第八章 処刑
住まいは、主の人格を反映する。
基本的な造りが同じであっても、住まう人によって個性が生まれるものだ。
生活の匂いが感じられないほど
ここ、バルガデアンのお部屋は、そうした極端な、悪例であった。
「ちきしょう………おれは『民衆の主』なんだぞ………それが、何で、何で………」
酒瓶を手にしたバルガデアンは、ぶつぶつと、何事かをつぶやいていた。
もはや、虚勢を張る気力もないと見える。板金鎧は修繕されていても、だらしなく、ガウンを着崩していた。
そして部屋は、散らかり放題だ。
バルガデアンの私室となっている貴賓室は、贅沢にも部屋の家具や柱、その全てに彫刻がなされている。それは、自然を愛するベールディンの国柄を表している。植物に動物にと、実に多彩で、部屋にいながらにして、森の中を散策している気分を味わえる。芸術に囲まれた、贅沢な住まいであった。
だが、バルガデアンのお部屋においては、見る影もない。汚れた衣服、こぼれた酒によって、それら芸術を台無しにしていた。
机の上だけが、すっきりとしている。まるで、触れたくない、近づきたくないと、何かを恐れているようだ。
一通の手紙が、原因であった。
上質な紙を用いた公文書であり、増援部隊の到着予定日が、通知されていた。
「やばい、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ………ちきしょう、役立たずどものせいだ」
ベッド脇には酒瓶が何本も転がり、こぼれて、部屋にはアルコールのにおいが立ち込めていた。酒に弱い人物などは、この部屋に立ち入っただけで、吐き気を催すだろう。バルガデアン本人は、もはや正気を失っていた。それであっても、酒におぼれながらも、冷静な自分が指摘するのだ。
自業自得だと。
半端に頭が回ったために、自らが、指摘するのだ。
もう、終わりだと。
「部隊の半数を失う。市長に命令されたわけじゃないから、俺が責任を取らされる。絶対そうだ、帝国に仇なす者を、帝国は許さない」
それには、帝国に不利益をもたらす者も含まれる。
民のためにと、変革を叫ぶ者は、敵なのだ。
私欲のために、帝国の財をむさぼる愚か者は、敵なのだ。
それは失政や失策によって、帝国の富を、栄誉を損なった者にも当てはまる。
すなわち、バルガデアンのことである。
出世欲のために、自らの率いる兵を失った愚か者なのだ。その末路は、酒に逃げている様子からも明らかだ。
「市長は不干渉を決め込んでるが………笑ってやがる。俺の地位は、増援が到来するまでだと、笑ってやがる………」
単純に、指揮権の交代で済むだろうか。
単純に、帝国に戻されるだけで、済むだろうか。
バルガデアンは、おもむろに、酒瓶を持ち上げた。その手は震えながら、何とか口元へとのみ口をくわえさせる。しかし、酒が流れ込んでくれない。酒瓶が、気付けば空になっていたからだ。
飲み口が、下を向いていたからだ。
床にはダバダバと、お酒の水溜りが、強く漂う。この匂いだけで、酔えるのではないか。酔えないバルガデアンは、新たな酒瓶に手を伸ばす。
その手が、ふと止まった。ようやく、自制心が働いたのだろうか。
「そうだ、敗戦の責任のありかは………まだ、確定していない。今ならまだ、俺は隊長だ。そうだ………そうだ………」
瞳はあわただしく、宙を泳ぐ。酒が頭に回りすぎていても、何かが頭を回転させていた。
その名前を、保身と言う。
「おい、誰かいるか………おい、おいっ!」
何かをひらめいたようだ。希望がある、まだ希望があるのだと。バルガデアンは、救いを求めるように、ふらつきながら、扉に向かっていた。
いい思い付きを、このような正気ではない状態で、思いつけるのだろうか。
バルガデアンは、いい思い付きだと、思い込んでいた。転げそうになりながら扉に手をかけると、控えていた兵士と目が合った。
「散々考えた末の結論だ、あの役立たずどものせいで、負けたんだ。そうだ、俺は悪くない。そうだ、そうだ………あいつらが悪い」
控えていた兵士に、同意を求めるように、そうだろう、そうだろうと、肩をつかんで、うつろな瞳でつぶやき続けた。
* * * * * *
ラーネリアがその知らせを受けたのは、昼食の時間であった。
従者の女性が、昼食を届けてたついでにと、ラーネリアだけを呼び出したのだ。
ただの連絡事項であれば、全員の前で告げれば済む。それは、せめてもの気遣いだった。
知らせを受けたラーネリアは、顔色一つ、変えることは無かった。唯一、仲間には言わないで欲しいと、願った。ささやかな願いのため、受け入れられた。
あと、少しのことなのだから。
そして、何事も無かったかのように、最後の貧しい食事を取り、エーレックの面倒を見る。血のつながりはないが、特になついてくれるので、ついつい、世話を焼くのだ。エーレックも、わざと世話がかかるように甘えているのだと分かっている。
十四歳ころのラーネリアと、九つ過ぎのエーレックは、姉弟と言う年齢の違い。それは、この部屋にいる六人の全員が姉弟のようなものと、言い換えることも出来る。
一番年長のラーネリアは、姉のような存在であり、独り占めするエーレックが面白くないかもしれない。足手まといだと、蔑むこともある。
いいや、蔑みと言うには、小さなやっかみだ。それも最後だと思うと、愛しかった。不思議そうな顔をするエーレックを、優しく抱きしめる。
そして、少し距離をとりがちな仲間に笑いかける。自分がいなくても、仲良く出来ているのかと、口にしそうになる。
ラーネリアの笑みに、そっけなく、顔を背ける男の子もいる。照れ隠しだったのかは、分からない。ラーネリアは、小さく笑った。
遠くから、いつもの射撃音に、訓練の声が聞こえる。
いつもの日々。
最後の、時間。
時間が過ぎるのは、早いものだ。入り口の扉が、叩かれた。
乱暴に叩かれることもあるが、今回は妙に、静かな音だった。
遠慮をしているように思える。
ラーネリアは、静かに立ち上がった。
「ねぇ、どこにいくの?」
エーレックが、無遠慮に手をつかんだ。
いつものことだ、絶対の信頼を預けた、姉のような存在である。何も出来ないが、心配することは出来る。
ラーネリアは立ちさる前に、もう一度強く、エーレックを抱きしめた。
戦いに向かう前、叱られる前も、よくそうしていたと、エーレックは不安に駆られる。
これが最後の抱擁だと知ったのは、すぐのことだった。
* * * * * *
「あのバカは、どこまでバカをやれば気が済むんだっ」
市庁舎の一室で、神官ギニレリータはいらだっていた。
内面の美しさ、心の魅力によって、人々をひきつけるお年頃の女性である。たたずまいに、仕草に、姿勢。
神官ギニレリータは、荒くれ者たちの姉御と言う貫禄を、有していた。
それは、言葉通りに戦場を渡り歩いた経験が故である。帝国が今の形に落ち着くまでには、革命やら、さらなる革命やら、色々あったのだ。その最中に現れたのが、 『ディトの教え』と言う宗教団体だ。
教えを伝えた人物の名前がディトといい、その教えを広める方々が、一番偉いのだ。
今の苦しみは、真の豊かさにたどり着くための試練であると教えている。厳しい暮らしのウアルデギドの民には、救いとなった。
今や、国家宗教である。
幼き日のギニレリータは、『ディトの教え』の庇護下において、ようやく食べ物に寝床にと、ありつくことが出来た口である。そのために感謝は当然として、進路もまた、神官であった。信仰心など欠片もなく、生きるための方便として、信仰を利用する知恵を磨き続けた。
同じ信仰を持つ仲間の存在だけで、生きる力となるのだから。
そうした人々を束ね、導く姐御は今、いらだっていた。
乱暴に、壁に架かっているたすきを引っつかむ。地位の証明の、白地に黒の糸で編まれた、楕円の重なるデザインである。その堂々たる態度から、姐御神官として慕われるギニレリータはしばらく、窓の外を眺めていた。
見つめる先は、遠く、東の地平の、霧の彼方だ。
「ベールディンの守護神よ、どこかにいるなら、お前の僕を助けてやれよ………私には、死の前に言葉をかけることしか、出来ないんだからさぁ………」
異端を、静かに口にした。
それは誰にも明かすことの出来ない、贖罪の言葉である。軍部の決定に、神官は口を挟むことが出来ない。ただ儀式として、死後に許しを得られるように、祈るだけだ。
秋の太陽は、今日も暖かく大地を照らす。
もう、傾き始めていた。
* * * * * *
夜の帳は、とっくに下りていた。
暮らしに余裕のない人々は、暖炉の残り火に未練を残して、ベッドに向かう。
最も、この部屋の暖炉からは、残り火の余韻すら感じられない。そもそも暖炉用の
帝国の、宝玉術の使い手たちの宿舎だった。
「ラーネリア………よかった、生きてたんだ」
エーレックは、顔を上げた。
星明りの下であっても、まぶたに頬に、暴行の傷跡が見える。おそらくは、全身に殴打の傷があるだろう、薄汚い布切れは、血に汚れていた。
あがいていたのだ。
最初は理解できなかった。演習場に、ラーネリアと離れて整列させられていたのだ。声は、かろうじて届くだろう距離だった。
ラーネリアに銃を向けられたことで、理解した。
そして、泣き喚いた。
ラーネリアを助けようとしたのだ。黙るように殴られても、蹴られても、やめなかった。力を使おうとすら、した。
しかし、ラーネリアは優しく咎めた。自分達が悪いのだという、いつものセリフだった。
柱にくくりつけられていたが、いつもの笑顔だった。
そして、命を終えた。
エーレックは、ラーネリアの最後の言葉を守り、もう、逆らわなかった。仲間たちは、何もしなかった。自分に不幸が降りかからないのならば、それでいい。
幸いなのだろうか、互いに足を引っ張り合うほど、堕ちる前に終わるのだ。
「エーレック、うるさい………」
「え………ラーネリア?」
仲間も、気付いた。
『宝玉』がなくとも、彼らはそもそも力を扱うことが出来るのだ。人にはない感覚も、もちろん備わっている。
そのために、気付けるのだ。
そこにいると。
生きていない“何か”が、触れてはならない“何か”が、そこにいると。
それを俗に、幽霊と言う。
蜃気楼のようにたたずんでいたのは、ラーネリアだった。いつもの笑顔を浮かべていたが、笑顔と言う仮面が張り付いたままともいえた。
“私達………どうして生まれてきたの………ねぇ、どうして………どうして、ねぇ………ねぇ………どうして………”
誰に対する言葉なのだろう。ラーネリアは、ぼんやりとした質問を、繰り返していた。
もはや、ラーネリアではない、子供達は恐怖した。
分からないはずがない。
それでもエーレックはラーネリアが戻ってきたと、
「ラーネリア、ラーネリアぁ」
ラーネリアの幽霊は、エーレックを抱きとめた。
エーレックは、いつものように優しく抱きとめられた。そして、そのまま宙に浮かんだ。ラーネリアのすることだからと、エーレックはなすがままに――
「エーレックっ!」
一人が叫んだ。
さすがに無視できない。疎ましいと思っていても、仲間と言う意識はあるのだ。
しかし、少し遅かった。
いいや、結果は変わらなかったはずだ。エーレックは、糸の切れた人形のように、床に転がった。
子供達の恐怖は、頂点に達した。
なにをすればいい。
禁じられたから、部屋を出ない。
しかし、このままではエーレックのようになる。
強すぎる戒めのために、子供達は生き残るための手段を、まともに選ぶことも出来ない。ましてや、力を行使することなど、出来るはずもない。今の今まで、扉に手をかけることすら、出来ずにいたのだから。
ようやく一人が、扉に手を伸ばすも、もちろん、鍵はかけられていた。破壊するのは簡単だが、それは、禁じられた力を使うことになる。ここにいる子供達は、命じられない限り、力を発揮することが出来ないのだ。そのため、帝国は簡単な鍵しか、つけていない。
これは、信頼関係であった。
簡単に破れるにもかかわらず、簡単な鍵しかかけていないのだから。彼らは、力を持つ子供たちなのだから。
「こないで、こないで、こないで、こないでぇえええっ!」
一人が、床に落ちていた小石を投げる。
当然、何も起こらない。風に石を投げても、そよぐだけだ。机でも、椅子でも、同じであろう。ここに椅子や机は、ないが………
足元には、エーレックが転がっていた。ラーネリアの幽霊が、ぼんやりとエーレックを見下ろし、そして、子供達に向き直る。
ゆっくりと、近づいてきた。
徒歩よりもゆっくりと、しかし、確実に扉に追い詰められた子供たちに向かって。
けたたましい、破壊音が響いた。
子供達の一人が、扉を蹴破ったのだ。いくら木製の扉であっても、十歳そこそこの子供が、破壊できるはずがない。ついに、禁じられた力を使ったのだ。
それは許されないことであるが、子供達は砕けた木片を踏みつけ、駆け出した。
もう、振り向くことも出来ない。ラーネリアの幽霊と、その足元に転がるエーレックの姿が、脳裏に焼きついている。次は、誰が地面に転がるのだろうか。子供達は、となりの兵舎へと、かけていく。
帝国兵に頼ればいいと。
意味がないとは、彼らには気づけない。帝国が、そのように教えたのだから。隣の宿舎は、徒歩で十歩だ。すぐに到着し、許可なく扉を開け、なだれ込んだ。
「助けてください、あれが、あれが………」
「死んだのに、僕たちの兵舎に――」
「もうそこに、ラーネリアの幽霊がっ」
子供達が扉を開けると、すぐ目の前には、リラックスした兵士達の姿があった。
何人かは驚いた顔で、とっさに武器に手を伸ばそうとする。いくら自分達の支配地域であっても、いきなり扉を開けられたのだ。
だが、子供たちの姿を認めると、すぐに緊張を解いてしまう。自分達に害をなすとは、思っていないのだ。
そして、子供達の必死の言葉など、聞くつもりもないらしい。わずらわしそうに、出て行けと、乱暴な言葉を放った。
「なんだ、勝手に………懲罰ものだぞっ」
「今なら見逃してやる、早く戻れっ」
蹴り飛ばさなかっただけ、彼らは優しい兵士であった。ラーネリアの処刑に、少しは思うところがあったのかもしれない。
最も、逃がしてやろう、そういった気持ちではない。
いい気分ではない――という程度だ。
だが、彼らは思い至るべきであった。従順な奴隷のはずの子供たちが、なぜ、勝手に自分達の兵舎を抜け出したのか。許可なく兵舎の扉を開けた理由を。
助けを求めた、その理由を。
「本当なんです、死んだラーネリアがそこに――」
「き、来たっ――」
子供達は、走り去った。
扉を閉めろと怒鳴るも、戻ってくる様子がない。
仕方ないと、一人が扉を閉めようと立ち上がるも、何か異常な事態が起こったのではと、考えをめぐらせることもない。
“何か”に追い立てられたようだとは感じただろうが、その“何か”の姿は、彼らには見えていないのだから。
* * * * * *
季節は、実りの秋。
秋も夜更けすぎ、帝国兵も、夢の中。
砂漠の荒野と評される土地の出身のウアルデギドの若者にとって、見渡す限りに緑が生い茂る六王国の土地は、正に楽園だった。
かつては自分達のものだったという、六王国がむさぼっていたものを、取り戻したのだ。
今や、どこまでも広がる緑も、新たに開拓した広大なる小麦も、彼ら帝国のものだ。故郷ウアルデギド帝国を離れた彼らの心は、喜びに打ち震えていた。
――はずであった。
「な、なんだ………なんなんだ」
「あれ………ねじれて………血が、血が」
「何が、いったい………」
若い指揮官の暴走も、自らに降りかかることはなかった。なら、それでいいではないかと、彼らは眠りに就いていた。ささやかな贅沢として、酒を共にする者もいる。変わったことといえば、子供たちがなだれ込んできたくらいなものだ。
今は、悪夢を目の前にしていた。
どさっ――と、仲間の一人が、床に落とされた。
首が、ねじ切られていた。
戦場を知らない新兵も、殺戮が日常だったと語る古参も、関係ない。理解不能の殺戮を、立ち尽くし、あるいはベッドから動けないままに、見つめていた。
鈍重なその仕草は、現実の出来事だと、彼らが認識できずにいたためである。
なにが起こっている。
これは、現実の出来事なのだろうか。
むしろ、悪夢を見ていると言って欲しかった。
おびえる頭に浮かんだ言葉を、誰かが口にしてしまった。
「………幽霊?」
言葉としては知っている、御伽噺の知識に分類される現象。死者が、生前の怨念によって姿を得た、多くは恐怖を抱かせる言葉。子供だまし、あるいは、物語の味付けとして用いられる存在。
そのはずだった。
ゆらりと、炎が揺らいだ。
誰かがランプを倒したのか、気付けば部屋は、炎に包まれていた。本来なら、あわてて消化すべき事態、あるいは、あわてて逃げ出す事態。
だが、この部屋の誰もが、呆然と見守るだけであった。
遠くで、仲間の兵士たちが叫び声を上げているが、悪夢の中に放り出された彼らにとっては、現実感を伴わない、遠い声に過ぎなかった。
「敵はどこだ、宿舎が燃えているぞっ」
「ちくしょう、襲撃か、反逆者の襲撃か?」
異変に気付いたのは、周りの兵士達だった。
自分達の兵舎の敷地から炎が上がったのだ。誰かが気付き、叫べばたちまち、大声で、怒鳴りあっていた。
「落ち着けっ、パニックになれば、反逆者の思う壺だぞっ」
「案外、死に神だったりしてな」
兵士達は、混乱していた。
自分の兵舎から顔を出す者、薄着のままで扉を開ける者と様々だが、混乱している仲間の顔が見えるだけだ。真剣な顔で酒瓶を抱きしめている者もいたが、気に留める余裕もない。誰もが、真夜中の襲撃に、混乱していた。
いや、襲撃であれば、目の前に、木材や農具を武器に持つ群衆がいたのなら、彼らの意識は切り替わっただろう。彼らは訓練を受けた兵士である。都市の安全を守るため、特に反逆者による襲撃に備えた訓練は、十分に受けていたのだ。むしろ、来るなら来いと言うところ。
だが、混乱していた。
襲撃であれば、当然ある色々がないためだ。
火災に乗じた、弓矢による狙撃が、ない。
火災を起こすための、火炎瓶の投擲が、ない。
そもそも、反逆者なり、暴徒なりと言う、襲ってくる人々がいないのだ。
本当に暴徒の襲撃を受ければ困ってしまうのだが、それら襲撃にありがちな色々が、ないのだ。
そのために、危機感の度合いは、乱高下していた。
そこに、声が上がった。
「注目っ!注目っ!注目っ!」
混乱の中、指揮官の声がこだまする。
バルガデアン部隊の、臨時の指揮官が、叫んだ。
バカが指揮官でも、臨時の指揮官は、それなりの現場を経験している。進言しても、話を聞いてもらえなければ終わりであるが、今、バルガデアンが部屋に引きこもっている状況において、最高指揮官となっていた。
「武装せよ!武装せよ!武装せよっ!」
混乱する兵士たちの頭に、命令が響く。
明確に、はっきりと、分かりやすく。訓練を受けていても、混乱は集中力を奪うのだ。そのため、わざわざ注目させ、命令もまた、単純だった。
「報告は後だ、武装せよ」
「班ごとに集結、報告は後だ。武装せよ」
下級の指揮官達が命令を出し始めたおかげで、思考力が戻ってくる。自分の兵舎に戻ったことで寒さも思い出したようだ。コートを羽織りつつ、自分が兵士であると思い出す。ズボンをはき、ブーツを履き、武器を持つ。
これでいいと安心したおかげで、一部はおしゃべりになる。
「死に神って、迷いの森を出ないんじゃなかったのか?」
「なんでそんなルールが絶対なんだ」
「だってよ、死に神は、森に入らなきゃ、
「いや、俺たちが森に入ったからな。縄張りが変わったんだろ?」
「そもそも、死に神の気分次第だ。宝玉術の使い手だという噂が本当なら、見た目は同じ人間だ。町に紛れ込んでいても、見分けなど、つくものか」
「なら、すでに町に潜んで――」
話が、さえぎられた。
銃声だ。
誰かが、引き金を引いたのだ。
駆けつけると、炎上した宿舎の周囲には、すでに数十人が円陣を組んで監視していた。
その円陣の内側には、襲撃を受けたと思われる男達が、うずくまっていた。銃口は、兵舎の中に向けられていた。
「敵は、敵はどこだ」
「おい、どうした。見たんだろ、いったいどこに逃げた?」
だが、襲撃を受けた兵士たちは、おびえた目で見つめ返すだけだ。口を開こうとしても、すぐにつぐんでしまう。本人達も、なにが起こったのか理解していない様子であった。
ただ一言、つぶやいていた。
それは彼らにとって、死に神よりもなお、信じられない言葉であった。
「………幽霊?」
駆けつけた兵士達、囲む兵たちは警戒しつつも、心はざわめいていた。
この日を境に、不気味な噂が広まっていった。
幽霊が、帝国兵を殺して回ると。
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