下
ロッカールームは今まで味わったことのない不思議な空気だった。
誰もが強く悔しさを滲ませていた。しかも自分たちの精神的弱さが招いた負けで、実力的に決して劣っていたのではない。皆、俺と同じような後悔の念を抱えていたのだろう。だけど……だからこそなのかもしれないが……皆、感情をストレートに表現することが出来ずにいた。
そこに監督が入ってきた。
「お疲れさまだった、今まで良く頑張ってきたな」
そう言うと監督は俺たちに対して頭を下げた。
監督が頭を下げた?……そんなことは、有り得ないことだった!いつだって傲岸不遜、帝王のような顔をした独裁者、チームの勝利にしか興味がない人の心を持たない存在だと、皆思っていた
「……最後の負け方は残念だったな。それを、それぞれのこれからの課題にしていって欲しい。……以上だ」
監督がロッカールームを後にすると、俺たちの感情は爆発せざるを得なかった。
皆、隣のチームメイトと泣きながら笑っていた。誰もが今までの辛い日々を思い出していた。……いや、たった今の監督の言葉でその辛かった日々の意味が塗り替えられたかのようだった。
結果は全国準優勝、最高のものとは言えないかもしれないが、俺たちの泥まみれの高校生活は最高だった!と思わざるを得ないだろう。
いつもはクールな烏丸先輩のそんな仕草に驚きもしたが、この場面では自然な行為に思えた。
「北川……お前が入ってきてくれて、チームは本当に変わったんだぜ……俺もお前が前にいてくれたからパサーとして成長出来た……。本当、ありがとうな」
流石にそこまでの言葉を掛けられるとは思っていなかった。先輩たちを差し置いて2年の俺が泣くのは違うんじゃないかと思い、感情をセーブしていた俺だったが……この言葉にはやられた。
「……そんな、俺の方こそ先輩にはお世話になりっぱなしで。ユースのサッカーじゃなくて、高校でのサッカーになったことにどこか引け目も感じていたんですけど……今は胸を張ってこのチームでプレーして、ホント良かったって言えます……」
そう言うと俺は烏丸先輩に抱きついた。未だユニフォームのまま、汗まみれの男同士だったが、他にどうすることが出来ただろうか。
周りのチームメイトたちも皆似たようなものだった。近しいポジション、関係性の深い者同士で感情をぶつけ合っていた。茶化すような声もあったが、茶化している方の人間も目に涙を浮かべていた。
ふと、顔を上げると
その顔を見た瞬間に、先輩との思い出が一瞬で駆け巡った。
……最初は先輩のことをただのヘタクソだと思っていた。だけど、そこからの努力、そして技術以上に大切なものがあるということを教えてくれた先輩の強さを、俺はどう考えても尊敬していた。
「北川……さっきも聞いたけど、何であの場面シュート打たなかったんだ?」
「……え?」
言葉は明瞭に聞き取れたが意味は全く入ってこなかった。まさかこの場面でそれを掘り返されるとは思っていなかったからだ。
それはそばにいた烏丸先輩も同様だった。二人して万寿先輩の顔を見る。
「いや、だから終了間際のゴール前のシーンだよ。自分で一人DFかわせばキーパーと1対1だったろ?なのにお前は消極的なパスをしてチャンスを潰した」
「ああ……そうですね。ホントすみませんでした!」
詳細に説明されて、やっと先輩の言っているシーンが思い出せた。……だけどその時はもう後半のロスタイム。すでに2-4でほぼ負けが決まっている局面だった。
「いや、だから謝んなくて良いから、何でそんな選択をしたのかを教えて欲しいんだ。……それに後半立ち上がりにも絶好機があったじゃねえか?スルーパスで抜け出して完全にキーパーと1対1の。あれも普段のお前なら絶対決めてる場面だぞ?何であそこでいつもの冷静さがなかったんだ?」
何で?って理由を尋ねられても……。これが全国決勝という舞台だったから、俺が所詮はその程度の選手だったから、としか答えようがなかった。
「なあ、万寿!今日はもう良いじゃねえかよ?……せめて今日くらいは!もう俺もお前もこのチームも今日で終わりなんだぜ!……北川のミスは北川が一番分かってるって!」
烏丸先輩が取りなしてくれた。この3人だけ空気が少し違うことに、周囲も気付いたのか、それとなく様子を窺っているようだった。
「……お前は後輩のために言ってやってるつもりなのかもしれないけどよ……」
烏丸先輩が続けた言葉を万寿先輩が遮った。
「はあ、何言ってるんだ?単純に俺は今日の負けが許せないだけだ。その責任が北川にあるってことを俺ははっきりと伝えなくちゃならなかった、そしてコイツがどういうつもりだったのかを俺は知りたかっただけだ」
「万寿!お前言って良いことと悪いことがあるだろ?……それに責任うんぬんって話になれば、まずは4点取られた俺たちってことになる!」
いつの間にか話を聞いていた、センターバックのキャプテンが話に割って入ってきた。
それを機に皆が俺たちのもとに集まってきて、必死に取りなしてくれた。
その後のカラオケでの打ち上げには万寿先輩も来た。
先輩たちは皆楽しそうだった。万寿先輩もカラオケを一曲歌った。音楽なんか全く知らないのだと思っていたが意外と歌は上手かった。
先輩たちは皆打ち上げも後半になると、また感情が高ぶってくるようだったが、試合直後の悔しさを色濃く残したものとは違い、純粋に高校生活を懐かしがっているようだった。
一人の先輩が「最高だった!」と言って、それに誰かが「最高だったな!」と応える……そんな意味のない至福のやり取りをずっと繰り返していた。
次の日、家に帰り自分の部屋で一人になると、昨日のことがまた浮かんできた。
全国決勝で負けた、という事実よりも万寿先輩の表情ばかりが鮮明に思い出された。
そして冷静になればなるほど、万寿先輩の凄さが際立ってきた。
全国決勝、一年積み重ねてきたチームの集大成……そんな付加価値よりも、先輩は純粋に目の前の試合に負けたことが許せなかったのだろう。本人が言ったように「俺たち後輩が来年もっと強くなれるように……」というわけでもないだろう。あの人は多分本質的に他人に興味がない。
(けど、ああいう人がプロになるんだろうな……)
ふとそんな気がした。
全国大会で優勝してもサッカーでプロになれるのは、一部だけだ。
万寿先輩のように異質な精神を持った人間こそが、技術や身体能力や頭の良さなども超えて本当に強いのではないだろうか?そんな気がした。
次の年、3年生7人が抜けた穴は大きく、我が万代高校は、春・冬ともに全国大会に出場するのがやっとだった。一つ上の先輩たちが精鋭ぞろいだったということになるだろうか。練習試合などの様子からは、県大会すら勝ち抜けないんじゃないか?という声も大きかったが、守って守ってカウンターという戦術を徹底し、県大会はなんとか勝ち抜いた。ただ、全国で上に進めるだけのポテンシャルはチームにはもうなかった。
俺自身は「もう高校でサッカーは終わりにしようかな」という気持ちだった。本当に上手くて強くて賢い選手たちを何人も目の当たりにしたからだ。普通に大学に行って青春を謳歌して、普通に就職して、時々周りに「コイツ、サッカーで全国大会出てるんだぜ!」って言われてちょっと得意気な顔をする……そんな人生で充分な気がした。
だけど、高校卒業間近になりJ2の一つのチームからスカウトされた。俺は散々迷った。言うまでもなく年俸は普通のサラリーマンより安いし、3年後に続けていられるサッカー選手は割合的にとても少ない。堅実に将来のことを考えれば普通に大学に行っておくほうが妥当だろう。
だが結局、俺はそのオファーを受けることにする。子供の頃からの「サッカー選手になる、という夢を一応は叶えた!」と思いたかったのだろう。
2,3年でお払い箱になると思って臨んだプロ生活だったが、2年目からはスタメンとして起用され、来年からチームはJ1に昇格することが決まった。20歳にしてまさかJ1でプロとしてやっているなどとは夢にも思っていなかった。
プロになり何人もの一流の選手を目の当たりしてきた。一流と呼ばれる選手は普段の練習の取り組み方、生活の姿勢からして違う。……だがあの時の万寿先輩のインパクトを超える選手とは未だに出会っていない。
万寿先輩は高校卒業後、関東の強豪大学に進んだ。高校卒業時はプロから声が掛からなかったみたいだが、先輩は間違いなくプロになる人間だ。これは俺だけでなく、部の誰もがそう思っていたはずだ。
だが先輩は去年……大学2年の時に、膝に大きなケガを負い選手生活を引退することになったそうだ。
俺自身は高校を卒業してから万寿先輩とは一度も会っていない。先輩のことは当時のチームメイトを通して情報は聞くし、先輩も俺のことも気に掛けてくれているようだが、未だに直接会う機会は作れていない。
今の俺は先輩の目にどう映っているのだろうか?
俺たちの代でプロになったのは俺だけだから、会って話したら少しは持ち上げてくれるのだろうか?どうもそうではないような気がする。「J1で結果も残さないうちから調子乗るんじゃねえぞ!」って言われるのだろうか?……いや、その程度なら普通の激励という感じがする。もっと細かいプレーのダメ出しをされるのだろうか?
あるいは、もう先輩はサッカーの次の道に向かっており、俺のことなんかさして興味はないのかもしれない。
……ああ、その方が万寿先輩らしい気もするな。
それならそれで構わない。先輩が今どんな風に生きているのか、一目でも見てみたい。
(了)
万寿先輩 きんちゃん @kinchan84
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