぎったのだ。

 しかし、これ以上かき回されては大変だと、身をただした。

 苦労人のようだ。


「神官ギニレリータ。噂として、お聞き及びでしょう。悪霊です。死に神の仕業に仕立てても、かんのいい人物なら、後付けだって気付いてしまいますよ。混乱を防ぐ意味は――」


 生真面目な性格らしく、幼馴染から、副官としての言葉遣いで本題に入ったメジムゲルネ。

 だが、話は途中で途切れてしまった。本題に入りながら、親、どこかおかしいのではないかと、気付いたのだ。周りが見えなくなったかのように、一人で、考え込む。


「いや、死に神の耳に届けば………そうか、そういうことか」


 あごにこぶしを置いて、そうか、そうかと一人で納得する。頭の回転の速さは、赤毛の幼馴染を置いてきぼりにしていた。

 シュガルバルガは気にしない。姉貴こと、姐御神官に笑いかける。


「しっかし、悪霊がうろつくなんて、世も末だな。そういえば、ディーアミグアでも、町を放棄したっけ。だが、本当は――」


 ふざけた物言いながら、中身はふざけていなかった。顔もニヤついていたが、その瞳だけは、凶悪な輝きを宿す。とても危険な話をしているという、お顔であった。

 その知識を与えた姐御は、ため息をつく。


「はぁ………よそ様で、言うんじゃないよ」


 神官ギニレリータは、椅子に深く腰をかけたまま、天井を見つめていた。

 シュガルバルガも、倣って天井を見つめる。二人、腕を組んで、物思いに浸っているようだ。


「今の苦みは、真の豊かさへ至る試練なのだ………そのために、争いが増える一方だよ。ついに帝国の外にまでさ」

「真の豊かさ、ねぇ………なら、宝玉術はなんだって話だよなぁ。帝国からは生まれない力。種族が違うか、王国のいう、呪われた土地ってのが関係してんのか………」


 ギニレリータは、ゆっくりと立ち上がった。

 おしゃべりが過ぎると、注意する様子はない。そのまま、窓辺に移動する。黙って見守るシュガルバルガ。一人で完結していたメジムゲルネも、二人の様子の変化に気付き、姐御あねごの背中を見守る。


「理想じゃ、おなかは膨れない。犠牲になった人々には、もう地獄へでも行って、謝り続けるしかないよ」


 ギニレリータは、窓枠にそっと手を置いて、寂しそうにつぶやいた。

 神官ギニレリータは、帝国の国家宗教『ディトの教え』の神官と言う立場でありながらも、ややずれた位置に立っていた。

 姐御あねごと言う貫禄かんろくの理由だ、帝国の語る物語のほかに、色々見てきたのだ。

 シュガルバルガは、豪快ごうかいに笑った。


「なら、酒を差し入れに行ってやるよ」

「落ちるのなら、私達も一緒でしょ。誰が最初かはわかりませんが」


 メジムゲルネは、理的な笑みを浮かべる。

 寂しいが、三人一緒なら、悪くないと思っているのだろう。それぞれのまぶたには、かつての姿が映っているに違いない。ようやく、昔馴染み同士、余韻に浸れるといったところだ。

 悪ガキはもちろん、ぶち壊す。


「そんなの、年齢順に決まって――」


 何を当たり前のことを訊いていやがると、シュガルバルガは、女性に言ってはならないセリフを口にした。

 またも、花瓶が飛んできた。

 かなり、でかかった。


「年のことを言うんじゃないよっ」


 今度も片腕で………受け止めきれずに、のけぞった。メジムゲルネが、大慌てで援護に向かう。窓辺の花瓶は、先ほどより、倍ほど大きな品物であった。どのように投げつけたのであろうか、不思議である。

 さすがは、目の前の腕白小僧を育て上げた淑女であった。


「――ったく、あの可愛い坊やが、どうしてこうなったんだか。俺が嫁にしてやるって、可愛いことを言ってたのに」


 誰が原因なのかは、見ての通りである。





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