6−4「角の生えた人」

 …あの時起きた出来事が、僕は未だに信じられない。


 フードコート内でオムライスを口にするマダム。


 社員のほぼ全員がバスの近くにいるため止めることができず、僕も必死に走り出すも距離があるため近づけない。


 彼女は食べたものを咀嚼し、飲み込み…ついで、勢いよく掻き込む。


 オムライスを。皿の上の食べ物を。

 品性のかけらもなく、さながら獣のように。


 そして、皿を空にしたマダムであった女性は立ち上がる。

 ギラつく眼でさらに食べ物を探すように辺りを見渡し、店の奥へと歩き出す。


 そこで、僕は彼女の異変に気付く。


 …彼女の額に突起が生えていることに。

 肉を突き破る三角形のエナメル質の白い物体。

 角と言っても差し支えない物体。


 そして、彼女の瞳の変化に僕はぞっとする。


 それは、もはや人の眼ではない。

 暗い眼窩。通常の倍ほどの大きく開かれた眼。


 店内にいた顔の見えない店員。

 彼女が立ち上がると同時に彼らの姿もはっきりと見え…僕は悟る。


 彼らも人ではなかった。

 彼女と同じく頭部に角を生やし巨大な瞳をしただった。


 ドアへと近づいた僕の鼻に、腐った卵にも似た硫化水素の匂いが漂ってくる。

 今や店内は煙を噴き上げるゴツゴツとした岩肌の洞窟と化していた。


 フードコートのドアに辿り着くまで、まだ数メートルの距離。


 洞窟の中へと彼らは進んでいく。

 暗闇と赤い光の爆ぜる洞窟の奥へ。


 飢えに満ちた顔をしながら、ねぐらに帰っていくように。

 かつてマダム然としていた彼女を新たな仲間としながら…


「大丈夫?小菅くん」


 主任の言葉に僕はハッと顔を上げる。

 …そこは、パーキングから離れた茶屋にある喫茶コーナーの一角。


 机の上には名物の饅頭が二つと熱い緑茶が入れられており、慌てて湯のみに口をつけた僕は「あちっ」っと声を上げた。


「…急いで飲まなくていいわよ。ティガー先生の奢りなんだから、せっかく午後の仕事も免除してもらったんだし、ゆっくり休んで帰ればいいわ」


 そう言われ、僕はあのフードコートの事件の後、午後の清掃がキャンセルになり主任に連れられて茶屋に来ていたことを思い出す。


 向かいに座るティガー先生と呼ばれた男性は、フレームが虎縞模様の変わった眼鏡をかけているが…何というか、全体的な印象が薄い感じがした。


 顔立ちがぼんやりするのはもちろんのこと、全体的な印象がつかめず、どうにも眼鏡の模様ばかりに目がいってしまい、下手をすると眼鏡だけが空中に浮いているようにさえ見える。


 …いや、そんな失礼なことを考えてはいけない。いけないのだが、


「あ、別にいいですよ。額に汗を浮かべてまで必死に僕のことを見なくても」


 そう言って悲しげに渇いた笑いを上げる先生は余計に印象が薄くなっていき、主任はやれやれと首をふる。


「先生は元々民俗学者としても名の知れた人でね。エージェントとしてこの辺りの管理と研究を担当しているの。うちの会社の専門アドバイザーも兼任しているし、結構すごい人なのに、可哀想に主張すればするほど影が薄くなる体質でね」


 それに先生はますます影を薄くさせ、今度は照れたような声を上げる。


「いえいえ、僕の知識が役立てるのならそれでいいんです。それに僕はどちらかといえばフィールドワーク派なんで。エージェントとして現地のことを見聞きして今後の対策を立てられるのなら、それに越したことはないわけで…」


 先生はさらに謙遜しながら話すのだが、ますます影は薄くなっていく一方で、気がつけば先生も注文をしたはずなのに饅頭どころかお茶すら出してもらえていないことに僕は気がつく。


 主任もそれに気づいたのか70歳くらいのおばあちゃん店主を呼び出し、お茶とお饅頭を出してもらうのだが、そこで主任がバスの中で撒いた饅頭はどうやらここの店のものであったようだ。


「…ここは地元でも有名な老舗饅頭屋でね。江戸の頃から街道に茶屋として開いていた記録もあるから随分と古いところなんだよ。スタッフのおやつから今回のような非常用の菓子まで、すべてこちらのお店にお願いしているんだ」


 そう言って、先生もパクッと饅頭を食べる。


「…それにしても、小菅くんにはすまなかったね。ここの現場は初めてなのに、あまり説明もしないで巻き込む形になってしまって…本来ならもう少し話をして知ってもらう形だったのに、急に2件も重なってしまったから何事も後手後手になってしまって」


 しょんぼりする先生に主任はぬけぬけと「慣れてますから」と付け加える。


「まあ…大型バスが来ることも、年に2、3度あるかないかの出来事だからね。一応対策も立てているんだが、それでも助けられない人が出てしまうのはこちらとしても歯がゆい話でね…」


 そうして饅頭を頬張る先生に、僕は恐る恐る聞く。


「…あのフードコートはなんなんですか?なぜ、人を呼び寄せるんですか?」


 先生はお茶をズズッと飲むとこう言った。


「…あまり人に言っちゃあいけないんだけどね。昔、この辺りで大規模な飢饉があったんだ。村はほぼ全滅、土地のほとんどは山に還った。実際、村がここにあったこと自体、最近文献が見つかるまで忘れられていた…フードコートに居たは飢饉で死んだ村人の成れの果てなんだよ。」

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