7−3「休日の清掃日誌チェック・3」

 休暇3日目の夕方。


「…お兄ちゃん、今日も暇?」


 コンビニの帰りに浴衣の少女が階段で手を振り、僕もそれに返事をする。


 聞けば、浴衣姿のこの少女は11月くらいから清掃班の平塚という社員についてくる形でこの社員寮のマンションに厄介になっていたらしい。


「今は、システム管理部の大田原さんのところにいるんだ。この前くれたケーキ美味しかったよ。二人で仲良く食べたんだ、向こうは恋人感覚みたいだよ」


 …なんとなく、そんな会話を以前にもした気がした。

 でも、とやかく聞くのも面倒なので、僕は「そっか」と答えて上へと上がる。


 それは二ヶ月前に主任のおごりで買ったケーキだったが、ジェームズは甘いものが苦手で僕一人だけ食べるのは忍びないなと思っていたところ彼女を見つけ、ケーキを譲ったのだが…美味しく食べてくれたのならそれで良いと思う…ただ、その管理部の人が何を考えているかまではちょっとわからないけれど。


 …家に入ると、もう夕食の時間になっていた。

 適当に夕食を食べ、風呂に入ってスマホを手に取る。


 日誌を読んでいると時間が飛ぶようだ。

 振り返ってみればこの数ヶ月のあいだにも色々なことがあった。


『3月15日、場所:第32番倉庫(通称、美術館)温度35℃ 湿度80%

 8:30〜16:00まで、途中3回の休憩を挟んで清掃終了。

 冷却機付き防護服着用の上、出入り口封鎖の2F館内の廊下及び展示室清掃。

 館内温度に苦情を漏らす客を発見。10年前閉館の旨を説明、帰ってもらう。

 ネットの掲示板に館内温度についての苦情が18時間以上投稿されていた。

 館内に異常はなし』


『3月16日、場所:第32番倉庫(通称、美術館)温度20℃ 湿度15%

 8:30〜16:00まで、途中3回の休憩を挟んで清掃終了。

 防護服着用の上、1F館内の廊下及び展示室清掃。

 室内の絵画の1枚に水に浮かぶ人の姿を見つけ、担当エージェントに報告。

 午後事故により、他地区担当のエージェント1名が亡くなったと報告あり。

 異常はなし。』


(…あの時、主任は「水で良かった、火だったら危なかった」と言っていたな)


 顔を上げると、すでに夜の11時になっている。


(…もう寝ないと)


 スマホを閉じるとベッドに横になり寝ようとする。


 カリカリというペンを走らせる音、ペラリと紙をめくる音。

 それは子供の頃の自分の姿であり…僕は汗をかいて目を覚ます。

 橙色の蛍光灯の灯りに手を見ると指先にかすかに残るペンだこに目がいく。


 …ああ、そうだ。すっかり忘れていた。

 僕は将来、漫画家になりたかった。


 小学校からノートに落書きのような自分のキャラクターを描き綴っていた。

 話をいくつも考えて、何冊も自分だけの漫画を描いて部屋の隅にためていた。


 …でも、それは不可能な夢だった。

 結局、両親からも不可能だと言われた。


 パースが狂っている、奥行きがない。


 父は何十年というベテランの絵描きだった。

 母は育児のために会社を辞めるまで漫画も描いていた編集者だった。


 そんな両親にお前は向かないと言われた。


 20年以上も描き続けて、私立の美術大学まで行って。

 描いたはずの漫画が…何一つ伝わらない。


「専門書をこれだけ読んで何を教わった」


「ダメね、絵から何も伝わってこない」


 両親の言葉に僕は揺れた。


 何が伝わらないのかわからない。

 必死に描いても伝わらない。


 賞に何度投稿しても落選の連続。

 年に何回か出版社に持ち込むも両親と同じことを言われ続けた。


 絵は難しいですが次にこうしてみたらどうでしょう。

 絵以外ではこのような内容にしてみたらどうでしょう。


 持ち込んだ先の編集に言われた通りの内容を作ろうとした。

 すると、どんどん内容がおかしくなった。


 自分の作品が自分のものではなくなっていく感覚。

 自分の作っているものが何なのかわからなくなっていく感覚。


 だんだんと筆を持つのが億劫になった。

 何を表現したいのかまるでわからなくなった。


 忘れようと努めていたのに。

 思い出したくもないこと、辛い記憶を思い出す。


 目が冴えてしまい眠れなくなる。


 橙色の蛍光灯の下。

 僕はスマートフォンをつかむと、過去を思い出すまいと必死に日誌をめくる。


 そう、前に比べればずっとマシだ。

 自分の過去を思い出すよりも、ずっと…

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