chapter.4

16.踏み込まれない、踏み込ませない。

 今の一言で月見里やまなしの必死の地雷原避けはほぼ無駄になったと言っていい。


 少なからず自分のホームであり、相手も必要以上に食いついてこないであろう、いわばジャブのような答えに、いきなりカウンターでボディーブローでもかましたような状態だ。


 本気の勝負ならまだしも、今回はいわば練習みたいなのだから、そんなことをしてしまったら月見里はひとたまりも、


「あ、良いですよね。烏龍茶。お肉の臭みとか、消してくれるんですよね」


 ……はい?


 月見里さん?今、なんて?


「お、よく知ってるねぇ。ねえ、紅音くおん。月見里さん、なかなか話の分かる人だよ」


 奇跡だよ。



 そんなことってあるんだなと思った。


 確かに月見里はさっき、料理の作り方に興味をしめしてはいた。が、しかし。そこからあっさりと話が広がるとは思っていなかった。


 もし仮に二人の趣味が一致していたとしても、会話が進むまでもう少し手間取るのではないかという予感までしていたのだが、どうやら取り越し苦労だったようだ。これなら紅音は要らないのではないか。


 あおいが紅音を指さして、


「それに比べてまあ、この人は酷いよ。何を話しても暖簾に腕押しだもん。全然興味が無いっていうかさ」


「指をさすな、指を」


 一応反論をしておくと、紅音は決して料理が出来ないわけではない。


 むしろ、この歳の男子高校生にしては大分出来る方だと思う。


 昔、家事全般を担っていた優姫が体調を崩してしまい、八雲やくも一家が不運にも家族総出で旅行に出かけていた時、必要が生じたために、調べて、見様見真似でやってみたのだ。


 その時に優姫からもらった評価は「普段しないにしては上手だね」とのことだったのだが、以降ひと月ほど、優姫にも色々聞きながら、料理を趣味のようにしていた期間があるのだ。


 従って、葵の話に全く興味がないというわけではないし、それに対してコメント出来ないわけでもないのだが、以前ほどの熱意が無いのと、一度過度にほめたときは、半日以上調子に乗っていて大変うざったかったという理由もあって、最低限の味に対する評価以外は出さないことにしているだけなのだ。


 が、そんなことを今ここで言ったところでどうなるわけでもないので、


「それを言ったら、俺の話だって半分くらい聞いてないだろう。お互い様だよ、お互い様」


 そう。


 葵もまた、紅音の話を聞いていないときがある。


 酷いときはきちんと相槌をうって、なんだか神妙に聞き入っているような素振りだけしておいて、



「で?結局なんの話?」



 というコメントを残したりするから質が悪い。


 ただまあ、紅音もまた、似たような指摘を葵からされたことがあるので、ようはお互い様なのだと思う。似た者同士ともいう。


 さて。


 紅音は今日、昼休み中ずっと、ここで動向を見守っているつもりでいた。


 理由は簡単だ。月見里がそれだけ不安だからだ。


 ちょっとしたことで、すぐに自分に否が無いか粗さがしをしたあげく、ありもしない架空の加害をでっち上げて謝罪するような性格だ。


 人当たりが良いとはいえ、初対面の葵と会話するのに、1対1では全く話が進まない可能性もあると思っていた。


 ところが、蓋を開けてみれば、結果はこうだ。


 月見里は相変わらず相手の様子を伺い続けている。その瞳には慎重さが宿っているのも確かだ。


 しかし、その一方で、逃げたり、沈黙したりということになってしまうことは無さそうな気配もしていた。


 少なくとも葵が話しかけている限り、会話が途切れてしまうことも、黙ってしまうこともないだろう。


 そうなれば、同じ趣味を持つ仲間同士だ、そのうちスムーズに会話が出来るようになるだろう。


 これで月見里の願っていた“友達”の完成だ。後は友達の友達はアルカ○ダ……ではなく、友達の友達も友達といったノリで交友関係をひろげていけばいい。


 大丈夫だ。最初は手間取るかもしれないが、月見里なら問題は無いだろう。


 彼女は引っ込み思案で、遠慮がちではあるけれど、愛される側の人間だ。そこが大きな違いなのだ。


 そう。違うのだ。


 紅音は二人が料理の話で盛り上がっているのを尻目に食事を済ませ、


「ごっそさん。美味かったよ」


「一番は?」


「一番は……そうだな……ハンバーグ、といいたいところだけど、作ってから時間が経ってることを考えると麻婆豆腐かな。これ、今度機会があったら作ってくれると嬉しいかもしれん」


 葵の質問にも答えて立ち上がり、


「おおー……それかぁ。分かった。覚えとくよ……って、紅音?どこいくの?」


 引き留められた。ただ、それも想定内だ。


「ちょっとな。紫乃しのちゃんに用事があるんだわ。先に失礼するよ」


 嘘だ。


 いや、ある意味本当のことではある。


 ただ、それが今である必要性はないはずである。


 紅音の言う用事というのはつまり、月見里の友達探しが上手くいきそうだという話であり、そんなことは明日か、明後日あたり、冠木が学生相談室に顔を出している時にすればいいことだ。


 少なくとも、今強引に昼食を打ち切って退席してまで伝えなければならないほどの用事でないことは間違いない。


 しかも、以前とは違って紅音は冠木かぶらぎの連絡先を知っている。


 相手はあの冠木だ。顔を合せなれば報告したことにはならないなんてことは言いださないだろうし、後で教室に戻ってから、暇なタイミングに一報入れればいいだけのことだ。何なら家に帰って、一息ついてからだって遅くはないはずである。


 直接会う必要があるのなら、その後自転車を飛ばして、宿直室まで顔を出したっていい。つまるところ、後からいくらでも、どうとでも出来る話であり、緊急性など全くない。


 それでも、紅音はその「緊急性皆無の用事」を理由に席を立つ。


 この場を去ろうとする。


 その事実は紅音しか知らない。冠木に用事があるのだって、先に来ていた紅音がおおとりから聞いたもので、葵と月見里にはその仔細を話した覚えはない。


 ただ、そんなことで幼馴染というのは騙しきれないもので、


「紫乃ちゃん?え、用事あるんじゃないの?」


 そう。それだけは確かに伝えた。ただ、それはあくまで断片的な情報だ。正確ではない。故にいくらでも後だしじゃんけんが出来る。


「まあな。けど、昼休み終わる前くらいには宿直室にいるって言ってたからさ、そろそろかなって」


 確かに、良い頃合いだ。


 この情報が紅音の作った嘘でなければの話だが、


 葵はまだ疑問の尾っぽを引きずっているものの、確信しきれずにいるらしく、


「んー……んじゃ、しょうがないね」


「ああ、しょうがない」


 そう、しょうがないのだ。


 ここに、紅音がいても、全くしょうがないのである。


「んじゃ、そういうことだから。月見里」


「は、はい!」


 紅音は精いっぱいの笑顔を貼り付けて、


「なんかあったらまた、連絡してくれていいから。まあ、とは言っても普通にここには顔出すけどな」


 きちんと、貼り付けられたのかは分からない。ただ、月見里は相変わらず緊張しっぱなしの、けれどどこか不安をのぞかせた表情で、


「わ、分かりました……あの、西園寺くん」


「なんだ?」


「えっと……その、わ、私と」


 私と。


 私と、なんだ。


 その先にあるフレーズは一体何なんだ。


 いや。


 なんだ、なんてことはない。


 そのフレーズを、紅音は知っている。だから、


「わり。紫乃ちゃんつかまらなくなっちゃうかもだから、また今度。な?」


「あ……はい」


 無理やり会話を終わらせる。葵が横から、


「ねえ、紅音」


 紅音はそれも打ち切って、


「悪い。行くわ。後でLIN○してくれ」


 強引に席を立つ。後ろは振り返らない。


 だから見えていない。


 紅音の気配に気が付いた鳳が顔を上げて声をかけようとしたことも、月見里が今までに一度も見せたこともないような表情で紅音の背中を見つめていたことも、葵がその背中を掴もうとして、手を伸ばしきれず、その代わりに「ヘタレ」という言葉をぶつけていたことも、その表情がどこか悲しげであったことも、全て見えていないはずなのだ。


 出来るだけゆっくりと閉めたはずの扉に備え付けられた鈴が立てた、想像の二倍大きな音を背に、紅音は早足で歩き続ける。


 向かう先は宿直室ではなく校門の外だ。


 幸い、財布は持っている。次の授業は体育だが、これまでの授業態度と成績を考えれば、別に一回くらいサボってもおとがめはないだろう。


 なんだったら、このまま放課後まで時間をつぶして、下校時間前に鞄を取りに行って、それから宿直室に向かったってかまわない。


 六時間目だって。特に面白くもない、教科書をなぞるだけの英語の授業だ。聞かなくたって平気だ。


 そんなことを考えながら紅音は敷地内へと向かっていく。


 目的はなんでもいい。


 なんだったら冠木に持っていく手土産だっていい。酒のつまみなら、きっと喜んでくれるに違いない。


 友達になってくれませんか?


 そのフレーズを、どうしても出させるわけにはいかなかった。


 空は、今にも雨が降りだしそうなくらいに曇りきっていた。

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