第15話 再びラスベガスへ


 白人、黒人、ヒスパニック系、アジア系と多人種がごった返し、強烈なエネルギーを放つロサンゼルス国際空港から南東に向けてアメリカン・ウェスト・エアーラインで約一時間。見渡す限り、太陽に焼き尽くされた砂漠にラスベガスは突如開けてくる。整然と区画された街並み。スプリンクラーで管理されたゴルフ場の鮮やかなグリーン。きれいな住宅街のオレンジ色の瓦屋根。カラフルな大規模ホテル・カジノの数々。


 人口が1998年当時、約100万人。砂漠の天気は常に晴天である。それも雲一つ無い青空であることが多い。ただ、盆地になっており、なおかつ木々は植わっていないので、雨が降ると一挙にまちに集中し、洪水になってしまう。私が、車に乗っていたとき、窓の下20センチくらいまで、浸かってしまった事があった。


 ラスベガスに最初フラミンゴというカジノホテルを建設したのは、ベンジャミン・シーゲルというニューヨークのユダヤ系マフィアである。昼間はホテルのプール・サイドでゆっくりと肌を焼き、夜は食事をしながら豪華なショーを楽しみ、ギャンブルで遊ぶというアイディアを盛り込んだ。そして、これがラスベガスの都市イメージを決定づけた。日本は戦後だったがラスベガスでは華やかなリゾートがスタートしていた。


 ラスベガスは実はスペイン語で「草原」の意味であり、まったく不毛な土地ではない。インディアンが狩猟生活を営んでいた痕跡が、レッドロック・キャニオン自然公園に残されている。現在もラスベガスには野生の動物、野ウサギやシカ、リスなどが生息している。

 

 西部開拓時代に入植してきたのは、ビルガム・ヤング率いるモルモン教徒の一行である。彼らは、宗教弾圧を逃れてきたが、ラスベガスでも再度迫害を受け、本拠地をラスベガスの北にあるユタ州ソルトレイク市に移す。しかし、現在では、ラスベガスにモルモン教徒が多く住んでおり、弁護士、会計士、医者、コンピューター・プログラマー等の知的な仕事に多くの人が就いている。


 爆発的に都市が急拡大した理由は、なんと言っても1990年初頭から相次いだ巨大カジノ・ホテルの建設ラッシュだ。観光業というのは人海戦術を必要とする。そして、大量の人間が職を求めてこの街にやってきた。彼らの多くはこう言う。


 俺がやっているのはエブリバディズ・ジョブ(誰でもできる仕事)だが、収入への助けは大きい。


 彼らの平均年収は、三万ドル(三百万円)。また、ホテルのレストランでウェイターをして働いていた友人の月収は約三千ドル(三十万円)あった。ラスベガスは、アメリカの中でも特に物価が安い。特にマイホーム所有へ道が大きく開かれている。一千万円台で立派な住宅が購入できる。

 

 自然は過酷だが、エアコンが完備された住宅に入ると、砂漠の街といえども快適に過ごせてしまう。カジノは24時間営業なので従業員の事を考えて、スパーマーケットは24時間営業だ。また、意外なところでは、フィットネス・ジムもそうである。


 スーパーマーケットでは、私の好きなシーフード、新鮮な海老、ナマズ、サーモンが手に入る。また、醤油もあるし納豆も手に入る。ただ、バスを除いてマストラがないので、どこに行くのも車だ。しかし、車を入手すれば、多少の渋滞はあるが、道は広いし都市は、碁盤の目で迷うことはない。

 

 また、ラスベガスは元来ロサンゼルスの悪所として発達した街だったのだが、実は郊外は、治安が良い。しかし、カジノでトラブルが起きる。私は、もともと対立しているのかどうかは知らないが、50名程度のガキのグループが、にらみ合いになったのを見たことがある。キュリティが大急ぎで駆けつけていた。


 それから、私が聞いて驚いたのは、治安の良さを求めてロサンゼルスから、製造業のオフィス、工場、役員以下従業員ごとすべて、ラスベガスに移住してきたという話があった。

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