chapter.1
1.カップ麺、2分で作るか?4分で作るか?
「「うーん……」」
二人の人物が、実に真剣な表情をして唸っている。一人は女性、一人は男性だ。
やがて女性が動き出したかと思うと、
「これ!」
と指をさす。それとほぼ同時に男性が、
「あ!てめえ!」
と悔しさをにじみださせる。その真剣さたるやまさに金塊の奪い合いとでも言うような様相を呈していた。
何を奪い合っていたかって?
先に言っておこう。世の中には知らなくていいこともあるということを。毎年サンタさんなる夢の塊のような人物がクリスマスイブの夜からクリスマス当日の朝にかけてプレゼントを置いていってくれると信じていた方がよっぽど幸せなこともあるだろう。
そう。
つまりはそういうことだ。
金塊争奪合戦(仮)の開催場所は高校の学生相談室。
時間は昼休み真っただ中。
参加者は
そして当の金塊はなんだったのかといえば、
「それ持ってくのは無しだろ!期間限定のやつだろそれ!」
「いいじゃん別に!もとはと言えば私のなんだし!」
カップ麺である。
カップ麺なのである。
学生相談室の傍らで行われていたのはなんのことはない。参加者二名のカップ麺争奪戦だったのだ。ちなみに、優先権自体は冠木の方にあるため、そもそも争奪戦ですら無かったりする。
「それに、どうせ最後には半分づつ食べることになるんだからよくない?」
そう言い訳するのは冠木。しかし、紅音は一歩も引かずに、
「っていうか、そんなこと言っておきながら、結局全部自分で食べたことあったじゃないですか。忘れたとは言わせませんよ」
冠木は「ぐっ」とひるみながらも、
「あれは……別に全部食べちゃうつもりじゃなかったし」
嘘である。
今紅音が話題にしているのは、ご当地の味を完全再現した「札幌らーめん謙信 まろやかみそ味」のことである。
表題の通り北海道でしか手に入らない一品で、このご時世にしては珍しく通販や、アンテナショップでの取り扱いの無い品物だ。
そのせいもあって、二人ともそれを狙っていたのだが、流石に紅音が、持ち主である冠木より先に選ぶわけにはいかない。結果として彼女がそれを選択し、紅音はそのおこぼれを狙うことになったわけなのだが、
「嘘ですね。明らかにいつもよりも食べるの早かったじゃないですか」
「それは……美味しかったから」
「それだけじゃないでしょ。先生、あの時3分で蓋開けてたでしょ。見てましたよ」
「ぎくっ」
「おかしいと思いましたよ。流石に。だって先生はいつも3分のカップ麺を4分待ってからあけるじゃないですか。ちょっと柔いくらいがちょうどいいとかいって。それがこだわりなんだとか言って。なのにあの日だけ3分ですよ。ありえなくないですか?」
「それは……たまたまだよ」
「ちなみにあのカップ麺の目安は4分でしたけどね」
「…………」
「何か弁明は」
冠木はぷいすとそっぽを向いて小さな声で、
「だって私のだし」
それを言われると返す言葉が無い。
事実あの限定カップ麺は彼女が旅行に行った際に買ってきたものの一つだ。
後で聞いたところによると、現地のホテルでも、酒の肴にした相当なお気に入りらしく、かなりの数を買ってきていたようなのだが、あれが最後の一個だったらしい。
だから、他の人にとられるのは惜しいというのも理解は出来るし、そもそもそれが冠木のものだという主張をされると紅音側としては認めざるを得ないのは間違いない。
ただ、
「宿直室」
「ぎくぎくっ」
それだけならば紅音もここまで強くは出ない。いくら紅音とはいえ、他人の楽しみにとっておいたカップ麺を強奪しようとまでは思わない。
そう。例えばその中に紅音の秘蔵品も混ざっていたり、あまつさえ彼女が勝手に開封し、一人で平らげたという過去が無ければ、こんな強気になることなどあり得るはずがないのだ。
紅音は続ける。
「あそこって確かお酒の持ち込みって厳禁でしたよね」
「えーっと……」
「全く関係はないんですけど、僕のスマフォに写真が何枚か入ってるんですよ。これ、みんなにも見せてあげたいから送っちゃおうかなぁー」
「そ、それは」
「うん。そうしよう。取り合えず手始めに朝k」
「それはだめ」
がしっ。
思いっきり両肩を掴まれた。
目と鼻の先にはマジ顔の冠木がいた。
「……そんなにバレるのが嫌なら持ち込まなければいいじゃないですか」
冠木は掴んだ両手を離し、
「だって……」
両方の人差し指をつんつんと合わせながら、口をすぼめて明後日の方向を眺め、吹けもしない口笛をひゅるひゅると吹きながら、
「あれがないと生きていけないし……」
アル中か。
とは流石に突っ込めなかった。
いや、突っ込んでもいいのだが概ね「どうせアル中ですよー」と不貞腐れるのがオチだ。はっきり言って時間の無駄である。
それに、冠木のアル中ぶりはこれでも若干ましになったくらいなのだ。
少なくとも今の彼女は、日中から酒盛りを始めたりはしないし、酔った勢いで紅音に絡んできたりもしなければ、酒を勧めてきたりもしない。
学生相談室に酒瓶を持ち込むこともなくなったし、二日酔いの状態で畳の上でダウンしているのも見なくなった。これでも大分マシになったのだ。
今思い返してみると、去年の惨状は到底養護教諭のそれとは思えないが、これで生徒には人気があるのだから不思議なものだ。案外駄目人間の方が教師には向いているのかもしれない。
「……今言外で貶められた気がする」
「気のせいですよ。そんなことよりも、カップ麺です。この間のあれは先生の買ってきたものだからまだいいですよ。先生、前に俺が買ってきたのも勝手に一人で食べてませんでしたっけ」
「ぎくぎくぎくっ」
「結構釘さしておいたんですけどね。分けて食べてみましょうねって。楽しみにしてたんだけどなぁ~」
「うう……」
「してたんだけどなぁ~」
「…………」
「なぁ~」
冠木は観念したという感じで両手を上げ、
「分かった分かった!少年にも分けてあげればいいんでしょ」
「分かればいいんです」
紅音、満面の笑み。今ならこのスマイルだけで女子を落とせそうな気がする。
「全く……その笑顔をもうちょっと他のところで見せたらモテると思うんだけどなぁ……」
そんなことを呟いて、
「少年はどれにする?二人分だから、もう一つ開けるけど」
「そーですねぇ……でも俺、完全に一つに絞ってたんで、先生選んでいいですよ」
「そう?じゃあ、この見た目が辛そうなやつで」
「あーそれですか。なんか最近新商品でもっと辛いの出たらしいですよ」
「マジすか?ま○か食品は何を目指してるんですか?兵器製造?」
「それはないんじゃないですか」
「じゃあ何を目指してるのよ」
「売れ行きじゃないんですか?」
「このクソ辛そうなので?」
「ええ。見たことありません?Y○utubeとかで。「激辛ラーメン食べてみた!」みたいなの」
冠木はカップ麺の蓋を開けて、中身の後乗せかやくを取り出しながら、
「あるある!え、あれのため?」
「も、あると思いますよ。ほら、ああいうのってリアクション重視みたいなところあるじゃないですか。馬鹿なんじゃないのみたいな面さらして、とんでもないリアクションして、それが面白いみたいな」
「そりゃあまあそういうところもあると思うけど、今の発言多くの人間を敵に回しそうだよね」
「別に良いですよ。先生はどうも思わないでしょ?」
冠木は若干煮え切らない表情をするも、
「いやまあ……少年がそれでいいならいいや。それで?」
「それで、そんな動画にこの手の激辛商品とか、色物商品ってピッタリなんですよ。リアクションしやすいし、その辺で売っててそこまでしないから、視聴者も試してみやすい。美味いとかじゃなくて「頭のおかしい辛さ」とか「意味の分からない味」とかだから、極端な話ぼろくそいってもそんなに叩かれないんですよ。だからやりやすいし「馬鹿じゃねーの(笑)」みたいな形でネタにもしやすいんです」
カップ麺にお湯を入れながら、
「ほうほう」
「んで、ネタになってくれたら、商品や会社の知名度も上がる。売れてくれれば言うことなしって感じですよ。色物ですから味で競わなくていいのはある意味楽なのかもしれないですよ?まあ、最近は売れ残りになって値下げされてるのを叩いたりもするみたいですけど」
冠木は心ここにあらずという感じで、
「ほぉーん」
紅音は最後に、
「ま、全て俺の想像ですけどね。実際にどうかはまる○食品さんに聞いてみてください」
カップ麺を学生相談室のカウンター内に置き、タイマーをかけ、
「でも、それって結局叩かれちゃうんじゃ駄目なんじゃないの?」
聞いてた。
ここが冠木紫乃の面白いところである。
全く聞いていないのかと思えば、きちんと話を聞いて、自分の中で一度咀嚼していなければ出てこない疑問をぶつけてくることがある。
かと思えば、真剣に話を聞いているような素振りをしていながら、感想を求めると「分からん!」の一言のこともある。
このあたりの使い分けが、生徒から人気の秘訣なのかもしれない。知らんけど。
紅音は鼻で笑い飛ばし、
「まあ大体暴れるのはアホだから無視しとけばいいんです。やつらは相手の反応が欲しいだけの構ってですからね」
「また言い切るねぇ」
「まあ、そうでない場合もありますけどね。でも、基本相手にしなければそんなに大事にはならないと思いますよ。ところでタイマー何分で切りました?」
「ん?片方が5分で、片方が2分だけど」
「5分?4分じゃなくてですか?」
「ああ、4分かかるやつだったから。辛いのは3分」
「なるほど」
冠木はタイマーを眺めながら、
「にしてもさぁ、紅音」
「なんですか?」
「お前って、生き急いでのか?」
「……はい?」
唐突だった。
唐突過ぎて意味が分からなかった。
流石に冠木もそれは分かっていたらしく、
「いや、だって、カップ麺を1分早くって、相当だぞ」
「ああ」
なるほど。
漸く言いたいことが分かった。
そう。何を隠そう西園寺紅音は3分のカップ麺を2分で作る質なのだ。これは中学生のころからずっと変わっていない、いわばポリシーのようなものだ。
そして、
「でも、それを言ったら先生はゆっくりしすぎじゃないかと思いますけどね」
「えー、そうかぁ?」
彼女──冠木紫乃は何を隠そう3分のカップ麺を4分かけてじっくりと育てるタイプだ。
紅音も初めて見たときは目を疑ったものだ。2分で開けないのはまあいい。紅音とて自分のスタイルがマイノリティーであることは重々理解しているつもりだ。
ただ、3分経ってもあけないのは流石に驚いた。驚くついでに「伸びますよ」と忠告したのもよく覚えている。ところが冠木はといえば、
「まだまだ。ゆるっゆるの方が美味しいのよ」
ときたもんだ。結果として、紅音は一度たりとも自分の好きな麺の固さで、おこぼれにあずかれていない。逆の場合はちょうどいい固さになっているから正直ずるいとおもう。
そんなわけで、ここ二人のカップ麺ポリシーは真っ向から対立しており、時折こうやって議論未満の会話に発展するのである。
紅音は持論を展開する。
「だって、のびるって良くない単語じゃないですか。麺類にとって。そう考えたらむしろ、早めに食べるのは理にかなってるんですよ。それに、食べてるうちにゆるくなるでしょ」
冠木は流しに辛いの──カップ焼きそばの湯切りをしながら、
「でも、辛いのはカップ焼きそばだよ?ゆるくなんないんじゃない?」
「それはそれですよ。そもそも焼きそばだったら固焼きそばとかあるじゃないですか」
「それはそうだけどさぁー……よし、出来た。持ってくから向こう行ってて」
「はーい。あ、お箸取ってきますね」
「お、サンキュ」
まあ大抵こうやってうやむやになるのだから、案外どちらにとってもどうでもいいのかもしれない。
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