第33話 イギリス留学 1

 ヒュー・マセソンはジャーディン・マセソン商会の創始者の一人ジェームス・マセソンのおいである。


 この頃、ジェームスはスコットランドのルイス島を買って、そこに城を建てて、ルイス準男爵となり、国会議員になっていた。


 なお、ジャーディン・マセソン商会のジャーディンのほうは、ウィリアム・ジャーディンという船医せんいである。


 ジャーディン・マセソン商会はウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンが中国の広州で設立した商会なのだ。


 五人の留学には日本から上海からイギリスまで、ずっとジャーディン・マセソン商会が関わるのだが、ジャーディン・マセソン商会は親切だったのは、ただ好意からだけでなく、日本との貿易を望んでいたからという事情もあった。


「皆さんにはウィリアムソン教授を紹介します。UCLの教授ですから、留学の手助てだすけとしては一番でしょう」


 ヒューは五人にユニバシティ・カレッジ・ロンドンのウィリアムソン教授を紹介した。


「はじめまして。アレキサンダー・ウィリアム・ウィリアムソンです」


 五人は慌てて自己紹介を返した。


 ウィリアムソン教授は、カムデン・タウンのすぐ北にあるチョークファーム駅近くの住宅街に奥さんのキャサリン夫人と息子と娘の四人暮らしをしていた。


 教授は五人の世話をすることはこころよく受けてくれたものの、家族四人で住んでいる家に、いきなり五人の青年を住ませる場所はない。


 俊輔は勝、謹助と共にウィリアムソン教授のところでお世話になり、聞多と庸三は画家のアレキサンダー・M・クーパーのフラットに移ることになった。


 イギリスでの留学生活が始まった五人がまず取り組んだのは英語の学習だ。


 大学に行こうにも、専門の勉強をしようにも、まずは言葉がわからないとどうにもならない。


「これから毎晩、五人のために英語教室を開きます」


 ウィリアムソン教授はクーパーのところにいる聞多と庸三も呼んで、夜だけでなく、時には朝も英語を教えてくれた。


 教授というと、年齢が高い人と思われがちだが、ウィリアムソン教授はまだ39歳である。


 五人のイギリス留学の保証人になってくれた大村益次郎と同じ年で、聞多とは12歳しか年の差が無かった。


 ウィリアムソン教授はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の教授で、25歳の時に教授になった英才である。


 ドイツのハイデルベルク大学にも留学しており、イギリスの著名な化学者だった。


 しかし、なんでも恵まれた人という人ではなく、右目が失明していて見えなかった。


 腕も左腕が小さい時から麻痺してほとんど動かない。


 そんな状況でありながらも、ウィリアムソン教授は努力を重ね、25歳の若さで教授になったのである。


 そして、ウィリアムソン教授は極東からやってきた日本人をこころよく受け入れた。


 長州ファイブはイギリスでも最先端にいる学者に、勉強を見てもらえるという幸運を得たのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る