第13話 シュテルンフューゲルへ

 バスク侯爵邸で「鬼面猿猴きめんえんこう」に襲撃されたディラン・ベルトラントを救出してから二日が経過した。


 今日もすでに太陽が昇って数時間たったけれど、彼は未だ眠りから覚めない。

 ディランの妹エマが憔悴した顔で、つききりの看病をしている。


 騎士団庁へは、襲撃事件の翌朝、エマが「織姫や」の楼主テディに連れられて休暇願を届け出た。


 ディランは、妓楼「織姫や」二階の一室に用意されたベッドのなかで眠っている。

 夢にうなされているのか、時折、苦しそうに呻き声を上げたりしていた。


 その声を聴くたびに、エマが心配そうに彼の顔を覗き込む。「兄さん、兄さん」と呼びかける。

 けれどディランの意識が戻る様子はない。


 原因は鬼面猿猴の幹部「岩猿」に付けられた胸の傷。


 ――ベルゼブ・ペイン。

 ラムドゥデモンの保有者だけが扱うコトのできる呪いのような傷。患者の魔力を吸収しながら成長し、最後は肉体までも喰らい尽くして患者を死に至らせるという。


 出血はないけれど、治癒魔法で傷跡を消すコトはできない。傷を付けた術者に解除させるか、術者を殺さなければ消えるコトはない。


 ラムドゥデモンの保有者は、「ペイン系」と呼ばれる固有スキルを使うコトができる。『旧大聖典』に登場する「デモンズ・ペイン」が有名だ。高位の「悪魔の魂」を持つ者ほど、多くの「ペイン系」スキルを持つという。


 「ペイン系」スキルで付けられた傷は、患者の体力や魔力、精神などを蝕んでいき、やがて廃人となったり死に至らせたりする。

 なかには、患者の「黒歴史」の記憶を執拗に喚起させ、あるいはありもしない「黒歴史」の記憶を患者に植え付け精神疾患に至らせる笑えないモノまであるという。


 ボクは兄妹の姿を見て、そっとため息を吐いた。

 この様子では、ディランから事情を聴くのは当分ムリだね。


 ボクはディランが眠る部屋を後にし、階段を降りて庭園へ向かった。

 庭石の上にひょいと飛び乗り、ちょこんと座る。


 ボクを見て警戒しているのか、さかんに口をぱくぱくさせてコイッ、コイと鳴く池の鯉たち。ボクは、庭石の上からその様子を眺めていた。


 ディランが目覚めるのを待ってるワケにはいかないよね。


 いつ目を覚ますか判らないヒトの目覚めを待つのは時間のムダだ。ディランの身柄は「織姫や」で確保している。たぶん、あの様子では目が覚めても「織姫や」から動くのは、しばらくムリだろう。


 毛繕いをしながら思案する。


 ……とりあえずディランの方は、スピカに任せてもいいかな? 


 右腕をぺろぺろ舐めて顔を洗う。


 だったら、ボクはシュテルンフューゲルへ行こう。


 シュテルンフューゲルは、ヴィラ・ドスト王国の王都から西へ、馬車で二日ほど進んだところに位置する学術都市だ。ここには世界屈指の魔導研究機関「王立魔導研究所」や「王立学院」がある。


 ヴィラ・ドスト王国「王立魔導研究所」所長マリア・クィン。ラステルの母親だ。おそらく彼女はラステルの亡命に直接関与している。彼女ならレヴィナスの「目的」を知っているかもしれない。


 ヴィラ・ドスト王国第一王子が、「処分」されるハズだったラステルを亡命させた目的。


 庭石から飛び降りて、ボクはスピカの部屋へ向かった。スピカの部屋へ入ると、彼女は欄干に腰かけて手紙を読んでいた。


「スピカ、話がある」


 手紙から視線を上げて、彼女はボクの方へ顔を向けた。


「なに?」


「シュテルンフューゲルへ行こうと思う」


「シュテルンフューゲルへ?」


 ボクはスピカの足下にちょこんと座り、彼女を見上げる。スピカはこてりと首を傾げた。


「うん。ディランの方は君に任せるよ」


「えっ!? あなたひとりで行くの?」


 スピカが目を大きく見開いて尋ねる。


 さすがに王立魔導研究所ともなると、警備は厳重だ。

 「クィンの末裔」たちは、ヴィラ・ドスト王国の最重要保護対象だからだ。逃亡したり、殺されたり、他国に拉致されたりした場合、王国の損失は計り知れない。だから常に護衛という名の「監視」の目がある。


 さらに、マリア・クィンがひとりで研究所の外を出歩くコトも滅多にない。

 だったらスピカを連れていくよりは、ネコのボクひとりで行った方がいいだろう。


 そう説明して、ボクは左後足で首筋をカリカリと掻いた。


「で、でも、ホントに大丈夫なの!? あなたがマリア・クィンから話を聞くんでしょう? 騒ぎにならないかしら?」


 たしかにニンゲンの言葉を話すネコなんてありえない。

 ボクの存在に驚いたマリア・クィンが教会に知らせ、大騒ぎになるコトを心配しているようだ。


 ちょこんと座り、右腕をぺろぺろ舐めてからスピカの方を見て言った。


「マリアは、ボクの正体を知って大騒ぎするコトはないと思う」


「どうして?」


 スピカは瞬きして首を傾げた。


「……ふふっ、それはヒミツだよ」


 彼女が知る必要のない情報だから、ボクも教えていない。

 だからスピカは、ボクが『わたりネコ』であるコトまでは知らない。けれど、教会に知られたらヤバいネコだというコトは知っている。


 そして「クィンの末裔」であるマリア・クィンは、きっと「わたりネコ」の存在を知っている。だから、彼女が騒ぎ出すことはない。ライチョウのソテーを出して、もてなしてくれると期待している。じゅるっ。


「それに、ラステルから預かっているモノもあるしね」


 ヴィラ・ドスト王都に来てからボクに届いたラステルの手紙。

 彼女は、マリア・クィンに会う機会があったら渡してほしいとボクに託けをした。マリアへ宛てた手紙、アルメアシルクのキャミソールとタムタム・ツリーの種だ。


 早速、旅支度を始める。

 といっても、ボクに着替えなどは必要ない。

 唐草文様の風呂敷にラステルから預かったモノを包み、それをスピカがネッカチーフのようにボクの首元できゅっと縛った。


 これで準備万端だ。


「じゃ、行ってくる」


 スピカは、すこし心配そうな腑に落ちないような表情でボクを見送ってくれた。


 ニンゲンたちの間を縫うようにして、王都のメインストリートを駆け抜ける。城門から出ると、ボクは身体強化を使い街道を西へ走った。


 目指すは学術都市シュテルンフューゲル。


 ボクのスピードなら、明日中には街へ着くだろう。


 目を丸くして驚くニンゲンたちをよそに、馬車よりも馬よりも速く、西へ西へを街道を駆ける。太陽が沈んでも、ボクは走った。


 そして、森を抜け丘を越えて見えてきた街。シュテルンフューゲル。


 お昼前ごろ、ボクはヴィラ・ドスト王国「王立魔導研究所」の建物を見上げていた。

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