10−7「最終演目」

「…大賀見の奴。こんなことまで出来たのか」


 隣にいる主任は舌打ちしながら舞台に設置された大型モニターを見た。


 映るのは撮影現場と思しき数人のスタッフとその中に紛れる翼さん…いや、赤みのさした顔立ちや服装から翼さんの妹である小岩井さんだとわかる。


 彼女は不安げな顔で隣にいる『プロデューサー・八森やつもりアキナ』と名札を下げた女性に何か囁かれていたが不意に背後の茂みが揺れたかと思うと、そこから包丁を持った男が走り出してきた。


「八森、裏切ったな!俺の翼は、翼はたった一人しかいないはずなのに…!!」


 瞬間、マネージャーは顔を青くする。


「加賀本!なんでこんなところに。違う!これにはワケが…」


 女性マネージャーの制止を振り切り、加賀元は叫び声をあげる小岩井さんの腹へと包丁を突き立てた…かのように見えた。


「え?あ…翼?」


 そこに立つのは、腹に包丁が突き刺さったまま血を一滴も流さない女性。

 冷たい目で加賀元を見下ろす、小岩井翼さんがそこにいた。


「生き返った…生き返ったのか…!?翼…!」


 加賀元は喜ぶもすぐにゲホゲホと咳き込んでうずくまる。その背には包丁が…今しがた彼女の腹に刺したはずの包丁が深々と突き刺さっていた。


『私を殺した。妹も殺そうとした…償うべき人間は2人いる』


 そう言うなり、翼さんは男の背中からゴボリと回転させながら刃を抜き出し、完全に絶命した加賀元を足元に捨て置き、マネージャーの女性へと近寄る。


『八森アキナ…私に女優業と偽って何度もアダルトビデオに出させた女、妹の夢を奪おうとした女。わざと音楽オーディションで妹を落とすよう根回しを続け…ようやく受かった妹のデビューを機に私が引退したいと言ったら、ストーカーの加賀元に居場所を教えて殺させた…卑劣な女』


 包丁を持って迫る翼さんに八森は悲鳴をあげながら後退る。


「だって…しょうがないじゃない。最初あなたはお金に困っていたし、その後はちゃんと正式な仕事も受けてあげたじゃない。それにあれほど双子の方が売れるからと言ったのに聞く耳持たないし、妹には音楽の才能があるとか妹には自分とは違う道を進ませてあげたいとか、口を開けば、妹、妹、妹…もっと周囲に従うべきなのよ。私は自分の言っていることは間違いだとは思っていないわ!現に、この子だってあなたが主演のドラマの代役としてここに来て…!」


『…嘘つき』


 瞬間、八森の目がグルンと裏がえる。

 その脳天には包丁が刺さっていた。


『知っているわよ、この子が私の入院していた病院に来た時、あなたが誘い出すところを…監督とあなたは懇意にしていたから、この子をAVデビューさせてしまおうという魂胆だったんでしょう。金儲けの道具に使おうとしか考えていない…私は、あなたのそんな考えが昔から大嫌いよ…アキナ叔母さん!』


「あ…あ…あ…」


 かろうじて息があるのか。声にならない声を上げ、細かく痙攣する八森に翼さんは容赦なく包丁を引き抜く。


「あ…」


 はずみで血飛沫が飛び、翼さんの体は血でみるみる赤く染まる。

 そして、翼さんは妹のほうを向き…


『…ごめんね。お姉ちゃん人殺しになっちゃった』


 からんと落ちる包丁、両手で顔を覆う翼さん。

 よろよろと2、3歩彼女は後退る。


『でも、どうしようもなかった…あなたを助けたかっただけなのに』


 肩を震わせる翼さん。

 その姿はどこか泣いているようにも見えた。


『両親が死んで叔母に引き取られて…生活費を稼ぐためにそそのかされてビデオを撮られて…でも、あなたには自由に生きて欲しかった。叔母に言われるままに働く私とは違う、自分の決めた道を進んで欲しかった…でも、こんなことになってしまって、本当にごめん』


 しゃがみこんで嗚咽を漏らす姉に妹はそっと近づく。


「…お姉ちゃん。泣かないで、だって…」


 そして、言葉がかけられる寸前。

 別の言葉が遮った。


『…だって、彼らが全て悪いじゃないか』


 血まみれになった八森と加賀元を劇場の床に落とす大賀見。


 いつしか目の前のモニターは消え、舞台の上には血で赤く染まった翼さんと、向かい合わせに立っている大賀見の二人だけがいた。


『…ここは?』


 呆然と舞台の足元を見る翼さんに一人拍手をしながら大賀見は言った。


『素晴らしい演技だったよ翼嬢。我がテセウス座の中で最高のショーだった』


『え?でも、私は…』


 戸惑う翼さんの肩に優雅に手を置く大賀見。


『君のしたことは一夜の夢、野外劇の一部でしかない、犯した全ての罪は、座長である大賀見が引き受けよう。2人については、我が一座の一員として…まあ、雑用係が妥当かな?ともかく、彼らの面倒はこちらで引き受ける。では、最後に名演技をしてくれた翼嬢から一言…!』


 瞬間、彼女にスポットライトが当たる。

 …その時、彼女が僕の方を向いたのを感じた。


 驚き、戸惑い、そして…


『もし、私の妹に会うことがあったら伝えてください。お姉ちゃんはいつでもあなたの幸せを願っているって…』


 瞬間、彼女の身体がステージから崩れ落ちていく。


 落ちる先は、僕のいる観客席。

 僕はとっさに席から立ち上がると彼女を受け止め…


『…上着をかけてくれてありがとう。もう、寒くないから』


 そう言うと、彼女は眠るように目を閉じた。


 途端に、観客席から割れんばかりの拍手が起こる。


 周囲を見渡すと、そこには客席に座るあふれんばかりの死者がいた。

 骨になったもの、半分崩れかけたもの、焼けた死者もいる。


 その視線の先にはカーテンコール。


 大賀見を中心として、むくりと起き上がった未だに白目を剥くマネージャーや足元を血まみれにした背中を刺された男。昨日から舞台に上がっていた、女優や男優や須藤くんや佐藤くんの姿もそこにはあった。


 皆、それぞれの役割を果たし、拍手を受け、満たされた顔で頭を下げる。


 死者として頭を下げる。

 この劇場の劇団員として頭を下げる。


 そして最後のカーテンが引かれると、劇場はシンと静まり返り…

 後には、主任と僕と永遠の眠りについた小岩井翼の死体だけがそこにあった。

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