【五】歓談
夕飯に舌鼓を打った後、鮎葉と多古島は暖炉の前に移動した。
夕飯中は死についての議論が絶えず、中々に白熱したので、少し頭を休憩させたいと思ったのだ。好きなものについてとことん語る様子は、学会の懇親会のようでもあり、趣味人同士が集まるオフ会のようでもあった。
しっとりと降りた夜の帳に合わせてか、室内の照明は抑えめだった。暖炉の火は温かく談話スペースを照らしていて、ソファに座った鮎葉達の顔に濃い陰影を作り出している。
周囲を見渡すと、みな三々五々に散らばって、各々が話に花を咲かせていた。
森野は食事の時と同じ場所に座り、脇に座った万知と、死生観についての談義を交わしていた。学者同士、話題は尽きないようだ。
一方、そこから少し離れたところでは、絵上と霊山、そして椎菜の妹である舞花がトランプに興じている。
砂金は足が痛むということで、夕飯が終わった後、椎菜に付き添われて一足先に部屋に戻っていた。事故に遭って以降、天候やその日の体調によって、足が痛むことがあるらしい。残念ではあったが、会はまだ二日もあるということで、皆で彼女を見送った。
「鮎葉さん、多古島さん。紅茶はいかがですか?」
トレイに紅茶ポットと茶菓子を載せて、椎菜がテーブルの傍に膝をついた。
多古島はそれを受け取りながら、椎菜に語り掛けた。
「椎菜さんも一緒に喋りましょうよー」
「お誘いいただき、ありがとうございます。ですが、まだ仕事が残ってますので」
「えー、でもほら、舞花さんも向こうで話してますし」
「ふふ、舞花には今回、無理を言って来てもらいましたから。今日はもう十分働いてくれたので、後は自由にさせてあげたいんです」
舞花は、椎菜とは対照的な見た目をしていた。明るいブラウンで染まった髪を一つにくくり、メイクもばっちり決まっている。口調も砕けていて、言われなければ、椎菜の妹だとは気づかないだろう。
ふと気になって、鮎葉は問う。
「舞花さんは普段、何をされてるんですか?」
「あの子は看護学校に通ってるんです。今日は特別に手伝いに来てもらいました」
今夜出された料理は、全て手が込んだものだった。あれだけのものを作るには、確かにヘルプが必要だろうと鮎葉は納得した。
「人と話すのが好きな子なので、良かったら話し相手になってあげてください。きっと喜ぶと思います」
「そうですねー。せっかくですし、お話しに行きましょうか、先輩」
「ああ、そうするか」
「じゃあ先輩は、舞花さんたちの方へ。私は森野さんたちの方へ行きますから」
「ん、別行動するのか?」
思わず言って、しまったと顔をしかめた。
案の定、にやにやと嬉しそうに多古島が顔を覗き込んできた。
「おんやー? 先輩はー、私と一緒がいいんですかー?」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行くぞ」
ばしんと背中を叩くと、多古島は動物みたいな悲鳴をあげて、恨めしそうに鮎葉を睨みつけた。そんな様子を、椎菜はくすくすと笑いながら見ていた。
「うぎゃぁ、革命はやめてえ!」
霊山が出したカードを見て、舞花が声をあげた。
どうやら大富豪をしているらしい。鮎葉が近くに来たことに気付いて、絵上が顔をあげた。
「あ、鮎葉さん」
「大富豪ですか?」
「はい。なんか流れでやることになって。一緒にどうですか?」
「いえ、僕はいいです。皆さんと話に来ただけなので」
負けたぁ! と悲鳴を上げて、舞花がトランプを投げ捨てた。
「話に来たならやるべきですよ! っていうか入ってください! もう一人増えたら私が負ける確率も下がるはず……」
それは自分が入っても変わらないのではないかと思ったけれど、せっかくなので一戦だけやってみることにした。
手元に配られた手札を眺めつつ、戦略を練る。舞花には悪いが、最下位は免れそうだった。
「ところで皆さんは、どうして大富豪を?」
「話の流れで、三人とも歳が近いねって盛り上がったんすよ。そしたら舞花さんがトランプしようって言い始めて」
なぜそうなった。
「仲良くなるには一緒に遊ぶのが一番ですから! ね、水木ちゃん?」
既に舞花は霊山を下の名前で呼んでいた。すっかり打ち解けているようだ。
霊山は小首を傾げながらカードを出す。
「え……? う、うん。そうだね……。あ、それ八切りです」
「ああ、ちょっと! あたし出そうと思ってたのにー……」
ぽんぽんとカードが場に出されていく。これまでの戦績に違わず、舞花はあまり強くないようだった。
「死生観について語ったりは?」
「さっき夕飯中にかなり話したので、今は休憩中って感じっす」
「はは、分かります。めちゃくちゃ濃厚でしたよね」
「っすねー。でも面白い話がたくさん聞けて、ラッキーって思ってます」
最初に自己紹介をした時に比べると、随分とリラックスしているように見えた。舞花の言う通り、一緒に遊んだことが良い影響を与えているのかもしれない。鮎葉は話を繋げてみた。
「絵上さんの話も、興味深かったですよ」
「あざます。実際、死の印象って時代によって違うじゃないですか。今の時代、砂時計の絵を見て人生の儚さを感じる人なんていませんしね。時代の潮流と死の関係性は、ちゃんと汲んであげないと。あ、俺出します」
ぽんとスペードの2が出されて、場が一新される。舞花が踏まれたカエルのような声を出していた。
「リアルの死を描くんじゃなくて、死のリアリティを追求したい、でしたっけ」
「はい。十五世紀にペストが流行った時に、人は死を身近に感じて、怯えて、それにまつわる絵画を描くようになったんすよ。死の舞踏ってやつですね。つまりあの絵は、リアルな死の恐怖を感じた人間が、リアリティ目指して描いてるわけなんっす。そういうのって、いいなって思って。霊山さんはどう思います?」
「わ、私ですか?」
「ほら、死への恐怖って霊山さんのテーマだから。さっきあんまり話聞けなかったし」
休憩と言いつつも、話題にあがると止まらなくなってしまったらしい。芸術家肌とでも言えばいいのだろうか。何かを追求することが、彼もまた好きなようだった。
「そ、そうですね……。死の舞踏関係の芸術作品は、礼拝堂に多く飾られたと聞いています……。宗教の本質は死への前準備と言われていますが、そこに死への恐怖が持ち込まれたのは、人間らしさが出ていて面白いなと思います……」
「オカルト的なものは、当時そこから生まれたりしたんっすか?」
「あり得ると思います……。詳しい文献はあまり残っていませんが、そもそもオカルトというのは、当時のカトリックから忌み嫌われ、教義によってフィルターがかけられた概念の集合体なんです。その時に派生で生まれた、自然の摂理では説明のつかない諸々と宗教が対峙する、という構図もあるくらいなので……」
「こんなこと言うと怒られそうっすけど、超自然的ってくくりで言えば、どちらも似たようなものな気がしますよねえ。あがりっす」
「あ、私もです……」
「僕もです」
次々とカードが出され、最後には大量の手札を残した舞花だけが残った。
「もー! なんでみんなそんなに強いんですか? 全然関係のない話してたのに!」
「舞花さんが弱いんっすよ。他人の手札のこと考えてなさすぎ」
「うぅう……。いつも姉さんをカモにしてるツケが回ってきたかあ……」
椎菜は彼女よりも弱いのだろうか。ちょっと想像がつかないが……。
舞花の手で再びカードが配られたが、向こうからやってくる多古島の姿が見えたので、鮎葉は席を立つことにした。
選手交代した多古島が、楽しそうに声を上げる。
「もしかして大富豪ですか? 私、結構強いですよー! やりましょやりましょ!」
森野と万知は、酒を酌み交わしているようだった。とはいえ、森野の手元のグラスはほとんど減っておらず、万知だけが顔を赤くしていた。
「つまりだね、ユーモアなんだよ。芽々君、知っているかい? ユーモアとは元々はラテン語で体液を意味する『フモール』からきているんだ。フモールは生命の根源。つまり笑いこそが生の本質なんだ。であるとすれば、生の連続は笑いの連続であり、それが途切れる死と対面するその時まで、人は笑っているべきなんだと僕は思うんだよ」
「本当にそうでしょうか? 例えばベルクソンは、笑いが生じる原理の一つに、笑う者の無感動さをあげていますよね。相手に共感し、人の身になるときには、笑うことが出来ない。他人事であるからこそ、悲劇が喜劇に転じているのではないですか?」
「何も死を喜劇的に見ろと言う話じゃないのさ。本人の心構えの問題だよ」
「自分自身を俯瞰して、他人事のように見据えろということですか?」
「ああ、それは一つの方法かもしれないねえ。ベルクソンの言に則るなら、生の変化の中にある不器用さやぎこちなさを、笑いに変換するということで――おっと、鮎葉君。何か御用かな?」
「お邪魔してしまってすみません。少しお話をしたいと思いまして。今、大丈夫ですか?」
「はっはっ! もちろんさ! 僕と芽々君は、それこそ何度も話しているからねえ」
大きな体をゆすって、万知は笑った。お酒が入っているからか、笑い声がより豪快になっているような気がする。対する森野は、ほとんど身動き一つすることなく、まるでモナリザのように微笑を浮かべた。
「楽しんでいますか、鮎葉さん?」
「ええ、とても。皆さん博学で、勉強になります」
「何か困ったことがあったら、椎菜か舞花に申し付けてくださいね。舞花はあまり慣れていないので、椎菜の方が良いかもしれませんが……彼女もいい子です。温かい目で見守ってあげてください」
「はい。ところで、ずっと気になっていたんですが、お二人は森野さんとどういう関係なんですか?」
鮎葉が問うと、「ああ」と森野は小さく頷いた。
「まだ鮎葉さんには言っていませんでしたね。彼女たちは、私の姪です。二人の両親は十年前に事故で他界し……当時まだ中学生だった姉妹を、私が引き取ったという経緯になります」
「そうだったんですか……」
「ええ。そういえば、万知さんの熱烈なアプローチをお断りしたのも、その頃でしたね」
万知が赤ら顔をぱちんと叩いた。
「そんなこともあったねえ!」
「ふふ、嬉しかったですよ。哲学者の言葉を並べて作ったラブレターは印象的でした」
「ああいうのはインパクトが大事だと思ってねえ。今から考えるととんでもない黒歴史さ」
二人は楽しそうに笑った。もしかしたら、鮎葉に気を使って場を和ませてくれたのかもしれない。鮎葉は問う。
「椎菜さんは、ずっと森野さんのもとで働いているんですか?」
「ええ。とてもよく働いてくれています。ただ、そろそろ社会に出て、色々な体験をして欲しいという気もしますね」
ルンバアを知らなかったことを思い出して、鮎葉は確かにと内心で頷いた。
「だけど、椎菜君を一人で社会に出すのはちょっと怖い気もするなあ。あの子、嘘が
つけないだろう?」
「そうなんですよね……」
片手を頬にあてて、森野は困ったように眉尻を下げた。鮎葉は首を傾げた。
「嘘をつけないって、いいことなんじゃないですか?」
「そうなんですが、あの子の場合は少し特殊でして……。病気、と言ってしまうと言葉が悪いんですが、椎菜は『絶対に』嘘がつけないんです」
絶対に嘘がつけない病気?
常習的に嘘をついてしまう、虚言癖ならば有名だが、その逆ということだろうか。病名として聞いたことはないが……。しかし森野と万知の表情は真剣そのもので、冗談を言っているわけではなさそうだった。
「彼女は、どんな時でも嘘をつきません。例え自分が不利になってしまうことであったとしても、真実を語ってしまうのです」
「確かにそれだと、社会に送り出すのが不安になるかもしれませんね」
正直者がバカを見る、という言葉もある。鮎葉はこの言葉が嫌いだったが、しかし悲しいことに、社会の一つの側面でもある。
「ええ。おっしゃる通りです。その辺り、妹の舞花はしたたかで、安心しているのですが……」
そう言って森野は、ちらりと舞花の方を見た。
相変わらずトランプに興じている舞花は、到底嘘が上手なようには見えなかった。しかし同時に、舞花の言っていた「姉さんをカモにしていた」という言葉の真意にも察しがついて、確かにしたたかに生きているのかもしれないと妙に納得してしまう。
「すみません、身内話をしてしまいました。短い期間ですが、彼女たちと仲良くしてあげてください。きっと二人とも喜ぶと思いますから」
彼女たちを見守る森野の目は優しかった。血の繋がりが薄いとはいえ、十年近く一緒にいるのだ。その間に育まれた絆は、実の親子とそん色ないのかもしれない。
やがて夜も更けてきたので、お開きにすることとなった。
後片付けをしてくれている椎菜と、あくびをかみ殺しながらそれを手伝う舞花にお礼を言いつつ、鮎葉達はダイニングルームを後にした。
程よい疲労感が身を包んでいた。今日はよく眠れそうだと自分の部屋の鍵を開けた時、ふとホールの中心で佇む多古島に目がいった。
「寝ないのか?」
鮎葉が声をかけると、
「なんだかこのお屋敷、変な感じがしませんか?」
多古島は唇を尖らせてそう答えた。
ホールの中は驚くほどに静かだ。
都心ならば、否が応でも耳に入ってくる、酔っ払いの笑い声、アスファルトの上を走る車のタイヤがこすれる音、思い出したように空気を切り裂くサイレンの音。
それらが一切聞こえずに、沈黙が音となって聞こえるような静寂は、確かに新鮮な感覚だった。
冷たい大理石が敷き詰められた床も、壁にかかった荘厳な絵画も、独特の雰囲気を作り出してはいる。しかし、特におかしいとは思わない。鮎葉は首を横に振った。
「いや、僕はしないけど」
「そうですか。気のせいですかね?」
納得がいかない様子ではあったけれど、多古島は首を傾げながらも部屋に戻っていった。「おやすみなさい、先輩。うっふっふ。それとも一緒に寝ますか?」と軽口を叩く多古島を適当にあしらって、鮎葉も部屋に戻った。
寝支度を整えながら、先ほどの多古島の言葉について考える。
多古島は勘が鋭い。
動物的とでも言えばいいのだろうか、本能のように研ぎ澄まされた嗅覚で、物事の本質を見抜くことがある。ただ、それはすぐに言語化されるわけではないし、鮎葉が理解できるまでにはさらに時間がかかる。
「妙なことにならないといんだけどな……」
部屋に入り、ベッドに横たわりながら鮎葉は独り言ちた。
窓の外で揺れるスイセンの白色が、妙にはっきりと浮かんで見えた。
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