エピローグ
エピローグ
かつてはソビエト社会主義共和国連邦を構成する共和国の一つであったが、連邦の崩壊を経て、現在は独立した東欧の一国家となった共和制国家ウクライナ。そのウクライナの首都であり、また同時に国内最大の都市でもあるキエフに、今宵もまた夜の
キエフの街の中心部とも言える独立広場には多くの観光客や地元民が集まり、宵闇に包まれた首都の景色を眺めるともなしに眺めながら、思い思いの手段でもって真冬の東欧の空気を満喫する。そして独立広場から道なりに一㎞ほど北西に位置する五つ星の高級ホテルインターコンチネンタルキエフに眼を向けてみれば、ホテル内に店舗を構えるレストラン『コム・イル・フォー』での食事を終えたイライダが、ドアマンが開けた扉を潜って戸外の空気にその身を晒すところであった。
「イライダ様、どうぞお乗りください」
彼女の
「それでイライダ様、これから如何なさいますか?」
「そうね、予定していた用事も済ませた事だし、今夜はもう休みたいから、まっすぐ屋敷に向かってちょうだい」
運転席のボリスの問いに、後部座席の中央に足を組みながらどっかと腰を下ろしたイライダが、ややもすれば勿体ぶったような口調でもって返答した。するとボリスは「かしこまりました」と言ってからハンドルを切り、ホテルの前を走るヴェリカ・ジトームルスカ通りを、東の方角に向かって疾走し始める。
「ふう、ちょっと食べ過ぎたかしら?」
疾走するベンツGLAの車内で、フルコースの料理を残さず平らげた事によってぱんぱんに膨らんだ腹部を撫で
「あらプーフ、あなただったの」
果たしてイライダの髪を
「駄目よプーフ、飼い主の髪を
イライダはそう言いながら、肩に留まったプーフの羽毛に覆われた頭を指先でもって優しく撫でる。撫でられたプーフは気持ち良さそうに眼を閉じながらも、イライダの食事中はずっと車の中に取り残されていた事を抗議するかのように、彼女の真っ白な髪を小さな
「まったくもう、プーフは悪い子ね。誰に似たのかしら」
女主人の頭髪を悪戯に
「あら?」
独立広場から続くフレシチャーティク通りを南下中に信号待ちのために停車したベンツGLAの車窓から垣間見えたのは、何の変哲も無い、どこにでも在るようなバスの停留所であった。そして今からほんの数か月前、その無人の停留所で出会った一人の老人の事を思い出したイライダははっと息を呑み、運転席でハンドルを握るボリスに告げる。
「ボリス、行き先変更よ。今すぐペチェールシク大修道院に向かってちょうだい」
「は?」
「ペチェールシク大修道院に向かってちょうだい!」
「は、はい!」
イライダから二度にも渡って命令されたボリスは強引にハンドルを切り、クラクションを鳴らして周囲の車輛を押し退けながらUターンすると、彼が運転するベンツGLAをミハイロフルシェフスキー通りに進入させた。そしておよそ十分後、キエフ市内を流れるドニエプル川から程近いペチェールシク大修道院の前で停車したかと思えば、女主人に先んじて降車したアンドリーが後部座席のドアを開ける。
「ご苦労」
忠実なる
「ここから先は、
イライダがそう言うと、アンドリーとボリスの二人は
「……久し振りね、オレクサンドル」
そう言ったイライダが見つめる真新しい墓標には、やはり真新しい
「……ねえ、オレクサンドル。あなたは天国で、あなたのカチューシャと再会出来たのかしら?」
イライダがそう言って問い掛けても、当然の事ながら、天に召されたオレクサンドルからの返事は無い。
「……
そう言ったイライダは肩を震わせ、スズメフクロウのプーフが彼女の真っ白な頭髪を小さな
「……本当に、男って馬鹿なんだから」
オレクサンドルの墓前でそう言うと、イライダは少しだけ泣いた。
了
イライダの悪戯 大竹久和 @hisakaz
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