某市民劇場、場内清掃

10−1「死民劇場のテセウス座」

「ようこそ、我がテセウス座へ。私、座長の大賀見おおがみと申します。皆様には我が一座の公演するオリジナルオペレッタ『13』を存分に楽しみいただきたく…」


 8月後半の某県の市民劇場の2階。

 

 その入り口に設置された大型モニターには、現在公演されている演劇のライヴ映像が映し出されている。舞台には10人以上の公演者が並び、幕も引かれ間もなく劇が始まるようだ。


「…私さあ、劇場公演ってどーもダメなのよね。ライヴとか映画館とかスポーツもそうだけど、集団で見に行くものってなんか周りの人を意識しちゃうというか、周りの人たちと一緒に動いたり笑ったりしなきゃいけない同調圧力を感じて居づらくなっちゃうのよ…この気持ち、わかる?」


 カーペットの上でポリッシャーを動かしながら防護服姿の主任はそうぼやく。

 …床の汚れを叩きつつも、僕はその感覚になんとなく思い当たる節がある。


「えっと、修学旅行でテーマパークに行った時に集合写真でみんなと一緒に無理やり笑って、着ぐるみと一緒に写真撮らなくっちゃいけない時に感じるあの感覚と似たようなものですか?」


 そこに主任は「そう、それ」という。


「私が知人とテーマパークに行った時には着ぐるみが諦めて知人とツーショットするまでテコでも動かなかったわよ。せっかく金払って行ってるんだし、自分の好きにさせて欲しいと思うのよ」


(…そもそも行かなければいいのでは?)


 そう思うも、僕も人付き合いの少ない人生を送り続けていたせいでいざという時に人脈に苦労したクチなので、主任も人付き合いに苦労している人なんだなと解釈しておくことにする。


「…違うわね、私はテーマパークを個人的な嗜好で楽しみたいのよ。夢や魔法と謳っておきながらパレードの横でテーブルに乗った残り物のチキンに群れる鳥が肉をむさぼる様子を写真に収めたり、カップルの男性が一人盛り上がった挙句に告白スポットでフラれる瞬間に出逢ったり。夢と現実との落差が大きければ大きいほど私は金を払ってそこまで行った価値があると思うのよ」


 暗い笑いをする主任からはどす黒いオーラのようなものが見えているが、僕が仕事をしているスタッフだったら「帰ってくれ」と言いたくなる部類であることは間違いなかった。


『まあ、人の価値観はそれぞれですからね。十人十色の個性が映える世界こそ、人生を謳歌するにふさわしいと思いませんか?』


 不意に、そう問うてくるのは古風な燕尾服を着た華やかな雰囲気の男性。

 胸の名札には『市民劇場支配人 大賀見 誠』と金色の文字が躍っている。


 それに主任は気がつくと相手に挨拶をする。


「…あら大賀見さんお久しぶりで。1年ほど会っていませんでしたかね?先ほど舞台で座長としてご挨拶していましたけれど、ここを離れてよろしいのですか?」


 すると先ほどまでモニターで自己紹介をしていた大賀見は慇懃に頭を下げる。


『ええ、今回は演じていただける方がベテラン揃いなので、しがない代表でしかない私は紹介だけに止めさせていただきました。それに、見目麗しい主任さんにお会いするのも1年ぶりのことで…よろしければ、そちらのお若い方のご紹介とともに改めて貴女についてもご紹介願えませんでしょうか?』


 歯の浮くようなセリフに主任が苦虫を噛み潰したような顔をする。

 …どうやら、主任は大賀見の言葉遣いがかなりカンにさわるらしい。


 ちなみに僕はといえば、この手のタイプは苦手と感じるのだが…


「私はあくまで清掃班の主任を務めているだけですので個人的に名乗るほどのこともありませんわ。こちらもつい最近入った清掃班の新人でして私と同様に名乗る必要もない役職ですので、今後お名前を聞くのは控えていただけません?」


 大賀見は『そんな、そんなご謙遜を…』と言いながら、言葉を続けようとするも、そこに恰幅の良い防護服を着た女性がのっしのっしとやってくる。


「ごめんよ、遅くなったね、エージェント・ドグラ。そこの清掃は終わりそうかい?新人君も大変だねえ…ここは騒がしいとこだろう?こっちの指揮する撤去班の回収に合わせて清掃もせわしなく行わなければならないから、まあ、ローテーションは年に一回だから数日間は我慢してくれ…えっと、大賀見さん?」


 そう言って意味ありげに目配せする女性に大賀見はスッと後ろへと引く。


『ええ、お二方ともお仕事の話ですね。それでは私はこれで…』


 そして、燕尾服の尾が扉の向こうに消える頃、主任は「カサンドラお疲れ」とねぎらいの言葉をかけて女性の肩を叩く。そう言われ、この劇場の専任特派員として指揮をするエージェント・カサンドラは大きくため息をついた。


「…全く、あの死人はどこにでも現れて困っているよ。ま、本人はあまり自覚が無いようだけど…大丈夫かい?今も、この子の本名はバレていない感じかい?」


 それに主任は「もちろん」と僕を見る。エージェント・カサンドラは胸を撫で下ろし、床を一瞥してから下に続く階段に目をやる。


「…それなら良かったよ。じゃあ、そこのカーペットに染み込んだ血を拭き取ったら、次はトイレの床拭きをお願いするよ。入水自殺した女優の遺体を回収したけど床が水浸しでね…ほんっと、ここは死人が多くて嫌になるよ」


 そう言って、エージェント・カサンドラはかぶりを振るとドスドスと音を立てて去っていく。その時、ひときわ大きな歌声が響き、僕はモニターで上演されているオペレッタを見た。


 そこには、先月自動車事故で亡くなった主演男優が血が乾き肉がえぐれた腹を見せながらも見事なバリトンボイスで歌う様子が映し出されていた…

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