【十四】死者の声

 人は死後、何を思うのか。

 何を感じ、あるいは何も感じないのか。

 きっとこれから先、どれだけ科学が進もうと、明らかにされることはない疑問なのでしょうね。もし仮に、死後の人間の感情を読み取る技術が生まれたならば……私たち人間は、死の定義について、再度考え直さなくてはならないでしょう。

 私たちが声を聞いている相手を、果たして死後の状態にあると位置付けて良いものかどうか、分からなくなってしまうはずですから。

 とまあ、そんな堅苦しい話は置いておきましょう。ここで私が二元論と物理主義の観点から人と魂のあり方について述べたところで、大学講義を聞きに来た学生が、うたた寝をしながらスマホで録音したデータと、何ら変わらなくなってしまいます。それはとてもつまらなくて、勿体ないことですよね。

 

 ……ふふ、きっと私が話しかけてきて、驚いたんじゃないですか?

 この音声を聞いているということは、既に私の物語は終焉を迎え、ぱたんと本が閉じられたところなのでしょう。いうなればこれは、裏表紙の向こう側。私にとっての物語の外に対する声かけなのですから、驚くのも無理はありません。

 ええ、私は死にました。

 こうして声を吹き込んでいる時は生きているのに、過去形で死んだことを話すというのは、なんとも不思議で、非現実的で、まるで夢の中にいるような気分になりますね。

 一つ、言っておかなくてはいけないことがあります。

 私はもう、あなたたちには会えません。

 死ぬということは、私という存在が、皆さんと情報を共有したり、交換したり、そうして新しい何かを生み出すことができなくなることです。

 堆積した思い出だけが、しっとりと香りを漂わせ、ページをめくるたびにくぐもった音が周囲に落ちて、やがて埃をかぶり始める。それが死ぬということだと、私は思っています。

 そのことを、どうか忘れずにいてください。


 ……さて、先ほど私は、人は死後、何を思うのか。それを解明することは、どれだけ科学が発達しても難しいだろうと述べました。

 そんな舌の根の乾かぬ内に、私はくるっと手のひらをひっくり返しましょう。

 

 私は今から、死後の私が思っていることを言います。

 

 未来予知?

 予測?

 ただの妄想?

 もしものお話?

 いえいえ、そんな生易しいものではありません。

 これは確信です。

 私のこの音声が流れている時、皆さんの耳に、私の声が届いている時。

 私は必ず、こう思っているでしょう。



 ――私は今、



 がらり。

 大理石の床を椅子の足が削る音がして、鮎葉は顔を上げた。

 立ち上がったのは多古島だった。

 テーブルに置かれた手は肘がぴんと張り、目は大きく見開かれ、ボイスレコーダーを見つめていた。

 どうやら録音されていた音声は、さきほどの文言で終わりのようで、森野の声はもう流れてこなかった。テーブルの上にあるのはただのレコーダーで、だけど多古島は、あたかもそこに森野がいるかのように、目線をそらさなかった。

 信じられない。

 多古島の表情からは、そんな言葉が読み取れた。

 しばらくして、そっと、


「……二十分後に、森野さんの部屋で現場検証を行いたいと思います」


 それだけ呟くと、多古島はダイニングルームから去っていった。

 鮎葉は「すみません、必ず時間通りに行くので」と謝りつつ、彼女の後を追いかけた。

 ダイニングルームを出ると、多古島の部屋から扉が閉まる音が聞こえたので、鮎葉はその足で彼女のもとに向かった。

 扉を開けると、多古島は窓の外を見て立っていた。

 薄暗がりの中、鏡のように映った自分の姿に興味があるわけでも、どこか蒼白な顔の向こうに透けて見えるスイセンの花に見とれているわけでも、もちろんないのだろう。


「先輩」


 多古島は、いつもの能天気な声音からは想像できないような、胸が詰まるくらいに張り詰めた声で、問いかけた。


「私は、間違っていませんよね?」


 それは、鮎葉が何度も耳にした言葉だった。

 何度も何度も耳にして、そしてそれと同じ数だけ、同じ返答をしてきた言葉だった。

 瞼の裏で、赤いランプが回っている。

 赤い光の強弱に乗って、雑音のような喧騒が脳を浸す。

 そのたびに思う。

 あの日以来、不安定になってしまった多古島の傍に、誰かがいなくてはならない。

 誰かが支えてあげなくてはならない。

 だから、鮎葉は。


「ああ、お前は正しいよ」


 いつもの通り、そう応えた。

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