万有引力

清野勝寛

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万有引力



「……ごめん」

 何度もしつこいな。一回言えば分かるっての。

「もういいって」

「でも。まだ梓、怒ってる」

 それは元から無愛想な顔で生まれてきたってだけ。私は昔から同じ顔だ。

「怒ってないって、最初から」

 なんかずっと、こんな問答を続けてる。怒ってはいないけど、うんざりはしてるかも。クーラー全然効かないし、蝉も五月蝿いし。

「……ホントに、もう怒ってない?」

「……怒ってないよ。あんたが寝坊して来るのなんて、いっつもだし」

 今日で長い夏休みが終わる。高校最初の休みは、何処へもいかず、家でスマホを触ってただ時間を潰していただけだった。多分体感、私の休みは人の10倍くらいはあったと思う。

 そして、最終日前日。私は綾から来た電話で、大量の宿題の存在を思いだしたのだ。

「別に、あんたが来るより先に始めてただけだし」

 一緒に宿題やろうなんて、隣の学校に行った幼馴染とやったところで助け合えるものなのだろうか。いや、綾は多分、私に見張ってて欲しいのだ。思えば小学生の時も、中学生の時だって、綾はテストや課題、宿題が出される度に私を誘ってやろうとしていた。一人では、集中できないのだろう。それならそれで、図書館へ行くなり喫茶店へ行くなりすればいいのに。

「うん……ごめんね」

 ガックリと肩を落として、綾は鞄をひっくり返し、大量の紙きれと教科書を床に広げた。



――ふぅ。

一息吐く音がして、顔を上げる。いつの間にか時刻は午後三時をまわっていた。

「……あとどれくらい?」

「……えっ!?」

 弾けるように顔をあげて、綾は私を見る。額から汗が滲み出ていた。

「少し休憩しようか、何飲む?」

「え、えぇと……いいの?」

「一緒の空間にいて私だけ飲み物飲んでるとか変でしょ。適当に飲みたいの言って、なかったら自販機で買ってくるから」

 私が何か言う度、綾は困ったように笑う。どこでそんなもの、身に付けて来たんだろう。たった半年かそこら、会っていなかっただけなのに。

「そ、そうだよね……ごめんね。ええと、それじゃあ……紅茶を……」

「ん、じゃ買ってくるわ」

「え、あ、いや、ちょっと……!?」

 机の上から自分の財布を拾い上げ、外へ向かおうとすると、綾は大きな声を出して立ち上がる。

「なに?」

「あ、あるもので……あるものでいいから……外、暑いし」

 必死な表情を見ていると、だんだん腹が立ってくる。思わず息を吐くと、綾は肩をびくりと跳ねさせた。

「何言ってんの、私が飲みたいの、買いにいくだけだから」

「え、あ、そうか……! そうだよね、ごめんね……!」


ダメだ、もう我慢できない。

もう一度大きく息を吐く。


「綾」

「な、なに……?」

「いつからそんな、気を遣うみたいなこと、出来るようになったの」

 私の知ってる綾は。

傍若無人で。

いつも笑顔で。

約束の時間に絶対現れなくて。

暑かったら勝手に部屋のクーラーの温度、ガンガン下げて。

夏休みの最後の日に、宿題写させてってヘラヘラしながら約束もせずに私の部屋にずかずか入り込んできて。

私を、色んな場所へ連れていってくれて。

知らない遊びを一杯教えてくれて。

怖い映画を見た後は、暑いけど一緒の布団で手を繋いで寝てくれて。

綾みたいになりたくて、違う学校に通うことにしたのに。

久しぶりにあった綾は、私の知ってるその人じゃなくなっていて。

「意味、わかんない……」

 気が付いたら、視界が滲んでいた。止めたくても、どうにも出来なかった。綾に背を向けて、腕で顔を隠す。

「それを言ったら、梓だって。ずっと冷たいじゃん。だから、怒ってるのかなって、あたし、不安で……」

 背中から、嗚咽が聞こえ始める。高校生にもなって、誰かの前で泣くことになるなんて思わなかった。

クーラーの殆ど聞いてない部屋に、二つの嗚咽と、蝉の声が混じって五月蝿かった。



「あたし、今の学校で、ちょっと。上手くいってなくて」

「……そうなんだ」

「そう。だから、これまでのあたしじゃ、もういられなくなっちゃって」

 照れくさそうに話す綾は、少し寂しそうに見えた。でも、ちょっとだけ私の知っている綾に似ている気がする。

「私だって、これまで全部綾に頼りっきりだったの、嫌で。変わりたくて……でも、上手く出来なくて」

「……ははは、ダメだね、あたしら。二人して高校デビュー失敗だ」

「うん。でも、それで良いのかもって、今は思ってる」

 変わりたくて、動いてみたけれど、そしたらこれまでのこと全部、嘘になっちゃうみたいで。

「……そうかなぁ、もう、分かんないや」

 明るい口調なのに、やっぱり寂しそうに綾は言う。綾は、辛い思いをしてでも、これまでのことがなくなってしまっても、何処かに行きたいと、何かになりたいと言うのだろうか。

「……じゃあ、さ。私の前では、いつもの綾でいてよ」

「いつものあたしってなに? 今のあたしとどう違うの、別に、あたしは変わったつもりないのに、認めてくれなかった! どうすれば良かったって言うの! ねぇ梓! 私にわかるように教えてよ!」

 最後はもう叫んでいた。こんな綾、今まで一度も見たことがない。私は綾をそっと抱き締める。

「大丈夫、私がずっと綾と一緒にいるから。いつでも来て。私、まだ高校に友達いないんだ。だから、会いに来て、一緒にいよう。何処にも行かないで」



「結局宿題、終わったの?」

 二人で思い切り泣いてから、自販機で飲み物を買った。久しぶりに繋いだ綾の手は、なんだかひんやりとしていて心地好い。

「いんや、全然。もういっかなって。なんだか面倒くさくなっちゃった」

「ダメだよやらないと。私はもう終わったし、一緒にやればすぐ終われるよ」

「え~? もう、しょうがないなあ」

「自分のことでしょ」

 良かった、いつもの綾に戻ってくれた。記憶よりも少しだけ甘えん坊な気がするけれど、記憶は劣化するものだから。

 だから多分、これが正解。

 夏の陽は未だ高く、私と綾をじりじりと灼いている。だが、構うものか。私はこれからもずっと、どんな時でも綾と一緒にいる。

 蝉の鳴き声は、もう聞こえなくなっていた。

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