9−4「死者と記憶処理」
「…小菅くんも、月末のお盆休みにはちゃんと墓参りには行かないとダメだぞ」
時刻は夕方の4時半を過ぎていた。体感的にあの墓地にいたのは一時間程度の気がしていたが、実際は数時間以上もあの場所で過ごしていたようだ。
『お疲れ様です、ご自由にお取りください』と上に貼り紙された冷蔵庫の水饅頭を主任は紙皿の上に取りわけ、僕に渡す。
「今日は本来、各エリアの清掃班が1年間頑張ったご褒美として貰えるサービスデーだったんだけどね。することも区間内の墓掃除だけだから2時間ほどで済むし、食堂で使える無料食券の配布やおやつも用意されたりして、早帰りもできる至れり尽くせりの日のはずなんだけど…小菅くんは今回運がなかったわよね」
…社内に特別に設置された休憩室。
ドリンクバーやおやつの入ったカゴなどが机のあちこちに置かれており、すりガラスの嵌ったドアから外を見ればロビーを行き交う社員の姿が見えていた。
「トイレに行って戻ってきたら、小菅くんの姿が見えないんだもの。あの区間は最近亡くなった社員の墓だったから…小菅くんは運悪く、そこにいた平塚の霊につかまっちゃったというわけね」
ついで、主任はポスポスと僕の皿に追加の水饅頭を3つ4つのせる。
「昼も食べてないからお腹空いているでしょう。これ食べなさい…で、小菅くんを探していたら区間をうろついていた飛田を見つけて、これまでの経緯を聴き出して現場に駆けつけたわけ」
主任はドリンクバーで二人分のお茶を入れると、片方を僕によこした。
「でも、話を聞けば聞くほど飛田自身がどうしようもない人間だとわかってね。本来なら平塚くんの具合が悪くなった時点で上の許可を取って記憶処理して労災扱いにして日常に戻すべきなのに、自身の評価がマイナスになることを恐れて、記憶処理でごまかして仕事をさせていたの」
主任は憤慨した様子で追加の水饅頭を皿に取る。
「飛田は以前、記憶処理の担当をしていてね。技術を悪用して目の前で起きていることが現実ではないと平塚くんに刷り込ませていた。あげく、彼が心神喪失で交通事故を起こしてしまった時には、怪奇現象が原因で精神異常を起こした末に事故を引き起こしたと虚偽の報告をしてごまかしていたの」
こしあんの水饅頭を食べると主任はため息をついた。
「記憶処理は脳に負担がかかるし、何度も続ければ、後遺症が残る場合もある。だから社内でも行うには特別な許可がいるし、経過観察も必要になる。飛田も、そこのところがわかっていなかったから担当を外されたのよね…そう考えれば、平塚くんが一番の被害者なのもうなずけるわ」
そう言って主任はズズッと緑茶を飲み、僕の方を向く。
「ん?何か言いたそうね」
振り向く時、頭についた二つのお団子結びが横を向く。
僕はそんな主任に「いえ…」と答える。
「そう考えれば僕は上司には恵まれているんだなって。平塚との違いはそこだったんだろうなって思いまして」
主任は僕の意見を聞くと「ふうん」と、どこか意地悪そうに笑う。
「そうかしらん、結構スパルタな気もするわよ?私、いじわるだし」
そして、主任は冷蔵庫に残った抹茶と柚子の水饅頭をしげしげ眺める。
「そういえばさ、あの水の中に沈んでいたのは曼珠沙華だったわね。秋の時には萩の花が咲くらしいけど、お彼岸になると水中の花も変わるのかしら?」
そんなことをひとりごちながら残ったお茶を飲む主任に、僕は聞く。
「ところで、会社の地下にあった墓地群は結局なんだったんですか?時間が経つごとに水も溜まって川みたいになりましたけど」
しかし、僕がそれ以上の言葉を続ける前に主任は時計を見ると「よし、今日も定時あがりだ」と言って空になった皿と割り箸をゴミ箱に捨て立ち上がった。
「…そこから先はエージェント以上しか知れないの。それに小菅くん、平塚くんに言われたことはあまり真に受けないようにしてね。飛田の話によると幾度もの記憶の改竄で混乱して、会社の防犯システムに侵入するような真似もしていたようだし、心にも無いこと随分言われて疲れたでしょう…帰って休みなさいな」
僕を労わる主任の言葉。
…しかし、うなずこうとする僕の中である言葉が引っかかった。
(小菅だって知ってるはずだぞ、俺たちは今まで…)
彼は何を言おうとしていたのか。
いや、それ以前に彼は何を知っていたのか。
主任と別れ、夕暮れに沈もうとするマンションの帰途につきながらも、僕の頭からはその考えが離れない。
「ねえ、お兄ちゃん…また考え事しているの?」
気がつけば、マンションの階段に浴衣姿の少女がいた。
僕が入社した時からマンションにいた少女。
…なぜか、情報部の江戸川は彼女のことを知っていた。
「相談事があるなら乗ってあげるよ?どうする?」
屈託無く笑う浴衣姿の少女。
僕の記憶になぜか残っている少女。
昔会ったような記憶はあれど、どのようにして出会ったのかは判然としない。
(…彼女と話していれば何かを思い出すかもしれない)
そして迷った挙句、僕はこう言った。
「そうだね、他愛ないことかもしれないけれど…ちょっと聞いてくれないか?」
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