10−6「答えあわせ」

「はい、カット」


 そうして僕と翼さんの顔の間に手刀を入れたのは午後にこちらにやってくると言っていた主任であり、僕も翼さんもお互いハッと顔を上げる。


「翼ちゃん…でいいのかな?さっき、助けてくれた人の名前を知っている口ぶりだったけれど。その人の名前を言える?」


 その瞬間、翼さんは目をパチクリとさせて『え?』と逆に聞く。


『いえ、妹は確かにその人にお礼は言いたいけど、なんか覚えてないんだよねぇ…とか、呑気なこと言ってましたよ。私も知るわけないですし』


「ん、わかった。じゃあ犯人はこいつだ」


 言うなり主任は階段下の物置の前にあった衝立をガラガラと横に引き、そこに積み上げられたガラクタの隙間に潜り込み金色の手帳に必死に何かを書きつけている大賀見の姿を露わにする…が、その顔を見てギョッとした。


 大賀見の顔は今や半分以上炭化しており顔には皮膚下にまで残る大きな焼けただれや眼球が飛び出している様子まで見て取れた…だが、彼はハッとした様子で顔を上げるとスッと隠すように手を当て、いつもの整った顔立ちに戻す。


『…ああ、見苦しいものをお見せしてすまなかった。脚本の筆が進むとつい集中し過ぎてしまう。生前も人から必死に書いている時ほど顔が怖くなりがちだとかよく文句を言われていたがね』


 いつしか、雑に折り曲げられた紙切れを大事そうに手帳に挟む大賀見に主任が冷たい目を向ける。


「死者の意識を操作するのも、同様におろそかになるいうことね。その情報は、こちらで活用させていただくわ。カサンドラについては精神的ストレスを理由に今日の午後から1年以上の長期休暇に入ってもらうから。夕方から、別の人間に代わってもらうし、それだけは知らせておくわよ」


 大賀見はガラクタの隙間から出てきながら『ほう』と特に驚いた様子もない。


『彼女も随分と苦労していたようだからね。前から私は思っていたのだが彼女は南の島のバナナの木の下で、のんびり房が落ちてくるのを待つような生活の方が向いているような気がしていたんだ…ねぎらいも込めてゆっくり休むように私からも言っていたと彼女に伝えておいてくれ』


 主任はそれに対し、首を横にふる。


「残念ながら、彼女にはここを担当した件について記憶処理を受けてもらうわ。女優であった実の母親が舞台のストレスで入水自殺した挙句に、ここで劇団員として働かされていたなんて、とても冷静でいられるような事案ではないからね」


 そこで僕は気づく。


(そういえば、入水自殺した女優のカメオをカサンドラさんが身につけていた。あれは…形見だったのか?)


 大賀見は『何のことかな?』と、とぼけて見せる。


「須藤が仲間に引き入れられたのもそれが原因ね。あんたと須藤が数日前に話しているところを見たって撤去班から証言が出ているし、彼は撤去班のベテランで数人分のスマートフォンの管理をしていたって話もあったから」


 主任はそこまで言うと「あーあ」と肩をすくめてみせる。


「…変だと思ったのよ。取り込まれたのは2人にもかかわらずスマートフォンは3台も手に入れていたから、でも彼が事前に名前を取られて持ち出したなら説明がつく…カサンドラの母親を解放してもらうために須藤の名前とトレードを持ちかけたんじゃない?」


 その質問に大賀見はフッと笑った。


『…まるで探偵のようだ。でも、須藤くんはどうしてカサンドラかのじょと母親の関係性を知ったのかな?エージェントは個人情報を仲間内でもむやみに伝えてはいけないはずだと聞いたのだが…』


 主任は皮肉げに笑ってみせる。


「よく知ってること…須藤から、あらかた情報を抜き取ったのは本当みたいね。ま、彼はカサンドラと長年一緒に仕事をしてたから1週間前に入ってきた女優と会ってからのカサンドラの動揺ぶりを知ってたみたいだし、そこにつけこんで、交換条件を持ち出したってところかしら?佐藤については須藤を手に入れた過程で名前を手に入れたと考えているのだけれど…答え合わせとして合ってる?」


 大賀見はそれには答えず、肩をすくめて見せた。


『…まあ、否定する必要もないだろう。私は須藤くんの自己犠牲あふれる精神に感銘を受けて彼の意思を汲んであげる形にしてあげたかった。ゆえにカサンドラかのじょに気取られないよう佐藤くんの勧誘に注目が集まるようにして、あくまで彼らの過失という形で完結するようシナリオを作って見せたのだが…』


 それにため息をつく主任。


「なるほど、筋書きはわかったわ。でも、カサンドラを使って、翼ちゃんとうちの清掃員をくっつけようとしたのは…いささか短絡的すぎるんじゃない?」


 その言葉にドキッとする僕。

 大賀見は『いやいや』と否定する。


『考えてもみたまえ、自分の価値観に悩んでいる青年と若手女優との邂逅。最初は相手を疑うことから始まるも妹の恩人という点から次第に仲が深まっていき、最後には互いを理解し結ばれるハッピーエンド…美しいとは思えないかい?』


 主任はゆるゆる首を振る。


「最終的に人を殺す脚本しか作れない死者あんたと、作家になれる可能性を持つ生者かれとでは、未来に対する価値観が違う。あんたの勝手なシナリオで周囲を振り回すのはやめていただけないかしら?」


『ほう、作家志望なのか…どうりで』と何かに納得した様子の大賀見。

 

 こっちは売れてもないのに作家志望が暴露され顔から火が出そうなのだが…


 ガシャンッ


 その時、彼の背後で何かが落ちた。


『一応断っておくが、私はあくまで一番幸福な結末を目指し脚本を作っている…だが時には脚本よりも本来あるべき現実の方が残酷なこともある。残念ながら、もはやシナリオの分岐点はとうに過ぎてしまった。あとは進むべき結末へと物語は進むだけだ』


 落ちてきたのはガラクタの中に混じっていた1台のポータブルテレビであり、画面から男性のアナウンサーの声が流れる。


『速報です、女優の小岩井翼さんを殺害した容疑で拘留されていた加賀本容疑者が拘置所から逃走したことがわかりました。加賀本容疑者は民家に押し入り、刃物を所持しているとの情報も入っており…』


『…あ、そんな』


 声に振り返ると、翼さんがよろよろと階段から立ち上がるのが見えた。


『…思い出した。私、殺されたんだ。あいつに…いや、アイツらに。どうしよう…妹が。このままじゃ、妹が危ない…』


 ブツブツ言いながら外へと歩き出そうとする翼さん。

 何か危険を感じ、彼女を引き止めようとするも…そこに大賀見が声をかける。


『では、我々テセウス座がその先をサポートしよう。ここでは君は一介の女優。そこで何が起ころうとも結末がどうなろうとも全ては我が劇団の脚本の1ページにしか過ぎない』


 途端にざわざわと風景が動き出し、翼さんが目の前から姿を消す。


『存分に演技をしたまえ…野外公演の始まりだ』

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