第34話 イギリス留学 2

 教授に教えてもらってばっかりでなく、五人は自分たちでも勉強をした。


「これなんて読むと思う?」

「ちょっと待て、辞書引くから」


 英語の新聞を見ながら辞書を引き、必死に現地で使う言葉を習得しゅうとくした。


 俊輔たちが使っていた辞書は『英和対訳袖珍辞書』《えいわたいやくしゅうちんじしょ》。


 五人が日本を出る文久二年に発売された、953ページもある日本初の本格的な英和辞書である。


 この辞書は長崎生まれの通詞つうじ堀達之助ほりたつのすけが、西周にしあまね箕作麟祥みつくりりんしょうたちの協力を得て作ったもので、俊輔が留学に持ってきた本の一つだ。


 この辞書が無ければ、俊輔たちは英語の勉強の手がかりもなかったであろう。


 五人は朝と晩はウィリアムソン教授に英語を学び、昼は自分たちで英語の勉強をして、とにかく必死に英語を学んだ。


 イギリスに到着して二ヶ月経った頃。

 

 五人はウィリアムソン教授が教えているユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に聴講生ちょうこうせいとして入学することになった。


 聴講生とは正式な学生とは違い、ある授業だけを聴くことが出来る資格を持った生徒である。


 単位を取る普通の学生ではないものの、幕末のサムライがイギリスに行き、イギリスの大学の授業を聴くなど、異次元のような話だった。


 なにせ五人がUCLに入学した文久三年は、日本では新選組が結成された年なのだ。


 そんな時代に俊輔たちは外国人に混じって、ロンドンのど真ん中にある大学に行くことになったのである。


 UCLはイギリスの哲学者であり法学者であったジェレミ・ベンサムが「すべての人に開かれた大学を」と理念りねんで作った大学だった。


 すべての人というのは、外国人でも、イングランド国教会教徒でなくても、という意味だ。


 それまでイギリスに古くからあった大学は、入学するのに資格制限があった。


 しかし、UCLはベンサムの考えで、自由で開かれた大学として作られた。


 もし、UCLが無ければ、俊輔たちがイギリスで学ぶことは出来なかっただろう。


 ベンサムは明治日本に様々な影響を与えた人物であるが、すでに幕末に日本人が初めてイギリス留学した頃から、日本に影響を与えていたのである。


 UCLはその後、薩摩の留学生も受け入れており、日本の近代化は、人種・宗教を問わずに学ばせてくれたUCLに支えられたとも言えるだろう。


 さて、五人は聴講生になると、まず分析化学ぶんせきかがくを学んだ。


 後の伊藤博文のことを考えると、政治家であり、憲法を作る人になるのだから、化学ではなく、法律を学んだほうがいいと思うのかもしれない。


 しかし、昔から『法律の文章は悪文あくぶん』と言われている。


 悪文というのは、ヘタでまとまりがなくわかりにくい文章ということだ。


 実際、日本人が日本語で書かれた法律文を読んでも読みづらい。


 まだ、イギリスに着いて二ヶ月の俊輔たちが、慣れない英語で学ぶには法律文は難しすぎた。


 それに比べて化学は実験なのでわかりやすい。


 文学のような宗教的背景しゅうきょうてきはいけいによる理解のちがいといったものもなく、どの国の人間でも同じ結果が出る。


 そして、近代文明に触れるには化学というのはとても良い学問だった。


 外国の文明がどれだけ進んでいるか、目で見てわかる。


 しかも、五人がお世話になっているウィリアムソン教授は博士号を持つ化学者だ。


 五人が初めて大学で学ぶには一番合った学問だったのである。

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