【十九】推理2

「まず、霊山さんの手紙を読むまでの私の思考の変遷からお話しましょう。

 今日、私たちが森野さんとお会いした後に彼女の部屋を訪れたのは、霊山さん、椎菜さん、舞花さんの三名でした。最後に声を聞いたという舞花さんの証言から、十七時半までは森野さんが生きていたと設定しました」


 同じく、森野の死体を発見したのも舞花で、これが十八時過ぎのこと。

 多古島は犯行時間を十七時半から十八時の間と見込んだ。


「そこで私は、十七時半以降の皆さんのアリバイを聞くことにしました。十七時半が起点になっていたのは幸いでした。人は何かを記憶する時に、それ以外の別の情報と紐づいている方が、より詳細に物事を思い出せる傾向にあります。脳内のニューロンが使いまわされることによって生じる、いわゆる関連付け記憶というやつですね。十七時半には振り子時計の鐘の音が鳴っていたので、証言の確度も上がっていたと考えます」


 言われてみれば、確かに証言していたほとんどの人間が、鐘の音に言及していた気がする。


「しかし、皆さんの証言を集めましたが、残念ながら犯人を特定することはできませんでした」

「結局、誰かが嘘をついていても分からなかったからな。一方向性の目撃証言しかなかったから、仕方のないことかもしれないけど」


 唯一信じられるのは嘘をつけない椎菜の証言だが、しかし彼女は問題の時間帯の大半を一人で過ごしていた。犯人の特定には結び付かない。


「はい、その通りです。ですが私は、椎菜さん以外に、少なくとも三人の方の証言は正しいと思っています」


 鮎葉は首を傾げた。


「なんでそんなことが言いきれるんだ?」

「証言をした順番ですよ」


 多古島の一言で、はっとひらめいた。

 こんな単純な図式を見落としていたとは……。

 そもそも全員が証言を終え、何の矛盾もなく時系列が成立した時点で、この図式は思いついておくべきだったのだ。


「お気づきのようですね。そうです。ある誰か……仮にAを置きましょうか。Aの行動を、Aが発言する前に言い当てるという行為は、発言者のアリバイを証明することになりますからね」


 例えば、万知は一番に自分のアリバイについて話した。その時、霊山が浴室に入っていったことを証言したが、その後に順番が回ってきた霊山はこれを否定しなかった。万知は確かに霊山のことを目撃していることになり、霊山だけでなく、万知自身のアリバイも証明していることになるわけだ。

 あの時、アリバイを話した順番は、万知→絵上→砂金→霊山→多古島→鮎葉→椎菜→舞花。 

 一方、目撃証言の順番は、砂金→絵上→舞花→万知→霊山→多古島・鮎葉。

 この中で、目撃した人物の行動を事前に聞いていたのは、砂金と舞花の二人だけだ。


「ですので、万知さん、絵上さん、霊山さんの三人は、少なくとも嘘はついていないということになります」

「霊山さんに関してはグレーじゃないか? 砂金さんも言っていたけど、俺とお前はずっとタコの話をしてたんだからさ」

「時間帯に関しては、その通りですね。ですが、一階に降りてきて、私たちの声を聞いたと言うのは間違いないのでしょう」

「それもそうか……。だけどさ多古島。なんでこれを、あの時言わなかったんだよ」


 鮎葉が問うと、多古島は肩をすくめた。


「実は本当に欲しい情報は他にあったんです。それを犯人に知られたくなかったというのが正直なところです。私があたかも、八人の目撃証言を重要視しているように思わせる。それが狙いでした」

「……どういうことだ?」

「ふさわしい言葉が見当たらないんですが……なんというか出来過ぎている気がしたんです。まるで物語の筋書き通りに走らされているような、奇妙な違和感があったと言いますか……。とにかく、犯人には必要以上に情報を渡したくないと思ったんです」


 多古島にしては珍しく、歯切れの悪い口調だった。

 それにしても、物語の筋書き通りに走らされている、か。随分と詩的な表現だ。鮎葉の知っている多古島は、こういう表現を多用する人間ではなかったと思うのだが。


「お前が意図してたことは分かったよ。それで、肝心の知りたかったことっていうのは、なんなんだ?」

「私が重要視していたのは、目撃証言ではありません。森野さんの部屋に通じる廊下で『』でした」


 いいですか、と多古島はすっかりもとの調子に戻って、饒舌に続ける。


「あの時の皆さんの話を聞いて、それぞれの人物がどのように屋敷内で移動していたかが分かりました。それによって、二階の森野さんの部屋に続く廊下で『誰も目撃されていない時間帯』があることが分かったんです」


 人と人との間の目撃情報は、あくまで時間軸をベースにしている。多古島はそれに空間的な情報を加えたわけだ。


「証言をすり合わせた結果、森野さんの部屋に続く二階の廊下前には、こういう時系列で人が通っています」


 そう言って多古島は、ベッド脇に設えられたメモ帳にさらさらと書き始めた。


 十七時二十分頃~

 霊山 二階自室→一階

 椎菜 森野自室→万知自室

 舞花 自室→霊山自室→一階玄関

 万知 一階自室→二階自室


「もしこの時間帯に、犯人が森野さんの部屋に向かおうとしていれば、この中の誰かに目撃されているはずですよね」


 鮎葉は「なるほど」と頷いた。


「だけど、誰もそんな証言はしなかった。だからこの時間帯に、犯人は森野さんの部屋に行ってないってことか」

「はい。しかも十七時五十分頃には、椎菜さんが砂金さんの部屋を訪ねていますし、ダイニングホールへの移動中に万知さんと会って、十八時までその場で話し込んでいます」


 万知が一階から二階へ上がったのは何分頃だろうか。他の証言を踏まえると、恐らく十七時四十分頃と推測できる。つまり――


「そうです。森野さんの部屋に行くための廊下を、誰にも見られずに通ることが出来たのは、本当に限られた時間ということになります。では、その時間帯に移動できた人物は誰でしょうか? 万知さん、絵上さん、霊山さん、椎菜さんの証言は信用に足る根拠がありますので、それらと照らし合わせて考えてみましょう」


 多古島は二本の指を立てた。


「可能性があるのは二人です。

 一人目は舞花さんです。彼女は玄関から戻った後、そのまま真っすぐ森野さんの部屋に行くことが出来たはずです。舞花さんの部屋は森野さんの部屋の斜め向かいですので、凶器や返り血の処理も簡単だったかもしれません」


 一応持ち物検査は実施しているが、彼女はこの屋敷に何度か来たことがあるはずだ。うまく隠せる場所を知っていたのかもしれない。そもそも、検査が甘かった可能性も否定はできない。


「二人目は絵上さんです。舞花さんがダイニングルームに移動して以降、玄関から入り、そのまま森野さんの部屋へ。森野さんを殺害したのち、ルーフバルコニーから庭へ飛び降り、スケッチブックを回収。玄関から何事もなかったかのように戻ることができます」


 加えて絵上は、唯一外にいた人間だ。返り血のついた服や凶器を捨てることも、他の人よりも容易だったかもしれない、と多古島はつなげた。


「後はそうですね……。万知さんはお部屋を移動して以降二階にいましたので、森野さんの部屋に行くのは簡単だったでしょう。ただ、五十分に椎菜さんと砂金さんに会っています。時間がいささか足りなかったかもしれませんので、可能性は低いと考えました」

「他の人間はどうなんだ? 例えば、唯一誰にも目撃されてなかった砂金さんとか」


 多古島は首を振った。


「この条件だと、砂金さんの犯行はかなり厳しいと思います。彼女は足が悪いですから」

「限られた時間内で森野さんを殺して、そのまま自分の部屋に戻るのは、難しいってことか」

「はい。あとは霊山さんですが、彼女が私たちの会話を聞いたのは、時系列的に後の方ですので、時間的な制約が厳しいかなと思います。もっとも、私たちの会話を聞いた時間を偽っていた場合はこの限りではありませんが……」


 残っているのは椎菜だけだが、彼女はずっと厨房にいたと証言している。犯行は不可能だろう。


「つまりですね、私は舞花さん、絵上さん、万知さん、砂金さん、霊山さん、椎菜さんの順番で、犯行を行った可能性があるのではないかと考えてたんですよ」


 多古島の話を聞いている感じだと、今の推理は森野のボイスメッセージを聞く前、全員の話を聞いている段階で、ある程度予測を立てていたようだった。


「お前……あの時点でそこまで考えてたのか」

「考えただけで、全く推理は完成していません。結局、先輩と私以外の白は確定していませんからね。まあ、私たち以外の人から見たら、私と先輩も相当怪しいですが……。とにかく、決定的な証拠が見つからないんですよ」

「それを見つけるために、現場検証をしたんじゃなかったのか?」


 現に多古島はあの場で「この情報だけで犯人を特定しようとは思っていない」と言っていた。実際、現場を検証したことで、三つの謎を提示していたはずだ。

 それを突き詰めれば、新しい見解が得られるのではないだろうかと、鮎葉は思ったのだけれど……しかし多古島は、不服そうに唇を尖らせた。


「確かに新しい情報は入りましたけど、犯人を絞り込むのは多分無理です」

「なんでだよ」

「遺体と事件現場から予測できるのって、殺害の方法と犯人の動向、後は動機くらいなんですよ。今回でいえば、森野さんの死因は刃物を用いた頚部損傷。これは先輩のお陰で確実でしょう。問題は動機の方です」

「どうして犯人が森野さんを殺したのかってことか」

「ええ。『遺体を移動させた理由』と『偽の凶器を部屋の中に置いた理由』は、恐らくこの動機に関わる部分です。だけど、今回の集まりは『死を見る会』なんです」


 死を見る会。

 死について興味を持つ人たちが、それぞれの死生観を交え、死についての造詣を深める、死と真摯に向き合い続ける会。

 だとすれば。


「極端な話、ここに集まっている全員に、森野さんを殺す動機があるだろうということです」

「死に興味があるから、誰もが森野さんを殺す可能性があるってことか」

「はい。先輩も聞いてたでしょう? 絵上さんと霊山さんの話。あれを聞いた後だと、動機をしっかり考えるのがバカらしくなってきます」


 絵上は絵画のモチーフとして、霊山は魔女宗の儀式として、それぞれ現場の不可解な点を説明して見せた。


「万知さんが死生学の哲学を持ってきたり、森野さんの死生学に感銘をうけていた砂金さんが、独自の死生観で森野さんを殺してても、私は驚きません。森野さんと長く一緒に暮らしていた、舞花さんや椎菜さんも同様ですね。他人に理解されない、狂った思考回路をもって森野さんを殺したとすれば、全員に動機があって、犯人像を絞り込むことはできません」


 死について誰よりも考えてきた人たちだから、誰が犯人であったとしても、納得ができてしまう。そしてそれ故に、動機の面からは犯人を絞り込めないということか。


「唯一ちょっと系統が違うのは、『森野さんがいつもは座っていないソファで殺されたこと』なんですが……まだ明確な回答は見つかっていません」


 ふぅと息を吐きながら、多古島は続ける。


「これに関しては、椎菜さんの言った通りだった、という感じですね」

「椎菜さんと何か話したのか?」

「はい。先輩が現場検証をしている間に、椎菜さんに聞いたんです。『犯人に心当たりはありますか?』って。そしたら――」

「そしたら?」

「『死を見る会のメンバーですので……、全員怪しく見えてしまいます』と」


 もっともな意見だった。確か、死を見る会のメンバーの選抜は、椎菜が手伝っているという話だった。ここに集まっているメンバーの背景は、故人である森野と同じくらい、彼女はよく知っているのだろう。


「とにかく、現場の情報からじゃ犯人を突き止めきれないって理由は、理解できたよ。でも、霊山さんが持ってきてくれた手紙のお陰で、状況は改善したんじゃないのか?」


 彼女の告発が本物であれば、舞花は嘘をついていることになる。それは、停滞した推理に対するブレイクスルーになり得るのではないだろうか?


「それが、逆に分からなくなりまして……」


 多古島は眉をハの字に下げた。


「舞花さんの発言が嘘、つまり十七時半に森野さんから通話を受けていなかったのだと仮定すると、最期に森野さんの生存を確認したのは椎菜さんで、十七時二十分頃。つまり、犯行はこれ以降に行われたのだと考えます。

 すでにこれまでの推理から、舞花さんには十七時半以降に森野さんの部屋を訪れることが出来る下地が整っています。それに加えて、さらに十分の余白時間があったとすれば、彼女が殺害出来る可能性はぐっと高まります。二十分から三十分の間に森野さんを殺して、一度外に出て、その後また戻って後処理をしたという可能性だってありますね」

「いいじゃないか」


 話を聞く限りでは、その推理に全く穴は無いように思えた。舞花が犯人、これで決まりなのではないだろうか?

 しかし多古島は首を横に振った。


「いいえ。よく考えてみてください。彼女はインカムで森野さんの生存を確認したと言っていましたよね。なら、どうしてもっと確実な方法で、それを共有しなかったんでしょうか?」

「それは……」

「インカムに着信があった様子を誰かに見せれば、それだけで彼女のアリバイは確実になるはずなんです。なのに彼女は、森野さんからの電話を誰からも見られていない自室で受けたと言っていました。アリバイ工作にしては、ちょっと中途半端じゃないですか?」


 確かに、頷ける意見だ。もし本当に舞花が森野さんを殺していたのだとすれば、もっと効果的な――少なくとも、自分が犯人から外れるような嘘をつくはずだろう。しかし、全ての犯人がそこまで綿密に計画を立てられるものだろうか?


 鮎葉は問う。


「そこまで考えてなかっただけなんじゃないか?」

「わざわざ凶器を持ち込んで、しっかりとその処理まで終えてる犯人が、肝心のアリバイの部分でそんな手抜きをするでしょうか? 私にはむしろ舞花さんの証言は……その場で思いついたから言ってみた。みたいな、計画性のない証言に思えるんです」

「言いたいことは分かるけど……なら、わざわざそんなことする理由は一体何なんだよ」

「それが分からないから困ってるんです」

 ぽすんと音がした。目を向けると、多古島がベッドの上で横になっていた。ベッドの端から垂れた足をふらふらと揺らしながら、独り言のようにつぶやく。

「さっきはあんなことを言いましたが……結局、この事件の最後のピースを埋めるのは動機なんでしょうね。だけど、そこに至る決定的な証拠がないから、詰め切れない」


 仄暗い部屋の中、多古島の表情は見えなかった。

 鮎葉は問いかける。答えは分かっていたけれど。


「あきらめるのか?」

「嫌です。絶対に解決してみせます」


 きっと明日の午後には警察を呼ぶことになるだろう。

 専門機関の手にかかれば、様々なことが詳らかに明かされるはずだ。消えた凶器や、返り血を浴びた服の行方も分かるだろうし、取り調べを進めれば、舞花が嘘をついた理由だって分かるかもしれない。

 血液検査で森野の体内から何か薬物が検出され、新しい見解が得られるかもしれないし、指紋や足跡、血痕から犯人の足跡がたどれるかもしれない。最近の血痕探査試薬は精度も高く、見えない痕跡もあらわにする。先端技術と専門職人があわされば、隠された真実が浮き彫りになる可能性は高い。

 多古島が推理をする義理はない。黙って時間が過ぎるのを待てばいい。


 だけど彼女は、諦めない。

 あの日以降、多古島が警察に対して良い感情を抱いていないというのも、理由の一つにはあるだろう。自分の家族を殺した犯人を、遅々として見つけることができなかった警察のことを、多古島は必要以上に軽蔑しているし、逆にあれ以来数多くの事件に首を突っ込み始めた多古島を、警察も邪魔者扱いしている。

 しかしそれよりも、何よりも。多古島をこうして突き動かしているのは……森野の遺書だ。


「自分の死について、たっぷりと時間をかけて考えて欲しい」。彼女を殺した犯人について時間いっぱいまで考えることは、彼女の遺志でもある。

 自分の家族の最後の言葉を聞けなかった多古島にとって、森野の願いは是が非でも叶えたいものなのだろう。彼女の気持ちは分かる、痛いほどに。

 だから鮎葉は、否定しない。


「いいんじゃないか」


 彼女の意志を、誰よりも尊重する。それが自分にできる、唯一の――


「……」


 かぶりを振って、鮎葉はベッドの上に体を倒した。多古島の頭がすぐ隣にあるのが、布団のひずみで分かった。

 電気の消えた薄暗い部屋の天井を眺めながら、ぼんやりと今回の事件について思考する。

 最後のピースは「動機」であると、多古島は言った。

 動機、すなわち、なぜ人が特定の行動を起こしたのか。

 無意識的にせよ、意識的にせよ、その背景には必ず理由が存在するはずだ。


 犯人は森野芽々を殺した。

 犯人は森野の遺体を動かした。

 犯人は偽物の凶器を現場に残した。

 森野は手の中に「私は後悔している」と自筆で書かれた紙を握っていた。

 森野は死後、「自分は幸せである」という言葉を遺していた。

 森野は部屋で紅茶を飲まなかった。

 舞花は森野が生きていた時間を偽っていた。


 こうして並べてみると、またずいぶんと、てんでバラバラに謎が散らばったものだ。

 しかし犯人だけは、全ての理由を知っている。森野を殺し、その瞬間を目撃した者だけが、謎のピースをくみ上げて出来上がる、真実の形を知っている。

 その人は今、何を考えているのだろうか。

 どんなふうに、今の状況を見ているのだろうか。

 バレないように息を詰めているかもしれないし、絶対にバレないという自信があって、堂々としているかもしれない。あるいは……もはや他人事のように、俯瞰しているのかもしれない。


 そう考えると、殺人事件の犯人が、酷く悲しい存在のように鮎葉には思えた。

 懸命に謎を解く人たちとは全く違うことを考え、行動する。

 それはさながら、一人だけ物語の外に置かれるようなもので、そこに寂寥を感じたり、孤独感を覚えたりするのではないだろうか。


 取り止めもなく、鮎葉はそんなことを口にした。

 何か目的があって口にしたわけではなかった。こういった状況に立たされた時、立体的な思考が苦手な鮎葉にとって、法医学的な見地から見解を述べた後は、基本的に出番はない。多古島の思慮の深さと速さには、鮎葉は遠く及ばない。

 だからそう。これはただの独り言、他愛のない雑談のつもりだったのだけれど。


「物語の外……ですか」


 多古島は何かが引っ掛かったようで、その言葉を繰り返した。

 やがてベッドの上から立ち上がり、部屋の中をぐるぐると回り始めた。


「森野さんのテーマは、死の唐突さと物語……それがもし、最後まで彼女の願いだったとしたら? だとしたら、この屋敷内の絵画の不統一性……そうか、枠とモチーフ、周囲との境界線……」


 歩を止め、壁にかかった絵画にそっと触れる。


「『狩猟の獲物、野菜、果物のあるボデコン』のテーマはとっても分かりやすい。だけどその他の絵は死とは全く関係ない。『フォリー=ベルジェールのバー』『ラス・メニーナス』『牛乳を注ぐ女』。当然作者は違うし、共通する流派も時代背景もない。『フォリー=ベルジェールのバー』は『ラス・メニーナス』の影響を受けたのかもって言われてるけど……『牛乳を注ぐ女』の特徴は、静謐観。光の加減が絶妙で、まるで絵の中の彼女を覗いているような感覚になると言われてる……。虚構と現実、物語と現実の境目……だとしたら――」


 多古島はそこで言葉を切って、虚空を見つめた。

 視線は絵画でも、鮎葉でもなく、窓の外に向いていた。まるでそこに誰かいるかのように、たっぷりと数十秒、見つめ続けた。

 やがて鮎葉が、自分の呼吸の音を思い出した頃。


「先輩、ありがとうございます。お陰でかなり真相に近づけた気がします」

「それはよかった。何が助けになったのか、僕はちっとも分かってないけど」

「いいんですよ、それで。先輩が偉そうに推理とかし始めたら、多分私、ちょっといらっとすると思います」

「理不尽な上に横暴だな……」


 まあいい、と鮎葉は気持ちを切り替える。


「それで、何が分かったんだ?」

「話せることと、話せないことがあるんですよね。とりあえず、今後の展開について、一つ予言しておきます」

「今後の展開?」

「はい。私の推理が正しければ――」



「恐らく明日、霊山さんがいなくなります」



 そして多古島の言ったように、翌日の朝、霊山は忽然と姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る