第3話 骨骨ソング

 小学校二年生の時に南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が北ベトナムの勝利で終結した。初めてアメリカが負けた戦争である。また、アメリカはこの頃、ラブ&ピースを標榜するヒッピー・ムーブメントが起こっていた。


 私は、小学校4年生になって、スイミングクラブは止めて、カブ・スカウトに入隊するともに、野球少年になった。壁にボールを打ち付けて、跳ね返ってきたところを取るという練習をしており、守備には自信があった。しかし、バッティングはぜんぜんダメ。ボールが来ると足がすくんだ。


 ある日、練習から帰ってくると父親に、「お前は、どんなに頑張っても甲子園には行けへんって。だから、勉強しろ」と言われた。それまで、明るかった目の前の光景が濁ったすりガラスのようになりガラガラと崩れ落ちて行った。


 運動したい盛りに、家で机に座って勉強することは、ものすごく辛かった。そして、五年生になって、私は私立中学を目指して、今度は塾に通わされた。私は、小児うつを発症していたと思う。と、いうか私は自殺未遂を起こしている時点で頭がすでに狂っているわけだが。社会人になって、なぜ子供のころから塾を強制させたのかと両親に聞くと、「良い大学に行って、良い会社に入って、安定した人生を送ってもらいたかったからや」と答える。


 しかし、子供から運動を取ると、精神的に大変なストレスがかかる事を両親は、理解していなかった。また、私は、ストレスからか給食に出る冷たい牛乳が飲めなくなった。牛乳を飲むと、午後に大便に行きたくなるのだが、担当の先生が、「お前が、牛乳飲むまでみんなの昼食は、終わせない」と言う。私は、今でも彼女の事を恨んでいる。なぜならば、当時の小学校ではトイレで大便ができなかったからである。


 トイレの扉を閉めているのが、見つかり次第、「うわー、誰かが、うんこしとるー!」と上から黒板消し、ホースなどが落ちてくる。私の家は幸運なことに、学校から近かったので、昼食後、便意をもようした時には家に帰って用を足していた。しかし、中には校門を出るところまでつけて来る奴もいた。そして、学校に戻ると、「お前、うんこしてきたやろ」と言う。小学生とはいえ、なんとも性格の悪い奴だった。


 また、この頃、私が体の細さをバカにされ始めた。骨骨のソングなるものを歌われるのだ。私は、泣きながら、机を持ち上げて相手に当たらないようにガーンとぶつける。すると、「うわー、カックンが、発狂したー、発狂したー」とはやし立てられる。今になって思えば、バカにした奴らにぶつけてやれば良かったのだが、私には、そういう発想がなかった。


 小学校6年生になって、三菱銀行人質事件が起こった。三菱銀行北畠支店に猟銃を持って押し入り、客と行員30人以上を人質にとった銀行強盗および、殺人事件である。私は、このニュースを母親が塾に送る車の中で暗澹たる思いで聞いた。事件がそうさせるのではなく、塾通いに暗澹とさせられていたのである。私は小児うつを発症していた。


 私の私立中学受験の結果は、不合格であった。

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