11−3「変化する船内」

「…やあ、気がついたんだね」


 耳慣れた少女の声に僕は立ち上がろうとするが、片手がズキンと痛み、見れば右の手のひらが中指を中心に縦にパックリと裂けていることに気づく。


「居場所を教えるには、書くものが必要だと思ってね。手のひら程度の血の量でちゃんと書けるか心配だったけど、なんとかなったよ」


 そう言ってくすくすと笑う少女の背後には黄色い風船が結ばれている。


「平塚のお兄ちゃんがハッキングをしている時に大田原に嗅ぎつけられた時には焦ったけど…ま、そろそろ潮時かな?目当ての子に会えたら君はもう用済みだし、その時にはさっさと殺させてもらうから」


 少女の手には刃物。

 刃渡り10センチ以上はありそうなサバイバルナイフが握られている。


「んー、でも、あの子が到着した時に死体があっても結果は同じか…どうしようかな。お兄ちゃんは親友になれそうもないし、この船も何だかジメジメして貝とか湧き出して気持ち悪いし…」


 言われて初めて気がつくが、どうやらここは船の中らしい。

 確かに揺れるような感覚と潮の匂いがあたりにする。


 …見れば、船内の柱や床についていく貝は時間を追うごとに数を増していき、イソギンチャクやカニも所々に湧き出し、船内自体が明らかに異常な様相となっていく。


「あー、もういいよね。殺しちゃっても」


 喉元にサバイバルナイフが迫る。


『なんで、お前は死んでいないんだ?』


 不意にエレベーターに挟まっていた大田原の言葉が思い出される…あれは7月江戸川の仕事を手伝った時に見た夢だったが、異常なほどに現実味があった。


 …そう、なんで僕は今まで生きてきたのか。


 障がい持ちで、不器用で、仕事を替えては辞めさせられる人生で、何をしても上手くいかないのに。どうして今まで生きてこられたのか。


(そうだ、これで終わりを迎えることができるじゃないか)


 何を抵抗することがあるだろうか。

 生きようと抗う必要があるのだろうか。


 そんなことを思った時、主任の声が聞こえた。


「まったく、何でこんなおっさんに殺されかけてるのよ。今までの奴らもこんな男に騙されて情報引き出されて…バッカみたい!」


「…え?」


 思わず振り向く僕…その時、喉のあたりを何かが伝っていく感覚がした。


 思わず後ろに飛び退くとどうやらナイフの先端が刺さっただけのようで、一筋の赤い雫が僕の胸元あたりへと流れていくのが見えた。


「見えてるの?私の姿が?」


 信じられないという顔をして主任を見る少女。

 …それに、主任はこう言った。


「見えている姿は違うけれど、鏡を通して自分を見ているあんたの姿はわかるわ…ボサボサの長髪にスウェットにサンダル。目にクマのあるおっさんの汚い顔が、よーく見えているわよ」


 すると、少女は目をキラキラさせてこう言った。


「…やるじゃない!」


 すると、少女はイソギンチャクのような生物に足を取られつつも僕の横をすり抜けて、主任の元へと走り出す。


「やっぱり、私と同じ【星の村】出身なのね。あの村が滅んで、生き残ったのは私だけだと思っていたけど…それは違った。覚えてる?あの村で行われていた【勉強】の時間を、退屈な【診断】の時間を…何人も仲間が死んだけど私たちは生き延びた。選ばれた人間として…特別だと大人に言われて」


 気がつけば、船内のイソギンチャクの数が減っていた。

 代わりに船内のあちこちをカニや白いウナギのような生き物が落ちてくる。

 主任はその船内に動揺することなく少女を見ながら、こう言った。


「知らないわ…村は私の代で終わり。


「え…?」


 立ち止まる少女…その時、彼女の横の壁から何かが出現した。

 

 それは巨大なホオジロザメ。

 船内の壁など関係ないのか突然出現したサメは少女に食いつく。


「がっ…!!」


 完全なる不意打ちに少女は反撃することもできず、そのままサメの勢いに飲まれる形で崩れ落ちていき…後には、大量の血痕と床が見えるばかりであった。

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