【幕間】犯人のあなたへ
私が嘘をつけない理由が知りたいのですか?。
少し長い話になりますし、楽しい話題ではないと思いますが……。
なるほど、分かりました。あなたが望むなら、お話ししましょう。
あれはそう、十年前、私が中学生になったばかりの頃のことです。
「あなたが正しく、まっとうに、嘘をつくことなく生きていたら、きっとまた会えるから」
だから、もう泣かないで?
死に際に、母はそう言い残しました。中学一年生になり、背負っていた赤いランドセルが、紺色のスクールバッグに変わり、セーラー服に袖を通し始めたばかりの頃のことです。
その日は学校が終わった後、仕事が早く終わった父と母が車で迎えに来てくれました。私は後部座席に座り、一日にあった出来事を報告しながら、親戚の家で私たちを待つ、妹の舞花のことを思いました。舞花はたまたま学校がお休みだったので、一足先に親戚の家に足を運んでいたんです。早く合流するために、いつもより少し、父の運転は速足でした。もちろん、法定速度はきちんと守っていましたが。
車の中には穏やかな時間が流れていました。
私の話に母が応え、父はにこにこと笑って聞いている。とても楽しい時間でした。
交差点で突っ込んできた大型トラックが、前の座席を吹き飛ばしたのは、家まであと少しという時のことでした。
ハンドルを切りそこない、大きくスリップしたトラックは、父が座っていた運転席をぺしゃんこにし、母の座っていた助手席までも圧迫しました。
私は奇跡的にほとんど無傷でした。
救急車が呼ばれました。
救急隊の人に助け出されました。
助手席のわずかな隙間から引きずり出された母の姿をぼんやりと眺めていました。もう少し丁寧に助け出してあげて欲しかったですね。手足がちぎれてしまうのではないかと思いましたから。
私は母と一緒に救急車に乗せられました。父の姿はありませんでした。他の救急車に乗っているのだろうかと私は首を傾げました。
瞼の裏に残っているのは、バックミラー越しに見えた、目じりを下げて楽しそうに私の話を聞いていた父の笑顔でした。
その数瞬後。
激しい衝撃と共に、運転座席は武骨な鉄の塊に占領されて、父の姿は見えなくなってしまいました。いったい父さんは、どこに行ってしまったのだろうと、不思議に思いました。
救急車の中で、母が私に声を掛けました。
「椎菜ちゃん……」
かすれた声でした。
周囲の大人が、慌ただしく何かを叫んでいました。とてもとてもうるさくて、私は少し黙って欲しいと思いました。
「椎菜ちゃん、いる……?」
「いるよ」
私は母の手を取りました。粘り気のある赤い血で塗れた、何度もつないだことのある温かい手は、私の手を握り返しはしませんでした。
「あの、ね……椎菜、ちゃん……」
「うん」
「あなたが……しく…………、嘘をつくことなく、生きて……ら、きっとまた、会いに、行く……ら――……からもう、泣、……な、いで?」
「え?」
驚きました。
私は、自分が泣いているなんて気づきませんでしたから。
だけど、また会えると母さんが言うのならば、そうなのだろうと思いました。母は嘘をついたことがありませんでしたから。母の言葉を疑う余地はなかったのです。
だからそう。
家に帰って、わんわんと泣きじゃくる舞花をそっと抱きしめて、私は言いました。
「大丈夫。私がきっとまた、父さんと母さんと、会わせてあげるからね」って。
そうして私たちは、親戚の芽々さんに引き取られました。
そうです。あの日会いに行くはずだった親戚というのは、芽々さんのことだったのです。
芽々さんは優しい人でした。
普段は山の中のお屋敷に住んでいましたが、私たちを養うために、わざわざ都内に住居を借りて、一緒に暮らしてくれたんです。
「私たちだけでも暮らせます」
と言うと、
「じゃあ、高校生になるまでね」
と言われ、
「高校生になったので、もう大丈夫です」
と言うと、
「じゃあ、卒業するまでね」
と言われました。
結局、舞花が看護学校に通うようになるまで、私たちは都内のマンションで一緒に暮らしました。
当初はふさぎ込んでいた舞花も、時が経つにつれて少しずつ明るくなっていきました。また両親に会う時に、元気な姿を見せた方が喜ぶだろうから、本当に良かったと思いました。
舞花は私とは対照的に、たくさんの友達を作って、遊びに出かけるようになりました。芽々さんに門限は定められていましたが、舞花は度々それを破っては、芽々さんに静かに叱られていました。時には出来の悪い嘘をついては芽々さんに看破され、より一層叱られたこともありましたね。
「あんまり芽々さんを困らせちゃダメだよ」
と、私はやんわりとたしなめたりしたのですが、
「だって楽しいんだもん。姉さんも今度一緒に遊びに行こうよ」
なんて、彼女はどこ吹く風で私を誘ったりしました。
夜遊びなんてもってのほか、嘘をつくつもりもありませんでしたので、私はいつも断っていました。父と母に会うためにここまで頑張ったのに、それを台無しにすることなんて馬鹿げていますから。
舞花は複雑な顔をして、ただ一言「そっか」と悲しそうに応えました。
もちろん、学校に行き、色々な人と喋れば、自分の考えが揺らぐことはありました。
父さんと母さんは、もう死んでるんじゃないか? そんな風に疑ったことも、何度かあります。
けれどそんな時、私の心の支えになってくれていたのは、芽々さんの部屋にある蔵書の数々でした。死にまつわるたくさんの本が置いてあって、私は学校では教えてくれない様々な知識を吸収しました。
魂の証明や、死んでから数日後によみがえった人の話、そもそも身体というのは魂の器でしかなくて、身体的な機能が止まることを悲観する必要はないという話。私はそういうお話をたくさん読んで、自分の中の確証を強めました。
きっと世の中には色々な死の在り方があるんだろう。
ならその中で、父さんと母さんが本当は死んでいないということも、あっていいではないか。私は嬉しくなりました。
やがて時が過ぎ、大学に行くか就職するかの二択を迫られました。
私はどこかの企業に就職するつもりで、芽々さんに相談したのですが、
「椎菜ちゃん、私の元で働いてみませんか? 少しの間でもいいの」
芽々さんは私にそう提案しました。
ちょうど芽々さんに聞きたいこともあったので、一も二もなく承諾しました。
舞花が看護学校に通い始めたのを境に、私たちはお屋敷に引っ越すことになりました。
メイドの仕事や、秘書の仕事を教える傍ら、芽々さんは度々、私に話を聞かせてくれました。それは、死の定義についてのお話でした。
「一般的には、心臓が止まって、脳機能が停止すると、人は死ぬと言われているの」
「死ぬっていうのは、どういう状態ですか?」
「もうその人とは会えなくなる、ということね」
だとすればやはり、父さんと母さんは死んでいないと思いました。
私が正直に生きていれば、いつか会えるのですから。
「私はいつ、両親に会えるのでしょうか」
私が問うと、芽々さんは優しく微笑んで答えました。
「それはとても難しい問題ね。じっくり一緒に考えましょう」
それからというもの、私は度々、芽々さんと死についての話をしました。
「あなたのご両親は生きている。それでは、他の人たちはどうかしら? 例えばあなたのお友達の親御さんが亡くなったとして、あなたはその子に『ご両親はまだ生きているよ』と言うのですか?」
「言いません」
「どうして?」
「その子の両親の死は、私には関係がないからです」
「じゃあ、死んでいるのね?」
「分かりません」
「どうして?」
「私の母は、死んでもまた会えると言い残しました。だからまだ生きています。けれど、その子の両親が友達に何を残したか、私は知りません。だから、生きているのか死んでいるのか、私には分かりません」
「死の範囲が限定的なのね」
「どういうことでしょう?」
「椎菜ちゃんは無意識に壁を作っているのね。自分の周りを高い高い壁で囲って、その中だけで収支を合わせているの。壁の向こう側では何かが起こっているかもしれないし、あるいは何も起こっていないかもしれない。そこに興味は払わない。あなたの世界は、完結しているから」
「すみません、よく分かりません」
「あなたは自分自身の死についてはどう考えているの? とくとくと胸の内側で脈打つ心臓が止まったら、あなたはどうなると思う?」
「心臓が止まります」
「そうするとどうなるの?」
「分かりません」
「壁の中すら空虚なのね」
「どういうことでしょう?」
「では、話を変えてみましょう。例えば私の心臓が止まったら、私は死ぬのかしら?」
「……分かりません」
「どうしてかしら?」
「分かりません」
「私はもうあなたと会話を交わすこともできなくて」
「分かりません」
「何かを共有することもできなくて」
「分かりません」
「新しい情報を取り入れることも、吐き出すこともできない私は、生命活動的な代謝だけでなく、社会的な代謝も、経済的な代謝も、あらゆる概念を統合した情報的な代謝を行うことが出来ないのに」
「分かりません」
「それでも」
「分かりません」
「あなたは」
「分かりません」
「……」
「……」
「……では、こうしましょう。私は椎菜ちゃんのお母さんと同じ約束をします」
「どういうことですか?」
「あなたが正直に、嘘をつかず、真っ直ぐに生き続けることが出来たなら。私はいつかまた、あなたと会うことが出来るでしょう。これならどうですか? 私の心臓が止まっても、椎菜ちゃんの中で私は生きていますか?」
「はい、生きています」
「そうですか。では今、約束をしましょう。よく覚えていてくださいね?」
「分かりました。絶対に忘れません。ところで芽々さん」
「なあに?」
「私はいつ、両親や芽々さんと会えるのでしょうか」
「それはとても難しい問題ね。じっくり一緒に考えましょう」
……ええ、色々な話をしました。本当に、色々な話を。
先に進めましょう。
ある日私が、芽々さんの書類作りの手伝をしていた時のことです。
彼女は私に言いました。
「私はね、椎菜ちゃん。叶えたい夢があるの」
「なんですか?」
「ふふ、きっと聞いたら驚いてしまうかも。やっぱり言わない方がいいかしら」
「そこまで言われたら、気になります。教えてください」
「分かったわ。でも、誰にも言ってはダメよ? 私はね――」
「早く誰かに殺されたいの」
森野芽々は。
死の本質は唐突さにあると常々言っていました。
しかし、年を経るにつれて、段々と自分の死期は分かってしまうものです。
人生という名の物語は、どんどんとページ数が少なくなり、唐突さは失われてしまいます。
病か、あるいは老衰か。
ページをめくる手が止まってしまうような、そんなつまらない死に方はしたくないのだと、彼女は切に語りました。
「それでね、殺された後の私の死体を囲って、いろんな人に死について語ってもらいたいの。私の死体が、生きている子たちの死生観に影響を与えるなんて、とっても素敵だと思わない?」
到底理解はできませんでした。
「あら、残念」
しかし、それも当然のことでしょう。
彼女は聡明でしたので、私などでは想像だにしない、何か高尚な思考経路をたどって、その結論に行きついたに違いありません。
私が殺せば、幸せになりますか?
私が問うと、しかし彼女は首を横に振りました。
「それはダメよ。だって私は、この話を椎菜ちゃんに話してしまったんだもの。椎菜ちゃんに殺されても、ちっとも唐突じゃないわ。私はね、通りすがりの知らない人とか、会って間もない人とかに、ぱっと殺されたいの。だから、椎菜ちゃんじゃダメ」
とても残念でした。ええ、とても無念に思いましたとも。
お世話になった彼女の願いを叶えてあげられないなんて、なんて自分は無力なのだろうかと悔やみました。悔しすぎて、思わず涙がこぼれてしまいそうになるほどに。
「だけどそうだわ。折角だし、遺書を残しましょうか。善は急げ、今から書きましょう。椎菜ちゃん、手伝ってくれる?」
遺書の最後には、ボイスメモを仕込みたいと彼女は言いました。吹き込む内容は教えてもらえませんでしたが「自分は死後、幸せである」という内容を込めるつもりだと言っていましたね。
遺書の作成を手伝いながら、私はふとあることを思いつきました。
死を見る会。
この会に参加するメンバーは流動的で、一度だけ参加するという人も少なくありません。一期一会で刹那的な邂逅。まさに森野芽々を殺す人間に相応しいではありませんか。この人たちに殺されたならば、きっと彼女も幸せに違いありません。
その日から私は、死を見る会のメンバーを使って、森野芽々を殺す計画を立て始めました。
ある時から、死を見る会のメンバー選抜は私に一任されていましたので、ホームページに登録してくれた方のプロフィールや質問事項への回答から、相応しい人物の選定を始めました。死についての所感を述べる欄もあるので、隅々まで目を通しました。
計画が漏れてしまっては、唐突な死を与えることもできません。事は慎重に進める必要がありました。
そして今年の一月、ついに求めていた人と出会いました。
そう、あなたのことです。
少し話が長くなりましたね。
これが真相、これがあなたに森野芽々の殺害を依頼した背景です。
私が嘘をつけないことを、あなたは不安に思っているようですね。
でも、大丈夫です。必ずあなたには迷惑がかからないようにしますから。
少し予行演習をしましょうか。
例えば「誰か犯人に心当たりがありますか?」と問われれば、私は「全員が怪しく思えます」と答えましょう。幸いにも、集まってくるのは死に興味がある人ばかりですから、嘘ではありません。
「あなたが犯人ですか?」と問われれば、私は「いいえ」と答えましょう。実際に森野芽々を殺すのはあなたなのですから、嘘ではありませんよね。
……え? 「犯人の名前を知っていますか?」と問われた場合ですか?
確かにその時は、私はあなたの名前を話すしかありませんね。
ですが、ご心配なく。そんな問いかけをされるのは、私が犯行に関わっていると明らかにされた後でしょう。少なくとも犯行から一日は立っているはずです。その頃には私の目的も達成されていますので、さっさと自分の喉をかき切って、あなたの名前を漏らさないようにします。
……それでは私が死んでしまうのではないか、ですか?
ふふ、何を言っているんですか?
私は死にませんよ。ええ、死にませんとも。
ただ心臓が止まるだけなんですから。
目を開けると、目の前に舞花が立っていた。
傍らには多古島さんが立っていて、私の手は鮎葉さんが握っていた。
わずかな時間、私は過去を思い出していたのだと気づいた。
森野芽々を殺す計画を立て始めた時から、今日に至るまでのことを思い出していたのだ。
どこからおかしくなったのだろうか?
計画は順調だった。
順調、だった。
舞花が嘘の発言をして、私は戸惑った。
なぜ舞花があんなことを言ったのか、理解できなかった。
計画に大きな支障は出なかったけれど、微調整は必要になった。私は努めて冷静に、その処理を行った。
森野芽々の遺したボイスレコーダーが再生され、私はさらに戸惑った。
「私はもう、あなたたちには会えません」
彼女はそう言っていた。
おかしい、話が違う。
話が違うじゃないですか。
あの時芽々さんは、私がまっとうに生きていれば、嘘をつかなければ、また会えると約束してくれたじゃないですか。
母さんが言ったのと同じように、そう約束してくれたじゃないですか。
理解できなかった。
何が起こっているのか分からなかった。
言葉の真意を、芽々さんに確かめたかった。
だけど、どうやって?
じりじりとした焦りが、足元を焼くようだった。
目を背けていた真実が、今、目の前に突き付けられている。
瞼を閉じることも、視線を逸らすこともできず、私はそれを直視する。
どうすれば、芽々さんと話せるのだろう?
芽々さんに教えてもらえるのだろう?
無理だ。
不可能だ。
そんなことはできやしない。
だって。
だって芽々さんは。
森野芽々は。
〇〇、〇〇〇〇〇〇〇〇〇。
――高い壁を築いていた。
外の世界から切り離して、自分の中だけで大切に大切に抱いていた物があった。
空っぽの自分の中に閉じ込めた、小さな願いにだけ視線を置いて、他の物には目もくれず、ただひたすらに妄信した。
壁の外から声をかけてくれた人がいた。
壁によじ登って、手を差し出してくれた人がいた。
私は認めたくなかったから、彼女たちから目を逸らし続けた。
いつまで信じ続ければいいのだろうか。
いつまで知らないフリを続ければいいのだろうか。
空虚な心の内側を、じりじりと焼く焦燥感に身を燻られながら、それでも思い出を抱きしめた。
だけど今、腕の中の思い出は、色を変えたから。
「椎菜さん、あなたは森野さんを殺しましたか?」
私は。
私は自分の意志で。
「はい、私が森野さんを殺しました」
――嘘をついたんだ。
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