某地下鉄駅構内、破片撤去
2−1「壁から出てきたもの」
1月中旬とはいえ地下鉄の駅構内は蒸し暑い。
暖房が効いていることもそうなのだが、空気の循環が良くないためかコートを着用し構内をしばらく歩けば、たちまち滝の汗が流れるほどに蒸し暑い。
なので僕は作業用に支給された半袖と短パンを穿き、頭にはバンダナのようにタオルを巻きつけ防護服を着用する。基本的に夏場の格好のようにも見えるが、この温度なら仕方ないようにも思える。
それは主任も同じようで「暑いわねー」と言いながら、作業半ばに設置された簡易テントの中でノースリーブのシャツに短めのハーフパンツ姿でタオルを首元に巻きつけながら配給されたスポーツドリンクを一気飲みする。
「残り5分の1くらいかしら?朝から始めたけど吸引機を持って通路沿いにまっすぐ進むだけだから割と楽な作業よね…残量は何割くらい?」
僕は、社内用のスマホで容量残高を確認し「残り5割です」と答えた。
休憩所と現場のあいだを繋ぐ通路には簡易テントが設けられている。外に出る際は防護服を着てから送風機のあいだを通り、その先にある吸引機を見なければならないのだが、吸引機は作業中に現場に置いておくのが鉄則なので移動の手間を考えれば登録してあるアプリで吸引機の更新データを見る方が楽だと僕は主任から教えてもらっていた。
出社初日からひと月。
…結局、研修生から正社員になれたのは僕1人だけだった。
でも主任曰く、この仕事は1人か2人残れば良い方なのだそうだ。
「デジタル化や自動化で清掃も作業がしやすくなっているし、あんまり大人数で作業を行うと、何かしら問題が起こりやすいの。最小で2人組のペア、他エリアと合同で清掃するにしても最大8人くらいが理想なのよね」
そして、今のところ危なげなく仕事は続けられている。
「上々、これなら今日中に終わるかも。朝からこまめに言ってるけど壁に貼ってあるQRコードのシールも忘れず剥がしてね、清掃後にも念のためチェックを行うけど現場は綺麗にしておかなきゃいけないものだから」
主任はそう言うとおやつに支給されていたお土産売り場に置かれていた饅頭の最後の一口をスポーツドリンクで流し込み、作業を再開するため立ち上がる。
「作業は定時で早めに終わらせる。何しろ鉄道会社もこの緊急事態で路線を止めてなきゃいけないから、ダイヤが乱れて大変なのよ」
…それから5分後、僕らは地下鉄構内の通路を2台の吸引機で進んでいた。
吸引機の先には細かなブラシが付いており落ちた陶器の欠片を吸い込むと常時内部にあるタンクに溜めていく。これが8割を越えた時点で吸引機自体をテントで控えている撤去班に渡して中身を綺麗にしてもらい再び使用するのだが、主任は何より先にタンクの残量に注意するようにと僕に言った。
「順調に進んでいるようでも急に機械の中が満杯になることがあるからね、この手の副産物は、撤去班が回収したものを検査課が解析して、ようやく特性の半分がわかるくらいだから二次被害も多いし回収作業はあんまり気が抜けないのよ」
主任はそう愚痴ると、足元に散る白い欠片を吸引機で吸っていく。
検査課が何をする場所か僕はまだ教えてもらっていないが、この陶器の破片がただの燃えないゴミではないことぐらいは僕にもわかった。
欠片は地下鉄のホームに大量に散らばり、このせいで上にある商業施設はおろか地下へと向かう入り口まで立ち入り禁止のテープで封鎖がなされている。
出入り口の看板を見た限りでは上の人たちは水道管の破裂による閉鎖と思っているようだが、本当のことを知っているのは鉄道関係者と僕らくらいのものなのだろう。
そんなことを考えつつ作業をしていると目の前にコンクリートの壁に貼られた一枚のシールを見つけた。シールは2センチ角ほどで、複雑な文様のQRコードが書き込まれ壁に等間隔に並んでいる。
僕は、主任に言われた通りシールを剥がそうと手を伸ばす。
主任曰く、回収した後のシールは特に再利用する必要もないので吸引機にでも貼り付けておけば良いという話であった。見れば吸引機には先代の清掃員が貼り付けたのであろう何枚ものシールがベタベタと無造作に貼られており、さながら子供の被害にあったタンスのような様相になっていた。
ペリッ…
ノリの付きが甘いのか簡単にシールは剥がれる。
(この調子なら、1時間ほどで作業が終わるに違いない)
そう僕が思った時だ。
ズルリッ
コンクリートの壁から頭部が出た。
目鼻立ちを形だけ作った無機質な白い肌。
瞳のない顔はじっとこちらを見つめている。
液体のようにコンクリートの壁から出てきたもの。
…それは、まごう事なきマネキンの頭部で間違いなかった。
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