9−2「サボりの勧め」

 そんな僕の表情を読み取ったのだろうか、男性は僕の顔を覗き込む。


「俺が死者かもしれないって、ここが彼岸だから?」


 途端に男性は腹を抱えてゲラゲラと笑い出す。


「ねーよ、そんなオカルト。お化けが見えるってのは精神異常の一つなんだぜ。ネット検索すれば論文付きでそんな話がゴロゴロ出てくる。脳内に分泌される、ホルモンバランスの崩れとか、単なる見間違いとか…」


 ひっ、ひっと引きつれるようにひとしきり笑った後、男性は首を振る。


「あーあ、小菅クンも上司にそんな話でたぶらかされちゃってマジかわいそう。入社の時に色々丸め込まれたんだろ?障がいとうつで絶望して死にたがっていたみたいだし…でもなあ、救いなんてないから。俺も就職に苦しんだ挙句にここを選んじまってどん底になったんだから。お互い不幸の坂を転がって生きていくしかない、そうは思わないか?」


 いつしか周囲で清掃する社員の姿も見えなくなっていた。

 僕は黙って仕事を進め、最後の墓石の苔を落とすため磨きにかる。


 ここまで清掃してわかったことが、どの墓石も周囲に苔が満遍なく貼り付いており足元も壁も苔だらけになっている。


(…室内にも関わらず、ここは湿気が多い場所なのだろうか?)


 そこにも、男性は割り込んできた。


「だーかーら、やめちまえってそんなこと。意味ないんだよ。俺だって入社当初は金回りが良いし他に就職先もなかったから必死に働いていたけどさ…でも途中で思わね?俺、何をしているんだって。こんな幻覚まみれの異常しかない現場で何を目的にして俺たちは仕事しているんだって」


 そして、男は何かに気づいたかのように顔を上げる。


「そうそう、小菅もそうだろうけれど俺にも夢があってな。一流のプログラマーになって一発当てたがっていたクチなんだけどさ。それでも仕事で時間が削れるたびにどんどんモチベーションが下がっていってさ」


 …男はそう言ってつらつらと語る。


 平日は帰ってきても仕事のせいで疲れて眠ってしまう。


 休日も疲れが持ち越され、システムづくりのためにパソコンに向かうも頭痛や吐き気のせいでテスト用のコード一つまともに書くことすらできない。


 休もうかと横になるも妙な緊張感で眠ることができず、寝不足が当たり前になっていき、時間が経つにつれ焦燥感が増していく。


 仕事のためだけに自分は生きているのかと情けなさを感じていく毎日。


 システム開発者になりたいという明確な目的を持っているのに、そこにたどり着くことすらできない辛さ…


「何度も思ったよ。夢なんか持つだけ無駄だって。生活するのなら自分を殺して生きていくしかないと、死んだように生きていくしかないと、俺はこの1年で、じゅーぶんに思い知らされたんだよ」


 僕は彼に…作業をすることもなく、己の事を淡々と語り続ける男の話を聞いてだんだんと辛い気持ちになっていく。


「しかも、そんな俺に上司は文句言うわけだ、磨き残しがあるだの清掃する方法を身につけろだの、時間が経つごとに言葉のキツさが増していく、俺は真面目にしているつもりでも上司は真面目に見えていないらしくってさ、とうとう仕事に対する姿勢も悪いし、態度が気にくわないって、俺の人格まで否定してくる」


 男性は語りながら、次第に首を垂れていく。


「でも、真面目ってなんだよ。何すればいいんだよ?具体例なんか一つも教えてくれなかったくせに…なのにあいつはいつも仕事が終わるたびに俺を個室に呼び出してさ、その度に疲れやイライラががひどく溜まって、なんだか自分が自分じゃないような気がしていって…」


「わかるか?わからないよな」と、首を振りながら男性は続ける。


「毎日のように誰かに監視されてる感じがしてさ、気味が悪くてスマホから寮内の映像が観ようとしてシステムに侵入したら、社内のデータから化け物や幽霊の画像がわんさか見つかって…でも、そんなのいるわけがない、ありえない映像のはずなんだ。だけど、そいつらは確かに存在しているようにしか見えなくて…」


「おかしいよな、一体なんなんだよ」と、頭を抱え込み、震える男性。


「でも、それだって嘘だってアイツは言うしさ…いや、でも、そうかもしれない。小菅だって知ってるはずだぞ、俺たちは今まで…」


 そこに女性の声がかかる。


「あ、清掃班の平塚くん。二日前に運転中に赤信号無視してトラックに突っ込んで死んだんだよね?ドライブレコーダーに上司の暴言が残ってたし、それが状況証拠になって向こうさんの責任になったことは知ってるかな?」


『え?』


 主任の言葉に驚くのはつなぎ姿の一人の男性…

 平塚と呼ばれた男性の額からツーっと赤い血が滴ってきた。

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