2−3「悪夢」
…気がつくと、僕は実家のベッドの上に寝転がっていた。
狭い一人部屋。枕元やベッド脇に棚に収まりきらなかった本が乱雑に積まれ、タンスやコートかけの下もダンボールに入れた漫画や小説が溢れんばかりに押し込まれている。
机はやや片付いていたが、埃を被った絵のテクニックの専門書が山積みになっていて、それを見た僕に半ば諦めにも似た気持ちが押し寄せてくる
水でも飲もうと起き上がるも、隣の部屋の存在を思い出し…足が止まる。
でも、台所は階下にあるから行かなければ喉の渇きは止まらない。
意を決し、引き戸を開けて廊下へと出る。すると隣の部屋の扉越しにあの淡々とした呪詛のような低い声と女のすすり泣き声が響いてきた。
(…また、始まった)
僕は日々繰り返されるこの悪夢にも似た時間がすごく嫌だった。さほど長くもない廊下だったが、僕は足音を極力立てないようゆっくりと廊下を進み、階段を降りていく…だが、その一歩めで扉越しに大きな声が響いた。
「だからお前は何もわかっていないんだ!俺は知ってるんだぞ!真実を!」
すすり泣く声も一層酷くなり、僕は階段をかけ下りようと足を進める。
でも、行けない。降りられない。
何かに当たって降りられない。
そうして、下を見た僕はギョッとした。
階下へ進む階段の先…そこにあふれんばかりにマネキンが詰め込まれていた。
老若男女ともなく階下に詰め込まれた同じパジャマを着たマネキン。
それらは僕に気がつくと次々手を伸ばし、無いはずの唇で言葉を紡ぐ。
『散歩に出たいよお』
『連れて行ってくれよお』
『ここに、置いていくのかい?』
執着心にまみれたそのしわがれ声に僕は嫌がおうなしにある人間を連想してしまい、必死にあとじさりながら謝る。
「やめて、やめてよバアちゃん。でも、俺にはもう…」
瞬間、僕はベッドの上で目を覚まし…体が思うように動かないことに気づく。
見れば、ベッドの上で僕の体は胴体を始め腕も足も固定され、自分の力で動けないようになっていた
(え…?)
見渡せば、そこは簡易型のテントの中。
そして僕が目を覚ましたことに気づいた看護師がテントの外に声をかけ、ついで中に入ってきたのは防護服を脱いだ私服姿の主任…その人であった。
「大丈夫…ってわけでもないよね?」
主任が声をかけると同時に看護師によって僕の身体の拘束具が外されていく。
「えっと…僕は、あれから何を?」
みればベッドに固定されたままの僕の腕は肘から先が透明なカプセルに包まれており、手首は蝋のように白く変色し、ひびの入った奇妙な状態になっていた。
それを見た主任は「やれやれ」と言わんばかりに首を振る。
「結論から言っておくと、君はあのマネキンに攻撃されて精神と肉体が汚染されていたの。拘束具とテントによる隔離はこれ以上汚染を広げないための対策ね。今は進行も止まっているし、ひびの入った外殻が剥げ落ちたら看護師さんに診てもらって問題がなければ自宅に帰りましょう」
「…あ、はい」
「幸いなことに君を襲ったのが最後の一体だったの、これ以上被害もないみたいだし、片付けも撤去班が残りをしてくれるってさ。というわけで、明日の土日はゆっくりと休んで頂戴。月曜には別の清掃場所に入る予定だから、いつも通りの時間に出勤してね」
そこに、スーツ姿のジェームズが顔を出し、僕を見ると2、3度ほど口を開け何か言おうとするが、結局テントの外に看護師を呼ぶと何かぼそぼそと話す声がした。それを見た主任は「…まったく、正直になれないわねえ」と首を振る。
「ジェームズもあなたを巻き込んだことを随分後悔しててね、さっきからずっとあんな調子なの…まあ、今月は3つも案件を抱えて忙しかったみたいだし、彼の上司にもここまでの経緯を話しておいたから仕事量も大分減らしてもらえるとは思うんだけどねぇ」
そう言うと、主任は僕の腕を一目見て「おお、いい感じに剥がれかけてる」とカプセルをトントンと突く。
「良かった、とっさに君の体を引いたから指先をかすっただけで済んだのよね。報告書の中には接触直後に完全にマネキン化しちゃっていた人もいたから…ま、子株になっちゃって他人を襲わなきゃ御の字よ」
その瞬間、僕は嫌な想像をしてしまい気分が悪くなる。
主任もその表情の変化に気づいたのかニンマリと微笑んだ。
「…よかったわねえ、マネキンになって人を襲うような結果にならなくて。君は自分が死んでもいいけど人を傷つけるような死は望まないタイプだもの」
そして適当な椅子を見つけると主任は腰掛けて僕の目をじっと見る。
「でも汚染されてるあいだは随分と苦しんでたわ、過去に起因する悪夢かしら?さっき声に出していたのは誰だっけ?身内の名前?まあ、苦しい中でも死んだ方がマシだというのなら、そのまま放置してあげても良かったのだけれど…」
「やめてください!」
たまらず僕は声をあげる。
その瞬間、バリンという派手な音がした。
見ればカプセルの中の腕の蝋が完全に割れ落ち、生身の僕の腕が見えていた。
「…私もね、同じなの」
「え?」と思わず顔を上げる僕。
「苦しんで死ぬ人の顔は趣味じゃないの…だから、小菅くんと同じ。」
そして人差し指を口に当てながら主任は薄く笑う。
「じゃあ、お大事にね」
…その時、外で話しをしていた看護師がテントの中へと戻り、僕と主任との話はそれきりとなった。
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