5−2「科学館事務室、横ロッカールームにて」

「…んふふふふ、小菅こすげくん起きた?」


 周囲に漂う草と土の匂い。


 主任の声ではない女性の声に目をさますと、キツネの被り物をしたゆるふわ系のロングスカートの女性がしゃがみこんで僕を見ていた。


 そこはロッカールームで隣に開いた扉からは置き去りにされたいくつもの埃をかぶったデスクと『科学博物館運営の注意事項』と書かれたかすれたプラスチック板の注意書きが壁にかかっていた。


(…ここは、閉鎖された科学館の中なのか?)


 身うごきしようにも背中も手足も何かに固定されているらしく首以外は満足に動かすことさえできない。ふと視線を上げると、1枚のヒビの入った姿見に縄で椅子に固定されて横倒しにされている僕の姿が見えた。


 するとキツネの被り物の女性は「うふふふふ」とまた笑う。


「まだ、私のこと思い出せないんだ…ほら、高校の時に一緒に学級委員をした仲じゃない」


 そう言って被り物をずらした女性に僕は「あっ」と声を上げる。


「学級委員長の里中さん?」


 すると目元のパッチリとした、未だ10代後半と言われてもおかしくない女性は、整った顔立ちでくすくすと笑う。


「当たり、変わってないね小菅くんは。30過ぎでもお人好しの顔してる」


 …同じ高校の里中愛菜さとなかあいな


 成績優秀で当時滑り止め校だったうちの私立高校で唯一国立で授業料完全免除の推薦に受かった学級委員長。将来は学者になるのが夢だと言っていたが…


「未だに貧乏くじを引く癖は治っていないみたいだね。クラスのみんなに押し付けられて副委員長をしていた頃と全く変わっていないじゃない」


 そう言って僕を眺める里中さん。


「なーんで、こんな会社に入っちゃったかなあ。高校時代に話していた夢と何の縁もないところじゃない。もしかして、仕事で入れるところがここしかなかったとか…あーあ、図星の顔だあ」


 くすくす笑う里中さんだったが、急に真顔になって僕に話しかける。


「でも、こんな会社すぐにでもやめたほうが良いよ…危ないことばかりで君には何の利益も将来性もないだろうから」


 そして、彼女は芝居掛かった調子でくるりと回ってみせる。


「君の会社が裏で何をしているか知ってる?法に触れるような危険物の独占と、認可されていない医療関係者との裏での繋がり、広範囲にわたる土地の買収行為と情報操作と…ともかく、数えきれないほどの法律違反をそこはしているの」


 どこから情報を仕入れたかはわからないが、彼女は饒舌に語り続ける。


「今、あなたの所属している会社もそうだけれど、この手の会社は情報を秘匿して決して外部に漏らすことをしない。情報を仲間内だけで共有し、一般の人たちは爪弾きにする。普通の人たちが危険な目に遭遇しても、情報すら開示されない…そんなの、おかしいと思わない?」


 そう言って、キツネの被り物をする里中さん。


「ねえ、私たちの団体に入らない?この世界で起こる奇妙な現象を明るみにして隠すことなく全員で共有出来る社会を将来目指そうよ。規模はまだ小さいけれど、前のリーダーは幾つかの心霊スポットを一般に解放した例もあるし私たちも負けないよう情報開示を積極的に推し進めていくわ」


 身動きできない状況でかけられる勧誘の言葉。


「活動住居やアパートの提供、生活も保証する…悪くない話だとは思わない?」


 その言葉に悪意は感じられずとも僕は変わってしまった彼女に驚く。

 だが、そこにさらなる横槍が入った。


「…中には、一部過激な連中もいるみたいだけどね。ついさっき撤去班がSOSを出してきたわ。作業終了時に建物内に監禁されて動けない状態になったって…私なんて公衆トイレに行ったら上からこんなものを投げ込まれたんだけど、ちゃんと慰謝料は払ってくれるわよね?」


 バッと後ろを振り向く里中さん。

 …そこには、窓の内側で包丁を持った腕を組む主任がいた。

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