3−3「汚染」
…時刻は午後の2時になろうとしている。現在は3階の廊下まで清掃したが、どう見積もっても今日中には終わらない作業に僕は焦りを感じ始めていた。
測ってみると1階のフロアひとつの往復清掃時間はおおよそ90分。
4階分の清掃をすると単純計算で6時間になる。
開始時間は朝の10時であり、道具の撤去時間や帰りの時間も含めると午後の4時までにはジェームズに電話をかけたいところ。
しかし簡易清掃機が思った以上に重く、階の上下に時間がかかり早くも30分以上のロスが出てしまっていることが致命的であった。
(せめて、ジェームズに指示を出してもらえれば…)
しかし、スマートフォンを開けば主任からの追加メッセージ。
『サボるな』の四文字が並んでいる。
(…本当、何なんだよこの人)
渡り廊下の向こうには10人を超す子供が遊んでおり、学校の休み時間さながらに鬼ごっこやボール遊びをしている様子が見えた。
その中の一人が、僕が見ていると気づくや否や声をかけてくる。
「なあ、にいちゃん俺たちと一緒に遊ばないか?ボール投げしようよ」
しかし、様子を見ていた少女が駆け寄り、その子に首を振る。
「ダメダメ。あのお兄ちゃん上から下まで廊下の掃除しなきゃいけないの。ここの廊下を綺麗することがお兄ちゃんの仕事なのよ」
「えー、そうなのかよー」と、新しくやってきた半袖半ズボンの丸坊主の少年は唇を尖らす。
「じゃあ、にいちゃん。仕事が終わったら俺たちと遊ぼうぜー。約束だよー」
走り去っていく少年…とたんにお腹がグウと鳴り、僕はこの時間までお昼を食べていなかったことを思い出す。
何しろ、主任のメールがひっきりなしに届くため意識していなかったが今日は仕事中の休憩が一切なかった。主任の話では清掃はエネルギーをかなり消費するのでちゃんと休みは取った方が良いとのことだったのだが…
(…帰りにはへとへとになっているかもな)
汚れたスポンジを替えるため、簡易清掃機から替えのスポンジを出していると校舎近くでジェームズの姿が見えた…と、彼が乗ってきたのは社用のワゴンとは別の私用車であり、助手席からのっそり立ち上がった人物を見て僕は仰天する。
(ぷ、プロレスラー!?)
それは可愛らしい三角耳と後頭部にくるんと丸まったしっぽをつけた、リスのマスクをつけた大柄な筋骨隆々の人物であった。
(あれが、ジェームズの言っていた先輩。確かに力は強そうだけど…)
思わぬ人物の登場にドギマギしていると再びスマートフォンが振動する。
表示を見ると相手はジェームズで僕はすぐに電話に出る。
「もしもし、3階から見えてはいるんだけど、今サボっていると主任に叱られ…」
だが、聞こえてきたのはジェームズの慌てるような言葉。
『3階に居るんだな、そっちに向かうからその場から動くなよ!ポリッシャーは絶対に離すな。それが生命線になる、何があっても手離すんじゃあないぞ!』
途端に切れる通話。
(ポリッシャー…でも、何で?)
すると、渡り廊下の向こうから子供たちの叫び声が聞こえてきた。
「お化け!お化けが来たー!」
何かに追われているのか廊下を逃げ惑う子供たち。
僕はスマートフォンをとっさに上着のポケットに入れるとポリッシャーを握りしめ、子供たちの元へと走って行く…その時、妙な音を聞いた。
ズシャンッ ズシャンッ ズシャンッ
重量感のある、何かを引っ掻くような音。
(何だ、何の音だ?)
その答えはすぐに来た。
「あああ!」
「イヤァ!」
渡り廊下の先にぬっと姿を現したのは巨大な石の獅子。巨大な石像の狛犬が、白い爪痕を残しながら子供たちを教室の中へと追いやっている。
「やめてよお」
「来ないでよお」
「アッチニ行けヨー!」
気がつけば、僕のスマートフォンが振動している。
みれば大量の主任からのメッセージが届いていた。
『早く』『アレをどカせ』『今すグ』『早ク』『スグ』
(…なんだ、何なんだ?)
困惑する僕の肩を誰かが叩く。
「おい、早くここから逃げるぞ」
それは3階まで来たジェームズで、彼は僕のつかんでいるポリッシャーを見てうなずく。
「よし、言われた通り持ってるな。清掃用具はあの手の存在を寄せ付けないようにしているからな、このまま外へ逃げるぞ」
だが、ジェームズの言葉に僕は慌てる。
「待って、子供が中にいる。あの子たちを…」
そして、教室の方を向いた僕は固まった。
個性のあった子供たちの顔。それが目と口が開いただけの人の形をした捩れた塊へと変貌し、廊下の天井も急に年月が経ったかのようにみるみる汚れていく。
唯一変わらないのは巨大な狛犬。
狛犬は教室の中のうごめく塊を威嚇するかのようにジッと睨んでいる。
「行くぞ、この化け物を狛犬が封じ込めているんだ」
ジェームズはそのまま階段を駆け下り、簡易清掃機もそのままに僕を校舎の外へと連れ出すと予め停めてあった私用車の後部座席へ僕を押し込めた。
「マープル、このまま出してくれ。」
助手席に乗り込むジェームズ。
「OK!」
運転席のマスクマンはアクセルをふかし旧校舎が離れていく。
「…危なかったわねえ、君もジェームズのせいでひどい目にあったんだって」
マープルと呼ばれたマスクマンの言葉に僕は首をかしげる。
するとジェームズがハザードマークの付いた金庫のような箱を出してきた。
「悪いが、今持っているスマートフォンをこの中に入れてくれ。俺のせいで汚染が進んでいるんだ」
意味はわからねど、とりあえず言われた通り社用のスマートフォンを取り出す。中にはすでに1台のスマートフォンが入れられており、画面には先ほどの校舎の様子…子供たちが一斉に窓に並んでこちらを見ている映像が流れていた。
「早く入れろ、それは危ないものなんだ!」
ジェームズの言葉にハッとし、僕は社用のスマホをボックスの中に入れた…と二台のスマートフォンの映像が連動し、赤黒い塊と化していく子供たちが校舎の窓から笑っている姿になり…瞬間、箱の蓋が勢いよく閉められた。
「よし、封印。会社に戻ったら新品のスマホを支給してもらうからな」
汗びっしょりで蓋を押さえるジェームズに、僕も同じく冷や汗をかいていた。
「…二人とも顔が青いわねえ、街まで行ったら少しカフェで休憩しましょう」
マープルはその様子に小さく首をふり、ジェームズも顔面蒼白でうなずく。
「その方がいいな、説明もそこでしよう」
人気のない村を通る車。
僕とジェームズとマープルを乗せた車は、ひたすら街へと下っていった…
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