第18話 伊藤博文のエピソード10選

 気軽に読める伊藤博文のエピソード10選を作ってみました。

 このエピソードは前にブログに載せたものです。

 内容は『伊藤博文逸話: 井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎』と被るものも多いですが、気軽に読めるものとして載せておきます。


 津田梅子さんのドラマ「津田梅子 ~お札になった留学生~」ネタで作ったので、幕末の話より明治ネタ多めです。


1.岩倉使節団の女子留学生を気遣い、たびたび、訪問する


 岩倉使節団に参加した津田梅子、山川捨松ら五人の女子留学生を気遣い、伊藤博文は長い船旅の中でたびたび五人を訪ねたようです。


 差し入れを持って行ってあげたり、話をして笑わせたり。

 

 また、使節団員の中にした旧幕臣の書記官が、酒に酔って女子留学生に迫る事件では、伊藤が模擬裁判を取り仕切ったりしています。


2.留学期間は短いものの、英語の勉強は欠かさない


 伊藤博文の英国留学(英国密航)は半年ほどです。

 しかも、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の聴講生という形です。

 (そのあたりは詳しくは伊藤博文のイギリス留学編:https://kakuyomu.jp/works/16816700426203752287/episodes/16816700426975957295 をご覧下さい)


 留学時にお世話になったウィリアムソン教授はイギリス人であり、そこで習った英語は綺麗なものではあったと思うのですが、伊藤の英語はかなりフランクなものだったようです。(外国大使などは伊藤の英語をほめてくれますが、身内はわりと伊藤の英語はフランク過ぎてドキドキしてました)


 ただ、伊藤はその後も海外に行き、そこでたくさんの洋書を買って来たり、英語を勉強したり、終生、勉強を欠かさず、それが英語力・海外の理解に繋がりました。


3.読書が好き

 

 伊藤博文は読書が好きです。

 一つ前にも書きましたが、海外に行くとたくさんの洋書を買います。

 英語の本も翻訳が出る前に、自分で原書を読みます。


 若い頃は頼山陽の『日本外史』が好きでした。

 明治以降の伊藤博文が良く持って歩いていた本として言われるのが『ザ・フェデラリスト』です。


 『ザ・フェデラリスト』はアメリカ政治思想の古典論文集です。


4.キラキラしたもの大好きで子どもっぽい


 伊藤博文が神戸の県知事をした頃、金色の太刀を作って、佩いていたとか、少年に綺麗な格好をさせて従えていたという話があります。


 伊藤はキラキラしたものが好きで、派手なことが好きで、子どもっぽいタイプでした。


 韓国統監になった時も軍服を着てるのですが、えらそうというよりも「伊藤さん、子どもっぽいから、使えもしない剣を下げて軍服着てカッコつけちゃって~」という周りの印象だったようです。


5.寂しがりで人がいないと眠れない


 伊藤は明るく派手好きですが、寂しがりでもありました。


「伊藤博文は高熱でも療養に芸者を連れて行ってはべらせていた」と言われることがありますが、仲が良かった三浦梧楼は「伊藤は女がいないと眠れないんだろう。実際にはそばに置いてるだけだ。本当に報道のように伊藤が女と関係を持っていたら、伊藤の体が鉄で出来ていても持たない」と笑っていました。


 日本内外でもどこでも注目されて、責任が重く、そのため、明治10年代くらいから深酒になっていった伊藤ですが、女好きはそれはもう好きで好きで、短い期間で気に入りの芸者を変えるために『箒』と言われましたが、逆に固定の愛人はおらず、奥様に怒られるので芸者さん以外とはほぼ関係は持ちませんでした。 


6.「伊藤博文に女性を紹介すると地位がもらえる」を信じた人が出禁に。


 「伊藤博文が仮面舞踏会で戸田極子夫人に手を出し、代わりに夫の戸田氏共伯爵が地位をもらった」という新聞の創作ネタを信じ、本当に伊藤博文に女性を紹介して地位を得ようとする人が現れました。


 だいたいの新聞ネタは有名税と放っておきがちな伊藤ですが、これには怒ったらしく、大倉喜八郎の回顧によると出禁になったそうです。


7.高杉晋作の功山寺決起で共に立つ


 難しいことは省きますが、高杉晋作が『功山寺挙兵』をした際、多くの人が尻込みしたり、反対するなる中、伊藤博文は高杉晋作に付いていきます。


 小説などでも「私は高杉さんと行きます!」とよく使われるシーンですが(伊藤の力士隊は30人しかいないと知って高杉さんがガッカリするも、こういうのは勢いが大事だと伊藤を連れて「行くぞ!」としたりとか)、伊藤はこの時の不利な状況でも高杉に付いていくと決めた自分の決断を、後々も誇りに思っていたようです。


8.取り巻きを作らない


 『長州閥』という言い方がありますが、伊藤はこれに当てはまりません。

 伊藤は自分の部下集団を持たないからです。


 伊藤も仕事の世話をしてやることもありましたが「俺は君を国家に奉職する人間として推薦したのであって、俺の部下にするために仕事を世話したんじゃない」と、伊藤に忠誠を誓いたがる人がいても、断りました。


 伊藤の部下というと、明治憲法を作った井上毅と伊東巳代治と金子堅太郎。その他、小松緑ら書記官など数人。後は西園寺公望や陸奥宗光ら部下と同僚の間っこみたいな人たちくらいです。


9.会ったこともない芸者が「伊藤公のお気に入り」言っても許す


 明治の世では「伊藤博文公のお手付き」というと人気が上がるという不思議な現象がありました。そのため、伊藤博文に芸者の初めての相手(水揚げ・みずあげ)を頼む店も多く、伊藤はそれを断らなかったので、たくさんの「伊藤公のお手付き」が生まれたのですが、まったく行ったことない地の、会ったことのない芸者が「伊藤公のお手付き」を自称する現象がありました。


 でも、伊藤は怒るわけでもなく「俺の名を使ってその芸者が儲かるならいいじゃないか」と放っておいたため、伊藤公のお気に入り(自称)芸者が日本各地でわく結果となりました。


 なお、広島に伊藤と芸者の話が多いのは、日清戦争の頃の大本営が広島にあり、この頃、伊藤博文の権力が絶頂だったため、新聞批判も激しく、新聞創作ネタも多いためです。


10.憲法発布式で使う憲法原本を家に忘れる


 2月11日の建国記念の日は、明治憲法『大日本帝国憲法』の発布日です。

 よく錦絵とかに書かれる、この明治天皇陛下が黒田清隆首相に……という憲法原本ですが、あろうことか、伊藤博文は当日朝、持ってくるのを忘れました。


 「もうすぐ式が迫る、どうしよう」という状況になり、部下の金子堅太郎が慌てて伊藤家に取りに行って事なきを得ました。

 伊藤は割とこういうギリギリセーフの幸運がよくあります。

 伊藤は人と運に恵まれた人ですが、これも伊藤に運が味方した場面と言えます。

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