10−8「カーテンコール」

 劇場での一幕から一時間後。


 僕は無線で二言三言会話をする主任に連れられ建物の外へと…ビニールシートに覆われた、簡易テントで消毒作業を行い、救護室の横を通り、防護服を脱いで『撤去中につき関係者以外立ち入り禁止』と書かれた覆いのあいだから、雑草の生い茂った駐車場へと足を踏み出した。


「現場ではすでに記憶処理が行われているわ、行われていた撮影自体がなかったことになっているはずよ、翼ちゃんのマネージャーは行方不明で犯人は留置所に戻った後に病死扱い…まもなく次の担当が来るし、会社に戻されたカサンドラの引き継ぎもしなきゃね」


 そう言って顔を上げる主任の眼の前で、ひび割れた駐車場に車が止まり、二人の男女が出てくる。


 一人は筋肉質のリスのリングマスクをつけた女性…エージェント・マープル。

 同じくエージェントのジェームズは僕を見つけると大きく手を振った。


「おお、今回は大変だっただろう、…」


 瞬間、マープルがジェームズの首を締め上げて黙らせる。


「ここで、人の、本名を、言うのを、厳禁と、何度言えばわかるのよ…」


 首を締め上げながらドスの利いた声でジェームズを注意するマープル。


(うわ、1児の母強い)


 僕はゼエゼエとアスファルトに這いつくばるジェームズの背中を見つめ、主任とマープルは劇場で起きたあらかたの出来事のすり合わせを行う。


「…そう、カサンドラも可哀想にね。ここに残っていた撤去班と救護班は明日から私たちの班と総入れ替えにして休暇を取らせるようにするわ。みんなこの2日で疲れているでしょうし、あなたたちも少し遅いけど午後と明日は休んじゃいなさいよ。次の土日も休みだから」


 マープルの提案に主任は肩をすくめてみせる。


「言われなくてもそうするつもり。でも一旦会社に戻ってすることもあるから、ある程度済ませてから有給申請を出させてもらうわ」


「…そう、無理しないでね」


 ねぎらうように手を振るジェームズとマープル。

 そして僕は主任に伴われる形で乗ってきたバンに乗り込んだ…はずであった。


「よう、お疲れ。手紙はちゃんと渡してくれたな」


 そう言って運転席に座るエージェント・江戸川は僕の胸ポケットに入っていた金の蜜蝋で封がなされた赤い封筒を手に取る。


「…まあ、そうだよな。ドグラと一緒に助手席に乗り込んだはずが、俺みたいなおっさんといつの間にやら隣同士で乗車してれば、まぁビビるわな」


 黒いシャツに黄色のネクタイ姿で笑う江戸川。


「…まあ、心配すんなよ。ドグラはお前を乗せて運転していると思っているし、俺もお前を乗せて運転している…実はなあ、会社で使っているこの車はちょいと特殊でな、ある部分をいじってやるとこうして空間同士がくっついて同じ人間が違う場所にダブって存在していることになっちまうんだよ」


「ま、それをできるのは俺を含めた幹部だけだけどな…」と江戸川は首を振る。


 見れば、僕側の窓は街中の高架橋下をくぐる最中であり、江戸川の窓は、海沿いを走っているように見えた。


「…似てるよなあ、大賀見とお前は」


 ぎょっとしながら江戸川のほうを向くと、彼はくつくつと笑う。


「いやなに、俺と大賀見は同じ大学のダチだったのさ。同じ文学部の同級生で、奴は脚本家志望で俺は編集志望だった…でも結局、どちらの夢も叶わなかった」


 そして、江戸川は話をする。


「あいつは親の金にモノを言わせて世界中の文芸を読みかじったボンボンでな…かたや俺は食えるなら何でも良いと編集一辺倒で勉強してた人間であいつが脚本と称するものを読んでは、けなしてばかりいた仲だった」


 …懐かしそうに眼を細める江戸川。


 その後、文学研究のため海外の大学院まで行った大賀見に対し、江戸川は卒業時に受かった小さな出版社に編集兼営業として勤めることとなった。


「でもなあ、そこが応募してきた作品を賞を獲ったと偽って、同人出版のために金を出させるようなブラックなところでな、本を出すにしても粗悪なものを人にも読まれないような部数で小さな本屋の片隅に置いたり、最悪、待たせた挙句に金を持ち逃げしちまうようなところでな、とてもじゃないがヒット本を出せるような会社じゃあなかったんだよ」


 …だが、他に勤め口があるわけでもなく江戸川は現状を割り切ると営業中心に仕事をするようになり、結果、出版社もそこそこの収益を上げることとなった。


「そんな時だよ…脚本の応募に大賀見の作品を見つけたのは」


 江戸川は大賀見に電話をかけると、持ち前のセールストークで出版の金を出すよう話を持ちかけた。 


「なにぶん奴さんに金があることは学生時代に証明済みだし、文句こそ言ってたものの、俺も内心あいつの才能に嫉妬している部分もあった。だから、大賀見がなぜこんな弱小出版に応募したのか、何を持ってここに自分の脚本を出したのか俺はまるでわかっていなかったのさ…」


 全てがわかったのは文字通り後の祭り…大賀見から送られてきた大量の現金の封筒にそれについてくる形で送られてきた舞台の招待状と、燃え盛る最期の劇場を見てからのこと。


「奴さん、父親が死んでから大量の借金を抱えることになったんだそうだ。会社自体多額の負債を抱えていて、放棄することもできたんだが、根が真面目なもんだから、なんとかしようと手を尽くして…結局、どうにもならなかったらしい」


 …思えば、最初に出版の金を要求した時も様子がおかしかった。


『どうして、そういうことを言うんだ。才能があるというのならどうしてそんなに金を欲しがるんだ。金があれば何でもできるのか?この状況が変わるのか?』


「必死になる奴さんに俺はハッキリと『そうだ』と言ったんだ…それ以降かな、あいつがサラ金に手を出したり金遣いが荒くなったりしたのは」


 そして、言葉を切ると江戸川はこう言った。


「…つまり、あいつを変えちまったのは他でもない俺ってことだ。その後、俺は出版社を辞め、大賀見の事件について調べ、会社にスカウトされた…でもなあ、今も昔も奴さんと俺はこうして手紙をやり取りすることしかできない。なんでかわかるか…小菅?」


 僕は、うすうす感づいていたが、あえて江戸川に首を振る。

 江戸川は「お前は駆け引きが下手だな」と小さく笑い…こう続けた。


「あいつは俺の本名を知っている。奴の領域テリトリーに入ればまず間違いなく俺を含めた社員の半数以上があいつの支配下になっちまうだろうな。奴さんは、死んだ社員からわかった本名の数だけ死者を増やそうとするから倍々ゲームになっちまう。その終着点は動く死者と生者の数が逆転した世界だ」


「それだけは、上も俺も御免だからな…」と言いつつ、江戸川は封を開ける。


「ただ、奴さんが自分の手駒にした死者の情報について詳しいのも確かだ。死者本人が覚えていることも、覚えていないことも含めてな…だからこそ、奴さんに必要な取引を行えば、それに見合うものが手に入るんだが…あー、やっぱりな」


 江戸川はこちらを向くとこう言った。


「マンションにいる存在…あれにはそうだ。ああ、それと、辞めるなら早いほうがいいぞ。あんまりこっちの世界に深入りするな。じゃないと、俺と大賀見のように人の命で取引するような人間になっちまう。そうなったら人間おしまいだからな」


 そう言って皮肉げに笑う江戸川の姿はかき消え…彼のいた場所にはハンドルを握る主任が座っていた。

 

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