第3話 骨骨ソング

 私は、小学4年生になって、1年生から始めたスイミングクラブはやめて、カブスカウトに入隊するともに、野球少年になった。


 壁にボールを打ちつけて、跳ね返ってきたところを取るという練習をしており、守備には自信があった。


 しかし、バッティングはぜんぜんダメ。ボールが来ると足がすくんだ。ある日、練習から帰ってくると父に、「お前は、どんなに頑張っても甲子園には行けへんって。だから、勉強しろ」と言われた。


 それまで、明るかった目の前の光景が、濁ったすりガラスのようになりガラガラと崩れ落ちて行った。


 子供から運動を取ると、精神的に大変なストレスがかかることを父は、理解していなかった。


 また、私は父に数学を教えられ、練習問題を解くのが遅いと、「もっと早く!もっと早く!」と急き立てられてもう嫌だと泣くと彼に口をふさがれた。


 鼻炎があり、息がうまくできなかった私は、殺されると思い持っていたシャープペンシルで父の脇腹を刺してやろうかと思った。


 しかし、それもかわいそうだと思いとどまった。しかし、これでまた父への恐怖心は高まった。


 さらに、ストレスからか給食に出る冷たい牛乳が飲めなくなった。


 飲むと直後に大便に行きたくなるのだが、担当の斉藤先生が、「加福が、牛乳飲むまでみんなの昼食、終わらせへん」という。


 私は、今でも彼女の事を恨んでいる。


 何故ならば、トイレの扉を閉めているのが、見つかり次第、「うわー、誰かが、うんこしとるー!」と叫ばれ上から黒板消し、ホースなどが落ちてくるからだ。


 私の家は幸運なことに、学校から近かったので、昼食後、便意をもようした時には家に帰って用を足していた。


 しかし、中には校門を出るところまでつけて来る森田という奴もいた。そして、学校に戻ると、「お前、うんこしてきたやろ」と言われた。小学生とはいえ、なんとも性格の悪い奴だった。


 また、この頃、私の体の細さをバカにされ始めた。骨骨ソングなるものを歌われるのだ。私は、泣き机を持ち上げて、相手に当たらないようにガーンとぶつける。


 すると、「うわー、加福が、発狂したー、発狂したー」とはやし立てられる。今になって思えば、バカにした奴らにぶつけてやれば良かったのだが、私には、そういう発想がなかった。


 小学6年生になって、三菱銀行人質事件が起こった。大阪市の北畠支店で発生した銀行強盗であり殺人事件である。 


 私は、このニュースを母が塾に送る車の中で暗澹たる思いで聞いた。事件がそうさせたのではなく、塾通いに暗澹とさせられていたのである。


 私はかなりのうつだった。私の私立中学受験の結果は、不合格であった。


 時間は少しさかのぼるが、1977年には、巨人の王貞治が対ヤクルト戦でホームラン世界新記録の756号を達成している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る