8−3「想起と正気」

 …次の締切まで間に合わない。

 早く家に帰って書き上げないと。


 死体を見つけたあの日から僕は焦っていた。


 ジェームズ達が、死体の処理をするため僕に先に部屋に戻るように言い、その側を通り過ぎて行った時から感じていた。


 自分には何もできないという焦燥感。


 どれほど親しく感じようともジェームズも主任もエージェントだ。

 お互いに仕事をこなし、結果はどうであれ、やれることはやっている。


 では僕はどうだ?今まで何ができた。


 僕は清掃を行うことしかできない。

 主任の指示を聞きつつ、出来る限りの作業しかできない。

 

 …初めはそこまでで良いかもしれない。

 三ヶ月くらいまでは良いかもしれない。


 でも、そこから先はどうする?


 期待していると言われて入社し、期待はずれと言われて退社させられる。


 仕事が半年にさしかかると「できることはないのか」とか「他に得意なことは」と聞かれ、最後になると「仕事をこれ以上は任せられない」と言われ、退職を勧められることが定型になった。


 期待した後でがっかりされる。

 落下しかない人生、初めが頂点である人生。


 それは書いている小説さえも同様であり、下がる評価を食い止めようと足掻けば足掻くほど失敗を重ねていくような、そんな気さえしてしまう。


 でも、何かしなければならないという焦りがつきまとう。

 書いて結果を残さねばという強迫観念を感じてしまう。


 次の締切までに何かを書き上げないと。

 成果を残さないといけない。

 そうでないと、このままでは何の取り柄もない人間になってしまう。


 …そして、追われていく中で僕は気づく。


 僕は隣に座る女性の手を握っている。

 彼女のドアのロックに手をかけようとしているのを止めている。


(なぜだろう、そんなことよりもするべきことがあるだろうに)


 外に出なければ、書くべきものを書かなければ。

 そうしなければ、僕が生きている意味がなくなってしまうのだから。


 …そうだ、そのためには今すぐ手を離せばいい。

 離して車から外に飛び出せば良い。


 なのに、僕の手は彼女から離れない。


 額から汗が流れ落ちる。

 早く外に出ろと心がせき立てる。


 でも、でも僕はどうしてもドアを開けることができず…


「落ち着いて、小菅くん。焦ってばかりじゃあ何も始まらないわ」


 その言葉にハッとする。


 気がつけば、車の窓に大量の蛾やカエルが張り付いていた。

 ドアの隙間に入ろうとする黒っぽい虫たち。

 黒い腐った根を体に絡みつかせた生物たちが窓の視界を塞ぐ。


 …なぜこんなことになっているのか。


 走行する車の窓、虫たちの群がる後部座席のガラスの向こう。

 その隙間から未だ僕たちを追い続ける黒っぽい人だかりの姿が見えた。


 黒い根が絡みついた人々。

 骨が見え、眼窩から植物の根が飛びだした土気色の人の姿。

 それは明らかに生きている人ではなく…


 瞬間、僕はここまで来た経緯を一気に思い出した。


「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」


 気がつけば、里中さんが同じ言葉を繰り返し、ボロボロと涙を流している。

 その手はドアを開けようと伸びていたが、その手を僕は押しとどめていた。


「近くの人間にも影響を及ぼすのか…まずいわね、早くここを抜けないと」


 フロントガラスに張り付く虫を高速ワイパーで振り落しつつ、主任はここまでナビをしていたスマートフォンに目をやる。


「…で、ここまでの状況を見ている誰かさんは、この時点で何の用意もしてないなんてこと、ないわよね?」


(え、誰に話しかけているんだ?)


 そして、次の瞬間…


『まあ、よほど阿呆でもなきゃ気がつくわな』


 ナビから男性の声がした。


『ドグラ、スマホのミュージックアプリを起動しろ。切り札が入ってる』


 スマホから流れる男の声にすかさず主任はナビのスマホを操作する。

 ついで、車内に流れてきたのは僕が初めて耳にするアップテンポな曲。

 

 …だがしかし、なんだか曲の内容が怪しい。


 いや、曲は曲なのだが、内容が女の子の気持ちを歌ったものであり、なのに歌っているのが二人の男性ボーカルなのが、なんとも言えず…


「はうあ!それは『僕らは百合じゃない』のコミケ限定版DLソングじゃない!?初回限定で回数に制限がかけられていてわずかな僕百合ファンの女子の間でしか手に入れることができなかったという伝説の曲…!」


 シートベルトで押さえつけられながらも前に乗り出す里中さん。

 その表情は興奮と歓喜に満ちあふれ、先ほどのダウナー状態はどこへやら…


「女装姿で恥じらいながらも歌う、ダブル主人公のジャケット表紙がSNSで話題になって、限定版ゆえに公式でもファン同士の曲の取引に制約がついてて、もはや耳にするだけで伝説と言われる曲がどうしてここに…!」


 …いや、知らないよ?そんなこと。


 元気になった里中さんの異常なまでのマニアックぶりにドン引きする僕。

 そんな里中さんにスマホの男は提案する。


『うんうん、効果は抜群だな。里中、ここを無事に切り抜けたらスマホごとこの曲をやってもいいぞ。なんならツテで次回のコミケ限定のDL情報もやろう』


「あ、ヤバ。私この危機的状況で絶対生き残らないと」


 ぐっとガッツポーズする里中さん。僕は里中さんの知りたくもない一面を知ってしまい、彼女と距離を置こうとするが…その時気づく。


 車から先ほどまで張り付いていた虫がぺりぺりと剥がれていく。

 晴れていく視界の中、追ってくる人足が遅くなっていることに。


標的あいての思考に割り込めない上に、の苦手な周波数に合わせた低周波も混ぜているからな。文字通り虫除けになっているというわけだ』


 得意げなスマートフォンの声に主任はジト目をする。


「…江戸川、最初からこうしとけば問題なかったんじゃないの?」


 すると、スマホごしの声は『んなもん、わかってるだろ?』と続ける。


『一定数以上を引き付ける必要があったしな。安心しろよ、間もなくゴールだ。出口には俺を含めた関係者数人と撤去班がいるから、指定されたところで止めてくれ』


 主任は舌打ちをしてハンドルを握る。


「クッソ、こうなるってわかっていたら今日の仕事有給にしとくんだった…」


 みれば道の先には僕らを待ち構えていたのか、重装備をした撤去班と神職者と思しき人だかりができており主任は彼らの中へと車を走らせていった…

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