【零】 転がる死体

「館主の森野芽々さんがお亡くなりになりましたので、ここで彼女の遺書を読み上げさせていただきます」


 メイドの勅使河原てしがわら舞花まいかは、がさがさと封筒の中から一枚の紙を取り出し、読み始めた。目が赤く腫れ、いつものまっすぐな声が嘘のように、声は小刻みに揺れている。それでも背筋を伸ばし、客人たちにしっかりと聞こえるようにと必死に声を張っている姿には、心を動かされるものがあった。


「遺言者、森野芽々は、遺産の分配に関して以下の通り遺言する……なんて。本当はそんな風に書き始めなくちゃいけないんでしょうけれど、そういう堅苦しい遺言は別に残しました。こちらの遺言は、あくまで法的拘束力の無いものです。必ずしも従う必要はないですし、今これを読んでいる皆さんの判断に委ねたいと思っています。ですが、私が最も叶えていただきたい願いでもあるのです。どうか最後までお読みいただければと思います。


 私、森野芽々が殺された時は、警察、救急救命士、その他あらゆる公的機関の人間を呼ぶ前に、すぐさま集まれる場所にいる『死を見る会』のメンバーを数名、招集してください。

 そして死亡してから一日の間、私の死体をじっくり観察し、議論を交わして欲しいのです。私の死について、たっぷりと時間をかけて考えて欲しいのです。


 死んだばかりの人間をじっくり眺めるというのは、人生の中でも貴重な経験だと思います。身内が死ねば取り乱すでしょう。葬儀の手配もしなくてはなりません。穏やかな心で、客観的な視点を持ちながら死体と向き合うことはできないでしょう。

 身内でなくとも、例えばある日、見ず知らずの人が道端で死んでいたとしましょう。周りには多数の人だかりができていて、警察や救命士の方たちが、必死に働いてらっしゃるはずです。死を傍観することはできたとしても、静かに向き合い、意見を交わすことなど到底できません。


 このように死というのは、本来とても静かなものであるにも関わらず、今の社会では沢山の雑音によって、その静謐さを失ってしまっているのです。

 『死を見る会』にお誘いした方々は、誰もが真摯に、誠実に、死と向き合う意識をもっておられました。だからこそ私は、皆さんに見ていただきたい。私の死を見つめて、語り合って欲しい。そうして何か、新しい発見や、見落としていた気づきがあればいい。

 それが私の、生きている間には叶わない、切なる願いです。

 平成〇〇年四月二日 遺言者 森野芽々」


 もう二年以上も前の日付だった。彼女らしいゆったりとした語り口で書かれていて、確かに本人が書き遺した物なのだろうと鮎葉あゆは弘嗣ひろつぐは思った。


「では、現在十八時十五分から二十四時間の間、芽々さんの死体の鑑賞会を始めたいと思います。みなさん、警察やその他の公的機関への連絡はお控えください。そもそもこのお屋敷には電波が届いてないですけど、念のため」


 舞花の言葉を受けて、鮎葉は天井を仰ぎ見た。また厄介な事件に巻き込まれてしまった。

 自室のデスクの前で、首から血を流している女性。

 デスクの上に刺さった血の付いたナイフ。少し離れたところにある大量の血がしみたソファ。そして、ソファからデスクに至るまでに点々と続く血痕。

 こんなの、誰がどう見たって他殺だろう。そして、この屋敷が人里離れた山中にあり、容易にアクセスできないことを鑑みれば、犯人がこの中にいることはほぼ間違いない。


 それなのに、全員が森野の遺言を聞き、めいめいのポジションから彼女の死体を眺め始めていた。誰一人として、警察に連絡を取ろうと言い始める人間もいない。いくら死に興味のあるメンバーが集まっているとはいえ、ここまで割り切って鑑賞できるものなのだろうか? 

 これまで様々な奇人変人と出会ってきたが、今回もまた、それに劣らぬ尖りっぷりだ。

 お前のせいだからな、と隣にいた後輩に視線をやると、彼女はどこ吹く風で飄々とした調子で言う。


「現場保存しなくていいんですか、先輩? あと、さすがに一日置くと遺体の状態も心配ですし、エアコンは消した方が――」

「やるよ、やるってば……」


 現場の環境は出来得る限り変えたくないが、死体の腐敗はできるだけ遅らせたい。

 死体に直接かかる日の光はカーテンで遮光して、虫が入らないよう部屋は密閉状態に。後は死因の確認と――


「じゃ、頑張ってくださいねー。私は私で、調査しますから」


 鮎葉が自分の行動指針を定めていると、彼女はひらひらと手を振って「死を見る会」のメンバーたちの元へ足を運んだ。


 生意気な後輩、多古島たこしま彩絵あやえ

 そもそもの始まりは、先週末、彼女に呼び出されたことだった。

 あの時、多古島のお願いを断っていれば……なんて考えが頭をよぎり、かぶりを振る。

 そんなことは、今更考えても仕方のないことだった。

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