ずっと年上な弟の君へ。

野良・犬

【ずっと年上な弟の君へ】


 弟…なんて言い方をするのは、お前は嫌かもしれない。

 自分は、良い兄でも、良い飼い主の1人でもなかったはずだ。

 自分よりずっと小さなその体に気付かず、不本意に怪我をさせてしまった事もあった…、今はそんな事ばかりが頭を通り抜けていく。

 楽しかった思い出も、結局は自分の自己満足なんじゃないかと…、ずっと自問自答している。


 散歩の時間、自分が姿を見せると近寄ってくるお前は、その散歩を楽しんでくれていただろうか?


 できる限りの事をしたつもりだが…、足りないと感じる事の方が多い。


 路上に出された下の世話は別に嫌ではなかった…、でも、こっちの都合で、そこでされては困るからと、無理矢理移動させたりもした。

 ソレをしている時、お前はこちらをいつも見上げてくる…、自分が無防備になるから、周りを見ていてくれと、そういう意味があるとかないとか…、それに応える事ができていたか?

 車の往来があるから、無理な時は無理…と移動させた…。

 お前の散歩のお決まりで、臭いを嗅いで回ったり、ひっつきむしが大量に生えている場所に行こうとしたり、お前の毛は尻尾がふっさふさで、後処理が大変だからと、出来る限り行かせないようにした。

 臭い嗅ぎに至っては同じ場所を何分も嗅ぎ続けるもんだから、途中で切り上げさせたりもした。

 散歩の形としては、満点に程遠いかもしれない。

 お前を楽しませるというより、散歩をさせて動かせる…という形を重視してしまった。


 お前とした事の1つ1つが良かったのか…悪かったのか…、頭の中で答えを探し続けている。

 自分が自分に突きつけるのは、正解ではない不正解ばかりだ。


 歳を重ねて爺さんになり、腰を悪くする事もあったお前、もともと家近辺は坂道が多いから、散歩もしなくなった。

 散歩が無くなり、食事をあげて、下の処理をする…。

 お前との関係がより事務的なモノになってしまった。


 時にその体を、わしゃわしゃと撫でまわし、腹を撫でる…。

 元々ボールをどうこうしたりとか、そういった遊びをしなかったし、お前はそういう遊びに乗り気じゃなかったから、ちゃんと楽しませられてたのか、自分にはわからないよ。


 自分がお前にできていた事と言えば、せいぜい自分が食べてるモノをわけてやることぐらいだった。

 冷蔵庫から、野菜が入ったビニール袋が擦れる音がすると近寄ってくるお前、ハムのパッケージを開けると、他の飯時よりも目の色が変わるお前…。

 こっちの食べ物で食べさせられるモノは大して多くなかった。

 美味かったか?


 俺は愛犬家じゃない。

 テレビ越しに見るそういう人達を見ると、なんでそこまでの事ができるのか…正直不思議に思う事の方が多かった。


 昔、ガキの頃、ベッドに寝たきりの祖母にご飯を食べさせてくれとせがまれた事がある。

 小学4年とか3年とか、多分後者かもっと前だった気もするけど、そのうろ覚えの中で、自分は何も考えずに祖母に数回、スプーンですくったおかゆを食べさせた。

 何回かやって、親に自分のご飯を食べろと言われて、途中で切り上げたけど、10年以上前の出来事なのに、その記憶は今でも思い出す。

 なんで食べさせてほしかったのか、今の自分はわかるつもりだ。

 わかるからこそ、後悔が胸に残ってる。

 祖母の…、そんなちっぽけな甘えたお願いも、最後までやってやる事ができなかったバカガキだ。


 でも、結局、そんな後悔を胸に抱いていても、自分は何も成長しちゃいない。

 バカなガキのままだ。


 この数日、お前はご飯を食わなくなった。

 水を飲む事はあっても、用意したご飯を食べる事はない。

 その日の朝も。

 起きて、いつも通りお前の飯を作っている時、お前もいつものように起きて歩き回った。

 よろよろと、ただただ心配になる足取りで動き回った。

 弱々しくても、いつものように歩くお前を見て、ご飯を食べてくれると期待した。

 でも食べない。

 皿を前に置いても、鼻先まですくって持って行っても食べてくれなかった。


 用事があって、自分は家を空けたけど、帰ってきたら、無理矢理にでも食べさせてあげないと…、そう思ってた。


 でも、帰ってきたら、もうお前は眠ってた。

 もう起きない。


 正直、飯を食わないのが続いて覚悟はしてた。

 信じたくなかったけど、そろそろかもしれない…て思ってた。


 最後に、起きて来てくれたのは、別れの挨拶をするためか?

 そんな訳ないよな…、そんな夢物語ある訳がない…。

 自分が飯を用意してくれる…と、本当はご飯を食べに来たんだろ?

 でも、そこにご飯がある事に、いつも通り用意されている事に、気付けなかったんだろ?

 最後くらい、腹いっぱい食って、眠りたかったんだろ?

 実際、どうだったかなんてわかりっこない、確認のしようもない。

 でも、その事ばかりが頭を過る…、頭の中一杯に広がる。

 その時、無理矢理にでも口の中に入れてやれば、そこにご飯があるとわかれば、食べてくれたか?

 腹いっぱいになれたか?

 答えの出ない自問自答が延々と続く。



 自分は、良き兄にも、良き飼い主にもなれてなかった。

 でも、お前という存在は、居なくていいモノじゃなかった。

 そこに居る事が当たり前で、生活の一部だった。

 でも、今、お前の事を考えてると、胸が締まる、涙が出そうになる。


 ああ。

 お前は確かに家族だったんだなと、再認識させられる。


 今まであったトイレシートが、水の入った皿が、ご飯を入れる皿が、片付けられていく。

 大した占有量じゃなかったはずなのに、それらが無くなって、家がとてつもなく広くなったように感じた。


 今日、朝起きても、自分が部屋に入る前にお前が気付いて鳴らす…歩いた時の床に爪が当たる音が聞こえない。

 その小さな音が無くなっただけなのに、無音室にいるかのような静けさが部屋を支配してる。

 飯を食ってる時、自分にもくれ…と近寄ってくる気配がないのが違和感でしかない。

 お前専用の寝床でまだ眠ってるんじゃないかと、錯覚すら覚える。

 自然とその違和感を払拭しようと寝床があった方へ視線が行くけど、それはもう無い…、そこにはもう何も無い。


 もうお前はいない。


 ずっと年上な弟、あっという間に自分の年齢を追い抜いて行った弟。

 自分には写真を撮る習慣がないから、大して形としての思い出は残ってないけど、携帯の中に残った数枚の写真は、一生消える事はないだろう。


 自分の愛情表現の不器用さに苛立ちすら覚える。

 もっともっと…、やり方はあっただろうに。

 全てが終わってから、無くなってから、後悔が押し寄せる。

 どうしようもないと理解していても、考えざるを得ない。


 この胸を締め付けるものは、時間の流れと共に消えていくかもしれない…、でも、この経験を次に生かそうとも思えない。

 次はない。

 この、胸に残っているモノは、お前だけに与えるモノであって、他の誰でもない…、他に手にする奴なんていやしない、いちゃいけない。

 お前にやってられなかった分まで次の奴を…なんて事はあり得ない、絶対に…、絶対にありえない。

 お前の変わりなんているはずがない。


 お前からしたら、解放された事に喜んでたりするかもしれないけど、自分の身勝手ながら、これだけは言わせてほしい。


 自分より、ずっと年上で、爺さんになった弟、16年間、傍に居てくれてありがとう。


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