第20話 伊藤博文の欧州各国憲法調査日程表

 『総理倶楽部』第18話が伊藤博文の欧州各国憲法調査になりそうな感じで、第17話が終わったので、伊藤がどんなところを巡ったかお話しますー!(とか言っておいて、次回は黒田清隆さんの北海道開拓とか違う話だったりして)(でも、5月2日発売の6月号では総理倶楽部が巻頭カラーで登場とのことなので、楽しみですね)


 ちなみに17話では出番がなかった西園寺公望ですが、西園寺は伊藤博文の憲法調査にくっついていくので、きっと憲法調査回では西園寺の出番があるのではないかなと思ってます!


 ほんのちょっとだけ『伊藤博文』の『初代総理大臣伊藤博文』(https://kakuyomu.jp/works/16816700426203752287/episodes/16816700427048751924)のところに書いたのですが、伊藤は欧州に渡り、シュタインさんたちに法学や行政について学びます。


 第17話のラストあたり、明治15年3月14日に伊藤博文は横浜を出航します。


 『伊藤博文逸話』に書いた気もしますが、この時の船出は岩倉使節団のような華々しい出発ではなく、地味な感じの出発でした。

 岩倉具視さんに見送られ、伊藤は2ヶ月近くの航海を経て、イタリアナポリに到着します。


 その2週間後にはベルリンへ。

 グナイストさんに会って、モッセさんの講義を二ヶ月受けて、その後、ウィーンに行きます。


 ウィーンでシュタインさんと出会い、ドイツ皇帝に会い、8月末から9月上旬まではパリに滞在。


 再び、9月から10月末までシュタインさんの講義を受け、11月から翌年2月までベルリンでモッセさんの講義を受けます。


 一部で「伊藤博文はプロイセンの憲法を参考にしたと言いながら、その地に行っていない」と書かれることがあるようですが、そんなことはなく、ベルリンに何か月も滞在しています。


 さて、明治16年の2月19日に伊藤はベルリンを出発し、オランダ経由でベルギーのブリュッセルに滞在します。

 その後、ロンドンに二カ月滞在。

 パリからモスクワに行き、ロシア皇帝の戴冠式に参列して、その一か月後にナポリから出発して、8月に日本に帰国しました。


 その間にも松方正義に手紙を書いたりしていて、総理たちとの交流が伺えます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明治の総理大臣たち 井上みなと @inoueminato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ