手、それと私の偏愛期間

朝川渉

第1話

 はじめての手術をジェットコースターのように感じてしまっていた。


 わたしは病院が昔から、多分これは語弊がなければだけど変質的に好きだった。

 看護師も、それから医者も、あらゆる検査やそれにともなう煩わしい待ち時間、杓子定規にトイレや注射をしなければならないことも、かえって心地よかった。幼いわたしにとって病院へ行く事それ自体が毎回大ごとの行事であるかのように思えたのだろうか。普段健康だったわたしがいちいち足に斑点をだしたり、骨折をしたり、大げさな支障をきたすと母や父は無言で車を出し、私とは関係ない会話を二人でしながら病院へ向かった。その中でいつも一人だったわたしは、具合が悪くなるまでの身体の変化について改めて思い出したりいたみで波打つ腹を脈拍で数えて確かめてみる。そうやって自分の意思とは個別の、人格を持っているかのような自身の体のことを、なぜか誇らしく思うのである。兄弟はそういう行為をさびしがりだと言っている。


 たとえば、最初に入院したときはまだ小さかったから毎日退屈でしかたなかったのを覚えている。毎日、毎日、わたしは看護婦がわたしのために持って来てくれた検査記録のためのカレンダーに、尿をした、それから便が出なかったというシールを自分の手で貼っていく。そうやってひとりで一日が終わるのを実感していた。病名もわからないままでわたしは退院する、その過程で炎症が収まって、傷口がふさがってゆく、症状を伝えに来る医師や看護師、お見舞いにくる人たちのビニールのかさかさするような音、熱を持ったままで入ったトイレ、そういったことを自分でもたまに考えるくらいになったころはもうすでに入院のことをすばらしい思い出として記憶していたようである。

 そういった、外部からもたらされる痛みは大人になってからも鮮明だとわたしは思っていた。それは、例えば目覚めれば青空だけが広がっていたような驚き。交通事故や骨折のような突発的でおおきな痛みは、大抵の場合人格や空間さえ捻じ曲げてしまうのである。痛い事、悪いもの、たいてい、そこから目を背けたくなるのが、それに反して、たしかに身体の方はもっとわがままになろうとする。確かに、ちょっと転んで赤い血が見えただけでも何かどこか、それは「起こってはいけないこと」が起きているような気がした。メス、銀色の治療器具、消毒液の匂い、それから、患者の前では決して驚いたり心配するような事を言ってはいけない医療機関の人達が、入院中は患者からは見ることの出来ない管理手引きにのっとって事実を動かしたがっていた。公園や友人といる時には他人事として聞くだけの可能性でしかなかった事がいま、巨大な病院という組織にのっとられていると、それはどうしようもなく正常にしか見えなかった。わたしはそれを治療台に横たわって感じ取り続ける。身体から血液を流し、造影剤を流されながら、いまは単純にそこで流れるだけの個体になったわたしの身体を眺めながら、観察者の目でわたし自身を改めて見ることにする。

 人工的に作り出されたその揺るぎない壁は、手術室の医師と共にわたし自身をいついかなる時も、どうしようもなく受け止めてくれていた。



 ………



 学生の頃腎臓の具合が悪くて十日間入院したのも、成人して救急車で運ばれたのも、それから交通事故で三度、入院した時も…わたしは入院する時のことを自分の中のいい思い出のひとつとして記憶している。

 大抵自分は、うす青い色の病衣をまとって手術台に横たわっていた。病衣の中は下着も付けておらず、わたしは点滴を毎回打たれる。その治療の中ではじめて知ったのはヤクの凄みというものだった。

 自分の感情というものはこんな数ミリの液体が投入されるだけで、切なくも、悲しくも、楽しくも、或いは腹が立ったりもするものなのである。世間に争うように生きていくのをそこで辞めさせられ、何をする事も出来ないおおよそ大人らしくはない格好で、点滴を打たれる。わたしの体はそれを平然と飲み込み、仕事や友人といる時はたくさんの金を労力を注がなければ得られないような興奮や、張り裂けそうな渇望を体験しはじめてしまう。わたしは驚いた。こんな簡単な事だったんだと思った。人間はこうなってしまえば単純な一本のくだでしかない。学生の頃に振られて泣いた時の気持ちも映画を見ている時の感動もマラソンを走りきった時に味わう充足感もここに、単純な物質1グラム以下の中に有るのじゃないか。、、、わたしが完治するまで、ただそれがまるで、空港の動くレーンに乗っかった気分になってしまえばよかった。たぶん、その先にいるのは手術を終えたばっかりのわたしなのだろう。そう考えて、ああ、わたしのずっと欲しかったものはショッピングやものやお客さんとのやり取りで手に入るものではなく、こういう事なんだと思った。それは薬のことではない。わたしはもう既に経験して来たじゃないかと誰かから言ってもらうことだった。それからそれはそこら中に転がっている事だとどこかで区画されてもう一度世間へと放たれるようなことだった。私はそれに付随するいろいろな煩わしさを結婚や入学式の用意のようにいそいそと楽しむことができそうだった。


 まあ実際には、それほどの変わりなどなかったのだけど。


 手術が終わってからの三度の食事、どこの部屋にもある同じようなテレビ、棚、ベッド、いつも開けててトイレにも毎回のように興味しんしんになってしまった。とにかく新しい、自分のためのものというものを熱望させられる程、日常に飽き飽きしていたのだろう。手術を終えてからすぐは傷口がまだ熱を持つように痛くて、それが一体いつまで続くのか、恐くなったときは夜中にも、申し訳ないんですがといって看護婦さんを呼び出し座薬を打ってもらった。下着を脱いで差し出したわたしのお尻は看護婦の持ってきた座薬を吸い込み、わざわざ真夜中に、こんな痛みさえ我慢できなくなったことや、まだ結婚もして無いのに赤の他人にそんなことを許す、その気恥ずかしさを乗り越えるとすぐに痛みはなくなった。

 時間が空いてしまえば傷口のことをおのずと考えてしまう。部屋では殆どの時間本を読み、それに飽きればテレビを見ていた。昼間から丁度、他の医院にライフル銃を持って乗り込んだ男性のニュースを流していて、その物騒なニュースが音もなく流れているせいで、自分がいま閉じ込められてる場所と、殺人事件に興奮する人達のいる場所の、同じ世間という水流の中ここだけ、日が当てられているような気がしてしまう。ある時にふと子ども向け番組でやっていた人形のことを思い出した。主人公を倒そうとしている悪の王様の手にくっ付けられている人形で、勝手にそれが意思を持ってしゃべるのだ。わたしはいま動かさなければそれ程の痛みを伴わなくなった自分の腕の、包帯の巻かれている場所もそんなふうに独立して存在する時期なのかも知れないと考えてみた。手術直後は人格をもねじまげ兼ねないほどの痛みを放つだけだったその腕も、いまは大人しくなり、数ヶ月したあとでこの包帯を剥ぎ取れば私にしかない傷跡として残るのだろう。そう考えるとそれが愛しかった。たとえば名前をつけて、ひとりの時に対話して、可愛がっても良いのかも知れない、とその時に考えた。


 わがまま、そんな風に言われた時のことを思い出す。けれど自分は根本的に変わらないと思うし、例えば人といる時それを感じるし、もちろんそれ自体は写し鏡のようにして自分の像を映し出すものでもあったりする。そんなに、わたしのやっていることはわがままなんだろうか?わたしは、誰かから質問を受ける。わたしは本当にそういうことがわからない、という。心からーーけどその心からというのが、誰かをまた違った尺度で驚かせるようで、世界の反応に驚く。君のやっていることはわがままな、世界に対して疑心暗鬼になっている人間が作り出す虚構でしかない、と言う。その精神学者の言うことには、それはおままごとのようなことであると。けどわたしはこうも思う。であれば、AとBのものにある実質的な差と、それからそれが個々人に落とす影の濃さについてあなたは説明をすることが出来るのか。例えば戦争にあった人や虐待を受けた人、家を失った人が、その話と日常会話を同じ比重でテーブルに載せるようなことをしないとあなたは満足しないのか、そしてそれは真実なのか。わたしはたしかに自分勝手なものを作り出して時々それと話したりするーーそういうとき周りの景色は見えていない。それに、自分がだれであったのかも、あるいは忘れている。そうやって、自分自身で自分の過去を選り好みして、まるでパッチワークのように繋ぎ止めていることが僕は我慢が出来ないのだーーーーけど、それのいったい何がいけないのかと。たしかにわたしは船の上にいるときに進む方向しか見ていない。けどそれにだって理由がある。そうしていなければ、誰もかれもが溺れてしまうからだ。そしてわたしは、その虚構を、自分の頭の中にしかなかったものをぐいぐいと、むやみやたらに引き出してみせる。現実にあるビル、その上を飛ぶ飛行機、そんなものや、当たり前と感じている社会のルーティンと並べてみてわたしの信じている物事がわたしにとってそれから人にとってどれだけの重みがあり、また違いがあるのかをわたしは説明することなんかせず、驚くばかりの手の速さで魚の内臓をずるずると飛び出してみせる。そうするとその人はいう、いつも、「だから言ったじゃないか。部屋が汚れるって」


 わたしはがっかりする。子どもが何か大人の前ですれば、それはたちまち大人の解釈のためのものになる。あるいはどこへ行っても、それが大小さまざまな形に変わって繰り返している状態に思えた。まだ、時期ではないのだ。わたしは未熟で、それから世界も分化されていない。正しい方向へ進むだけの進化は終わり、いまは滅亡も含めた、あるいは個人的な領域へ行くためだけの道ばかりが増えていて、わたしのことには目もくれない。


 わたしの腕にある形は何ヶ月かまえの手術を経て、それが収束していったかたちとして、そこにある。わたしはひとりでいる時に何度かそれの写真を撮ってしまい、そのうち何故だか気分が高揚してくるのを感じていた。時々仕事の手を止めて、家の片付けをやめてSNSに載っけてみようという考えが頭をよぎって、けど毎回それをやめる。毎日。いや、二、三日おきくらいに、そういう衝動が起こる。

 これが顔に出来たものだったら、流石にわたしは少しくらい静かにしていることを覚えたのかも知れない。従兄弟が去年、顔のしみを取るために手術をしたときみたいに、何かで常に覆い、毎日の天気予報を気にして、良くなることとよくならない可能性を測りにかけて悩んでみたり、それを親しい人との話題に出してみたりなんかして。けどわたしの場合普段は見えないところにあったからか、それとも大分そういう見た目に無頓着だったからか、その跡がまるでそれは個人識別のための記号みたいにも見えていた。ーー言って見れば、新しくなったわたしのためだけの。

 その痕跡を、誰かに見せびらかしたいと思った。わたしは、ちゃんとその相手を選ぶ。そしてその機会を練って、わたしたちにとって一番ちょうどいい機会でそうしようと思っていた。そうするまでの会話なんて、ありきたりの場当たり的なポーズでしかない。わたしは仕事をしていても飲みに行ったとしても、そういった本当の会話に興味がない人達を次第に心の中では馬鹿にするようになっていた。

 わたしは日がなずっと、そういうことを考えていた。







 まず最初にその傷のことを話したのはAとBとCという男の、皆大人の男性だった。

 最初に話したAは物事の価値判断に自信をもっている人間で、わたし自身には興味がないようだったので、がっかりさせられていた。合わないものは合わない。それが真実で、無理に合わせるとあとで失ったものをすべて人のせいにしたくなるということを知ったので、Aと別れてからわたしは一層誰にも合わせる事をしなくなった。わたしも、周りの人もAはすごく感じのいい人間だと思っていた。それに何かわからないけど、とにかく惹かれた。そういう時を逃したら、あとできっと損した気分になるに違いない、と考えて、わたしがAの気を引いて、そうするとAがわたしの気を引いて、本当にそれはうんざりするような思い出でしかない…諦めようとするたびにAはなにかを言った。ただそれだけのことだった。

 Bはわたしのことも、傷のことにも興味を示してくれた。そういったことがBの精神世界への入り口だったみたいだ。Bは建築家で、それはたとえば湿気くさい学生の部屋にいるみたいだったとしても、わたしにとってしっくり来る言葉を話した。けど、Bの言うことはいつも三日後くらいにわたしの腑に落ちるような暗喩の言い回しが多く、とてもまどろっこしかった。結論はいわないというのがBの美意識で、わたしもそれに同意し、わたしはBを理解しようとする。Bもいっとき、いや、何年間もわたしのことを憎んで居た事があったと言い、うるさく感じられる嘲笑はやめられないようだった。でも、Bの居ない時にわたしが考えたりしていたことはこうだった。もし、Bが死んだとして、わたしはBと会ってみたい、話してみたいと考えるだろうか。例えばーーBが残していったことすべてを寄せ集めて、DNAから合成する機械にかけたらまた同じようなBが出現するんだろうか?というような取るに足りないことで、そういうときはAの方が、こういった疑問に対してなにか的確なことを言ってくるのじゃないかと思った。わたしは、わたしの作った虚構と、新しい傷口の話をずっとしたかった。一方でその時のAとは、お互いがお互いの持つバケツに、顔を見ないようにするというルールで風呂の水を流し込むような、不毛な関係が続いていて、流石にわたしも嫌になりつつあった。わたしは、AくれたものとわたしがAに与えたものを計りにかけることにした。それは少しも釣り合いそうになかった。

 Cのことをわたしは尊敬していて、それは多分年を取っているからだった。私はその時くらいから若い人たちというのは自分の話をしたがるのだと考えるようになった。だから、話したいことを沢山持って来ていて、それを話せる相手を探している自分とは、はなから合わないと感じられたのだろう。Cもわたしも人生のある時点で多くのことを諦めなければならなかったというところが似ていた。後から思えば、それがわたしの求めていた唯一の条件だったのかも知れない(その時は、その事に気づいてもいなかった)。Cはわたしが勉強をしていたある学問の先駆者でもあって、なぜかわたしに興味を持ってくれていた。Cのいう、大まかにはあるものの状態になり切るという考え方がわたしはこれまでの思想の中でも気に入っていた。わたしはそれを、もっと深く掘って見せようとし、その前にそれをいつでも体現出来るような人間にならなければならないと思い込んだ。なぜかと言うとわたし自身がそうで無いものを信じ込まない人間だったからで、それがいつも自分のことを苦しめていた。それからそういう試みはわたしにとって既に三度目くらいだった。Cがそれをどう思っていたのか、わたしはずっと知らないのだがーーただそれを知った皆が皆勝手な解釈をしているのには驚いた。言うことには、子宮回帰の願望であるとか、人格を放棄して、社会から人格を分断したいという欲求であるとか、動物にあこがれているとか、木になりたいだとかーー実際のわたしは単純にいろいろなことにうんざりしていただけだった。わたしはもう、ある程度歳を取っていたから、単純な希望的観測を求めていたのではない。けれど手に取って今すぐにわかり良い説明のすることの出来ない不可思議なことを求めるなんて確かにおかしなことなのかもしれない。ただそれが、それ程他人の偏った興味をそそり、虫が集まってくるように散らかされるたぐいの事だと思ってもみなかったのである。わたしたちは病後者だと思っていた。それから、単純に生活し、その中で個人的な希望を抱いただけに過ぎないのに…ともかく、わたしはその時期、エゴというものに食傷という反応を起こしそうなくらい参っていた。Aが原因で女性から付きまとわれていた時期はどこのトイレでも吐いた。どういうわけか、ルーティンのように、Aの近くにいることでよくない結果にばかりなるようで、そのことをわたしだけではなく周りの人も嗅ぎ取っているようだった。(Aはその後警察に何度も捕まり、今は収監されている。Aがわたしにして来た事に関わらず、そのことはわたしを必ず落ち込ませる。)

 もう既に存在させられているわたしが根本から信じられる理屈が必要だとずっと感じていたのかも知れない。わたしは他者に飲み込まれる前に、もっと早く、スポーツカーのレースに自分のこなれたトラックで参加して、いちばんの好成績を取らなきゃいけないと毎日、考えていた。わたしは絶対に落っこちてはいけないところにずっと居た。わたしは一番にはなれなかったけど、そのためには新しい、自分を毎時間納得させるような思想がどうしても必要だった。

 そうしないと世界はもう、真っ先にスポーツカーがいちばん便利に暮らせる場所に成り代わってしまうのだから。ーーーそれもわたし一人の責任で。






 ◯




 手術や、処置を含めてもその中で一番痛いのは尿管結石だったと思う。尿管結石はただ、出るべき尿が詰まって出てこないというだけなのに、わたしは単純な痛みそのもののために二度吐いた。あらゆる治療に我慢強いと言われ叫びも、泣きもしなかった私にとってそれは衝撃的な経験だった。やはり内蔵のうねるときの痛みというのは人に耐えられない性質のものなのだと思う。わたしは朝、起きてからあった横腹の鈍痛が耐えきれないような痛みに変わっていくのを感じながら、救急車に電話をした。原因不明のまま、たまたま運ばれた泌尿器科でそう診断されてから、吐き気をこらえながら造影剤を点滴され、そのままレントゲン撮影をするために台に固定された。座薬とブスコパンを注射されたからだにもまだ結石はずんずんと存在感をましているようで、わたしはいつ自分の気が狂ってその病衣を着たまま盗んだ自転車でさえぎるもの全てに罵声を浴びせながら何処かへ走り出すのじゃないか思うくらいだった。




 ◯



 日曜の昼下がり、珍しく雨が降った。冬の間はずっと雪や曇りばかりだったので雨が降るのは派手なおまつりのように思える感じがいつもする。それが休日であると、理不尽な孤独感がいっそうます。部屋にあるのは、残がいだと思う。春が来るとともにどこかへ出航してしまうーそれは彼を含めて身の回りの、仲の良いひとたちの面影も含めてー船を見送った後でわたしは、せまいリビングの端から端まであるものや家具なんかにいっそう深い影が降りるような気がしてしまった。ああ、そうだわたしだけ、また取っ掛かりをなくしてしまったみたいに。そういうような空白を何度か持て余した後で、唐突にいつも夏が始まった。わたしの感傷なんて、なかったみたいに、その頃になればわたしも、上着を脱ぎ捨てて、暑さに対して軽口を叩いていたりもする。ーーこの世の中に生まれてきた意味を持て余すみたいに。それを受け止めてくれる人が、いつもどこかにいてくれればよい。

 彼がわたしの話を遮るように「ちょっと、大袈裟なんじゃないの」という。

 わたしは彼の家のリビングの、使い込まれた合板のテーブルの上で目を覚ました人のように、彼の方を見た。どこかへわざわざ出かけていって他人の真似事をするようなことを、いちいちしたくない。わたしたちのばあいはそういう(つまり、すっかりなれた場所で自分らの身の丈を超えるようなあまりある話をし続ける、みたいな)デートの方がいい、と言いだしたのはわたしである。なぜなら映画館ではいかにもデート用のような作品を見続けるのがもう気恥ずかしい年齢だったし、食事だと栄養が偏るし、あまり喋らなくなるし、ドライブだと彼が運転するかわたしが運転するかでもめるし、まあとにかく、外に出てすることは自分一人でもう大いにやってるし人に合わせるのが面倒になってきていたわたしは、外に出てアクティブに動き回る彼、それからはしゃぎまわるわたしを演出しまくりそこで、花枯れる前の数日間だけ味わえる新しい発見を求めるよりも、もっと互いが深く沈み込んでいく時間を二人きりで味わいたかったのである。わたしの話はこの辺から盛り上がりたいところだった。痛み、というのはときどき火が燃えているみたいに思える。わたしがそういうと彼は「一体どういうこと?」という顔をして、そう質問をする。そしてわたしはそれに応える、つまりね、人は身体を持っている限り安定した粒子だと思い込んでいられるけど、その身体、という宇宙に浮かぶカプセルから、いったん枠を超えて血が吹き出るように、手を宇宙空間に出してしまったりすると、その安定した居場所をなくしたわたしは、燃え盛る火、同然の、そこらじゅうにある「混沌」と手を組んでしまい、その混沌を、頭の中では感じ続けていなければならないんだと思う。(燃える、というのは?)だからね、いったん混沌の中に放り投げられて仕舞えば、あらゆるものの安定状態、ていうのは燃えていることとイコールなんだと思う。木を、草を見てみて、あれ、燃えているように見えない?(見えない。)じゃあ、どんなふうに見えているの?(草は、フッと生えるんだよ。自分が気づいたら生えていた)それってあなたの世界そのものみたいね(ここで笑う私)草って酸素を取り入れて二酸化炭素を出して、それから上に向かってボオーボオーって生えて行ってるなんてわたし火が燃えているみたいだと思う。(そうかな)わたしたちもそうなんだと思う。わたしたちはかろうじて安定している粒子だけど、そこから一歩出ればずっと燃えていられるの。見て、わたしの傷。(なに?)火傷だよ。(……うらやましそうにそれを見る彼)だから、わたしは骨折したとき痛みはイコール火が燃えているような感じかしたんだと思う……(満足するわたし)


 一瞬の逡巡を、わたしは悟られないまま、彼の顔を見る。

 たぶん彼の言いたいことはこういうことなんだと思った。つまり、わたしの話が長すぎること。その中に彼がいないことがつまらないということ。それから、わたしが実際にいま、テーブルの上に乗せている左腕にはうなぎの目のような手術跡がくっきりと残っていて、それには自分が原因で彼女が傷ついたという記憶と、それを片一方で情緒深い思い出に仕立て上げているわたしもろとも気に入らないんだろうなあ、ということである。

 わたしはそれを考えて、ああ、いやだなあと思った。他人というのは、わたしの期待通りは応えてくれない。


「だから、実際の体験と変わって来てる…っていう実感はないの?」


「それはつまり?」


「あなたがこの間電話かけてきたこと、まったく覚えてないの?あなたが転んでーーしかも僕がプレゼントした靴のサイズを、変える変えないっていう不毛な口論をしたあとであなたが無理やり履いていったせいで、いやそのせいかはわからないけどあなたが転んで、骨折して、それからあなたは毎晩僕に電話して来てたじゃないか。」


「というと?」


「だから…あなたはいかに自分が不遇な状況に追い込まれているのかを、すごく悲しみにまかせてに僕に伝えてくれたじゃないか。病院から。それから退院して初めて映画を見た時のショックなんかを」


 わたしはそれを思い出してみる。どうしてそれをすっかり忘れてしまってたのか込みで。


「つまり不快だと?」


「どうしてそんなにすぐ結論付けたがるんだよ…」

 彼はため息をついてコーヒーを飲む。


「わかるからだよ。あなたの気持ちが。分かるもの。人の話ばっかり聞いてると人ってやさぐれるものだから」


「…」


「…」


 わたしは彼が飲む真似をするみたいにコーヒーを飲む。

 デート、外ですればよかったかなあと思う。ふつうに。わたしたちの場合は普通を持ち込まなくても健全に行くはずがどうしてかしていた。

 平日、いつもわたしは電車を二つ乗り継いである印刷会社へといく。仕事内容はカレンダーを刷ったりポスターを刷ったりするだけの事務員をやっていて、彼もわたしの働く場所から一駅離れた場所にある証券会社に勤めていた。毎日何をやっているのかは知らない。上がり下がりする数字を追い、上司の怒号で右左に移動して、土日は上司と飲みに行ったりダーツをするくらいしか趣味のない、普通の男である。彼はよくため息を吐く。次に話すことで、前のしがらみを消し去るための一ターンなのだと思う。


 例えば彼は、三十人いるクラスにたったひとり紛れ込んでて誰も甲乙つけがたいようなことをするような人だと思う。いまだって、たまりかねていったに過ぎないので、自然な口調でなく、彼はまるで、仮面をかぶっているかの様だ。そうして、吐く言葉が全てを傷つける人のようにそこに居座らなくてはならなくなる。水を吐くかのように反論をして、それを忘れてしまう人もいるというのに。わたしはそういう人が羨ましいと思う。まるで、自分たちを二分割して、自分だけはその多数派の正義の方にいつも載っているから、なんの代償も追う必要はないのだと言わんばかりに、彼らはすぐに笑って、スタバとかに出かけていき、また同じ口で楽しい話の続きをはじめる。だからつまり、世界の取るに足りない負の側面というのは一部の後ろ暗さを感じやすい人たちがその時間、背追うことになるのだと思う。そうしてわたしもそこにいる立会人として、彼のその様子を見ているのだった。彼はそのクラスでも、会社でも正しいような正しくないようなことを言って、適度に手を上げたり下げたりするし、先生の言うことを聞く一方で後ろではクラスの人間とも話を合わせて、たったひとつ目立つことをするのならクラスに存在しているメダカに餌をやり、言われてもいないのに水草まで買ってきて世話をするみたいなそういう、うすくちのメロンみたいな匂いの印象の子だった。だから当たり前に怒って当たり前に笑うーーそれが彼のゆいいつのアイデンティティだ。もしかするとわたしもそうなのかもしれない。けれど皆どうして、普通に焦がれないのか、わたしからすると毎日それは不思議で仕方のないことでもあった。わたしのような人間からしたら、普通であることは喜ばしいことだった。安住。安心。周りの人が動きを止めたり、ハッとするような顔をしたり、振り向いて目線をおくったり、咳払いをしたりされないーーーそういう、当たり前の普通の中にいる人というのはたぶん二種類いて、生まれた時からなんの疑問も持たないで普通でいられるパワーのある人と、後天的にそれを手に入れる人だと思う。後者のそれはネガティブな理由でもあるので、わたしはそういう彼のたとえば劣等感に繋がる、明るくない真面目さが好きだった。それとそばにいるわたしとの整合性をいつも知りたかった。けれどそんなわたしのささやかな「なんでもないこと」への愛着とは裏腹に、彼はけれど普通でないことに憧れのようなものを感じてもいるようだったーーーつまり、彼が怒っているときわたしに羨ましさを感じているし、それから嫌悪もしているし、自分の思い込んでいる揺るぎない世界に対する反発、それが満たされないことに対する子どもみたいな欲求、それを目の前で好き勝手に体現されることに対する、なんというか欲みたいなもの。それがそのまんまではね返ってくることに対する偏執した思いである。この関係、ってもしかすると幼児が何か大きな壁を求めて何回も繰り返してすることだったんじゃないかと感じたりもする。わたしはそして、彼の感情が降り注がれて初めてああ間違えていたと思うのである。



 彼がわたしの入院で得た暗闇は計り知れなかったーーー彼は変わってしまっていた。彼は普段、わたしの傷を見ようともしない。彼、いや、彼たちがわたしのいない間に作った彼の内面をあらわすビデオ「憎しみと深い森の足あとの記録」の今は管理人として活動することが忙しいことをわたしは知っている。

 いつか彼が言い出したのはこういうことだった。僕の中に足りないものは対価だーーそういうことだった。私たちは週末、普通の恋人がそうするように二人で食事を取っていた。それが終わると、彼は携帯を持って何かを操作している。ーーまたあれだーーと思った。つまり暗い森に向かって彼は、たった一人でひたむきに歩いて行ってるのだ。どういうわけか、退院してからも彼はそういうことをやめなかった。なぜなのかをわたしは聞いてみた。わたしはわたしで、会っていなかった間にわたしの作った世界を彼の口から言わせてみたくて、そのことがゆいいつお互いの理解に繋がるのだと思った。けど彼は、それを本当に嫌がった。なぜ?なぜ?なぜ?わたしは何回も問うけど、傷が見たくないからだとも彼は応えない。あくまで、そこに何もないかのように振る舞う。インターネットの裏事情にやたらと詳しくなった彼は、たまにそれについて教えてくれることもあった。それがどれだけ人の悪意を含んで、増長するのかを、それから歴史の暗い部分だけ切り取ったかたちでそこで語ることが、まるで彼らの快楽物質が生みつづけるための誘発剤のような役割をしていて、それがどれだけ無意味なことであるかを。けれどわたしに取ってはその暗い部分を語る彼と、暗い部分そのものを区別できなくなっていた。彼は自分で選択し、好んでそこに向かうのだ。わたしが毎日受け取っているのは彼のその意思と幸福感のみだった。彼がその性質のどんな部分を選んでわたしにいかに熱烈に話していたとしても、もうそれが彼の一部として見えていることをわたしは言おうかどうか迷った。どう表現しようと、彼は彼の言葉を使って彼の感覚でしか世界しか語れない。

 なぜかわからないけど、わたしはそれが若いということで、男の人なんだろうと思う。そして、まるで演技をするように自分たちの空間を保とうとする。そして、わたしは彼と触れていたいと思う。そうすると彼が喜んでくれるからだ。そんなふうにわたしが目の前にいるのにわたしの欲求に気づけない彼のことが可愛いと思った。私たちの用意した演技場は不自然なままで保たれていて、わたしはその中で一人だけで何度も目を覚ました。彼の話すことは、辻褄が合わないまま不自然な塊として胸の中にあった。インターネット、掲示板に書き込まれる無数の悪口、それから虐待され続ける子ども、歪んでいく性器、性欲、彼のいう正しい行いと、それと矛盾している彼の活動。

 それは退院して戻ってきたわたしからするとまったく理解できないまでに成長してしまっていたプラタナスのようだったーーわたしはそれをまじまじと見つめてみる。彼が、彼でしか居られなかったことは、ある意味でわたしにとって良いことでもあった。問題があるとするならば、たとえば今日の会話である。

 わたしは二、三回くらい呟いてみたけれど彼のいうことは全て自分たちのビデオの方に注がれていて、そこにわたし達の幸福もそれからわたしの腕にある傷あとについての話も入り込んで来そうになかった。わたしはもう、気が付きそうだった。この人は、わたしではなく自分のことにしか興味がなかった。そうして何をとっかかりにしてもつまらない結論にしか行きそうになかったのでとりあえず話すのをやめた。

 わたし達、まだ餌やりが足りない小鳥を飼ってるみたいだと思った。けど私たちはいずれ別れるのだと思う。そしてわたしは彼のように自分と世界を値ぶみするような人を探す。



 つまりかれの持ちえた社会構造というのはこうだった。週に一度彼がその集まりを行う場所、それから時間を取り決める。幹部が、そこで行う内容の細かいリストを作り、それから集まれそうな人に順に連絡していく。人選は主に彼が担っている。彼はそういうことがいかにも得意だった。心に暗い広がりを持っている。そうして集まった人たちを彼は愛称で呼び、まるで新興宗教を作り、それを知人のつながりで広めて思想を話す前に生活の面倒を見て弱みを握ろうとするようなほぼ無意識のしたたかさで彼らの心に根を張っていくのだった。議題は「僕たちのまわりの、愛に飢えた人たち」。つまり、彼らも人間としてそれなりに悩みや不安を抱えているにも関わらず、その話をするのは議論の外であり、彼らが嬉々として集まってするべきことはあくまで「まわりの無知で不幸な人間に愛を与えてあげること」という基盤にのっかっていた。

 ここまで書いていて悲しくなってきた・・・とにかく、わたしたちの出会いすら彼に取ってはひっそりとした関係性で語られるべきことではなくて、その議題の上に載せられるべきおいしそうな料理でしかなかったようなのである。少なくとも彼にとっては。

 誤解してほしくないのだけど、そのことを初めて知ったときも私はまだ、彼のことを「かわいそうな人」だと感じていた。そういった不器用な手段でしか本質的には人と関われないところや、結局彼は彼なりのやり方でよくなろうとしているのじゃないか、ということに対して。

 ただわたしの愛情はもうこれ以上成長しないことが目に見えている。


 いっぽうで私の願っていたことはこうだった。「傷そのものになること」。それはわたしが体現しようとしていたCの思想とも似ていたし、大まかには彼の存在とも重なっていた。

 このことを私は何度も彼に言おうとしたのだけど、一笑に付されるか、理解しがたい顔で見られるかのどちらかだった。傷そのものになること、というのはつまり、その取っ掛かりは単純にもっとも愚かしくなることだった。いかにも傷つきやすく、抵抗の意味も見失い、まるで中学生が何の手段も経験もないままにそのへんを歩き回っているようなすがた。私の場合は、ひとりの高校生の姿でそれをイメージしていたのだと思う。一度目の手術、そのメス先が肌を切り裂いてしまう以前の私は、たしかに、バスケットボールのオウンゴールにさえも笑っていられたと思う。そうなる以前、なってしまったあとでは、取り戻すためにはそれを限りなく演じている状態としてしかいることができない。その、現実と虚構とのずれを埋めるために私はいろいろなことを試みるのだけど、そうしてそれを極限にまで忘れるためには呪文のような手順を乗っ取って正しく自分にしか使えない道具を用いて手段を試みることだった。つまり・・・わたしはそういう意味で欲望の権化になるのだ。彼が良く、(たいていそういう活動の会報とかをつくっている。しかもへたくそな字なのでもっと悲しくなる)そんなことには付き合っていられないという顔をしてわたしを見たのだけれど、一方でわたしはもうすでにそのための理論すら構築できそうだった。

 そのこたえは「孤独」にとても良く似ている。つまり、正確さを追求すればこそ、という意味で。

 けど、だったらどうすればそれは救いを得られるのだろう?わたしはもう、彼よりも、家族のだれよりも、自分の理論に対して愛着を見出していたし、それに成りきっているときもあったので、彼らがそれを理解しようとしないことでさえ腹立たしいと感じているのだった。つまり、構築されきった理屈はいつかどこかで崩されなければならない。もしくは、もっとはっきりとした意志でもって誰かから壊されなければならない。わたしはその全てを目に焼き付けて、そうして納得するのだろう、こうする事にはーー痛みも、悲しみも、喪失も、それから、忘れられるべき醜さも、わたしが生まれてきた事と同じくらいの重さの意味があったのだろうと。わたしの思考はそこまで来ると理解され難い事だけれど涙を流さずにはいられなかった。


 私は、笑ったり怒ったりするのだけど、そんなふうにして傍らに常にいて、まだ話しかけ、会話しているもう一人の人が誰からも見られていないことを悲しみ、そしてその世界の中で「彼」が死んでいくさまをいろいろな方法で編み出そうとしていた。一体それは救いのためだったのか、単なる、閉じ込められた生が死ぬまで一人きりで見させられなければならないムービーのようなものだったのかはわからない。










「何してるの?」


 それは雨降りの日だった。


 日曜日、わたしは朝早くから起きていた。こまごまとした片付けをし、彼が起きる頃はブラインドの掃除をしていた。


 彼は、わたしにかまわず、いつものようにノートパソコンに向かって何かを打ち付けている。わたしはさっきから、うっすらと倦怠感のようなものを感じていた。

 寝巻きの背中、やわらかで、寝癖のつきようのない髪の毛。彼のルーティンに思考や生活がが飲み込まれそうになるのを感じながらもわたしはいつものように「結論、」と言いかけるのである。


 だけどそれをやめてみる。彼は、たぶん、そのことばを理解しようとしないだろう。彼はくたくたのみかんの皮や、ぶよぶよになった魚の死体を見たことがない。けど、ごく大まかな、世間一般の幸福も、愛するべきことも、それはわたしの知らない領域まですべて知っている。その事実は、それもまたつめたい倦怠感としてつのってゆく。単なる、いつもどおりの日曜日だった。


「見つかったんだよ。良い人が。」


 彼はわたしの方を振り返っていった。


「入り口を見つけ出すために協力してくれる人が、見つかったんだよ。あなたは何も聞かされていないだろうけど」


「ふうん」


「けど、なんで?」


「なに?」


「だって、理由なんてどこにも無いんじゃないの?」



「........」


「それって一体、何?


 宗教?娯楽?それとも…







 とにかくどうしてあなた達って、そんなにがんばろうとするの?」



「……」



「なに?」



「山がそこにあるからだよ。」



 彼は笑っていて、多分本当の充足感からだっただろう。


 わたしもそれにつられて笑おうとした。けれど本当は、彼の顔を引っ叩いてやりたかった。






 それが最後の会話だった。思えば、雨降りの日にばかり私たちは会っていた気がする。


 部屋にあるのは彼の残した服、それから手紙、そういうかたちあるもの。けど、それはまるで彼自身のようにも見える。

 彼のかつての手紙の文字を見ているとそんなふうに思う。まるで何かのマジックで彼自身が姿を変えてそこにあるかのようだと。けれどずいぶん・・・小さくなってしまったものだ。文字がのたくっているのを見ていると目の前のわずらわしいことを忘れて、相手の顔を見て話し合っていたことを思い出すようだった。文字。それに、本人はもっとハンサムだ。幼い顔が、笑うと10歳くらい若返って見えるから、わたし達はたちまち幼子から花を手渡されたみたいな気分になった。

 けど、もしかするとこれはいつもの偏愛が過ぎるというだけなのかもしれない。偏愛期間、というのは、つまり物に限りなく自身を摺りこませようとしている時間のことで、こういった期間をだれに説明をすることもなかったけれど、仕事をするようになってからそれかごく普通に人が行う営みのように考えるようになった。人は、もともと何かになりたいのだ。我を忘れて、それから手に持った道具で開拓を行い、鉄鉱石を取り出し、そこに名前を付けていく。そういった作業を、例えばアルバイト先の人々は辛抱強く行っているように見えた。わたしはというと、ほとんどそれを分かりそうになった期間で辞め、新しい職場へ就くという具合だったから、それを考えるベースが限りなく親しい人たち、つまり彼のような人に限られていた。


 偏愛期間のわたしたち・・・例えば、本であってもモノや石ころであったとしてもそのものがどうしても生命をもって輝き、喋りかけてくるように思えるのである。そして、わたしたちは自分のことを忘れ、相手の気持ちを考えるようになる。そこに、もし湖があれば、突如として泳ぎたくなったわたしたちは服を脱ぎ、潜り込み、石、それから貝、薄暗い、日の当たらない場所。そこでなにかの情景を得て理解しようとする。そして私はときどきそこにある何かに手をのばして、彼の中にあるものを押し出そうとした。彼は声を上げた。黙り込んだ。突然怒り出した。

 どうして、そんなことをしたのかって、それがもしかすると彼の失踪を早める原因になったのかもしれないのに、とも言われてしまうのかもしれないけれど、なぜかなんてことに、いつも理由なんてない、私たちが、そういうふうに生まれついた個体だからだ。


 もしかするとわたしが「彼」を通して世界をみすぎたせいで、「彼」を通して対話しすぎたせいで。こういう行いはわたしにとってなかなかやめられそうになかった。つまりそのときわたしは他人から見たらひとつの布出てきた人形を手につけて腹話術式にそれに喋らせているだけでしかないんだけど、相手はいつも真面目にあなたと対話していると思い込んでいるのである。彼はコーヒーを入れ、寝巻きのままで歯ブラシをする。・・・今のわたしは彼の遺物である言葉をなぞる。あるいは、髭剃りのユニークな形を見ている。それがいま、世界に陰を落とすために存在する、ここにはない彼の顔だとわたしは思い込んでいる。



 たとえば、わたしは手のことを考える。


 昔読んだ本に書いてあったのは、手の動きがその人の人格を表しているという話で、その人のことを好きな主人公の気持ちがその感情を、手からさえ読み取ってしまうことが描かれていた。わたしの思うに、手はもうすでにわたしたちの顔なんだということ。そもそも顔は目、鼻、口、眉という情報を集めたもので、私たちは日がなそれに話かけながら、相手からの反応を待つ。そうしてそこから返ってくるものや、お互いに共有した雰囲気や、においたつ、動き出す前の建物のかげのような空気を、顔から感じ取っている。ふたたび、動物が同じ場所に返ってくる理由を探すように、そして手は、わたしたちが探し求めている個体であるがゆえ、二つ目の顔として人格を確立しつつあるのだ。

 といっても私は手フェチとかではないので彼の手に何かを感じたりしていたわけではない。あくまで手には苦悶、それから喚起、興味、おそれ、そういった感情を内包しうる顔になりえる・・・っていう、可能性のことを、わたしは手を見ていると考える。

 そしてそんなふうに顔を持つものはそこら中にあふれかえっていて、けどいつもなら気にも留めない。気になりだしたということはつまり、わたしの中でそれがかっこたる領域を締め始めてるからだった。けどわたしは、最初のうちはそれが逆なんだと思っていた。つまり、わたしが求めているからでなく、向こうが求めていて、実際に声を発しているからわたしの方に聞こえるのだと感じていた。世界の中にはあらかじめ、まるで世界中が鉱山のように発光する物体がいくつかあり、誰かがそれをたまに見つけるーーのだと思っていた。ああ、わたし自身はこれほどちっぽけで、いろいろと、間抜けなことしかしてこなかったけど、それなりに辛い山々をいくつか超えたことで自負なるものを手に入れたから、だから大人になったためにそういう分別もついたのだ。それは、あるフィールドに足を踏み入れたかのような感覚。…けど、今はそうでなく、わたしの中でただ変化が起きてそういった準備が出来てしまったから、気になって仕方がないのだと感じるのである。つまり、世界に存在させられているわたしとその物体が、大きな鉱山にたまたま居合わせた、というのでなく、だだっ広い世界にそれはあらかじめ存在していて、またそこに存在しているわたしという巨大な視聴器官が世界の読み取り方を変えたせいでそうやって感じるようになったのだということ。つまりーーー世界はいつも、わたしありきで存在していた。

 そこまで考えていて世界はひっくり返りそうになった。その瞬間、ちっぽけな、取るに足りない自分という存在、笑われそうな身体、いつもと同じ顔、そうったものに私は自分で意味を与える存在になった。

 なぜなら世界が存在してるあいだ、世界を見ているわたしが存在しなければならないから。わたしがもし消えれば、わたしの理解していた世界は崩れ、理解しがたい世界が手付かずで残るだけなのだーーそのことに気がつかず、わたしは何もかもを並列に、フラットに、生まれたばかりの花のような立ち位置でろ過できるのだと思い込んでいたのである。けど、目を閉じると世界は消えるし、夜の間に何が起きているのかわたしは知らない。そう考えてみると、いかに眠っていた期間の長かったことだろう。あらゆる映画、本、それからおしゃれな衣服。わたしは高校を卒業するまでおしゃれをしたことがなかった。今の恋人も、もし向こうからわたしを見つけてくれなかったら共通点があることにだってまるきり気がつかなかったと思う。わたしは自分の世界は自分が自分勝手に生み出したものだと感じるようになった。そして、彼というまったくの普通の人間を通して、その普通じゃない部分をたまにたしかめたりもする。


 そういう意味では彼との関係もそれで説明がつきそうだ。彼はいろんな話をわたしによくわかるように噛み砕いて話すことがあったし、言ってみれば友達や親よりもわたしの方向を向いていたのだった。

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手、それと私の偏愛期間 朝川渉 @watar_1210

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