第3話
山田梨花はドアののぞき穴に右目を寄せた。
小学2年生の時、初めて一人留守番していると『ピンポーン』とチャイムが鳴った。お母さんにはチャイムが鳴っても出なくていいと言われたが、好奇心には勝てずにドアを開けた。そこには色のない綺麗なお姉さんが立っていた。覚えているのはそれだけで気づいたらリビングのソファでぐっすり寝ていた。
「コンコン」
のぞき穴を覗くが、外には誰もいなかった。
「コンコン」
しかし、音は確実にこの扉から鳴っている。
山田梨花は扉に手を掛け、ガチャっと鍵を開ける。
いつもより重たく感じるドアをゆっくり押すと、少し開いた扉の先に影のようなものがちらっと見えた。
びっくりするもドアを全て開けると、誰もいなかったはずの玄関に、色白い青年が立っていた。青年は営業マンのようなキリッとした顔立ちと丸い目が特徴的で、髪はさらっとして清潔感が漂っていた。
「やぁこんにちは。いや、今はおはようかな」
「お、おはようございます。どなたですか?今、外にいました??」
玄関先で話す色のない営業マンとパジャマの高校生。
「うーん、話すと長くなるから。コーヒー飲ませてよ。僕は悪い人じゃないから。」
山田梨花は悪い人じゃないという言葉に一瞬安心をした。それと同時に、この人は今世界で何が起きているのかを知っていると直感的に感じとり、家の中へ上げることにした。
「とりあえずお入りください」
「お邪魔しまーす」
靴を脱ぎながら青年は鼻唄を歌っている。生活音のように一体化した声は、自然と山田梨花の耳に入ってくる。
「♪〜」
「コーヒー入れるので、ソファで待っててください」
「ありがとう、砂糖なしのミルク多めでね」
青年の鼻唄が耳に残る。どっかで聞いたことがある音楽だ。山田花子はキッチンに置いてあるコーヒー豆を見ると、青年の鼻唄が昔コンビニのコマーシャルで流れていた曲だと思い出した。そのコンビニはコーヒーがレギュラーサイズ100円の割りにはしっかりした味だと評判で、冬の帰り道によくコンビニでホットコーヒーを買い、家へ帰るのが習慣になっていた。
そんなことを思い出しながらヤカンに水を入れコンロに火を点けていたら、ソファでくつろいでいた青年が話しかけてきた。
「人生って、選択の連続だと思わない?」
初対面の人との会話としては、重い内容だと思ったが、山田梨花は曖昧に答えた。
「まぁそうですね・・・」
「例えば、今日着る服。スカートかズボンか。ご飯を食べるかパンを食べるか。コンビニに行くか行かないか。小さなことだけどその日スカートを履いただけで人生が変わるかもしれないって思ったことある?」
「そこまでは、無いですね。小さなことは習慣になっているので」
「じゃあ、小さなことは習慣とされた時点で、運命は決まっているってこと?」
「うーん、ちょっと難しいですね・・・」
山田梨花は難しい話をされたら逃げる癖があった。話を広げたくなかったり自分の考えを探られるのがとても嫌だったからだ。そのため自分の話は最小限にするコミュニケーションが山田梨花の合理的な性格を作り上げていた。
「少し質問を変えよう。運命は変えられると思う?」
「今の私には変えられると思いたいです。」
「いい答えですね」
山田梨花は、コーヒー豆をカップに入れ沸騰したお湯を6分目まで注いだ。そして牛乳を取り出そうと冷蔵庫を開ける。
「あ、牛乳昨日で賞味期限切れちゃいました・・・」
「あらら、でも入れちゃっていいや。昨日なら大丈夫でしょ。もしお腹壊したらそういう運命だったって思うよ」
「今なら運命変えられるかもしれませんよ?」
「僕は、変えられないよ。お腹壊すのが必然ってこと」
「そうですか、じゃあ入れちゃいますね」
賞味期限切れの牛乳をたっぷりと入れ、カップをソファに座っている青年に渡す。
「君が知りたいのは、今起きていることだね?どうして家に誰もいないのか・・・とか電気が使えないのは何故か」
ピシャリと当てられて山田梨花は身を乗り出す。
「そうなんです、何か知っています?あなたは誰ですか?」
「僕の名前はヨシオカ。この世界に住んで5年くらいかな」
「この世界とは?」
「今は言えないけど君もそのうち自然に思い出すよ。前の世界に帰る方法もあるから安心して」
前の世界と聞いて山田梨花は目を大きくしてヨシオカに近寄った。
「前の世界!どうすれば戻れるんですか?」
「鍵が必要」
と言うとヨシオカは、シャツを第二ボタンまで外し首に掛けた灰色の鍵を見せる。
「鍵は、一人一つ必ず持っている。僕はこの灰色の鍵。君も鍵を持っているはずなんだ。」
「うーん、見覚えありません・・・」
「だから僕が来た。かっこよく言うと僕が君を助けに来た」
と言い、賞味期限切れの牛乳が入ったコーヒーを啜る。
「それは、頼もしいです」
10分前まで1人不安だけを感じていた山田梨花は、急に現れた救世主のように十分な信頼をヨシオカに感じていた。それは、何処か懐かしく心が安心するような信頼であった。
「ヨシオカさんも、私と同じ世界にいたんですか?」
「そうだよ。だけど僕は君と違って全く前の世界を覚えてない」
「ヨシオカさんは、その鍵で帰れないんですが?」
「この鍵は、赤と青のどちらかの色にならなきゃ帰れないんだよね」と悲しそうな表情をするが、そのまま続ける。
「だから5年近くこの世界に彷徨いている。おかげで色んなことが知るようになったよ。この世界の案内人みたいになっちゃって」
と、くしゃっと笑う。
「前の世界には戻りたくないんですか?」山田梨花は不思議そうにヨシオカに問う。
「僕はもう戻れない。だけどここから進むことも出来ないんだ。だから鍵が灰色のままになっているのかもね」
山田梨花は、言葉を返せずに少しの沈黙が続いた。初対面の人とどこまで距離を詰めればいいのかを分かっている山田梨花には、相手に深入りすることが怖かった。
「どうやって、助けてくれるんですか?」山田梨花は残っている疑問に会話を切り替えた。
「これからこの世界にいる鍵泥棒を探す」
「鍵泥棒?私の鍵ってこの世界の人に盗まれたんですか?」
「おそらく、この世界の鍵泥棒に盗まれたと思うよ」
山田梨花は今までの記憶を必死に思い出すが、さっきまで持っていると知らなかった鍵が盗まれても、気づく訳が無いと思い出すことを諦めた。
「そんな記憶ないけどな・・・」
「もちろん。無意識のうちに盗まれたからね」
「それって、やばい犯罪ですね。ていうか、どうして鍵を盗むんです?お金になるから?」
「この世界ではお金という概念はないよ」
「じゃあ何故?」
「鍵には感情があるんだ。楽しいとか嬉しいとか。鍵泥棒はその感情を求めて鍵を盗む。」
「え、たったそれだけの為に?」
山田梨花は誰にでも持っている感情をなぜ盗むのかが理解出来なかった。その瞬間楽しいという感情はどういうことなのかあまり感じれない自分にも気づいた。
「この世界は基本的に陽の感情はない。この世界で喜びを出すには鍵が必要なんだ。みんな一瞬の喜びを求めてる」
「それって、もしかして薬みたいなものなの?」
「うーん、それに近しいのかもしれない。一度味わったら病みつきになっちゃうかもね」
「ヨシオカさんは違うの?」
「僕は必要ない。無理矢理笑うことはできるし人の物を盗むほど落ちぶれていないよ。」
その言葉を聞いて、山田梨花はヨシオカの信頼度が高くなった。
「えーっと、一旦まとめると、この世界の人が私たちの世界から鍵を盗んでいる。そして私も鍵を盗まれた、ということですか?」
「そうだね、うん、まぁそんな感じだと思うよ多分」
歯切れ悪く答える吉岡に若干の疑問も感じたが、やることが明確になった今はそれに集中しようと思った。
「どうやって鍵泥棒を見つけ出すんですか?」
「君が今まで感じてきた喜びの記憶を使って調べる。この世界のヒントをちょっと言うと、ここの空間は4次元なんだ。君の頭のメモリがあればどの時間軸へも移動できる。ちょっと目瞑ってて」
そう言ってヨシオカは、ズボンのポケットから指輪をはじき出した。
山田梨花は頭に浮かぶ様々な疑問をヨシオカに投げようとする前に、眩い光が目の前に広がり指輪の中に吸い込まれるように私たちは消えていった。
リビングはまた静寂になった。
エモーショナルキラー @karashi123
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