第七章 教え

  ベールディン王国。

 『霧の闇』を東の境界に、南北に連なる山脈を西の帝国との境界としている、六王国のひとつである。

 七年前から、それは、過去の事となった。

 生き残ったベールディンの民は、隣国ギーレベルデへと逃げ延びるか、帝国の奴隷になるのかと言う選択を強いられた。

 残る道は盗賊、山賊、傭兵ようへいに、賞金稼ぎくらいなものだ。

 更なる例外は、迷いの森にあった。今は『死に神の森』と呼ばれる。ひとたび足を踏み入れれば、生きて戻ったものはいないと言う。生存者が、おびえて語るのだ。

 死に神の名前は、ワーレッジ。

 やわらかな水色のショートヘアーに、琥珀こはくの瞳の、十七歳の少年だ。大人の男と言うには少し頼りなく、女性には、恋人とするよりも、弟にしたいと評されるだろう。

 かつて、臆病おくびょうワーレッジと呼ばれた少年であった。

 そして、カルバ要塞の、守りの要でもある。


「ネイベックなら分かるよね。力が『宝玉ほうぎょく』に集まって、ボクに力が流されて、めぐって、めぐって、強くなっているって………」


 ワーレッジは、胸元から琥珀のお守りを取り出す。

 見た目の通り、『宝玉』と、呼ばれている。力を持つ人々が手にすれば、持久力が上がる、最大出力を常に発揮できるという。

 制御を誤れば、傷つけてはならない人々まで傷つけてしまうため、長い修業の後、力を認められた人物に授けられる品である。

 授けられた使い手を、術師と言う。

 術師を育成する場所が、王宮に隣接する神殿であり、教え、導く術師を導師と言う。

 だが、ここ、カルバ要塞には、導師はいない。


「ボクの宝玉も、ネイベックの宝玉も、大切に受け継がれてきたものなんだ」


 ワーレッジの教えを受けるのは、十三歳の黒髪男子、ネイベック。

 十七歳のワーレッジには、弟のような年齢であり、教えるというより、共に修行をする仲間と言う年齢である。

 しかしながら、カルバ要塞に逃げ延びた中で、最も力が強く、そして、導師の教えを最も受けているのがワーレッジなのだ。

 導師がいなければ、誰かが教えねばならない。

 と、いうことで、ワーレッジは未熟を自覚しつつ、ネイベックに教えを授けていた。

 ネイベックに不満な様子はなく、ワーレッジの言葉を、素直に聞いている。ワーレッジが、胸元から宝玉を取り出すと、ネイベックも、右腕の腕輪に、手を添えていた。

 サイズが合っていないため、ネイベックの子供っぽさを印象付けるが、ネイベックの一族に、代々伝わる品である。


「ボク一人の力じゃない。力が集まって、影響しあって………」


 クレーターの内側を、太陽が、ほのかに暖めている。

 生活の匂いはなく、採石場のような、岩だらけの殺風景だった。ここはカルバ要塞の東の端の一角、ワーレッジたちが『宝玉術』の訓練で用いる場所である。

 ワーレッジが力を高めると、そのぬくもりが、さらに強くなった錯覚を覚える。それを感じ取ることが出来るのは、ワーレッジと、ネイベック。

 そして――


「モルテってば、いい子になるって言ってたのになぁ………」


 ワーレッジは、困ったという顔と、うれしいという顔がごっちゃになっていた。ここは、一応は修行の場所と言うことで、普段は子供の立ち入りを禁じている。

 一応――と言うのは、宝玉術の修行を、常にしているわけではない。普段は、無人地帯なのだ。その上、兄バカのワーレッジが、モルテを伴うことも少なくない。

 勝手に登場することも、珍しくない。どうやら、ライクスの鬼の効果は、切れたようだ。

 トタトタと、銀のロングヘアーをなびかせて、お子様が近づいてきた。


「あぁ~、みつけたぁ~っ」


 モルテちゃん七歳が、お叫びになった。

 両手を腰に当てて、まるで、イタズラをしている子供を見つけた、お姉さんのようだ。

 すぐにタタタ――と、駆け足になる。

 銀色のロングヘアーが、ささっと尾を引いた。ワーレッジはすでに片足立ちになり、両腕を広げていた。

 二人が出会えば抱きつくのは習性らしい、モルテちゃんが、ワーレッジの胸に飛び込んだ。


「お兄ちゃん、またモルテに内緒で、遊んでたぁ~っ」


 ワーレッジの腕の中であるが、モルテちゃんはお姉さんぶって、腕を組んでいた。おそらく、ニルミアお姉さんの物まねだろう。

 とても、ほほえましい光景である。

 力を持たなければ、と言うただし書きが入る。ネイベックは、まぶしいものを見るように、片手で顔をおおっていた。


「ぅ~………さすが、兄妹………というより、モルテちゃん、お兄さんより強い?」


 まるで、太陽を見ているように、まぶしそうだ。悔しくて、泣いているわけではない。あふれる力を前にした、自然の反応である。

 そしてこれこそ、ワーレッジが、モルテに修行を付けさせない理由だった。

 強すぎる力は、本人を傷つけ、周りを傷つけてしまう。それは、本人の意思に関わりなく、ワーレッジがかつて、臆病ワーレッジと呼ばれた理由だった。

 無意識のことであり、抑制を解いたきっかけは、命の危機だった。

 最も、兄の気持ちは、妹には通じないものだ。仲間はずれのモルテちゃんは、大変、ご機嫌がよろしくない。


「だって、だって、モルテだって、力あるんでしょ?」


 言って、懐から宝玉を取り出した。

 モルテの宝玉である。

 ワーレッジが首から提げている宝玉と同じく、琥珀であった。やや色合いが異なるが、まったく同じ宝玉は、一つも存在しないといわれる。


「モルテ、お兄ちゃんは、いつも言ってるでしょ?力を抑えるのが、一番大切なんだって。モルテは、ちゃんと修行してるんだよ?」


 初期においては、それが最も大事な修行である。

 ワーレッジの場合は、無意識に押さえ込んでいた。友人の死を前にしても発動せず、ようやく、自らの命が終わろうとするときに、発動した。

 だが、モルテには、力への恐れがないのだ。それは、最強の使い手であるワーレッジを兄として、常にそばで見てきたおかげである。

 反面、危険であった。

 力への恐れが、ないのだ。


「こんなの、静かにしなさいってのと、いっしょでしょ。モルテも修行するっ」


 自分だけ許されない、ずるい。

 それが、モルテの気持ちであった。

 それに、自分だけのけものにされるのは、寂しいもの。自分も、なにかをしたいと、モルテは言っているのだ。

 それは、人を思いやるいい子である証。ワーレッジはモルテの頭をなでて、褒め称える。しかし、ほめられたモルテちゃんは、ごまかされたと感じたようだ。

 かみ合っていないながら、モルテはすでに、力を押さえることには、成功している。ネイベックが、ほっとしたように、座りなおした。


「じゃぁ、退屈って言っちゃダメだよ。ネイベックの修行の見物だけ、ね?」

「は~い」


 取引がなされた。

 ネイベックの意見は、求められていなかった。


 *    *    *    *    *    *


 石畳は、整備されていない。

 いいや、それは正確な表現ではない。『東の果ての都』という、都市と名前がつく都市なのだ。しっかりと、都市にふさわしい設備は備わっている。たまに、泥をはねてしまうだけだ。ひび割れた石畳があったかと思えば、ドチャドチャと、ドロをはねてしまうだけだ。

 七年前の、戦争の傷跡だった。

 放置されている理由は、優先順位である。都市機能の中心地である市庁舎の周囲から始まり、帝国からの移民の居住エリアにおいては、都市機能は復活している。

 復活していない場所は、むしろ一部である。

 そこへ、元の住人である、ベールディン王国の民が押し込まれていた。

 お前たちは、負けたのだ。

 そう言われているようだ。

 いや、実際に、言われている。お前たちは、帝国の慈悲で、生きることを許されているのだと。

 感謝しろと。


「相変わらず、ひどい道だ。帝国も使うだろうに」

「帝国も、誰もが平等じゃない。革命に告ぐ革命で、今は『民衆の主』が貴族様だ。残りはもう、ぐちゃぐちゃで、奴隷の身分の押し付け合いだってさ」

「むつかしくて、わかんねぇよ」


 放置された界隈かいわいを、男三人が歩く。

 一人はひょろ長く、一人はごっつい、そして一人は、ちょっとお間抜けの印象を受ける。

 彼らの身なりは、みすぼらしいつぎはぎである。それも、不器用な誰かに頼んだのか、己の未熟なのか、かなりみすぼらしいつぎはぎである。

 彼ら三人組は、賞金稼ぎの方々であった。

 死に神ワーレッジのような、ヤバイ山には手を出すことは、決してしない。賞金の額はトップクラスだが、死ぬ確立も、トップクラスだ。

 そのため、細々と暮らしを立てて、この有様だ。

 あるときは、連続盗難事件の犯人と裏取引の小銭稼ぎ。あるときは、子守で若様のご機嫌を取るための出費が響き、賞金の帳尻が赤字になる。またあるときは、裕福なご家庭のワンちゃんの捜索に明け暮れて、野良猫の大群と格闘を繰り広げる。

 このような、ごくごく健全な賞金稼ぎの三人組であった。

 そんな三人組が向かう先は、決まっていた。


「あれ、いつもより、しけてねぇか?」

「シケてないときなんて、あったか?」

「湿気るって、どっかに食い物がおちてたか?」


 寂れた区画の一角に、やや立派な建物があった。

 丸太をそのまま門に用いているのは、ベールディンの公共施設らしいが、この町並みの例に漏れず、すさんでいた。木目には獣の詰め合わせが彫られているも、砲弾の跡で、半数が吹き飛んでいる。

 看板には、『賞金稼ぎ仲介組合』と、記されていた。

 道端に座る男に、無気力に横たわっている子供に、誰もが、疲れた顔をしているのが、この界隈の特徴である。

 中でも、一番疲れた顔をしているおっさんが、ここ、仲介組合の組長さんだった。


「あぁ………おまえらか」


 半分壊れた門をくぐりつつ、三人組が顔を見合わせる。

 本当に、どうしたのかと。普段であれば、誰がしけっているのかと怒鳴られ、ついでに、こぶしを振るわれる、豪快なオヤジなのだ。

 そのオヤジの気力が、なえているのだ。


「オヤジ………死に神の賞金が倍になったって、本当か」

「いや、俺は賞金稼ぎみんなに、死に神退治への参加が命じられたって聞いたが」

「え?軍が雇ってくれるんじゃないの?」


 組合のオヤジさんは、ため息をついた。どれも、ほぼ正解だからだ。だからこそ、ため息をついたのだ。


「まぁ、入れや」


 居酒屋の親父のごとく、賞金稼ぎたちを招きいれた。


「「「メシ、出るの?」」」


 ずうずうしく、たくましい三人組は、希望を口にする。ケチオヤジにあるまじき事態ながら、もしかしてと思いたいのは、人情である。

 もちろん、期待するのは勝手である。

 期待に応えないのも、勝手である。ギロリと睨んで、組長さんはすごんだ。


「シメるぞ」


 よかった、いつものオヤジだと、安心する三人組。いいえ、いいえと、手を前に、三人仲良く遠慮をしていた。

 常連らしい、やり取りであった。


「まったく、お前らなぁ、結構ヤバイことになってるって、噂を知らんのか」


 どっこらせと、カウンター横の席に着く。

 三人組も、向かって席に着く。木製の床板は、今のところは踏み抜く心配はない。それでも、あまり大騒ぎは出来ない。静かに、イスに座った。


「………戦争、ですかい?増援部隊が来るとか、何とか………」

「しかし、隣国ギーレベルデとは、不干渉条約を結んでいたでしょうが」

「…………戦争、やだな………」


 彼ら三人組は、善良と分類される賞金稼ぎであった。

 平和なご時世においては、雑貨屋や、あるいは農民としての日々を送っていたはずの男たちである。土地を奪われ、職を奪われ、ぎりぎりで踏みとどまっている。

 奴隷となるか、犯罪者となるか、賞金稼ぎとなるか。


「戦争は………まだだ。増援部隊の目的は、死に神の討伐だ。『宝玉術』の使い手を専門とする部隊らしい。ただ、死に神の捜索には人が足りんって事で、こっちに声がかかった」


 組合長の言葉に、三人組は顔を見合わせる。


「死に神一人に………本当なんですかい?」

「宝玉術の使い手………そりゃ、返り討ちになるわけだ」

「宝玉術って、何だっけ?」


 本当に、善良な三人組であった。死に神に関わることなど、何より、悪事に加担するなど、微塵も感じさせない三人組なのだ。

 縁のないことだろうが、なぜかおっさんは、ヤバイ話をした。

 誰かに、聞いてもらいたいという気持ちが、一番かもしれない。


「登録されている宝玉は、そろわなかったそうだ。登録は、わかるだろう。お前たちも賞金稼ぎをしているんだからな」

「まぁ」

「たぶん」

「なにそれ」

「頼りない連中だな………だが、そういうことだ。帝国は、最優先に『宝玉術』の継承者を探して、殺した。帝国が回収できていない『宝玉』は、数えるほどだ………数百のうち、十個に満たない」

「ってことは、少しは逃がしたって話ですか」

「市長閣下も、私ごときに話していいものではなかったろうに………いや、お前たちに聞かせてやる。ヤバイ話を」

「いえいえ」

「そんなそんな」

「どうか、お気遣いなく」

「そうか、聞きたいか」

「「「いいえ、いいえ」」」

「王家の証も行方不明なんだ。反逆者の言うとおり、姫は今も――」


 聞きたくないというのに、話していた。

 独り言のような口ぶりながら、とてもまずい話と言う気持ちが、ひしひしと伝わってくる。どうやら、オヤジさんほどのおっさんでも、一人で抱えるには重い話らしい。

 しかしながら、話を聞かされる善良な賞金稼ぎ三人組には、知りたくもない、やばい話なのだ。

 死ぬ前に話しておこう。そういった雰囲気に、いやな予感しかしなかった。

 死に神一人に精鋭が派遣される、傭兵がかき集められる本当の理由。

 市長から明かされた、市長よりも上の方々の焦る理由。

 それは確かに、善良な賞金稼ぎには、聞きたくない話であった。


「――って、ことで………お前らもっとくか?死に神の森によう」


 組長の仕事の斡旋に、賞金稼ぎ三人組みは仲良く、お返事をした。死にに逝くという意味なのだ。

 っとくか――と


「「「いいえ、いいえ」」」


 それはもう、息のそろったものである。

 まさか、ご冗談を。ヤバイ、ヤバイ、と。

 見つけるだけで賞金がたっぷりと言われても、死に神に見つかれば、命が亡くなるのだ。善良なる賞金稼ぎ三人組は、全力で、お断りもうしあげた。

 飢える家族を抱えていないための、気軽さであった。


 *    *    *    *    *    *


「水よ、集え」


 ワーレッジは、小さくつぶやいた。

 本来、つぶやく必要なく、ワーレッジは力を発揮することが出来る。これは、お手本を見せるためであった。

 合計で、十ヶの水滴が、ワーレッジの周りに浮かんでいた。


「ネイベックは、水と相性がいいみたいだからね。撃ち出すのはボクより上手だし。でも、基本は一緒。ほら、水を集めて」

「それくらい、オレだって言葉にしなくても出来るよ」


 子ども扱いにむっとしながらも、ネイベックは水滴を生じさせる。

 ワーレッジの周囲の水滴よりは、だいぶと大粒であった。圧縮するための制御技術の差である。

 攻撃を受ければ、巨大な槍で貫かれたような大穴が穿たれるため、総じて、水の刃と呼ばれている。

 基本は同じ、圧縮と、解放である。

 ワーレッジは、相手のそばで力を解放する、小さな爆弾を送り込むようなものだ。直線ではないので、送り込んだ本人がどこにいるのか、見つかりにくい利点もある。

 反面、圧縮する力を、常に維持する必要があり、高度な制御技術と、維持する時間だけ、力を消費し続ける。

 一方のネイベックは、鎧を貫く水鉄砲だ。直線であるので、場所に当たりを付けやすい欠点がある。

 放てる数も、二つだった。


「まだ、まだ………」


 三つ目が、生成された。

 だが、少しつらそうだ。

 両手を、強く握り締めている。


「そのまま………相手の様子を見ながら動くこともあるからね」


 ワーレッジは、モルテを抱いたまま、立ち上がった。

 無理をするな。

 ワーレッジの性格から、告げたかったに違いない。だが、がんばりたい気持ちも理解できるので、止めることはなかった。

 安心して力を高めるところでは、高めて欲しいのだ。

 ネイベックは初の実戦を経て、何か思うところがあったのだ。ワーレッジに追いつきたいとの気持ちではなく、敵を倒せなかったという、焦りの気持ちなのだ。

 敵の指揮官のそばにいた使い手を、倒せなかったのだ。

 ワーレッジの指示通りに戦い、結果、敵は逃げ去った。敵を追い返すという目的は果たし、全員無事と言う成果は、初陣では大勝利と言うべきだ。

 ネイベックは、そのように受け取らなかったらしい。

 ワーレッジは心配する代わりに、応援することにした。


「うん、大丈夫だね」


 すっと、跳んだ。

 信頼していると、態度で見せたのだ。

 ついて来いと。

 十メートルほど跳び上がると、岩壁にそっと足をかけて、更に跳び上がる。たちまち、百メートルほどの岩壁を登り終えた。


「これくらい………ワーレッジは、十個も出せるんだから」


 負けられないと、ネイベックも続く。数メートルずつであるが、危なげなく、岩壁に取り付いては、力を込める。

 お姉さんたちを見返したい、守りたい、頼りにされたい。

 ネイベックの戦う理由である。

 ワーレッジも知っているために、意地を張れるところでは、見守ることにしている。見守るうちに、ネイベックも山頂に到着する。

 しっかりと、水滴は三つ、維持されていた。肩で息をするほどではない、このくらい余裕だと、そんな顔だった。


「射撃の的は、いつもどおりに、あの丸太の山だよ」


 ワーレッジは、指差した。

 二百メートルほど先に、丸太があった。事前に、ワーレッジが用意したものだ。ちょっと、という手軽さで、ぽんぽんと立てたのだ。

 なお、カルバ要塞頂上は岩山の頂上であり、高地の一角でもある。見渡す限りの森林を有していた。霧が深いため、遠くからはこの森が見えないだけだ。


「じゃぁ、まずはボクから」


 ワーレッジは、水滴を一つ向かわせた。

 ふよふよと、ちょうど、蝶が舞う程度の速さである。

 そして、到達した。

 丸太が、吹き飛んだ。

 水蒸気と共に、木片が周囲に飛び散る。音は、意外なほど静かである。水蒸気が共に吸い込んだためだ。


「………相変わらず、すごい威力………」

「ネイベック、集中、集中」


 この忠告をしたのは、モルテちゃんだ。

 ワーレッジに抱きしめられながら、お姉さんぶっていた。ネイベックの水滴が、形を崩しかけたためだった。


「分かってるよ………敵がいたら、いつでも攻撃できるようにして、移動しなきゃだから」


 意地っ張りのお兄ちゃん。

 モルテにとっての、ネイベックの感想である。お姉さん達のおもちゃでもあるため、年上男子と言うより、背が高い弟と言う認識である。

 ずっと年下の女の子にまで、弟扱いをされる十三歳男子、ネイベック。せめて、年上としての威厳を見せ付けたいと、意地っ張りは大変だ。


「じゃ、撃ってみようか」


 ワーレッジは、にこやかに命じる。

 お姉さんぶるモルテが可愛いため、頬が緩んでいた。そのためではないだろうが、ネイベックの最初の一撃は、かすった。

 それでも、オノで打ち据えた程度の傷は出来ている。敵であれば、重症に違いない。ワーレッジは、ハズレと言う評価をせず、二射目を命じた。


「今度こそ………丸太を撃ち抜いてやる」

「威力なら十分だし、手数を撃てるほうがいいから」


 意地になっているネイベックを気遣いつつ、実戦での戦いを教えるワーレッジ。

 わずか十歳からカルバ要塞の主力を担ってきたのだ、実戦経験は十分。それに、森の大先輩のモートリスの一族に、頭巾のおっさんブローニックたちからも、戦いの術を学び、研究を重ねてきたのだ。

 死に神ワーレッジは、日々の努力の結果、与えられた称号といえる。姿が見えず、抵抗も出来ない死が、この森には潜んでいると。

 次に考えるべきは、ネイベックにとっての、最良の戦い方だ。

 目的は、カルバ要塞の防衛である。それも、こちら側に死傷者を出さない、姿を見せず、敵を追い返す。可能なら、恐怖をたっぷりとお土産にしてもらうこと。

 ネイベックの力では、何が出来るのか。

 それを、ワーレッジは共に見定めている途中である。

 そして、三発目。


「うん、今度はど真ん中」


 ワーレッジは、ほめたつもりだった。それでも、ネイベックは悔しそうだった。


「でも、ワーレッジみたいに、砕けてない」


 意地っ張りの十三歳男子の心は、大変だ。ワーレッジにはない感情なので、少しほほえましかった。

 それに、訓練は始まったばかりだ。丸太は、まだまだたくさんある。

 なお、細かくなった丸太は、乾かせば薪になるので、射撃の練習は、たくさんするほど、生活のお手伝いと言うことになる。

 不思議な蒔きわりは、そのまま、日が暮れるまで続いた。


 *    *    *    *    *    *


 霧が、立ち込めていた。

 今が夕方なのか、夜なのか、もはや分からない。

 そして方角も、すでに分からない。迷いの森と呼ばれる、理由である。進むほどに、霧が濃くなるのだ。濃淡によって、かろうじて出口が近いのか、遠のいているのかと言う判断材料に成るのだが、もはや周囲の霧が濃くなりすぎていた。

 それでも長年培われた感覚と言うものがあるらしい、男達は、静かに見つめていた。

 唐突に、岩壁に遭遇したのだ。


「岩山………だな」

「登れとか、言うなよ………専用の装備、ないぞ」

「足元が崖よりは、ましだ。気付けばまっさかさまなど、洒落にならん」


 終点だ。

 それが、たたずむ男達の感想であろう。ここへ到達できたのは、彼らが森の探索に手馴れているだけではない、偶然であった。

 岩壁を、前にしていた。


「見てみろ、巧妙に消されているが、このあたりの落ち葉は、自然に降り積もったんじゃない。妙に密度がある………」

「おい、こっちだ。霧が濃くて分からなかったが、岩の間を」


 男達は、身をかがめて岩に張り付く。手を張り付かせて、這うように隙間を伺い見る。ワーレッジたちが、荷物を背負って歩く道を見つけたのだ。


「さすが、森に隠れ住むだけはある――って、ところか」

「死に神の正体………なるほど、不意打ちの連続で、混乱させる。そして、相手は一人と誤解させる演出………見事だな」

「森の奥までたどり着けば、隠れ家が発見されるかもしれないからな。隠れ家を守る………いい演出だ」

「油断するな。死に神が本物か知らないが、誰も戻った者はいないんだ」

「死に神の顔を見た者で………だろ?」


 彼らは凄腕である。

 例え偶然であっても、今まで、誰も死に神の住処を発見できなかったのだから。

 彼らは、そう思ったために、失念していた。死に神に出会って、生きて戻った者がいないという、噂を。

 自分達も死ぬなどとは、思っていなかったのだ。

 出会わなければ、生きて戻る機会はあったはずだ。だが、彼らは死に神の住処を見つけてしまったのだ。

 身をもって、思い出すことになる。

 弓矢の雨が、降ってきた。


「しまった、見張りか――」

「固まれ、矢は無限じゃない。ここで間違いない」

「生き残るぞ、盾を密にしろっ」

「「「おうっ」」」


 数には、数である。

 彼らは密になり、盾を掲げて身を守った。数名は肩や足に矢を受けて出血しているが、盾を掲げることは出来た。

 矢が尽きたところで逃げ出せば、一人くらいは森を抜けられるはずだと、即座に陣を組んでいた。

 やはり、彼らは凄腕だ。

 そして、仲間意識も強いようだ。万が一があっても、褒章金は家族に渡る手はずなのだろう。最も負傷の軽い仲間を逃がそうと、即座に陣を組みなおしていた。

 風が、吹いた。


「させねぇよ」


 どこからか、若い女の声が聞こえた気がする。

 一人が、振り向いた。

 矢が尽きた瞬間に、駆け出す準備をしていた男であった。そのまま首が大きく百八十度を超えて、振り向いた。

 瞳は、驚愕を表していた。そのままぐるりと、大きく回って、地面に落ちた。

 盾の内側に、つむじ風が舞っていた。


「ひっ………死に神っ」


 一人が、小さく悲鳴を上げた。

 全て、死に神の仕業と思うらしい。確かにこれも、宝玉術であった。木の葉で作られた、回転ノコギリだ。


「宝玉術………くそっ、こういうことか」

「盾を構え――ぐはっ」


 とっさに盾でノコギリの攻撃を防ごうとして、背中を激痛が襲う。

 待ってましたとばかりに、背中から弓矢の嵐が襲ってくる。盾を頭にかかげていたのは、弓矢の雨を受けたためなのだ。無意識に、回転ノコギリから身を守ろうとしたため、背中はがら空きだ。慌てて構えなおそうとしても、すでに命は消えかかっていた。


「強行突破だ、このま――」


 また一人、大きく後ろを振り返り、振り返って、己の胴体を見上げていた。そんな馬鹿のことがあるのかと、大きく口が開かれていた。

 目の前には、木の葉の回転ノコギリが踊っている。そして後ろからは、弓の雨が降り注ぐ。

 ここは、死の罠だった。


「盾を維持しろ、弓矢にやられる」

「ダメだ、もう――」


 残りは、二人になっていた。

 だが、弓も打ち止めらしく、もう、弓の雨は降っていない。侵入者が安心したところで、残りは一人となっていた。

 ワーレッジのいつもの演出なら、生き残る一人である。

 しかし、入り口を見つけたのが、運のつきである。逃がすものかと、木の葉の回転ノコギリが、目の前で踊っていた。


「このっ、ちきしょうっ!」


 最後の一人は、斧を振り回していた。

 そして、無駄であった。

 風なのだ。

 刃をすり抜けて、すっと、おとこの目の前にまで一直線に向かう。

 そして――


「あぁ~あ………せっかくワーレッジが、死に神がでるぞぉ~って警告をしてきたのによぉ~」


 オレンジのロングヘアーがふわりと風に踊り、すっと岩の上に降り立った。

 あきれたように漏れたその声は、木の葉のノコギリが舞い踊る前に、賞金稼ぎたちが耳にした声だった。

 茶色の瞳は、豹のように鋭く輝く。服装はロングの上下に、ブーツだけと言う味気なさであったが、月夜に、そのスタイルのよさがよく映える。

 鎧は、一切つけていない。普段は、人の目に付かない見張りの間から、眼下を眺めるご身分であるためだ。


「さすがニーフレンの姉さん、見事な死に神っぷりですぜ」

「俺たちの分も残しといてくださいよ。槍を構えたまま、待ちぼうけっスよ」

「やめとけ、やめとけ。相手がてだれなら、返り討ちがオチさ」


 笑い声が、勝利に彩を添えている。

 岩の合間から現れた男達は、皮製や木製の胸当てや、盾を装備していた。山賊のような服装と言うヤツだ。哀れに、死に神の森に迷い込んだ賞金稼ぎその他の方々から頂戴した色々だった。


「お前たちの弓矢の雨も、いい演出だったよ。誰も語ってもらえないのが、もったいないくらいさ」


 おかしらのように、ニーフレンの姉さんはねぎらった。

 夜の見張りの中の、紅一点こういってんである。たてまつり方にも、色々あるらしい。お姫様や、王女さま、ニーフレンのお姉さんは、姉さんと言う地位を得ていた。

 カルバ要塞の誇る、四人の守護者の一人である。

 そして、七年前、ワーレッジに救われた一人だ。

 この技で逃げ延びていたが、せいぜい、手のひらサイズの回転ノコギリで、一人を殺害、あるいは牽制が限度である。

 岩陰に隠れ、そして、弓矢の雨と言うおとりがあってこそ、回転ノコギリは一人、一人と確実に敵をほうむることが出来るのだ。

 当時は少女が斧を振り回しているに等しく、一人、一人と仲間を奪われていった。街道で敵に遭遇、死を覚悟したところ、ワーレッジが現れたのだ。

 今は、夜の見張りの切り札として、たたずんでいる。


「しっかし、森の民の目を抜けるとは。どれだけ入り込んだんだ?」

「なぁ~に、そのための俺たち門番だ」

「死に神の噂を知らないわけじゃあるまいに………こいつら、そんだけ追い詰められてるってことってかもな」

「ひひひ、追い詰められたやつは、ヤバイねぇ~」

「お前もな」


 数名はやりを構えて、周囲を警戒している。

 残りは、追いはぎに忙しい。衣服に武器に、もしかすると財布にと、一切無駄にするものかと、はいでいく。

 一人、ヤバイ笑顔を浮かべているが、気にしない。ニーフレンの姉さんも、気にしない。無言で、周囲を警戒していた。


「………ハイデリックの報告どおり、帝国が本腰を入れたってか」

「宝玉術の専門部隊………こいつら、その前衛ってわけですか」

「獣達、食いすぎでハラを壊さなけりゃいいが………」

「ひひひ、満腹で冬を越せるって、大喜びさ」

「だからお前、ヤバイって」


 追いはぎを終えると、その死体は遠くに運ばれていく。やがて、クマさんや狼さんのお中に消えるだろう。カルバ要塞の皆様が獲物を奪う代わりに、こうして別の獲物を提供するのだと。

 頼もしい手下?たちの働きを見下ろしながら、ニーフレンはワーレッジが倒したという、敵の使い手のことが、気になった。自分も、ああなっていたかもしれない。あるいは、即座に処刑されていたか。

 奴隷になった未来は、はたして生きていると、言えるのか。

 ニーフレンは、小さくつぶやいた。


「今度こそ、姉ちゃんが守ってやる………臆病ワーレッジが、あの子でいられるカルバ要塞を………それが、恩返しってね」


 漂っていた血の匂いは、枯れ葉が覆い隠していた。夜と言う時間帯は、これからが本番であった。


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