俺が1年生の時の成績はというと……春は県大会決勝で負けて全国に出場出来ず、秋は全国二回戦での敗北だった。俺はサブメンバーとしてベンチからスタートし、後半流れを変える場面で投入されることが多かった。

 

 万寿まんじゅ先輩も俺と同様にベンチに入っていることが多かった。相変わらず技術は高いとは言えなかったが、先輩がベンチにいると声だけでもチームが締まる……ということなのだろう。実際、万寿先輩が起用されるのはFWでありながら勝っていて守備固めをするような場面が多かった。確かに前線からの守備、相手守備陣で回されるボールを追いかけまわすのに先輩以上に迫力のある人間はいなかった。


 次の年になるとチームが一新し、万寿先輩と俺とがツートップとしてスタメンになることが発表された。

 その頃になると、3年生になった万寿先輩を疑問視するような声はチーム内にはほとんどなかった。足元の技術も向上していたが、チーム内での役割が整理されてきたことが大きい。

 先輩に期待されていたのは、身体を張ったボールキープとクロスに飛び込んでのワンタッチでのシュート、それと前線からの守備だ。ツートップのもう一方の俺に期待されるのは、裏への抜け出しと状況に応じた独力でのドリブル突破だ。

 もう一人、トップ下に入った10番烏丸からすま先輩がパサーとして頭角を現してきたことも大きい。チームとして機能するようになってきた我が万代高校は、春の選抜で全国ベスト4という成績を残した。

 



 練習中や日常生活の中での上下関係は非常にはっきりとしているのだが、試合中だけはその上下関係が無くなるというのが、外部の人間から見たら不思議なところかもしれない。

 試合に勝つことがチーム共通の最大の目標だ。サッカーはとにかく試合中に声を掛け合うスポーツだ。そんな時に「○○先輩!」と敬称を付けて呼んでいては、一つタイミングが遅くなってしまう。だからゲーム中は先輩相手でも「〇ちゃん!」とか「○○!」と呼ぶことが許されていた。

 もちろん俺と万寿先輩は、ツートップとして声を掛け合わなければならないシーンが多い。高校の部活の上下関係に慣れてしまった俺は、最初「万寿!」と呼ぶことに慣れず、試合中にも関わらず「万寿先輩!」と呼んでしまった。その時の万寿先輩は、試合中にも関わらず俺の方に近づいて来て「舐めてんのか、北川!気合入ってねぇのなら、ピッチから出ろ!」と肩を掴んで激怒した。

 そんな場面があると、俺も萎縮した……と思われるかもしれないが、サッカー選手なんていうのは元来が血の気の多い人間だ。ましてや俺は俺で自分の技術と能力にプライドがあった。その一発で吹っ切れた俺は、それ以後試合中は対等な関係になった。

 俺の方から先輩に対して「何やってんだ、パス出せよ!」とか「そこはしっかり止めろよ!ヘタクソ!」くらいに言うこともあった。もちろん先輩の方から俺に対する同様の発言は、数倍に上ったのだが。

 ただ、言うまでもなく試合が終われば先輩と後輩の関係に戻る。普段は先輩を立てるし先輩は後輩を可愛がっていた。イジメに近いような理不尽な上下関係の部活というのもよく聞くが、我がチームでは比較的そういったものはなかった。上下関係は良好だったと言って良いと思う。理不尽なのは、監督だけだった。


 万寿先輩はどこか不思議な人だった。試合中や練習中は俺だけでなく、他の誰に対しても厳しかった。自分にも厳しかった。チームの練習が終わってからも、一人黙々と筋トレしている姿をよく見かけた。だけど普段は寡黙な人だった。チームの皆がバカ騒ぎをしているような場面では、一人ニコニコしているだけだったし、練習以外で誰かと遊びに行ったとかいう話も聞いたこともなかった。

 そんな先輩の姿を見て、理解できないというか怖がっている後輩が多かったような気がする。「万寿先輩ってどんな人なの?」と同学年のチームメイトに何度聞かれたか分からない。ツートップを組む俺なら、何か皆とは違う一面を知っているだろう、という訳だ。……ただ残念ながら俺も皆と同程度の情報しかなかった。

 だがそれでも俺の先輩に対する評価は好意的なものに変わっていった。何よりもサッカーに対して真っ直ぐな人だという印象がより固くなっていたからだ。当初は下手だったにも関わらず、今ではレギュラーのFWとしてチームの中心にいることに誰も異論を唱えはしない。努力でここまでの地位を築き上げた人なのだ。




 そしてチームは冬の選抜で全国大会の決勝にまで進んだ。

 先述したように春の選抜では全国ベスト4という成績を収め、チーム内にはこの大会こそは全国制覇だ!という雰囲気が強かった。守備陣が安定してきたことが何よりのチームの強みだろう。そこからの烏丸先輩と万寿先輩と俺の3人を中心としたカウンターが必勝のパターンだった。

 決勝の相手は静岡の『静岡東』だった。個人技中心の最近の高校サッカーでは珍しいタイプのチームだった。

 試合は俺のゴールでこちらが先制した。カウンターからのロングボールに万寿先輩がヘディングで競り勝ち、ボールを拾った烏丸先輩からのスルーパスに走り込んだ俺がワンタッチで決める……という理想的な流れでの先制点だった。

 追加点は前半終了間際だった。ペナルティエリア直前でパスを受けた万寿先輩は、いつものようにポストプレーで後方の味方にボールを戻すのではなく、反転してミドルシュートをそのまま叩き込んだのだ。

 インフロントに巻かれたシュートは嘘みたいに綺麗な軌道だった。

「見たか、コラァ!!!」ゴールを決めた瞬間の万寿先輩の雄叫びは、相手チームに対してというよりも味方に向けたものだったと思う。実際、相手チームよりも味方の俺たちのほうが信じられないプレーだった。万寿先輩にそんな技術があるとは誰も思っていなかったのだ。


 ハーフタイムのロッカールームはイケイケだった。……そして後になって思い返してみると浮足立っていた。

「サッカーでは2-0で勝っている時が一番危ない」とよく言われる。油断も生じるし、追加点を狙いにいくのか2点を守り切るのか……という迷いも生じるからだ。そして1点を返されでもしようものならば、心理的には逆転したほどに立場が入れ替わる。1点を返し一気に勢いづく相手チームと、迫ってくる相手チームにプレッシャーを感じる自チーム……心理的なプレッシャーは相当のものだ。

 誰もがそんなことは理解していた。「2-0で勝っている時ほどリードを忘れて、いつも通りプレーすべきだ」と皆思っていただろう。監督も「追加点を取りに行くぞ!」とはっきりゲキを飛ばした。だけど……自チームのリードを忘れるなんてことは原理的に不可能だ。冷静であろうとするほど自分たちのリードを意識せざるをえない。

 後半の立ち上がりは依然としてこちらのペースで、立て続けに決定的なチャンスが訪れた。だがそれを決められなかった。俺もキーパーとの1対1を外してしまった。……それでも心のどこかでこういう声が聞こえるのだ。「このまま終われば2-0で勝てるな……」と。相手守備陣にプレッシャーを掛けるために走り回っても、どこか脚が自分の物じゃないような感覚だった。

 後はもうお決まりの流れである。

 意気消沈していた静岡東は後半15分頃の交代選手投入をきっかけに、一気に息を吹き返した。向こうも決勝だから勝たなければいけない……と固さがあったのだろう。それが、チーム本来の個人技を見せつける遊び心に溢れたプレーへと戻ってきた。後半20分に1点を返されると、立て続けに失点し最終的には2-4で敗戦した。




(……こんな終わり方か)

 試合終了のホイッスルを聞いた時、俺にはその出来事がどこか他人事のように思えた。

 あるいは、どこか平行世界に紛れ込んでしまったかのような感覚だ。2-0できっちり完封勝利を収めているのが本来の世界であって、こんなシケた悪夢が現実な訳がないのだ。

 だがほんの数十秒で、俺は理不尽な現実を受け入れなければならなかった。

 試合終了後、両チームの選手はセンターサークルに集まらなければならない。その時直面した現実は「もうこのチームはこれで終わりなのだ」という残酷なものだった。俺自身は2年生だからもう一年ある。だが3年生のレギュラー7人はこれで卒業だ。春からはまた新しいチームになるのだ。それが……こんな終わり方をして良いものなのだろうか?


「北川……お前さっきの場面なんで自分でシュート打たなかった?」

 整列のためにセンターサークルに向かってトボトボ歩いていると、後ろから声を掛けられた。

 驚いて振り返ると、万寿先輩が不機嫌そうな顔で俺を見ていた。

「あ、はい……すいません」

 正直先輩がどの場面のことを言っているのか分からなかったが、俺は反射的に謝っていた。

「いや、すいませんとかじゃなくてさ……何で打たなかったんだ?」

 先輩は不機嫌そうではあったが、感情が特別高ぶって怒っているという感じではなかった。冷静に理由が知りたい、という表情であった。

(……マジかよ、この人。勘弁してくれ)

 だって……たった今、この人の高校最後の試合が終わったんだぜ?

「二人とも、最後整列しようぜ!」

 中々センターサークルに来ない俺と万寿先輩とを見兼ねたのか、センターバックのキャプテンがそう声を掛けてくれた。





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