8−4「死体の山と祝詞」

「よー、ドグラ、お疲れ。協力ありがとな」


 そう言って待機していた車から降りてきたのは黒いシャツに黄色のネクタイの細身の男だった。


「俺は情報部に所属しているエージェント・江戸川だ」


 手短に名乗ると江戸川は慣れた様子で僕らのいた車からスマートフォンを取り出すと、いくつか操作をして里中さんに渡した。


「ほい、音声データ以外初期化しておいたから、後はお前さんの好きにしな」


 もらって小躍りする里中さんを遠目で見ながら、主任は首を振る。


「…江戸川は私の昔の上司でね、今は情報の部長をやっているのよ。以前は私もそこに所属していたんだけど、こいつの趣味が盗聴と社員の生活圏内の詮索でね。イカれた感性に付き合いきれなくて距離を置くようにしていたのよ」


 特大のため息をつく主任に江戸川は笑う。


「いやー、何ぶん今回の回収作業に関しては小菅や里中みたいな新人社員がうってつけでな…ま、ドグラも10年前にこの回収作業に参加しているから、すぐに対応できると踏んでいたがね」


 その言葉に主任は江戸川を睨む。


「…『丁の25番』、通称『厄捨やくすやま』…厄年の人間を誘い込み、負の気を溜めさせて一定周期で外部へ捨てる迷惑なサイクルを繰り返す山…で、ここまでがあの山の領域テリトリーだったというわけね」


 そして死体が大量に倒れこんでいる道の端…縦長のモニュメントのような石を差す主任に、江戸川は満足そうにうなずく。


「そうだ。で、あの石が山の境界に位置する道祖神、あの場を境にして俺たちは地元の神主と協力して周期ごとに山に集まった遺体を回収し元いた家族のところへと返している…こんな感じでな」


 道の真ん中では数人の神主が死体の周囲にしめ縄を張り、祝詞をあげていた。


 供養されている遺体は大部分が白骨化しており、未だ黒い根が取り付いているものもあったが、それも神主たちの祝詞と共に溶けるように消えさり下から彼等が着ていたであろう元の服の地の色が見えていくのがわかった。


「新人を使うのは、山に入った人間は記憶を探られ負の感情を刺激される、失敗すれば完全に山に取り込まれる可能性もあるから情報を最低限しか持っていない新人社員にお鉢が回ると…悪しき習慣だわ」


 イラつく様子の主任に、江戸川は小さく笑う。


「お前もわかっていると思うが、社の方針だからな。ただ、それに対してお前が何を思うかは個人の自由だ」


 ついで、江戸川は近くに止めていたバンから何かを持ってくる。


「里中もそうだが、お前さんたちも頑張った身だ。報告書も書いておくし早帰りの直帰でボーナス増額は当たり前として…ついでにサブ報酬もやらないとな」


 そう言いつつ、江戸川は主任の手にポンと何かを渡す。


「ほい、今回の成功報酬。保冷剤は入っているが早めに持って帰って食えよ」


 それは、どこにでもあるお菓子屋のケーキの箱。


 中に見えるのは、何の変哲もないホールタイプのフルーツケーキのようだが…どうやら主任にとっては違うらしく身体中を震わせながら中身を見つめる。


「ぐ、こ、こんなもので…私が…!」


 江戸川は首をかしげる。


「ん?違ったか?これは年に一度だけ駅前のケーキ屋で販売される10個限定のカスタードフルーツケーキ。限定ゆえになかなか手に入らない代物だと聞いていたが…違うなら、俺が持って帰るぞ」


 そう言って、引っ込めようとする江戸川の手から主任は箱を素早くもぎ取ると、まるで子供のように後生大事に抱え込む。


「まあ、もらってあげてもいいわよ。本当は有給使ってでも買いに行きたかったものだし…っていうか、小菅くんはどうなのよ。何にもあげないつもり?」


 そう言って噛み付く主任に苦笑しつつ、江戸川はこちらの方を向く。


「じゃ、リクエストに答えて小菅にはこのメルアドと電話番号をやろう」


 そう言って、胸ポケットから出したのは一枚の名刺。

 書かれているのは大手出版社の社名と一人の名前。


「…お前さんはどうもここ最近、小説がスランプ気味じゃないか?で、その原因を鑑みるに出版社の色を意識せずに空回りな投稿をしている気がするんだよ」


「え?」と顔を上げる僕。

「ま、ここだけの話だがね」と付け加える江戸川。


「出版社にはその作風の合う合わないがあるんだよ。雑誌の全体をざっと見た時にバランスが取れる作家を出版社は欲しがるんだ。で、お前さんは、この数年間のあいだに一つの出版社にばかり応募している…違うか?」


 …違わない。

 そこで、江戸川はゆるゆると首をふる。


「そこが間違いなんだよ。お前さんが最初に受賞したのは出版社の合同企画の賞だっただろ…現にこの会社の担当が不思議がっていたぞ。なんでこいつは自分の得意分野に合わない出版社に作品を出し続けているのかこのままじゃ腐ってダメになっちまうって…で、業を煮やした俺が名刺をもらってきたというわけだ」


 僕は名刺を受け取り、江戸川に礼を言おうと口を開ける。

 …が、その前に江戸川は主任を見てこう言った。


「それと、ドグラ。今回は及第点にしておくが、部下の体調には気をつけておけ。俺が教えた通りに即死や大怪我については防護服のおかげで多少の無茶はできるが精神的な疲れは難しいからな。特に今回みたいなタイプは不安定な奴ほど引かれやすい…重々注意しておくように」


 そう言って、手を振る江戸川に「えっらそうに!」と舌を出す主任。


「もう帰ろ、小菅くん。コイツはそういう奴なんだから」


 そう言うと主任は里中さんを伴って江戸川が用意したバンに乗り込む。

 僕も慌てて乗り込み、車は死体の山から離れていく。


「…領域から離れたとはいえ山は見えているからね、壁に耳あり障子に目あり、アレの監視下の中でうかつなことは話さない方が賢明よ。」


 そんな主任の言葉につられ、後ろを見た僕は気づく。


 …今まで感じていた奇妙な視線。

 何か巨大なものに見られているような感覚。


 それは、未だに続いている。


 後部座席から見える遠くの山。

 あの遺体にくっついていた黒っぽい根と同じ色をした不気味な山。


 その山こそが、今まで僕らを監視していた強烈な視線の正体であったのだと、僕は今更になって気がついたのであった…

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