第5話 箕面高校の少林寺拳法部
内申書が悪かったため、すべり止めの私立桃山学院の偏差値よりも低い公立の箕面高校への入学というバカなことになったのだが、箕面高校にはラッキーな事に少林寺拳法部があった。私は、この武道についてまったく知らなかったが、「少林寺」というネーミングが好きだったブルース・リーのカンフーを連想させて良いなと思った。
実は、少林寺拳法は、日本人の始祖の宗道臣が、戦後香川県の多度津町で始めた日本の武道である。宗道臣は1928年に中国に渡り、上海で貿易商を営む叔父のもとに身を寄せていた。彼の中国滞在中には、日本の諜報活動や情報収集に関わる特殊工作員としての活動も行っていたとされている。この時期、彼は様々な人々と接触し、中国武術や気功、道教、禅などの思想に触れている。私は、新入生歓迎会で行われていた先輩たちの演武を見て舌を巻き即入部を決めた。
私は、少林寺拳法は、体育会系クラブの中では、最も厳しい不条理な先輩のシゴキが待っているだろうと思っていた。また、そのシゴキに耐えて自分を強くすると覚悟していた。しかし、後になって分かるのだが、実際のところ先輩は優しく、不条理なシゴキはまったくなかったが、ただ、主将は私の事をどういう訳か気に入ってくれなかった。
稽古のメニューは、まず入念に体全体のストレッチを三十分かけて行う。そして、トレーニングに入る。拳立てといわれる、こぶしを板につけての腕立て伏せ。これが最初の頃は、ものすごく痛かった。
そして、腹筋と背筋を五十回。それから、スクワット二百回。少しでも、もたつくと、オラどうした!と主将の激が飛ぶ。その後、型を稽古し、最後に二人で組み手を行う。私の相棒は、宮田君だった。
稽古を始めて、すぐに強くなったと錯覚した私は、中学校時代とはバイバイし、目の前はぱっと明るくなった。また、学校で、私の線の細さをからかう奴には、少林寺拳法部で稽古をしていると言うだけで、無言になった。ただ、ウェスト一メートルがヤクザになったので、ケンカで勝ててもという恐怖心は付きまとっていた。
そのころ、私は幼馴染のお兄さんに借りたボズ・スキャッグスのヒッツというベスト・アルバムにも夢中になった。私は、ボズの過去のアルバムすべてを貸しレコード屋で借りて、テープにダビングしていた。そして、ヒッツは、高校を卒業するまで、年がら年中聴いた。
二年生が、私の人生の中で一番輝いている。クラスは、みな仲が良かったし、楽しかった。そして、女性も私のことを普通の男性として認知してくれていた。まさか、私がいじめられっ子だったとは、思ってもいなかっただろう。また、その当時の思い出の曲と言えば、クリストファー・クロスのオールライトである。イントロも良いし、彼の爽やかな歌声も良いし、ギターソロも良い。今でも、YouTubeで聞いている。さらに、MTVでオリビア・ニュートンジョンのフィジカルを見て、あんな嫁が将来欲しいと思った。
さて、少林寺拳法の稽古に戻るが、週に6回で稽古していた。そして、我々は、たまに、高校から箕面の滝までの片道7、8キロメートル走っていた。その時には、学校の緑のジャージを着て走っていたのだが、確かサッカー部に、お前らあのダサい、学校指定のジャージ着て走るの止めて、と言われた。
そこで、我々は、胴着で走ることにしたのだが、高2になって初段が取れた私は、黒帯を絞めて走ることに快感を覚えていた。見ろ見ろ、俺って強いんだぞ、カッコええやろという感じ。
箕面の滝から帰る途中に、横にそれれば展望台に行ける階段がある。その直前で貫禄があり社長と呼ばれていた山村が、おいカックン、行くか?と言って、胴着からセブンスターを出す。
おお、と言って、猛ダッシュで駆け上がり、展望台で一服する。そして、山村が、「俺ら、体にええことやってんのか、悪いことやってんのか分からんなあ」と言って、二人でほほ笑んでいたのを思い出す。
また、山村で思い出すのは高校二年の時に行った多度津町での合宿だ。夜、二人でまちを歩いていたら、地元の高校生と思われる四人がうんこ座りしながら、タバコを吸っていた。そして、その中の頭格がこう言った。
「おい、お前らあんまりデカい
すると、社長は「おう」の一言で片づけていた。俺は、揉めるかなと思っていたのだが。
私と組み手の相棒、宮田は、引退する直前に演武で大阪府の大会に選抜で出場させてもらったが、シゴキではなかったものの、何かしら私に辛く当たる一つ上の主将の鼻をくじこうと最後のルールを破り、入選はしなかった。しかし、それは今になっては、バカだったと思う。
この頃、ラジオで小泉美穂のオールナイト・ジャパンが始まったとを弟に教えてもらった。私は、彼女はクール・ビューティで敬遠していたのだが、ラジオを聞くようになり、暖かい人柄にふれてファンになった。
クラスメートの小谷からは、イギリスの代表的なプログレッシブ・バンドのピンク・フロイドのファイナル・カットのテープをもらった。ピンク・フロイドの音楽が、私が通ってきたこれまでの人生と共鳴するところが十分にあったのかもしれないが、私はこのファイナル・カットの虜になってしまった。
受験勉強をしているときに、ギターソロが頭の中を流れ、本当に邪魔だった。ちなみにピンク・フロイドの名前の由来は、Pinkney "Pink" Anderson とFloyd Councilというブルースマンからきている。
私は、二年生で少林寺拳法を引退するすこし前から、エレキギターをはじめた。そして、夢中になっていった。まず、イーグルスのホテル・カリフォルニアを練習し始めた。ギター教室で学ぼうかなどとも考えたが、果たしてジミ・ヘンドリックスが学んだのかと言えば、そうではないだろうと考え、俺も自己流で行くという事になった。
高校二年生の時に、北朝鮮の工作員によるチョン・ドゥファン大統領を狙ったラングーン爆弾テロ事件が発生した。また、三年生になって、山口組が一和会と分裂して、山一抗争が始まった。さらに、阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件、グリコ・森永事件も始まった。
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