11−4「脱出と進路」

「さあ、終わったんだからさっさと行くわよ」


 僕が主任に手を引かれる形で歩く頃には徘徊する魚の数は倍になっていた。


 ウナギやサメが常に船内を食い破るように飛び出し、通路を跳ね回り、外へと飛び出していく。船体はそれで壊れる様子はないらしく主任は器用に落ちてくる魚の中を掻い潜りながら早足で進む。


「11番倉庫の『丙の25番』は通称・鯨骨生物群集げいこつせいぶつぐんしゅうと呼ばれていてね、もとはただの貨物船だったんだけどクジラに衝突してから、その死の過程を永遠に繰り返すようになったの…しかも、出現した魚はこうして中の人間まで食い殺そうとするから、立ち入り禁止にしないと危なっかしくて」


 そう言って、主任はガチャリとドアを開ける。


「フレンドリィ・フレンドとか名乗っていたおっさんも、ここを面会場所に指定した時点で自殺行為だったとしか言いようがないわよね…まあ、その辺りまで、江戸川は計算済みだったのかしら?」

 

 僕は貨物船の甲板に出て、目の前に立つ江戸川の姿に気がつく。

 江戸川は主任の姿を見ると大きくため息をつき、頭を掻いて見せた。


「…ま、ポイントはいくつか絞ってはいたんだがな。最初の死人がマンションで出た時点でシステム管理部の大田原と組んで監視カメラからサーバーから洗いざらい探れるところは探っていたし、いざとなったら、近くで控えている撤去班と一緒に抑えるつもりだったんだが…」


 その先を主任が続ける。


「人数が多いと相手が人混みに紛れて逃げる可能性が出てきたから、小菅くんを餌にして私と対峙したところで少人数で叩こうって腹だったわけ?」


 ついで、主任は江戸川に冷たい目を向ける。


「じゃあ、小菅くんの犠牲は仕方なかったと、殺されても良かったってこと?」


 江戸川はそれに首を振る。


「違うな。小菅だけじゃあない、あの社員寮全体の人間がある意味奴さんの対象だった。他にも候補が何人かいたし、今回はたまたま…」


「じゃあ、小菅くんを辞めさせるように仕向けたのは何のため?明らかに今回の作戦の中で必要ないじゃない」


 噛み付く主任に江戸川は狼狽する。


「わかっているだろ?彼にとって、この職場はリスクが高すぎる。一度記憶処理も受けた身でもある上に精神的にも飲まれやすい傾向にある…だからこそ」


「その後について、彼自身が決める機会は与えないつもり?」


 そう言って僕に目くばせをする主任。

 この時、僕は自分の意見を言う機会が与えられたのだと知った。


 …そう、今までも周りの意見に流され辞めてしまったことがあった。

 あるいは僕の同意なく、突然仕事を辞めるように言われたこともあった。


 そして、今回の僕は…


「もう少し、続けてみようかと思います。この職場は嫌いじゃありませんから」


 その言葉に江戸川は「そうか」と黙り込む。

 すると、主任が間髪入れずスマートフォンを取り出して時計を見た。


「ああ、もうこんな時間。見たい番組があるから私先に帰らせてもらっていい?終業時間もとっくに過ぎているし、彼も一緒に連れて行くから。」


 言うなり、主任は江戸川をその場に残し、僕の腕を引いて歩き出す。

 僕もそれにつられるような形になり、あわあわと連れて行かれる。


「…そうだ!今回の小菅くんの件、ちゃんと前向きに検討してね。これだけ迷惑した上に成果もあげたんだから、ボーナス以上のことは必要だからね!」


 叫ぶ主任に江戸川も「…わかったよ」と苦笑する。

 

 そして、僕を自家用車の助手席に押し込めると主任は言った。


「小菅くん、ちょっと手を見せて」


 言うなり、彼女は僕の右手を取るとダッシュボードから消毒スプレーを出し、ガーゼと絆創膏を出すと手際よく消毒を始める。


「あーあ、こりゃ跡に残っちゃう傷だわ。でも、手相的には中心部に縦一本線だと運気がよくなるっていうから、不幸中のさいわいだと思った方がいいかもね」


 そうして絆創膏まで張り終えると主任は車のエンジンをかける。


「…ま、江戸川に言われたことは気にしないで。それよか、次の仕事を終えれば時期的にずれ込むけど念願のお盆休みよ。8月は何かと立て込んでいたからね、ようやく羽が伸ばせるわ」


 走り出す車。月明かりに照らされた主任の顔は思ったよりも幼くて僕は今まで彼女が年上だと思い込んでいたこと気がつく。


「…あの、主任」


「なに?」


 赤信号の交差点で窓辺から虫の声がする。


「僕、大学時代に小さな女の子に物語を書くように言われたんですよ…それが、僕の小説を書く原点だったんですけれど、今はスランプ気味で…ぶっちゃけた話、これから僕は、どうすれば良いですかね?」


 我ながら、恥も外聞もない質問だ。

 すると主任はふふっと小さく笑う。


「…そうねえ、例えばあの大賀見。彼には伏せられているのだけれど、実は、死後公開されている劇については会社の中でもマニアが出るくらいに人気があるわ。今は絶版になっているけど生前に出版社に応募していた、いくつかの戯曲に関しても今は古本屋で高値で取引されるくらいにはその手の界隈で人気が出ている…彼は結局、死後に評価されたタイプの人間だったのね」


 僕の方をちらりと見る主任。


「君は大賀見に気に入られている節があった。往々にして才能のある人間は同類を嗅ぎ分けるというわ…君も物書きとしての才能はあるんじゃない?ま、売れるかどうかは本人のモチベーションもあるし、評価してくれる周囲のタイミングにもよると思うけどね」

 

 そして、彼女はこうも言った。


「私についてはこれ以上詮索しないで。会社のセキュリティレベルに引っかかる質問だから…それを知りたければあと2年。仕事を続けてエージェントの試験を受けて昇格する必要があるわ」


 そう言ってニヤリと笑う主任。


「大丈夫、ジェームズも受かっているから君が受からないことはないわよ…知ってた?あいつも実は清掃員出なのよ」


 …それは初耳だ。驚く僕に主任は続ける。


「でも、無理は禁物よ。君には君のペースというものがあるのだから。君に続ける意思がある限り、自分にあったやり方を模索しながらゆるゆる行きましょう。必死にならずに適度に仕事して、疲れたら休んで考えればいい、成果はベストなコンディションにしておけば、後からやって来るものなんだから」


 そして車はマンションに停まり「じゃあ、また来週ね」と言って、主任は夜の道へと車を走らせて行った。

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