【四】 自己紹介

 森野芽々の姿を最初に目にした時、鮎葉が受けた印象は儚さだった。

 そして次に彼女の言葉を聞いた時、鮎葉が感じたのは芯の強さだった。


「例えば人生を一冊の本に例えたならば」


 窓側の席に腰かけると、挨拶もそこそこに、森野は静かに語り出した。


「唐突に裏表紙を見せつけてくるのが、死というものなのではないでしょうか」


 彼女の語り口は優しく、おっとりとしていて、まるで母親に昔話を聞かせてもらっているような感覚だった。


「本や映画であれば、残りのページ数や上映時間から、ある程度展開を予想することができるでしょう。このヒロインはまだいくつかの困難にぶち当たるんだな、とか、残りの尺的にこの事件は解決されるんだな、とか。ある種の安心感を得て、その安心の上で、エンターテインメントを楽しんでいるはずです。

 しかし、人生はそうではありません。

 死という存在が、安心を奪い去っているのです。いつ終わるか分からない、いつ残りのページがなくなるのかが分からない。そういう唐突さが、人々に興味や関心、そして恐怖を与えてきたのではないでしょうか。……つまるところ、死の本質は『唐突さ』にある。それが私の死生観です。

 皆さんとは『死』についての考えを、存分に話し合いたいと思っています。三日間と短い期間ではありますが、どうぞよろしくお願いいたしますね」


 そう締めくくって、森野は静かに微笑んだ。歳は五十代という話だが、外見はもっと若々しく見えた。

 彼女が残した言葉は、ダイニングホールの中を不思議な雰囲気で満たした。霧がかった森奥の湖畔にいる気分と言えばいいのだろうか。自分の呼吸音がノイズになってしまわないか心配になってしまうような、美しい静寂。


「あっははは! 相変わらずだねえ、芽々君は!」


 それを破ったのは、脇に座っていた大柄な男性だった。歳は森野と同じか、少し上くらいだろうか。森野とは旧知の間柄のようだった。


「最初からそんな雰囲気出されたら、みんな飲まれてしまうじゃないか」

「うふふ、ごめんなさいね。虎太郎こたろうさんがいるから、いいかなと思ってつい」

「おっと、こりゃ大役だねえ。気を引き締めなくちゃいけないな」


 虎太郎、と呼ばれた男性は「では僕から自己紹介させてもらおうかな」とほがらかに笑って言った。


万知ばんち虎太郎こたろうと言います。一万円二万円の万に、猿知恵の知で、万知ですね。死生観に関する哲学を生業としていて、芽々さんとはその関連で知り合って、たまにこの会に呼んでもらってます」

「立ち上げ当初にいたメンバーで残ってくれているのは、虎太郎さんだけですね」

「まあ、僕はこうして笑ってるだけで、大したことはしてないんだけどねえ。うるさいかもしれないけど、悪しからず」


 気持ちがいいくらいの大きな笑い声を出して、万知は体をゆすった。鮎葉が想像している哲学者というのは、もっと静かで、神経質で、細身なイメージだったので、真逆な印象の万知に少し面食らった。


「で、死についてどういう考え方をしてるか、だったか。簡単に言えば、死イコール悪い物、とは考えないというスタンスだね。『笑いの死生学』っていうのがテーマなんだけど……まあ、小難しい話は追々話そうじゃないか。三日もあるんだ。存分に語り合おう」


 そう言って万知は話を締めた。すると隣に座っていた青年が口を開いた。


「笑いと死を結び付けるっていうのは、メメントモリに関係してるんっすか? 古代ローマ時代の『明日自分たちは死ぬのだから、今日は陽気に食べて飲もう』という言葉が原点でしたっけ」

「ほう。お兄さん、よく勉強しているね。哲学専攻かな?」

「いえ、俺は美大生っす。メメントモリはよく芸術のモチーフとして使われるんで……。このままの流れで、自己紹介してもいいっすか?」

 もちろんだよ、と万知。入れ替わるように、細身の青年が自己紹介を始める。

絵上えがみ宗之むねゆきって言います。さっきも言ったように美大生で、絵のモチーフに死を扱いたいと考えてます。死に対する色んな意見を聞きたいです。よろしくお願いします」


 簡潔な自己紹介だった。無駄なことは嫌いな性格なのか、あまり饒舌な方ではないのか。万知の後だったから余計にそう感じるのかもしれない。


「死をモチーフにした絵って、ヴァニタスみたいな感じですか?」


 と、多古島。ヴァニタスと言えば、確か多古島の家で死生観について説明された時に、ホワイトボードに書いてあった単語の一つだったはずだ。恐らく絵の専門単語なのだろう。

 絵上は少し驚いた顔をした後、そのまま言葉をつなげた。


「そうっすね、俺はヴァニタス……つまり、人生の儚さみたいなものを描きたいんすよ。ただ、十七世紀頃に描かれた死や儚さの象徴って、骸骨とか花びらの散った花とか、砂時計とかが多くて。それを現代風にアレンジしたいなって考えてます」

「なるほどー。確かに今と昔じゃ、死のイメージって変わってそうですもんね」

「おっと、みんな勉強家だねえ。びっくりだ」


 万知はまた大きな声で笑った。

 続いて、絵上の隣に座っていた砂金に順番が回る。


「砂金楓花だ。最初に断っておきたいんだが、私は誰が相手であれ、この口調を変えられない。尊敬の念を逸しているわけではないんだが……悲しいかな、身に沁みついたものは中々変えられなくてね。ご容赦願いたい」

「私は構いませんよ」

「僕も気にしないねえ」


 砂金より年長者の二人が気にしないのであれば、他の面々も異を唱える必要はなかった。

 砂金は感謝の意を表しつつ、改めて自己紹介を始める。


「さて、私は少し前まで証券会社で働いていたんだ。だからというわけではないが、金の力を強く信じている」


 だが、と一拍。砂金の左手が、臙脂色のステッキを撫でる。


「交通事故に巻き込まれ、少しの間生死の境をさまよった。左足と、聴覚をやられ、ステッキと補聴器なしでは生活ができなくなった」


 なんと、と万知が息を飲み、なんてことないとばかりに、砂金はひらひらと右手を振った。


「その時気付いたんだ。生きているうちにどれだけ金を稼いでも、死んだあとに持ち越せるわけではない。とはいえ、金がなくては入院費も補聴器も買えなかった。早い話が、金と死の関係性について、少し考えてみたいと思ったんだ」

「確か砂金さんは、私の死生観に強く共感してくださっているとか」


 森野の言葉に、砂金は頷いた。


「ああ、私自身の経験が唐突だったことも勿論そうだが、老人ホームや介護施設、病院なんかを回っていると、思うんだよ。やはり人生とは一片の物語である、とね」

「施設に寄付をして回りつつ、利用者の話を聞いておられるんですよね。素晴らしいです」

「なに、金の使い道がないから、自分の好きなことに使っているだけさ。何分、死生学についての知識は浅いが、一つよろしく頼むよ」


 砂金が話し終えると、万知が興味深そうに頷いた。


「ふむふむ。金と死っていうのは、普遍的なテーマだねえ。十四世紀後半、貴族達が墓標に遺体を飾ったのも、世の富の虚しさを思い出すためだったと言う話だし」

「ああ、トランジっすね。髑髏マークの発祥にもなったっていう」


 と、絵上。芸術方面の知識にめっぽう強いようだった。


「ほう、やはり昔から金持ちは死に怯えてきたのか。なかなか興味深い話だが……ここはまず、次の人にバトンを渡すことにしよう。私はそこの物静かなレディの話も聞いてみたい」


 そう言って砂金は手のひらを上にして、右手を正面にすっと差し出した。


「え、あ……わ、私ですか?」

「そうとも。折角の場だ。君のことも詳しく知りたいな」


 なんだかナンパのワンシーンを見ているようだった。砂金のハスキーボイスが、中性的だからかもしれない。


「わ、私はその……死とオカルトに興味がありまして……。あ、名前は霊山たまやま水木みずき、です……」

「霊山さんは、大学院で心理学を専攻されてるんですよね?」


 森野が優しく合いの手を入れた。霊山は、おずおずと続ける。


「はい……。その、オカルトと言うと、なんだか非科学的と思われるかもしれないですが……。実はオカルトの背景には、民俗学的要素と心理学的要素が絡まってまして……。特に、死に対する恐怖から生み出された部分に私は興味があって……。その……そんな感じです……」

「つまり霊山君は、死と恐怖に興味があるというわけだね。僕とは真逆だねえ」

「ご、ごめんなさい……」

「はは。いやいや、責めてるわけじゃないさ。おもろいしろいなあって思ってるだけだよ」

「そ、それなら良かったです……」


 ほっと霊山は息を吐いた。どうやら見た目通り、かなり気弱な人のようだ。

 次に、隣に座っていた多古島が口を開いた。


「多古島彩絵です。去年の三月に大学院を修了して、今は絶賛ニート生活を満喫してます。でも将来は隣にいる先輩が養ってくれるので、収入面での心配はあんまりしてません」

「おい、変なこと言うなよ」

「おやおや先輩、照れてるんですか?」

「事実じゃないから、照れる要素がないんだが」


 笑い声が聞こえて、鮎葉は周りを見渡した。見れば、全員が面白そうに二人のやり取りを眺めていた。多古島の「私の小粋なトークで場をあっためてやりましたよ」と言わんばかりの得意げな視線に、鮎葉はため息を飲み込んだ。


「しかし、ただのニートがこの場に呼ばれるわけがあるまい。君の死に対する考えを、ぜひ聞かせてくれ」


 砂金の言葉を受けて、多古島は言った。


「私はですね、『死の予測可能性』に興味があるんです」

「詳しく教えてもらえるかしら?」


 森野が問う。


「つまり、人間の死は予測できるのではないか? ということですね。大学では、アポトーシスやテロメアを材料に、この研究を進めていました」


 鮎葉は、多古島が書いた論文「The Predictability of Death <死の予測可能性>」を読ませてもらったことがある。

 専門的な話が多く、完璧には理解できなかったが、生物をつかさどる染色体DNAの末端はテロメアと呼ばれており、細胞分裂が進む度、つまり歳を経るごとに、どんどんと短くなっていくそうだ。この遺伝情報と、生活習慣をメタデータとして登録し、統計的な解析を加えれば、ある程度人間の寿命というものを算出できるのではないか、というのが主題だった。


「正直、まだまだ改良の余地があるといいますか、実用には程遠いテーマなんです。ですが、仮にこの先科学が進んで、人が死期を予想できるようになったとしたら。その時、人はどんな風に死と向き合うのか、人はどう変わるのか。色んな人の意見を聞きたいと思って、この会に参加しました」


 そんなわけで、よろしくお願いします、と多古島は締めくくった。


「死の予測可能性、ですか。事前にお聞きしていましたが、改めて聞いても、やはり面白い着眼点ですね」

「しかし、芽々君の考えとは真逆なんじゃないかな?」


 最初に森野の話を聞いた時、鮎葉は万知と同じ感想を抱いた。

 森野は死の本質を「唐突さ」であると言っていた。もし仮に、死が予測可能になるならば、死は唐突なものではなくなってしまうのだから。

 しかし森野は、両手を合わせて朗らかに微笑んだ。


「だからいいんじゃないですか。対極的な意見がぶつかり合ってこそ、議論は深まるものでしょう?」

「あっはは! ヘーゲル的だねえ!」

「ふふ、そういうわけじゃないですけど。では最後に、飛び入り参加の鮎葉さん。お願いしますね?」


 指名を受け、鮎葉は少し居住まいを正した。


「鮎葉弘嗣です。今は大学病院で、法医学を学んでいます」

「ほっほー、お医者さんなのか」

「まだまだ新米ですが。それで、職業柄と言いますか……僕にとっての死というのは、そこにあるもの、という感じです。日常的に触れてるからかもしれません」


 研修や研究で、死体に触れる機会は日常的にある。もちろん死体や遺族への礼節はわきまえているが、それでもやはり、死を特別に扱うことは、できなくなっていた。


「だから改めて死について語ることについては、すごく意義があると思ってます。どうぞよろしくお願いいたします」


 鮎葉が語り終えると、「聞いてもいいですか?」と絵上。


「法医学者っていうのは、どんな死体を解剖するんっすか?」

「基本的には、事件性のある物だけが回ってきますね」

「ということは……」

「はい。殺人に関わるものが多いです」


 法医学者が関わるのは、明らかに犯罪性のある死体か、その可能性があるもの、いわゆる変死体だけだった。事件性のない死体については、基本的には担当外となる。


「法医学者さんが参加するのは、確か初めだったかな、芽々君?」

「そうですね。職業上、お話しできないこともあるかもしれませんが……問題のない範囲で、議論に参加していただけると嬉しいです」


 鮎葉は頭を下げた。さすがに詳しい事件内容に言及することはできないだろうが、当たり障りのない範囲でなら、なにか語れるかもしれない。

 一通り自己紹介が終わると、タイミングを見計らっていたように、そっと椎菜が顔を出した。


「お話のところ失礼いたします。お食事の準備が整いました」

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