万寿先輩

きんちゃん

 世の中には色々な人間がいる。

 そんなことは散々聞かされて知っているだろうが、それでも時々その想定を超えてくる人間がいるのは確かだ。

 俺、北川啓治きたがわけいじにとっては万寿まんじゅ先輩がそれに当たる。

 俺が万寿先輩と初めて出会ったのは、万代ばんだい高校サッカー部に入った日のことだ。

 万代高校はサッカーの名門。全国大会の常連だし、優勝も何度もしている県下一の高校だ。

 もちろん、俺自身もそれなりの自信を持ってここに入ってきた。

 俺は中学まではジュニアユースというプロチームの下部組織に所属して、プロに上がることを目指していた。残念ながらそのチームで、次のカテゴリーであるユースに進むことは叶わなかったわけだが、まだまだプロになることを諦めたわけではなかった。必ずや結果を残し、俺を見限ったチームの上層部の奴らを見返してやろう!……と逆に強いモチベーションを持って俺は高校サッカーに入ってきたのだ。


 高校サッカーとクラブユースのサッカー、どちらが強いのか……というのはよく議論になる話題だが、技術的にも戦術的にもプロに直結しているユースの方がレベルは高い、と俺は思っている。

 当然高校サッカーでも俺は早いうちから活躍するつもりでいたし、それが可能だとも思った。練習初日、チームのレギュラー陣を見渡してもそこまでの選手はいなかった。むしろ実際に練習を共にするほど、ジュニアユースで上手かった同年代の選手の方が技術的には一段階上だという印象は強くなった。


 俺自身はそこまで技術のあるタイプのFWではないが、スピードでは誰にも負けたことがなかった。細かい足元の技術・決定力が課題ではあったが、パスの出し手とタイミングさえ合えば、裏に抜け出す動きに関しては絶対的な自信を持っていた。


 万寿先輩は俺が練習に参加した初日から目立っていた。180センチ台後半の長身と恵まれた体格、そして乏しい技術と大きな声がとにかく印象に残った。

「え?あんな下手な人がこのチームにいるの?」

 というのが正直な第一印象だ。

 ユースチームには及ばないだろうが、それでも全国大会常連の万代高校サッカー部。皆それなりに技術は高かった。そんな中で万寿先輩は明らかに技術が足りていなかった。来たボールを止めるトラップ、狙ったところにボールを蹴るキック、というサッカーにおいて最も基本的な技術が周りよりも一段階劣っていたのだ。

 その代わり恵まれた体格で競り合いでは誰にも負けなかったし、いつも闘争心むき出しで声をよく出していた。チームのムードメーカーとして必要な存在かもしれないけれど、何だかんだFWに一番必要なのは技術だ……と俺は思っていたから、万寿先輩のことをやや冷めた目で見ていたのは確かだろう。


 高校サッカーとユースサッカーとの大きな違いは練習量にある。

 ユースのサッカーは論理的・科学的に有効なトレーニングをする。技術・戦術のトレーニングに加えて、もちろんフィジカルのトレーニングもきちんと行うが、あくまで有効な範囲内でだ。

 それに対して高校サッカーがいかに理不尽なものか、というのを痛感するのにさして長い時間は要さなかった。

 練習はまず走りから始まる。ジョギングのような緩いものではなく、グラウンド一周を45秒で走って戻ってこなければならない、というものだ。……しかもそれに間に合わない部員が一人でもいれば、全員でもう一周やり直し、という連帯責任方式のものだ。

 技術練習、戦術練習、実戦形式の練習……を経て最後も走りだ。走り方や時間などは時期によって変わるがとにかく延々と走らされる。監督のその日の機嫌であっさり5キロ追加になったりもする。まるで監督の独裁政治だった。

「俺らは陸上部じゃねえんだよ!」と同学年の部員と何度愚痴りあったか分からない。いや、陸上部でももっと考えられたメニューで走るだろう。辞めていく部員も続出した。皆半端な覚悟で入ってきたわけではないのだ。万代サッカー部が全国常連で練習がキツイことなど百も承知で、それでも自分のサッカーに自信を持って入ってきた部員たちが、練習に耐えられずに辞めてゆくのだ。


 俺自身も辞めようかと何度も思った。もうサッカー自体も辞めて普通の高校生になるのも悪くないんじゃないか……という気になったこともある。だけど、ジュニアユースからユースに上がれなかった悔しさが俺をずっと支えた。ここで逃げたら、あの時の自分が決して許しはしないだろう……そんな気がした。


 万寿先輩の凄さも、その頃になると分かるようになってきた。走りのトレーニングではいつも先頭を走り、チームメイトにはいつも𠮟咤激励の声をかけていた。ミニゲームでは同じFW同士ということで関係することも多かったのだが、実によく怒られた。「プレーに気持ちが入っていない」「死ぬ気でいけ!」……そんな精神論ばかりで、聞いた瞬間は(黙ってろよ、下手クソが!)と思うのだが、実際にその一声で気合が入ることしばしばだった。





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