7−4「休□の清掃日*チェック・4」

 休日の*日目の朝。

 ベッドの上に横たわってスマートフォンの上で指だけを動かす。


 眠りたいが眠れない、食事も摂りたいとは思わない。

 目を瞑ると嫌な記憶ばかり思い出してしまう。


 文章を目で追うだけなら、それほど負担ではないのでそうすることにする。

 そう、文章を目で追うだけなら…


『4月2日、場所:第82番倉庫(通称、***)温度*7℃ 湿度2*%

 8:3*〜1*:00まで、途中*回の休憩を挟んで清掃終了。

 防護服着用の上、*の廊下を清掃。数名の***を見るも、異常はなし』


 なぜだろう、文章がぼやけて読めない。

 疲れてきているのだろうか…僕は目をこする。


(…文章だけなら、それなりに整っているのにね)


 漫画を描くのを諦めた頃に母から言われた言葉。


 試しに漫画で書いていた短編SFを小説に直し、数篇ほど小さな賞に応募するとそのうち1つが努力賞に入った…と言っても掲載もされないような佳作以下。


 でも、それで希望を持ってしまったのは間違いない。


 バイトで生計をつなぐ傍ら、時間を見つけては長編へ繋がるようにコツコツと小説を書き進めるようになった。


 文章を早く打ち込めるように練習し、1日で書ける平均時間を測定した上で、文章に齟齬が見られないように何度も校正を繰り返す…そして、小説を書き始めてから3年が経った頃、僕は気づく。


(評価が、下がってる)


 もはや何の賞にも入らない、サイト評価は軒並み下がっていく。


 原因もわからないし、理由もわからない。

 …いや、わかっていた。本当は何が理由かわかっていた。


『4月*日、場*:第**番倉庫(通称、***)温度*7℃ 湿度2*%

 *:3*〜1*:00まで、途中*回の休*を挟んで清掃終了。

 防護服着用の上、*の廊下を清掃。異常*なし』


「うつ病の傾向がありますね、この薬を服用してください」


 眠れず、呼吸が難しくなり、痛い体を引きずって仕事をしていた頃。

 僕は自分の体が良くなると信じ、必死に薬を飲み続け医者に通っていた。


「始ちゃんは二つのことを一緒にすることができないからね。しばらく次の仕事を見つけて専念するようにしなさい」


 母の言葉に従うように仕事だけをする毎日。


 でも仕事に専念しようとすればするほど、自分の中で歯車が噛み合わない。

 こんなことをしていていいのか、他にするべきことがあるのではないのか。


 そんな考えを持つことこそ問題だと自分を否定するが、心は荒れていく。

 フラストレーションが溜まり、周囲の人たちとギクシャクしてしまう。


「困るんだよね、病気なら病気と言ってくれないと」


 具合は悪くなる一方でとうとう同僚からも上司からも離職を勧められた。

 …そして、数ヶ月前に医者に言われた診断結果。


「検査結果にADHDの兆候があります。薬を飲んでください」


 言われて飲んだ薬はひどい吐き気と頭痛をもたらし、僕は一日ベッドから起き上がることさえできなかった。


「薬が合わないようですね、今後新しい薬が見つかるまで飲まないでください」


 そして薬を飲まなくなってから二月後、僕は自分の書いた文章を見て驚いた。


 文字が読めない…いや、違う。

 うつの薬を飲んでいるあいだの文章が支離滅裂になっていた。


 年々容量が多くなり、体が思うように動かなくなっているとは感じていた。

 でも、それを飲み続けることで良くなると信じていた。

 まともに働くにはこれしかないと思っていた。


 それなのに…結果は違った。


「今まで出していた薬も飲まないでください、良い薬が出ると良いですね」


 それは、医者が最後に言った言葉。

 …でも、それから僕は文章を書くことが怖くなった。


 もしかして、二度とまともな文を書くことはできないのではないか?

 人の読める文章を紡ぐことができなくなっているのではないのか?


 いや、そもそもこんな障がいを持っていれば、働くこと自体無理ではないか。

 生活保護という考えも出たが母はそれを否定した。


(ダメよ、始ちゃんは1度でもその生活に入ったら2度と戻れなくなるわ)


 …確かにそうかもしれない。

 

 でも、自分はすでに失敗している。

 足掻いても失敗しかないのに、なぜ生きる必要がある。


 日を追うごとに生きていくのが辛くなった。

 それでも生きている自分が許せなかった。


 そして、今の会社に引っ越す前。


 仕事休みにパソコンを開くと画面が真っ暗なままになった。

 何度電源を入れ直しても真っ暗なままだった。

 お金がない以上、買い直すこともできない。

 バックアップも何も取れていない。


 今まで書いてきた小説のデータもパソコンの中で死んでいる。


『*月*日、**:第**番倉庫(通称、***)温度**℃ 湿度**%

 *:**〜1*:0*まで、途中*回の休*を挟んで清**了。

 *護*着用*上、*の廊下を清掃。異常*なし。』


 文字の崩れた日誌を読みながら僕は指さえ動かすことができなくなっていた。


 …結局、夢なんて持つだけ無駄なのだ。

 挫折して、生きるのが苦しくなっていくだけなのだから。

 僕には何も残ってはいない。生きていく意味も、何一つないのだから…


「でも、周囲の人間に迷惑をかけるのは嫌なんでしょ?」


 上から聞こえる主任の言葉。

 …そもそも、なぜ主任の言葉が聞こえるのか。


 その瞬間、僕はガバッと飛び起きた。


 病院と思しきベッドの上。腕には輸血の管が付いており、目に違和感を感じ、拭い取ると赤いかさぶたのようなものが取れた。


「…第67番倉庫。通称、陸奥蓋むつがさ生体科学研究所。ここはその付属病院の病棟、小菅くんは倉庫掃除の際に事故にあってここに運ばれてきたの」


 横を見るとパイプ椅子に腰掛け、本を片手に持った主任がニヤリと笑う。


「お疲れ様…それと、生還おめでとう」

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