第六章 ライクスの祭り(後編)


 太陽が沈むには、まだ少し余裕がある時間帯。それでも、油断していると、すぐに夕焼けが周囲を赤く染める時間帯だ。建築作業その他の現場の方々は、切り上げ準備を急がねばならない。

 特に、本日はライクスの祭りなのだ。

 なのに、ここでは、切り上げるつもりはないようだ。


「この、愚か者がぁ」


 薄暗い室内、怒鳴り声と共に、男は杖を振るっていた。

 町外れでも、ライクスの祭りの熱気は伝わっているはずである。何をいらだっていても、今日ばかりは引き上げてもいいと、誰かが忠告してもいいはずだ。

 そんな人物はここにはいない、町外れの兵舎の溜まり場、この場において最高位のバルガデアンが、いらだっているのだ。

 どうやら、足の直りが悪くなるよりも、苛立ちをぶつけるほうが優先らしい。杖を振りかぶっては、たたきつけていた。


「貴様らは、帝国に仕えるために生かされているのだ。なのに、この役立たずがっ」


 八つ当たりの相手は、少女であった。

 女性らしい丸みを帯び始めているが、まだまだ子供に分類される年頃の少女。バルガデアンが連れていた、宝玉術の使い手であった。

 今はうずくまり、ひたすら許しを請うていた。淡い金髪は泥にくすみ、踏みつけられている。死に神の森では不釣合いな鎧をつけていたが、やはり、普段は身につけていないようだ。それどころか、まともな衣服も与えられていない。牢獄にとらわれる囚人のような姿である。

 これが、彼らの普段の姿である。

 囚人、罪人扱いなのだ。先日は撤退てったいを進言。死に神からの攻撃を防いだ功労者であるにも関わらずだ。


「失態だ、失態だ………ちきしょう、死に神一人に」


 バルガデアンは、いらだたしげに、つぶやく。

 出世の好機が、失脚を確定させた。

 『民衆の主』と言う、いわば貴族のような生まれのバルガデアンは、その生まれゆえにそれなりの地位を約束されていた。二十歳を越えてしばらくと言う若さにおいて、数百名の部隊を率いる身分であることからも、明らかだ。

 だが、そこまで。

 王都の警護と言う、数千名単位の部隊長に抜擢されるでもなく、ベールディンの隣国であるギーレベルデとの戦いに備えた、極秘会議に招集される兆しもない。まして、最も重要とされる、ギーレベルデとの国境軍の指揮官になったわけでもない。

 地方都市の、警備隊長なのだ。

 優秀な人物はいくらでもいるらしく、生まれだけで上り詰めたバルガデアンは、地方都市の警備隊長だった。

 飛ばされた。

 己の立場を自覚したバルガデアンは、生まれゆえに誇りと優越感を抱いていた全てが否定された気分だった。

 そこへ、とある噂が飛び込んできた。

 死に神の噂である。

 なぜ、市長が賞金稼ぎにまる投げしていたのか、バルガデアンの前任者が手をつけなかったのが不思議なくらいだ。

 その理由に興味を抱き、市長に探りを入れていればよかった。もしくは、何も知らない新参者として、一切恥じることなく、堂々とたずねてもよかった。そうすれば、社会構造の裏側へ、足を踏み出せたかもしれない。

 死に神ワーレッジは、宝玉術ほうぎょくじゅつの使い手に違いない。なぜ、放置するのかと。

 だが、バルガデアンにとっては、手柄を立てる好機にしか見えなかった。

 宝玉術を侮ったわけではないが、結局は一人なのだ。数百もの軍勢で当たれば、倒せたはずであった。そう信じて、昨日は意気揚々いきようようと、市長の目であり、耳である書記官を伴ったのだ。どれほど自分が有能であるか、見せ付けるために。

 その結果――


「ちきしょう、ちきしょう、このままだと俺は、俺は………」


 こちら側にも宝玉術の使い手がいれば、互角以上に戦えたはずだ。負けたのは、こちら側の使い手が、役立たずだったことが原因だ。決して、自分の責任ではない。

 そこへ、うずくまっていた少女が、おずおずと口を開いた。


「力の気配は………二人。私たちと同じくらいの――」


 言い終わる前に、杖が振るわれた。

 少女としては、反抗するつもりは無かった。しかし、たずねてもいないのに、差し出口を叩いた。それだけで、バルガデアンの機嫌を損ねたようだ。


「無能がっ!なら、なぜ戦わなかった。そのために、多くの帝国兵の命を失ったのだ。この、無能がっ!」


 少女は許しを請い、ひたすらに、暴力を受け続けた。

 少女は、力を持つ子供である。もしも本気であれば、彼女を取り囲む大人など、簡単に殺せるだろう。例え『宝玉』を取り上げられた、囚人同然のみすぼらしい姿であっても、ただの人間が太刀打ちできる存在ではないのだ。

 格闘技術さえ、不要だ。単純に力を込めて、殴りつけるだけでいい。あるいは、ただ捕まえるだけでもいい。それだけで骨をへし折り、喉笛を握りつぶす程度の力は、有している。

 しかし、植えつけられた恐怖が、反抗心をそぎ落としていた。心に深く、恐怖と共に、忠誠心を植えつけられていたためだ。

 反抗する子供は、いない。

 反抗しなかった子供だけが、生き残っているのだから。



 *    *    *    *    *    *



 楽しげな祭りの音楽が、遠くに聞こえる。

 町には、ひらひらとした安っぽい飾りがあふれ、風にあおられていた。まだ夕日の輝きがあるにもかかわらず、すでに松明が赤々と燃え上がり、祭りの賑わいを、熱気を盛り上げている。

 ライクスの祭りの、始まりだ。

 仮面を準備できなかった方々のための屋台に、もちろん、各種軽食を提供する屋台ものきを連ねている。そして、お祭りなのだ。お酒も忘れてはならない、早々と仕事を片付けた方々は、夕焼けに負けじと、すでに赤ら顔だ。

 何と、手作りの衣装に半年をかけた祭り強者まで存在する。

 ライクスの祭りとは名ばかりの、仮装パーティーだ。大人も、子供も、思い思いの仮面をつけて、ひらひらとした飾りをはためかせていた。

 本来の姿など、彼らには関わりのないこと。ディトの教えを信仰する彼ら帝国の移民にとっては、異教の祭りである。

 だが、楽しんでいる。

 楽しむなと言う文言は、ディとの教えに存在しない。それは、この都市の神官であるギニレリータも認めている。市長ウルガゼインの人徳もあり、ここ『東の果ての都』は、平穏な日々を過ごしていた。

 一応は――


「ライクスの祭り………か。なんだ、あのばかげた仮面は」

「楽しめれば、何でもいいのさ」


 燃え上がる熱気を、男達が裏路地から、つまらなそうに見つめていた。

 祭りの賑わいは、この界隈には届いていない。この路地裏も都市の一部には違いないのだが、ここだけ時が止まったかのように、戦争の傷跡が残されたままだ。おそらくは、砲撃の痕跡こんせきだろう、石畳も一部が、えぐれている。

 服装も、みすぼらしい。

 安定した収入を得られない賞金稼ぎ、あるいは傭兵ようへいの皆さんのようなボロの上下に、ぼろきれをマントにして、寒さから身を守る姿だった。

 まだ幼さを残す人物を含めて、疲れた顔をしていたが、共通しているのは、何かに怒っていると言うところ。

 いや、耐えていると言い換えたほうがいいだろう。男達は、一軒の廃墟へと吸い込まれていった。

 入り口に、同じく寂しそうな衣服の若者がたちはだかる。


「深ききりの彼方より――」


 低く、目の前の若者にしか聞こえない声で、つぶやいた。

 二人組みは、即座に答える。


「「――十人の英雄、来たれり」」


 合言葉なのだろう、立ちはだかっていた男は無言で扉から退き、二人組みを迎え入れる。

 壁からは、隙間風がぴゅー、ぴゅーと、吹き込んでくる小汚い木製の小屋に、すでに数名が、焚き火を囲んで座っていた。

 廃墟に集まったのではなく、これが彼らの住まいである。

 一人が、口を開いた。


「………そろったみたいだな」

「あぁ、それでは、定例会合を始めよう」


 数名はボロ布をかぶったままで、顔立ちはよく分からないものの、一人は完全に素顔をさらしていた。

 年のころは、この集まりでは年少に分類される、まだ二十歳に届いていないかもしれない青年だ。髪の毛はブラウンで、とても癖が強く、ヤマアラシのようだ。

 出席者の一人のようだが、どうにも雰囲気が異なる。そして、集った五名ほどのメンバーは、ヤマアラシヘアーの青年に、向かい合うように座っていた。


「ハイデリック………ベールディンの王都に、他の町の様子。隣国ギーレベルデの様子さえ、お前がいなければ知ることが出来ないままだ。感謝している」

「そして………知ったからこそ、今は待つべきだと、仲間たちを抑えていられる。次に帝国が動くときが、俺たちの立ち上がる時だと………時期を待てと」

「だが、その兵には、俺たちベールディンの同胞もいるんだぞ。本当に、それまで待つつもりなのか」

「守護者の子供達もだ。前にも話したが、不幸な子供達なんだ。どうにか、救えないか」


 口火を切ると、もはや止まらない。出席者達は、口々にヤマアラシヘアーの青年、ハイデリックへと言葉を浴びせる。

 ただの会合と言うよりは、ハイデリックと言う青年への報告。あるいは、願いを口にしているかのようだ。

 すがるべき相手へ、願うように。


「あれは、俺たちの敵だ」


 ハイデリックは、答えた。

 熱血漢が集まるこの会合に、一人、落ち着いているように見える。ハイデリックの言葉は短いが、それがむしろ、重みを与えている。

 それでもと、一人が言い募る。


「だが、お前たちと同じ、守護者の子供達なんだぞっ」


 ハイデリックは、静かに前を向いたままだ。

 守護者。

 滅びたとはいえ、ベールディンの平和を長年守ってきた、宝玉術の使い手のことだ。

 生き残りは、わずかな子供だけ。その子供の成長した姿がワーレッジであり、ネイベックである。

 ハイデリックもまた、その一人のようだ。

 若者達が、ハイデリックに敬意を払っている理由であった。


「俺たちは、弱い」


 ハイデリックは、答えつつたきぎの中に手を入れた。

 人であれば、手が焼け爛れてしまう、危険な行為である。赤々と燃える木材を、素手でつかんだ。


「助けたい。その気持ちが………俺たちを殺した」


 握りつぶした。

 火の粉が、わずかに飛び散る。簡単に砕けるはずがないものが、砕けた。ハイデリックが人でありながら、人の域を越えた存在である証だ。宝玉を手になくとも、力の持ち主は、力を持っているのだ。宝玉は、その力を高める道具に過ぎない。

 ハイデリックは、砕けた木片を、パラパラと地面にばら撒いた。

 その手を、男達に見せた。


「俺たちは、弱いんだ」


 わずかに、出血していた。

 無茶をしたということだ。ハイデリックの激しい怒りが、悔しさが、そうさせたのだ。

 救いたいと。

 しかし、救ってはいけないと。

 ハイデリックの本心は、この場に集う若者達と等しいと、示していた。

 救った後を、知っていたからだ。


「………ディーアミグアの難民………か」


 ハイデリックに言い募った若者たちが、悔しそうに口を紡ぐ。

 七年前になにが起こったのか、それは、誰もが知っていた。

 救おうとした相手に、仲間だと思っていた人々に、背中から刺されたのだ。戦いはいやだという、平和思想の集団だった。

『ディトの教え』に従おうと、過去の罪を償おうとの言葉が、答えだった。

 敵だったのだ。

 そして、ディーアミグアがなぜ、帝国に滅ぼされたのか。その疑問の答えだ。

 内部からの、侵略。

 あとから知った、ディーアミグア王国滅亡の真実。

 古代の戦いは、あくまで過去のことである。なにより、子孫に罪はないのだという言葉によって、ディーアミグア王国は、帝国からの移民を迎え入れたのだ。

 もちろん、反発する声もあったが、皆殺しにすべきと言う極論が出たわけではない。新時代の到来に、逆らえるほどではなかった。

 その結果――


「あぁ、覚えてるさ。俺たちの家族が、友達が殺されたんだ。そして………」

「優しさに、漬け込まれたんだ。誰が敵か分からなくなって、ぐちゃぐちゃにされて」


 ディーアミグア王国の滅亡のあらましはそのまま、ベールディンの滅亡につながる。

 新たな技術、新たな思想、好奇心と友愛の心に漬け込まれ、わずかであっても、王国の内部からもウアルデギドに同調する勢力が誕生した。

 それは混乱を生み、帝国の付け入る隙を生んだ。

 兵士同士の戦いとは異なり、同胞が、背後から刃を突き立てるのだ。

 これは、正義の戦いなのだと。

 あるいは家族が人質になっていたのか、様々な事情が氾濫はんらんを生んだ。宝玉術の使い手もまた、人なのだ。正しい教えを受けたと言い放ち、ベールディンをおそった。

 混乱が、生まれた。

 ここで終わるはずはない、六王国のうち、ディーアミグア、ベールディンはすでに滅んだ。隣国のギーレベルデ王国とは不可侵条約を結んでいるが、長いことではないだろう。


「………繰り返すなってことか」


 声は、沈んでいた。

 救ってはいけない。

 今はまだ、正面から戦えるほど力はない。その力を育てるために、彼らは小さな希望を広めていた。いつか来る、その日を夢見て。

 今、帝国が最も警戒している存在が、彼らだった。森から出ない死に神よりも、彼らの存在が、脅威なのだから。



 *    *    *    *    *    *



 クレーターの岸壁に、月の顔が見えた。

 もう、夜だ。

 カルバ要塞の草原には、明々と松明が照らされている。これだけならば、いつもの夜の風景だが、その全てに飾りがひらひらと、漂っている。

 松明だけではない、クレーターの壁面にあるご家庭の窓からは、シーツや何やらがたれ下げられ、風にらめいていた。お洗濯を取り込むのを忘れたというには、あまりにも盛大かつ、すべての窓からはためいている。

 まるで、何かを迎え入れるための、儀式のようだ。

 その中心である、今宵限りの丸太の祭壇では、山賊と、誰もが思うだろうかぶとのおっさんが、上半身のムキムキをさらして、何かの準備中だ。

 その足元では、笛を手に、いつでも演奏できるというスタイルの、副官オリゲルが座っている。

 どうやら、本番に備えた、最終打ち合わせといったところらしい。

 ライクスの祭りが始まるまで、あと少しだ。

 元の形は定かではないが、ニ面性を表した仮面は、それなりに古くからあるらしい。普段は気のいいおじいさんの姿だが、怒らせると鬼へと変わるのだ。

 それがいつしか、子供に健やかに育ってもらうための祭りへと変わった。


「おや、ニーフレンの姉さん………もう起きたんですか?」


 やぐらの点検をしていた若者が、祭りに誘われるように現れたお姉さんを見つけた。

 揺れる飾りに混じって、オレンジのロングヘアーをなびいている。つぎはぎロングの上下に、皮のブーツと言う味気ない服装ながら、むしろスタイルのよさが引き立つ。

 年齢は、二十歳を超えて、少しと言うところ。やぐらの点検をする若者達より年下かもしれないが、なぜか、姉さんなのだ。

 それは、振り向く仕草が、発せられる言葉で納得する。


「おいおい、せっかくの祭りだろ?むしろ、呼びに来やがれって~のっ」


 腕白ボウズの印象を受ける、にっこりとした笑顔は元気な性格を現す。言葉もふさわしく、はっきりとして、正に、姉さんと言うお姉さんだ。


「違いないや、夜番って言っても、そろそろ起きる頃だし」


 話から、ニーフレンのお姉さんは夜番という役割らしい。ぞろぞろ、背後から寝起きと言う姿の面々もついてきていた。

 彼らは、カルバ要塞入り口の、夜の見張り番の方々だ。普段は、騒ぎを気にせずに眠れる、居住区画とは反対方向に住まっているが、祭りの気配に逆らえるわけもない。


「ところで、ハイデリックは――って、国中を回るんだから、間に合わなかったのかな」

「久々に、四人の守護者が揃うって、思ったんだけどな~」

「まぁ、祭りに守護者が挨拶って………そりゃ、大人の話さ」


 最近まで、子供の側だったお姉さんは、もはや興味を失ったらしい。話の途中で、キョロキョロし始めた。

 風に混じって、甘く、かぐわしいお菓子の香りが漂っていたのだから、当然だ。


「へっ、へっ、へっ、ダメですよ、後のお楽しみなんですから」

「でもまぁ、つまみ食いくらいは………」

「ライクスの鬼が見てますぜぇ~………って、姉さんには通じないか」

「そうだな、姉さんって呼んでもいい年になったんだ。たしか二十二歳だ――」


 愚か者が一人、宙を舞った。

 女子の年齢を口にしようとした、むくいである。回りの皆様は、いつものことだと気にしない。そして、ニーフレンのお姉さんも、もはや気にしていない。視線はすでに目当てのものを見つけていた。

 出来立ての、小さな丸太の山が、テントの向こうに消えていく。

 祭り関係者の、控えのためのテントの一つだった。うらやましそうに消え去るのを見つめる、ニーフレンのお姉さん。

 丸太を切断したような、ぐるぐる巻きの単純なものである。だが、この日にしか目に出来ず、口に出来ないとなれば、甘いものが栄養源の女の子には、たまらない。

 ライクスの祭りだけに登場する、焼き菓子だ。


「女の子たるもの、甘いものには勝てないってね~」


 言いながらも、ふらふらと、クッキーの山に吸い込まれていくニーフレンの姉さん。

 同じく、焼き菓子に釣られたのだろう、テントの周りには、ワラワラとお子様達も群がっている。だが、そのお顔はキョロキョロと、何かを探しているようでもある。

 警戒中なのだ。

 何しろ、ライクスの仮面をかぶった鬼達が、いつ、どこから現れるか分からない。大人が、近づいてはならないというテントが怪しいのだが、小さなお子様には、そのテントの向こうが、鬼の住む世界につながっているように見えて、近寄れない。

 甘い香りと、大人のイジワルと、そして、お子様達の鳴き声が合わさる祭りこそ、ライクスの祭りだ。


「おう、ワーレッジじゃん――」


 テントの中、ニーフレンの姉さんが焼き菓子を両手にしたところ、淡い水色ヘアーの少年が、そろり、そろりとテントにやってきた。

 一方のワーレッジは、大慌てだ。

 ばれちゃうだろう――と、身振りで静かにするようにと、ニーフレンの姉さんに指図する。そのお顔は、イタズラを仕掛ける、真剣なるお子様の顔であった。

 どちらも、カルバ要塞の皆様に頼りにされている宝玉術の使い手なのだが、今は、お子様に戻っていた。

 唐突に、ド~ん、ど~ん、ど~ん………――と、太鼓の音が響き渡る。


「お………太鼓の音」

「え………ちょ、急がないと」

「ほれ、ワーレッジの木箱は、そこだよ」

「あわてて、仮面のつのを折るんじゃないよ」


 そうする間に、やぐらから、大きな太鼓の音が響いていた。

 大人たちの手伝いで、ワーレッジは布をかぶり、そして、仮面を受け取る。


「ねぇ、これでいかな?仮面、逆になってないかな?」

「大丈夫だって、まだ、早打ちじゃないだろ?それより、あわてて転ばないようにネ?」

「ワーレッジに限って………って、モルテちゃんが絡むと、子供に戻るんだったな」


 余裕の大人に混じって、ワーレッジは楽しみで、不安で、本当に祭りを楽しんでいる姿である。

 一方の大人たちは、ようやくテントに入ってきた。この太鼓の音が鳴ってから、テントに集合。あらかじめ木箱にしまっておいた布地を頭からかぶり、仮面をつけて完成だ。

 ひらひらの飾りをつけただけの簡単なもので、駆け回ったり、両手を広げたりすることで、大きく、不気味に見えるのだ。

 凝っているのは仮面である。おひげを逆さにすると、それは角となる。優しげな老人の笑みが、怖い鬼の顔となるのだ。

 ライクスの仮面という。

 彼らベールディンの民が長年、つちかったもの。笑顔の仮面の軍団が子供たちを取り囲み、いい子だったのかと、たずねるのだ。

 お子様達の泣き声と、大人たちの笑い声との対比が、特徴的だ。

 どん、どん、どん、どん、どどどどど………太鼓の音が、早打ちに変わった。いち早く気付いたのは、ワーレッジ………では、なかった。


「よっしゃ、行くぞ、ものども」


 いつ、お前がリーダーになったのだ。そんな仮面の皆様の視線を集めたのは、とても請ったつくりの仮面だった。

 ワーレッジの、ご近所さんだ。

 本気すぎると、ワーレッジが奥様に注意した仮面だが、ほとんど変化は見られない。おそらく、本人は妥協したつもりだろうが、あまりの職人技に、素人の目には全く同じに見えるのだ。

 ちょっと、怖いと。

 どどどどど………-―と、太鼓が、早鐘を打つような音を響かせる。鳴らしているのは、山賊に違いないと、誰もが思う頭巾のおっさん、ブローニックである。

 ついでに、笛の音まで響き渡り、焦る気持ちを高めてくれる。広場からは、早速お子様達の鳴き声まで聞こえ出した。


「ほれほれ、おっちゃんがバテちまうよ、早く行けって」


 両手に菓子を持ったニーフレンの姉さんが、野良犬を追いやる仕草で、仮面の皆様をけしかける。


「………モルテの分まで、食べないでよ」


 ワーレッジは言い残すと、駆け出した。

 いよいよ、本番だ。


「あっ、もうみんな、集まってる」

「なぁに、取り囲んで脅しつつ、ターゲットを確認するのがいつもの手だ。ワーレッジだって、初めてじゃないんだから、落ち着いていけ」


 ワーレッジたちがテントから飛び出すと、すでに他のテントからも仮面たちは飛び出していた。一番近いテント組みは到着しており、さっそく、大人vsお子様の攻防戦が、始まっていた。

 ひらひらと、飾りを大きくはためかせながら、ワーレッジとご近所さんは、急いだ。

 ワラワラと、子供達の周りにライクスの仮面の皆様が群がり、そして、お決まりのセリフを吐きながら、目当ての子供を捜していく。

 ひそかに、日ごろの恨み?を晴らそうとしている御仁もいらっしゃるようだが、基本的には集団で脅して回るのだ。


「ほぉ~ら、いい子にしてないと、ライクスの仮面が逆さになっちゃうよ~」

「ほらほら、もう斜めになってるぞぉ?」

「だってさ、ほら。ライクスの鬼になっちゃうよ。いい子だったかなぁ?」

「「「「いい子にしてたかなぁ~」」」」


 その判断は、ご近所の皆様にゆだねられる。

 子供をお持ちの方が中心で、子供達を広場に集め、その周りをライクスの仮面の皆様が取り囲んでいた。

 目当てを見つけたライクスの鬼は、執拗にお子様を追いかけることもある。

 少し大きな子供などは、反撃を始める。筆頭は、銀色のロングヘアーの、小さな女の子。元気一杯の、モルテちゃんだ。


「お兄ちゃんでしょ、その仮面。モルテ、なにか彫ってるの見たもんっ」


 腰に手を当てての、お怒りポーズである。

 なのに、可愛らしい琥珀こはくの瞳には涙がたまっていた。

 淡い、水色ヘアーのライクスの鬼が、目の前だ。まだ、おじいさんのお顔なのだが、お子様には、ライクスの鬼がそこにいる、それだけで、怖いのだ。

 後ろでは、ニルミアお姉さんが、必死に笑いをかみ殺していた。

 代わって援護えんごをしたのは、ご近所の奥様だ。


「モルテちゃんは、ちゃんとお手伝いしてるもんねぇ~?」


 ただ、本気さは、一切伝わってこない。大人にとってはお遊びなので、仕方がない。


「ほ~んとかな~?」


 ワーレッジであると、モルテが見破ったライクスの鬼は、違うよ、鬼だよと、つたない演技を続けていた。

 イジワルではなく、モルテが可愛いからだ。


「モルテいい子だもんっ、お兄ちゃんにちゃんと、優しくしてるもんっ」


 モルテちゃんは両腕を精一杯伸ばして、ぶんぶんと振り回して、抗議していた。銀色のロングヘアーも、ばさばさと大騒ぎしている。とっても、気の強いお子様だ。


「ふぅ~ん、いっつもワーレッジ君には生意気言ってる気がするけど?」


 ニルミアお姉さんは、楽しそうにイジワルを言う。

 とっさに、たまにだと自白をするモルテちゃん。自分に執拗に迫るライクスの鬼がワーレッジだと察していながらも、まだ七歳の子供なのだ。必死に涙をためて、強がっていた。

 方々で、こうした攻防が繰り広げられていた。

 ご近所の奥様の腰には、悪ガキ様がスカートを引っつかんで、大暴れだ。


「オレ、いい子だっただろっ、いい子だったって、言えよっ!」


 悪ガキ様が半泣きで、えらそうに命じている。

 全然いい子に見えないのだが、一杯に涙をためて、これはこれで可愛らしい。しばらくは、言いつけを守るいい子になるだろう。

 数時間か、数日かは、それは個人差である。

 悪ガキ様に追いすがるライクスの鬼は、ほんとだな~、ほんとだな~っと、大はしゃぎだ。

 いい子でいなければ鬼になるといって、ライクスの仮面を逆さにするのがお約束だ。いい子にも、これからもいい子であるようにと、お願いするためだ。

 ただ、ご近所様の鬼の仮面は本気すぎ、見守る大人達も、少し引き気味である。いたるところで、すでに仮面の仕掛けは披露され、鬼の仮面へと変わっていた。

 とある場所限定では、ライクスの鬼は全て女性だった。


「ほぉ~ら、ネイベック君も、わかったのかなぁ~」

「お姉ちゃんの言うこと、聞いてたかな~?」

「「「「「「聞いてたかなぁ~」」」」」


 十三歳男子に向かって、いい性格をしている。ネイベック君十三歳は、半ばあきれたまなざしで、女性たちを見つめていた。

 そして、宣言した。


「オレはもう大人なの。十三歳なのっ」


 お前らに用はない。

 柔らかな黒髪のショートヘアーの少年はそう言ったのだが、それは悪い子のセリフである。お姉さん達の前だからか、ネイベックの言葉遣いが子供っぽい。本人は気付いていないのだろう。先ほどのモルテちゃんと同じく、両腕を振り回した、お子様の必死の主張であった。

 まだ、怖いのかもしれない。


「そ~んな生意気言って、いいのかなぁ~?」

「「「「いけない子だぁ~」」」」


 ネイベックに群がっていた鬼さんたちは、それを合図に、飛びかかる。

 いかに宝玉の力を扱うネイベックと言えど、お世話になりまくったお姉さん達が相手である。むげに出来るわけもなく、もみくちゃにされていた。

 なお、ライクスの鬼は子供に触れず、ひたすら脅し、お願いをするのが役割である。鬼の仮面をかぶったお姉さん達は、すっかりとお忘れのようだ。仮面も、かなり手を抜いている、顔を隠すだけのものであるし、いつもの光景といっていいだろう。

 そこに、若い男の鬼が現れた。

 なぜか、笑顔の部分のない、純粋な鬼の仮面だった。


「ほうほう、お姉さんの言うことを聞かぬとは、悪い子だなぁ、あ?」

「そうだ、そうだ。お前ばっかり………悪い子だ」

「ちきしょう、お前ばっか、お前ばっか………」

「「「「「悪い子だ、悪い子だぁぁあああああああああっ」」」」


 集団だった。

 十数名の鬼が、現れた。

 鬼の名前は、嫉妬しっとと言う。一部、涙を流していた。ネイベックがはべらせている?鬼の中に、意中の女性でもいたのかもしれない。

 いいや、いなくとも同じであろう。リーダーらしき鬼が、叫んだ。


「日ごろのうらみ、やっちまぇええええっっ!」

「「「「「「おぉおおおおおおおおおっ」」」」」


 普段は気のいいお兄さん達、少し年上の仲間たち。今は等しく、嫉妬と言う鬼の仮面をかぶっていた。

 鬼ごっこが、始まった。


「ねぇ、ねぇ、あれもライクスの鬼?」

 

ライクスの鬼を怖がっていた子供が、妙な鬼の皆様に不思議顔だ。やさしく抱きしめた母親は、温かな瞳で鬼の集団を見つめる。


「あれはね………若さって言うのよ」


 意味の分からないお子様は、ますます混乱する。

 若さと言う特権が、草原を大運動会していた。

 その間にも、草原には子供の泣き声に、太鼓の音が響いている。だが、この時間は、とても長いようで、実はとても短い。

 早鐘のような太鼓の音は、唐突に鳴り止んだ。

 子供達の泣き声がピークになった頃を見計らっているらしい、誰が合図を出すのか、それはもちろん、長老のばあ様だ。

 カルバ要塞の議長であり、祭事の進行役でもある。身振りで合図を送り、そして、やぐらで太鼓を鳴らすおっさんに伝わる。

 鬼達は、いっせいにテントへと戻ってゆく。代わりに、山盛りのライクスの祭りの焼き菓子が登場するのだ。

 鬼たちと約束をしたお子様達に、ご褒美として配られる、お菓子の山だ。

 フィナーレとして、中身がいなくなったライクスの仮面や衣装をやぐらに放り投げ、火を放つ。炎が風を起こし、飾りが揺れて、揺れて、ライクスの鬼は故郷へと帰っていくという流れなのだ。

 せっかくお菓子をもらえたというのに、燃え盛るやぐらを見る子供達には、複雑な味がすることだろう。ニーフレンのお姉さんだけ、先にほおばっていた。

 ちょっと、食べすぎだ。



 *    *    *    *    *    *



 秋の月が窓を照らし、冷たい石畳に、窓枠の影が伸びる。

 牢獄のような場所であるが、正しくは、ウアルデギド帝国の兵舎の一つである。これで絨毯じゅうたんや、イスやベッドを運び込み、そして暖炉に火をともせば、たちまち頑丈な兵舎になるのだが、ここには何もなかった。

 秋ともなれば、昼間でも暖炉は赤々と燃えて欲しいものだが、夜になった今も、たきぎがくべられた形跡はない。家具も、何もないそこに、子供達が固まっていた。身につけているのは、囚人服のような、粗末な衣服だけだ。互いを抱きしめあうことで、暖をとっていた。

 帝国軍に所属している、宝玉術の使い手たちであった。

 帝国にとっては、侵略した土地の子供と言うだけではない、政治宣伝に有効な道具であり、彼らにとっては未知の力、宝玉の力を使う、貴重な戦力のはずである。

 なぜ、このような囚人扱いなのか。

 それは、宝玉と言う力への、すさまじい嫌悪感が理由である。

 彼ら帝国が、古代の戦いの敗北後、数百年の貧しさを味わった元凶と言う考えである。それだけでなく、彼ら帝国からは、宝玉の力を扱うような力の持ち主は、生まれていない。

 ディトの教えもあいまって、呪われた力の使い手、帝国に災いをもたらす存在と言う扱いなのだ。

 ベールディン王国に生まれ、帝国に育てられた子供達は、自分達が呪われた子供だと言われ、蔑まれて生きてきた。

 そんな仲間から、一人だけ、離れている少女がいた。

 暗黙のルールのようなものだ。叱責を受けた仲間に近寄れば、自分もあおりを受ける。

 なら、黙ってみているしか出来ないのだ。

 いや、一人だけそばにいた。


「ラーネリア、大丈夫?」


 小さな男の子だった。

 おずおずと、語りかけてきた。


「エーレック、大丈夫だよ。おねえちゃん、強いんだから………」


 弱々しい言葉ながら、少女は笑顔を見せようとする。淡い金髪に、オレンジの瞳の、名前をラーネリア。帝国兵たちには、一度も名前を呼ばれない、奴隷の一人。ベールディン出身の使い手では、年長者に当たる。その上、発する力は、ラーネリアが言ったように、この中では一番なのだ。そのため、バルガデアンの直属であった。

 おかげで八つ当たりを受けていた。

 だが、ラーネリアたちは、それが当然の報いなのだと、育てられてきた。

 そして、次を育てる。

 そばにいる男の子、エーレックはまだ、未熟なようだ。不満を、悔しさを口にした。


「あいつ、ラーネリアがいなきゃ死んでたのに………」


 いいながら、力を送る。

 治療に役立つわけではない。それでも、暖かさは伝わる。横たわるラーネリアは、弱々しく腕をのばし、エーレックの頬に触れる。

 優しくなでながら、諭す。


「エーレック、だめよ、そんなことを言っちゃ。私達、罪人なんだから」


 その言葉は、エーレックに納得の行くものではなかった。

 それでも、ラーネリアの言葉に、うなずくしかない。生きるために、従うしかない。今、生き残っている子供達は、従う選択をした子供たちなのだから。他の選択をした子供は、ここには、いないのだから。


「でも、死に神に見つかった子は、死んじゃった。ねぇ、ラーネリア、ここから――」


 エーレックの言葉は、ラーネリアにさえぎられた。

 そっと優しく、抱きしめられたからだ。


「ありがとう、エーレック。昔も、そう言って私達を逃がそうとしてくれた子がいたよね。だけど、ついていった子達がどうなったのか、知ってるでしょ」


 エーレックは、答えられない。

 ラーネリアの胸元に抱きしめられ、言葉をさえぎられたからだ。自分達のほかに誰もいなくとも、言葉にすることすら、出来ない。

 代わりに、ラーネリアは、言葉を重ねる。


「悪いのは、帝国じゃない。私達なんだから」


 答えられない。

 今度はラーネリアがさえぎったわけではなく、答えるための言葉を、持ち合わせていないためだった。


「そして、悪いのは、死に神を倒せなかった私たちなの」


 エーレックには、分からなかった。

 だが、ラーネリアが言うのだから、そうなのだと思うことにした。悪いのは罪人の子供の自分達で、もっと悪いのは、死に神だと。

 こちらを見ているだけの仲間も、違うとは答えない。だから、悪いのは死に神なのだろうと。

 少女ラーネリアは、それでも仲間にだけ、教えた。


「あのね、死に神の森には、二人いたの。私達と同じくらいなのが、一人と………」


 バルガデアンに警告しようとして、さえぎられた話であった。力は同等でありながら、なぜ戦わなかったのかと。

 確かに、戦えたかもしれない。防御のために力を削られたが、あの場の全員が力をあわせれば、勝てない相手ではなかったのだ。

 同等の使い手が、一人だけなら。

 ラーネリアは、バルガデアンにさえぎられた警告の続きを、語った。


「あとの一人とは、絶対に戦っちゃダメ。あれが、死に神なんだ。帝国兵の皆さんで戦っても、絶対勝てない。もっとたくさん呼んでもらうように、お願いするの」


 バルガデアンに伝えようとしたが、怒りを買ったため、伝えることが出来なかった。せめて、仲間に知っていてもらえば、何か役立つかもしれない。暴力を振るわれる日々、罪人だと、蔑まれる日々。それでも、ラーネリアは帝国に忠誠を誓っていた。


「だから、今度はがんばろうね。みんなで死神をやっつけたら、私達はこれからも罪を償うことができるんだから『ディトの教え』をみんなで――」


 罪をつぐない続ければ、いつか幸せになれる。

 絶望と恐怖の合間に、希望の言葉。

 家族を失い、虐待を日常としつつ、新たに家族となったのだ。

 もう、失いたくなかった。

 その気持ちは強く、エーレック以外の心にも浸透していた。

 同じ境遇の仲間同士で、助け合わねばならないのだ。

 ラーネリアの優しさの根底にあるもの、ラーネリアの、本当の気持ちだったのかもしれない。


「ほら、いつもどおりに………『私は、ディとの教えを守ります』――って」

「うん『ディトの教え』を守ります」


 エーレックは、ラーネリアと共に窓を見あげた。

 窓の外では、お祭りの気配がする。その楽しげな光景を、遠く感じていた。この兵舎が町から離れているという以上に、遠く、遠い場所に思えた。




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