二粒の錠剤

哘 未依/夜桜 和奏

二粒の錠剤



 二人で歩いていた時が懐かしい。血の味で染まった口をゆすぎながら、結莉奈は空を仰いだ。


 結莉奈には友梨奈という親友がいる。名前の呼び方は二人とも同じ『ゆりな』。お互いを呼ぶときは結莉奈をゆい、友梨奈をゆうと呼ぶ。

 ゆいとゆうは互いに家も近く、幼稚園も一緒。小学校でも一度も違うクラスにはなったことが無かった。

 二人はその間ずっと一緒にいた。いつも学校では何をするにも一緒、朝も、帰りも、宿題も、互いの家に帰るまでとにかく一緒にいた。



「ねぇゆう、私ね、中学校を受験しようと思ってるの。いいかな」


 ゆいが言った何気ない言葉。この言葉には不思議な魔力が込められていた。

 ゆうは、この言葉を聞いた瞬間、さっきまで明るく、楽しく、いつもと同じように会話をしていたのが嘘のように静かになった。

 しばらくしてもゆうから何も反応がない。


「大丈夫? 」


 不安になったゆいがゆうに声をかけた。


「私も……」


 ゆいはゆうの声を聞き取れなかった。

なんて言ったの、とゆいが尋ねた。


「私も……ゆ、ゆいと同じ学校に行く!」


 ゆうは、今度は半径10メートルぐらいの人全員に聞けるくらい大きな声叫んだ。

 周りにいる人が全員驚くぐらいの大声。

そのままゆうは続けた。


「え、えっとね………一緒にいたい。だめ……かな……? 」


 うぅ~ん、と軽く唸りながらゆいは考えた。ゆうの成績は、ゆいと比べるとそこそこの差がある。それだけなら良いのだが……。

 ゆうと一緒に居たい。それは、ゆいも間違いなく思っていたこと。けれど、それによってゆうが不幸になってしまったら。そんなこと、あってはならない。

 そして、ゆいが受験を決めた理由はゆうと離れるためでもあった。


 だからこそ、ゆいは拒絶するつもりだった。ゆうとゆいがこのまま一緒にいるときっとゆうは不幸になってしまうと、ゆいは確信していた。


「ご…めん……ね……」


 ゆいは拒絶を次第に露にしていく。

 

 ゆうはゆいが言葉を紡ぎ始める少し前から、拒絶をしようとしていることを感じ取った。あぁ、私はゆいに拒絶をされるのかと思ったゆうの瞳から、涙が自然と溢れてきた。


 ゆいが言葉を紡げば紡ぐほど、ゆうの表情は絶望と悲しみの色に染まっていく。


「ねぇ、ゆいは私のこと嫌いになっちゃったのかな? 」


「……っ! 」


 そんなこと、あるはずがない、と心の中から今にも口から溢れ出そうな言葉をどうにかゆいは抑えつけた。そうでもしないとゆいは、たとえどんな未来が待っていようとも、ゆうが不幸になると理解してようとも、二人でいる未来を選んでしまう。

 

「答えてよ! ゆいっ! 」


「……っ、わかった。けど、条件付き。そうじゃないと、嫌だ」


「ゆいからの条件? 大丈夫、ゆいと一緒にいれるならば、私は構わないよ」


「……わかった」


そしてゆいはそのまま言葉を続け、条件をゆうに提示した。

彼女が提示した条件は一つ。



『ゆうが私を頼ること』



「ゆい、その条件飲むよ。というか……いい

の? 」


「うん、私の望みはゆうが幸せに生きることだから」


「わかった。けど、なるべくは頼らないからね! 」


「うん、わかったよ」


 その日からゆうは勉強を必死にやるようになった。その甲斐あって、ゆうの学校の成績も大幅に上がり、ゆいと同じ中学に合格することができた。




 あの時までは良かったと、結莉奈は思った。

 今の格好を過去の自分に見せたらと思うと、笑えてくる。


 おそらく、過去の私はこう言うだろう。


「流石、私」


 と。


 口をゆすぎ終わったあとしばらく、結莉奈はその場に空を見上げながら立ちすくんでいた。

 口の中から血の味はだいぶ消えた。

 しかし、結莉奈には、その場を動く事が出来ないまま、午後の授業の始まりを告げるベルが鳴る。それでも結莉奈は、動く事が出来ずにその場に立ちすくんでいた。



 そして次の日、結莉奈は学校に来なかった。



 ドアを強く叩く音で結莉奈は目を覚ました。

 結莉奈は猫のように丸まり、頭まで被っていた布団から少しだけ空間を作って聞き耳を立てた。

 外からは何回も何回もドアを叩くとともに、かすかに泣き叫ぶような声が聞こえる気がした。

 しばらくすると、ドアを叩く音は止み、カチャンという音がした。

 直後、玄関の方から唐突に泣きじゃくりながら結莉奈を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ね、ねぇ ……ゆい……ねぇ …返事をしてよ…私だよ……ゆうだよ……おねがいだからぁ…」


「っゆう! 」


 ゆいは反射的に声を出していた。

 被ってた布団を押しのけてこけそうになりながらもゆうがいるであろう場所まで迷いなく駆け出す。



 玄関のドアの前、そこに一人の少女がぺたりと座っていた。

 少女はうわべごとのようになんども、ゆい、ゆいと涙によって声にもならない声で繰り返していた。目は焦点が定まらなくなり空を見続けている。

 少女の精神はもう既に擦り減ってしまったていた。

 

 いつも少女は極限状態だった。

 そんな時にゆいが学校を休んだ。

 少女は思った。あぁ、私はゆいに見捨てられてしまったのだと。

 

 その瞬間、少女の中で何かがプチンと切れる音がした。

そして少女は意識を手放した。

 けれども、少女はゆいにどうしても会いたかった。一言いいたかった。

 だから、少女の精神が少女の肉体をここまで連れてきた……けど、それももう限界だった。



 ゆいが玄関にたどり着くと、そこには壊れかけのからくり人形のようなゆうがいた。

 どれだけゆいがゆうを呼び掛けても、ゆうは何の反応も示さない。

 ただずっとゆい、ゆい、と繰り返すだけ。


「ゆう、ねぇどうしたのよ。ゆう、私だよ、ゆいだよ」


 ゆいは何度も何度もゆうを呼びかける。

しかし、やはりゆうは何の反応も示さず、ゆい、ゆい、とうわべごとのように繰り返す。

 ゆうの目からは絶えず涙が流れ出ていた。

 ゆいは考えた。なぜゆうはこうなってしまったのだろうかと。

 ゆうを何がここまで追い込んでしまったのだろうか。

 ゆいは今までの自分の行動を振り返った。


 そして、ゆいは理解した。あぁ、すべて私が悪かった、と。



「ごめんね、ゆう。私、ゆうの気持ちを考えてるつもりだった。すべてはゆうのことが大好きだったから…あぁ……私は……自分勝手だった。ごめんね、ごめんね。ぅ、ごめんね、ゆう」


 ゆいはゆうを強く抱きしめた。

 ゆいの目からは後悔の涙が流れていた。


 そんな時、ふいにゆいの体をゆうが抱きしめ返した。


「ゆい…ひさし……りだね。えへ、へへ…やっとゆいに会えたよ」


 ゆうの目には、次第に正気が戻ってきていた。


「ゆう、ゆう、ごめん。私は気付いてなかった。私はゆうにただ、幸せをと思っていただけだった。けれども、私にはゆうの心を考えることすら出来ていなかった。もう、ゆうは私といるべきではないよ。いままでありがとう、そしてごめんなさい」


 ゆいの目は真っ赤に腫れ、未だ涙が流れ続けていた。

 ゆうはそんなゆいをもっと強く抱きしめた。


「ゆう、私はね、不幸なんかじゃなかったんだよ。だってゆいが、いつも、いつも私を守ってくれた。でもね、私は、ゆいが私の身代わりでいて欲しくなんかなかった。ずっとそばにいて欲しかった。だって、たとえ天地が切り裂かれようとも、私はゆいが好きなんだもん。ゆいはね、私のために自分がどうなろうと、私のためにいてくれる。私はゆいに嫉妬しそうになる時もあるぐらい私のことを考えてくれている。だからね、私といるべきではないなんて言わないでよ。ゆいは、もう私のものなんだから」


 ゆうの言葉を聞いたゆいは、ゆうと誓い合った時のことを思い出した。


 中学に一緒に行くための条件を決めた後、二人は誓いを交わし合った。


「ゆいは私のもの」


「ゆうは私のもの」


「「だから、何があったとしても、私たちは一緒。たとえ神に引き裂かれようとも」」


 そして、互いの顔をを見て微笑み合った。


「「大好きだよ! 」」


 だからねと、ゆうは続けた。


「そこまで私に気を遣わなくていいんだよ。私はね、ゆいと一緒にいたいだけなんだから」



 今まで止まることのなかったゆいの涙は、次第に収まっていく。


「私も幸せだよ、ゆう」


「うん、そうだよ。ゆいは笑ってなきゃだよ」


 ゆいとゆうは向き合い、顔を近づけた。

 そしてしばらくの間、二人に静寂が訪れた。


「あ、そうだ、ゆう」


 ゆうはそう言うと顔を離し二つの袋を取り出し、片方をゆいに手渡した。


「ねっ、ゆい。ゆいの部屋にいこ」


 ゆうはゆいを促した。

 ゆいは頷き、手をつないだままゆいの部屋へと向かった。


 部屋に着くとゆうが言った。


「昔やってたあれがやりたい。いいよね、ゆい」

「うん、しよっか」


 ゆいとゆうは互いの顔を見つめあい、うなずいた。



「ひさしぶりだね、少し寒いかも」


「じゃあ、いつもと同じように温まろうよ」


 ゆいとゆうは互いの体を引き寄せ抱き合った。

 そして再び、二人だけの静寂が訪れた。



 ガサ、という何かが落ちる音によって、二人の静寂は破られた。


「ねぇゆう、あれってさっきゆうがくれた物だよね」


 ゆうは軽く頷き、持ってくるねと言った。

 二人は一旦体の密着を解いて、ゆうが袋を持ってきた。

 ゆいは、ゆうが少しふらついているように感じた。

 戻ってきたゆうが、ゆいに袋を手渡した。

 そして、ゆいが袋の中をのぞくと、その中に一粒の錠剤が入っていた。


「ゆう、これって ……」


「そうだよ、ごめんね。やっぱりね、私は耐えられなかった。もし、またゆいがどこかに行ってしまったら、私はゆいを殺してしまう。だから、二人で……」


 ゆうの顔から少しずつ生気が抜けていく。


「そうだね、ゆう。私も一緒にいたい。いいよ……一緒に飲もう」


 ゆいとゆうはお互いの口の中に、錠剤をそっと置いた。


 二人はベットに寝転び抱き合った。

 そして、二人は再び誓い合った。



「ゆいは私のもの」



「ゆうは私のもの」



「「だから、何があったとしても、私たちは一緒。たとえ神に引き裂かれようとも。」」



「「大好きだよ! 」」







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